アメリカ主要メディアの安倍政権に対する論評

2014.02.25

*アメリカのメディアを代表するワシントン・ポストとニューヨーク・タイムズが相次いで安倍政権に関する論評を掲載しましたので紹介します。ジャクソン・ディールはワシントン・ポスト紙の論説副委員長です。

<ジャクソン・ディール「日本の挑発的動き」(2月17日付ワシントン・ポスト紙)>

日本は、オバマ大統領が直面した最大の国家安全保障上の危機を挑発してしまうのだろうか。そんなことは数年前だったらばかげた考えだと思われただろう。しかし、日本・ウォッチャーの中には、14ヶ月前に首相になった保守的ナショナリストの安倍晋三は日本を危険な時代に引き入れようとしていると考えているものもいる。彼が最初に取った行動、例えば防衛予算の増額や国家安全保障会議の設置は、中国及び北朝鮮が好戦的になる中で意味があるように見えた。しかし、過去数カ月の間で、安倍は彼の政治的な体質である強硬なナショナリズムに旋回しつつあるようだ。彼は、中国や韓国のような想定範囲内の国々においてだけでなく、彼が手を組みたいと望んでいるアメリカ政府内部においても警鐘を鳴らしてしまった。
安倍首相の行動で最たるものは12月26日の靖国神社参拝だった。それは間違いなく中国との間の緊張をさらに高めたと同時に、オバマ政権のハイ・レベルからも明確に軽蔑的に扱われた。同じ月に安倍はNHKの4人の新しい委員を任命したが、彼らはすぐに新聞のトップを賑わすことになった。一人は、1937年の南京大虐殺は「なかった」、日本の戦争犯罪人に対するアメリカの裁判はアメリカの犯罪をカバー・アップするために行われたと言い放った。NHKの新会長になった籾井は、「従軍慰安婦」の歴史をけなした後の記者会見で、NHKは原発や安倍の靖国参拝などのテーマで政府を批判するべきではないと述べた。その数日前に安倍はダボスで、日中関係は第一次大戦前の英独関係の歴史と「似た状況」に直面していると述べた。
以上の出来事に対する怒りの広がりに対して、佐々木駐米大使は「アジアと国際社会が警戒すべきは日本ではなくて中国だ」と述べた。しかし、安倍がナショナリズムに傾斜したことにより、以下の三つの理由でアジアの安全保障上の危機はより確実なものになった。
① 靖国参拝は、すでに凍り付いた日本と中韓との関係を改善するいかなる可能性をも破壊した。習近平主席と朴槿恵大統領は安倍首相と会うことを拒絶している。中日間の外交的、軍事的接触は事実上ゼロであり、これは尖閣問題に関する紛争が続いている中で極めてアラーミングなことだ。
② 靖国及びその余波は安倍政権とオバマ政権の関係を恐ろしく傷つけた。情報筋によれば、ワシントンと東京との間のコミュミニケーション・ギャップはワシントンと北京との間のそれより深刻だという。アメリカの当局者は今や、尖閣問題で緊張が高まったときに安倍が何をしでかすか、あるいは危機に際してアメリカが行う助言に耳を貸すかについて確信が持てないとしている。
③ 中国の指導者は、安倍に対する憎しみと安倍とオバマとの間にあるギャップとに基づいて力比べを挑発する可能性がある。例えば、尖閣の周りに漁船群団を配置するとか、尖閣に兵力を上陸させるとかしたらどうなるか。その場合に安倍は日米安保条約を適用しようとするだろうか。もし安倍がそうしたとき、オバマは応じるのか、そうしないのか。大統領は4月にアジア旅行の一環として日本を訪問する予定だ。危機防止は公式のアジェンダには乗らないだろうが、彼にとっての大きな使命の一つとなるだろう。

<ニューヨーク・タイムズ紙社説(2月19日付)>

安倍首相は、正式の改定手続きによらず、自分の再解釈によって憲法のかなめを変えるという危険を冒そうとしている。
安倍氏は、憲法は日本の領域において防衛的な役割を担うことだけを許しているということが認められているにもかかわらず、日本の軍隊が攻撃的に、同盟国と協力して日本の領域外で行動することができるようにする法律を通そうとしている。長年にわたる削減の後、彼は軍隊を強化するべく攻撃的に動いている。そして、他のナショナリストと同じく、彼は憲法の条項に規定された平和主義を拒否している。
同条項は、「日本国民は、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めている。歴代政府は、日本がより広い役割を担いうるようにする前に憲法の改正が必要であることを認めてきた。内閣法制局はこの解釈を行ってきた。
法制局にこの立場を変えさせるため、安倍氏は8月に通常の手続きを破り、集団的自衛権に好意的な外務省職員である小松一郎を法制局長官に任命した。安倍氏が選んだ専門家たちは、4月に提出される集団的自衛権に関する意見で小松を支持しようとしている。最近の国会で安倍氏は、次の選挙で彼に対する審判を行うことができると述べたが、これは立憲主義に対する間違った見解である。もちろん彼は憲法を改正するべく行動できる。しかし、そのプロセスがあまりに面倒であるとか、不人気であるとかいうことは、安倍氏が法の支配に挑戦する根拠とはならない。
安倍氏が自分の見解を国民に押しつけようとするのであれば、長期にわたって憲法の平和主義の条項に対して判断することを避けてきた最高裁は、彼の解釈を退け、いかなる指導者も個人的な意思で憲法を書き換えることはできないということを明確にするべきである。