安倍政権の外交・安保政策と日中関係
-「中国防空識別圏」問題を中心に-

2014.02.03

*寄稿を求められて書いた短文を紹介します。

2013年11月23日に中国政府が防空識別圏設定を発表してから、日本では対中国批判が官民を問わず溢れかえっている。現在の対中批判の盛り上がり(?)の直接のきっかけは、2010年に尖閣海域で起こったいわゆる中国漁船衝突事件だった。この事件の処理はなんら難しいものではなかったはずだが、その処理に当たった当時の民主党政権が自民党政権時代までの日中間の暗黙の合意の積み重ねを無視して、日中間に「領土問題は存在しない」、「棚上げ合意は存在しない」と言い張ったことが事態をこじらせることになった。
そして、日中関係を荒だてる機会を虎視眈々と狙っていた石原都知事(当時)が東京都による尖閣「買い上げ」発言を行い、「事態を収拾する」ことを目ざしたはずの野田政権があろうことか尖閣「国有化」を強行したことで、日中関係は最悪な状況に追い込まれた。
ところが、元々「中国脅威論」が根強い日本のマス・メディアは、この事件についても一方的に中国を「悪玉」と決めつけ、大々的な中国批判キャンペーンを展開したというわけだ。中国政府の防空識別圏設定発表はそういう背景のもとで行われたから、まさに火に油を注ぐ結果になった。
そもそも安倍政権は、実は尖閣問題を収拾する格好な立場にあった。いわゆる尖閣「棚上げ」の実質合意は、1972年(田中角栄首相と周恩来総理)及び1978年(福田赳夫首相と鄧小平副総理)に自民党政権のもとで行われたものであり、自民党政権の首相たる安倍晋三氏は、民主党政権の行動を「無知による過ち」とすることにより、「棚上げ」合意に回帰することができたはずだし、それによって中国の(それ自身至極まっとうな)怒りを鎮め、日中関係を修復することも十分可能だった。
現に中国は、安倍首相が第1期政権就任直後に訪中(2006年)し、小泉首相が靖国神社参拝を繰り返し強行して冷え込んだ日中関係を劇的に改善することに成功したことを高く評価していた。そして彼が第2期政権として再登板(2012年)したとき、今一度大所高所に立った行動をとることに大きな期待を寄せたのだ。
ところが安倍首相は、民主党政権が強行した「既成事実」の上にあぐらをかき、事ごとに中国と対決する政策を行い、尖閣問題で中国と一戦を交えることをいとわない姿勢を露骨にした(私自身、あるシンポジウムで一緒になった安保法制懇メンバーの坂元一哉・大阪大学教授が、「今中国と戦争したら勝てる」と涼しげな表情で述べるのを聞いて腰を抜かした体験がある)。特に中国を刺激したのは、中国の無人偵察機が尖閣「領空」を侵入する場合には、これを打ち落とす可能性に言及した小野寺五典防衛相の発言だった。
中国政府の防空識別圏設定の決定及びその発表は以上の背景のもとで行われたものだ。この問題についての私の基本的な認識・判断は以下の数点に要約できる。
◯中国の防空識別圏設定は、尖閣「国有化」に端を発する安倍政権の強硬な対中軍事政策に対する対抗措置であること。安倍政権の対中政策が事の原因であり、その逆ではない。
◯中国としては、尖閣をカバーする日本の防空識別圏に対抗するために、釣魚島を防空識別圏に含めることが直接の目的なのだが、防空識別圏の性格上、広範な空域、航空機(軍用機のみならず民間機も含む)を対象にすることになり、しかも中国政府の決定・発表が確かに荒っぽかったために、安倍政権だけでなく、アメリカも反発するなどの国際的な動揺・批判を招く結果になってしまったこと。もっと周到な「根回し」をしていたならば、安倍政権の激しい反発は不可避でも、アメリカをはじめとする国際的な反応はもっと穏当だっただろう。
◯一連の日米の対応から確認されるのは、今回の問題を「中国脅威論」の格好の材料として改憲(第9条の解釈改憲)・軍拡正当化を目指す安倍政権と、戦略的に米中関係を重視し、今回の問題を大事にしたくないオバマ政権との思惑・戦略の違いがますます浮き彫りになっていること。
例えば、安倍政権は中国の識別圏「撤回」を要求するが、アメリカは決定・発表に至る手続きの瑕疵の問題に力点を置く。そもそも、防空識別圏の設定を最初に行ったのはアメリカ(1950年)であり、日本、韓国、ヴェトナム、フィリピンを含む世界の21ヵ国が設定しているのであって、「撤回」を要求する安倍政権の主張は根拠薄弱と言うほかない。
   また、安倍政権は日本の航空各社が中国の求めるフライト計画の提出に応じることを認めないが、オバマ政権は応じるようにアメリカの各社に早々と「助言」した。中国政府のその後の発表では、日本以外のほとんどの航空会社がフライト計画を提出しているという。
中国政府の防空識別圏設定はすでに既成事実として確立しており、この問題については事実上中国政府の思惑どおりに決着がついたと言わざるを得ないだろう。しかもそれは、「無理が通れば道理が引っ込む」という類のものではなく、中国政府の行動には、(すでに触れた物事の運び方における荒っぽさはともかく)特段に非があるわけではない。
一事が万事とまでは言わないが、現在の日中関係が最悪の状態に陥っている原因は優れて安倍政権の露骨な対中対決政策にあることは否定のしようがない。歴史認識及び領土問題にかかわって韓国・朴槿恵政権が厳しい安倍政権批判の立場を鮮明にし、日韓関係が最悪な状態に陥っている現実は、日中関係における非が日中のいずれの側にあるかについての見やすい国際的な判断材料を提供している。
そして年末に安倍首相が靖国神社参拝を強行したことにより、彼自身更には右傾化を強める自民党政権の危険な本質はいっそう広く国際的に認識されることになった。今ではアメリカのメディアだけにとどまらず、米議会更にはオバマ政権からも安倍政権に対する批判が現れるに至った。
もちろん、アメリカの中国に対中警戒感は根強い。したがって、アジア太平洋におけるアメリカの軍事プレゼンスを確保する上での日米同盟の死活的重要性は不変だ。安倍首相がそういうアメリカの「弱み」を見据えた「戦略外交」、対中対決政策を行おうとしていることは間違いない。
しかし、アメリカにとって対中関係が戦略的に重要であることも事実だし、その重要性は今後増すことはあっても減ることはあり得ない。日米同盟はあくまでもアメリカの戦略的利益に奉仕するためのものであって、日本を守るためのものではない。「たかが岩(尖閣)のために米中軍事激突」という選択はアメリカ(特に経済重視のオバマ政権)にとってあり得ない。
2014年の日中関係はますます米中関係の大枠のもとで規定され続けるだろう。安倍首相が「泣きっ面に蜂」となるのは自業自得だ。しかし、そのツケ(日本が国際的窮状に陥る)を背負い込むのは私たち自身だ。そういう最悪な事態を招かないようにするためにも、日中関係のこれ以上の悪化を阻止し、ひいては日本外交を私たち主権者の手に取り戻さなければならない。