「安倍外交」の怪しさ・危うさ

2014.01.26

*ダボス会議に出席して講演した安倍首相は、1月22日に国際メディアによるインタビューに答えた際、現在の日中関係が第一次大戦前の英独関係の状況と似ているとし、当時の英独間には大きな貿易関係があったけれども1914年の大戦勃発を防ぐことができなかったという趣旨の発言(注:官邸HPなどで発言の原文を探しましたが、執筆時点では見つけることができていません)を行い、欧米メディアはこの安倍発言を、日中間の軍事衝突の可能性を排除しなかったものとして敏感に反応しました。
 欧米メディアがこのように敏感に反応したのには背景があります。本年(2014年)は第一次世界大戦勃発100周年に当たり、欧米においては、大戦勃発前(1914年当時)の英独関係を今日の米中関係と比較する議論が行われ、米中戦争が起こる可能性がそれなりの憂慮を込めて語られる状況があるのです。以下で紹介するジョセフ・ナイの文章は、そういう懸念の存在を意識しつつ、そのような比較を行うことには根拠がない(特に、核兵器が登場した今日は米中戦争を起こらないようにする条件が十分に存在する)ことを論じたものです。そのような議論が欧米で行われているさなかに、安倍首相が現在の日中関係を1914年当時の英独関係と「似ている」とする発言を行ったのですから、欧米メディアが鋭く反応したのは当然すぎることでした。
 なぜ安倍首相はこのような発言を平然と(?)行ったのでしょうか。確かな根拠を持っているわけではないのですが、それほど研究熱心とは思えない安倍首相が欧米における議論の状況について明確な問題意識を持っているとは考えられません。恐らく欧米の議論状況を知悉する谷地、北岡等の外交政策ブレーンからの「講義」による耳学問の皮相な知識をもとにして米中関係を日中関係に置き換え、彼の好む「中国脅威論」を欧米の聴衆にも「分かりやすく」説明しようと思いついたのではないでしょうか。しかし、欧米メディアの最大の関心は「1914年(大戦)が今日再び起こるか」にあるわけですから、安倍首相の発言は「日中関係当事国の一方の最高首脳が日中戦争勃発の可能性を否定しなかった」ということで深刻に受けとめたというわけです。
 物事によっては、「殿のお戯れ」として片づけることもあるいは可能かもしれません。しかし、過去1年における安倍首相の言動は世界に知れ渡っていますし、特に中国に対する敵意むきだしの言動(その極めつけが靖国参拝)に対しては、国際社会は憂慮と批判を強めているわけです。そうした中での上記の安倍発言ですから、「お戯れ」あるいは「お粗末」としてすますわけにはいきません(例によって官邸・外務省は、安倍首相の発言が間違って通訳されたなどと言いだす始末ですが、そんな小細工で済ませる類の問題ではありません)。
安倍首相の外交ブレーン諸氏(谷地については知りませんが、北岡、坂元、岡崎等の「それ行けドンドン」式の発想は洩れ伝わって来ています)のお粗末さが今回の事態を招いたことは間違いないでしょう。
 こうした「安倍外交」に対して、アメリカ側もようやく(私からすれば「遅すぎる」のですが)懸念を深めているようです。そのようなアメリカ側の動きを示すものとして、1月23日付中国新聞社ワシントン電が伝えた、同社の質問に対する国務省のハーフ副報道官の発言内容と翌24日付のウォールストリート紙記事(会員制のため原文には当たれないのですが、中国新聞網に内容が紹介されています)とを紹介します。また、1月13日付で「プロジェクト・シンジケート」に掲載されたジョセフ・ナイの「1914年再考?」と題する文章(要旨)も合わせ紹介します(1月26日記)。

1.アメリカ政府の日中関係に対する憂慮

<ハーフ副報道官の発言に関する中国新聞社記事>

 以下のハーフ発言に特に新味があるわけではありません。しかし、日中が外交と平和手段で問題を解決することがアメリカの利益に合致するという点を何度も強調していること(太字部分)は、「領土問題は存在しない」として門前払いを決め込む安倍首相に対する強烈な異議の提起であり、また、「平和的解決」を強調することも安倍首相の「好戦的言辞」に対するアメリカの苛立ちの反映であることは間違いないでしょう。

 アメリカ国務省は23日、中国と近隣諸国が建設的に協力し、東海(東シナ海)及び南海(南シナ海)での緊張した情勢を緩和することを呼びかけた。国務省のハーフ・スポークスマンが中国新聞社の質問に対して以上のように述べた。バーンズ副長官は21日から23日まで北京を訪問し、中国側との米中戦略安全保障対話に出席し、共通の関心である戦略的安全保障、総合安全保障の問題について意見を交換した。
 ハーフが明らかにしたところによれば、朝鮮の核及びイランの核問題について中国側と意見を交換したほか、バーンズはアジア地域各国が領土及び海洋について一方的な主張を行うことを避けることの重要性を強調した。バーンズは、中国は隣国と建設的に協力し、東海及び南海の緊張した情勢を緩和するべきであり、関係国が外交手段で当面する情勢に対処することがアメリカの利益に合致すると述べた。
 ハーフは、アメリカは中国が関係国と外交手段で平和的に問題を解決することを引き続き奨励すると述べた。
 バーンズの中韓両国に対する訪問はすでに終わったが、「日中及び日韓関係を転換させることを促す」という今次訪問の効果は基本的にゼロだった。バーンズが北京を訪問している際に安倍首相はダボスで演説を行い、自らの靖国参拝を公然と正当化した。安倍は、靖国神社に合祀されているのは明治維新、第一次大戦及び第二次大戦の戦没者であり、参拝するのは彼らに対して敬意を表するためで、中韓人民の感情を害する意図はなく、中韓首脳と率直な対話を行いたいと述べた。
 安倍のこの言辞は中韓の激しい批判を招いた。中国は、安倍の弁解は「隠すより現るるはなし、消そうとすればするほど黒くなる」であり、靖国参拝の目的は侵略を美化し、戦犯のお先棒を担ぐことにあるとし、一方で過ちを認めることを拒否して至るところで中国を悪し様に言い、他方で対話しようと中身のないことを言って通るなどと幻想してはならないと述べた。韓国は、安倍が靖国参拝を弁解しても「通らない」とし、靖国を参拝すると同時に韓日友好を議論するのは前後が矛盾していると述べた。
 ハーフは安倍のダボスでの発言について具体的に評価することはなく、中日が外交及び平和的手段で問題を解決することがアメリカの利益に合致するということを何度も強調した。

<ウォールストリート紙記事>

 下記報道の内容が事実を反映しているとすれば、アメリカは、安倍外交にしびれを切らせて様々な働きかけを行っていることが窺えます。靖国参拝の中止、第二次大戦に関する正式な謝罪表明、慰安婦問題解決に向けた措置のいずれも、安倍首相にとっては受け入れ至難なものばかりです。

 24日付ウォールストリート紙報道によれば、アメリカ当局者は、東アジアの緊張した情勢を緩和するため、アメリカは日本が安倍晋三の靖国参拝が繰り返されないことを保証するように求めており、安倍晋三が第二次大戦の問題について正式なお詫びを行うことを検討することを要求していると述べた。
 同報道のコメントの箇所では、アメリカが緊張情勢を和らげることを希望しているのにもかかわらず、安倍が23日に行った靖国参拝に関する発言は韓国及び中国の怒りを改めて招くものであり、このことは、アメリカの以上の外交努力が直面する数々の深刻な困難を突出させるものだ、と述べている。
 アメリカの当局者は、安倍晋三が隣国の怒りを触発する言動を繰り返さないことを保証するように希望している。日本の隣国は安倍晋三の強硬な政策に対して反対している。アメリカの当局者は、一連の米日間の外交会議を通じて以上の要求をひそかに伝えていると述べた。
 アメリカの当局者は、日本が積極的に韓国と接触し、両国間の言葉の応酬をやめることを促していると述べた。アメリカの当局者はさらに、慰安婦問題に関する数十年にも及ぶ争いを解決するため日本が措置をとることを要求中であるとも述べた。
 今のところ、アメリカの要求が拒否されたか、またアメリカが如何に対応するかは不明である。日本外務省のスポークスマンはこのことにコメントしていない。

2.ジョセフ・ナイ文章

 私がナイの文章を紹介する一つの大きな理由は、安倍首相の外交政策ブレーンたちにもナイ並みの冷静な判断力、分析力を持ってほしいし、安倍首相の太鼓持ちになって「それ行けドンドン」ということではなく、「殿、ご乱心」と諫めるだけの器量を身につけてほしいという叶いもしない願望切なるものがあるからです。

 本年は現代史の転換を画する出来事の100周年の年だ。第一次大戦は約2000万の人命を奪い、欧州更には世界の国際秩序を根本的に変えた。大戦はまたドイツ、オーストリア・ハンガリー及びロシア更にはオットマンの帝国を破壊した。大戦までの世界のバランス・オブ・パワーは欧州中心だったが、それ以後はアメリカと日本が大国として台頭してきた。大戦はまたボルシェビキ革命を招き、ファシズムへの道を拓き、20世紀を苦しめたイデオロギーの闘いを強め、広げた。
 この悲劇はどうして起こったのか。戦争が起こって間もなく、ドイツの宰相は説明を求められたとき、「もし分かっていたのであれば」と答えた。多分彼は戦争が不可避だったと言いたかったのだろう。同じように当時のイギリス外相も、「誰も戦争を防ぐことはできなかったと考えるに至った」と主張した。
 今日我々が直面しているのは戦争がまた起こるかということだ。『平和を終わらせた戦争』と題する興味深い新著の著者であるマーガレット・マクミランは、「今日の中米関係を1世紀前の独英関係と比較してみたくなる」と述べている。同じような比較をした後でエコノミスト誌は、「1914年と今日との間でのもっとも厄介な類似性は自己満足(独りよがり)という点にある」と結論づけている。学者の中には、「中国が平和的に台頭することはあり得ない」と主張するものもいる。
 歴史的な推論は、予防的目的としては時に意味があるが、歴史的不可避性という意味合いを伝える段になると危険となる。第一次大戦は不可避ではなかった。それは、ドイツの台頭及びこれに対するイギリスの警戒ということで現実的可能性ということになった。ロシアの台頭に対するドイツの警戒ということも加わった。そのほかにも様々な要因そして人為的過ちも加わった。しかし、今日における米中間の総合的な力の差は、1914年の独英間のそれよりもはるかに大きい。
 1914年から今日的教訓を引き出すに当たっては、第一次大戦に関する様々な神話について片をつける必要がある。例えば、大戦はドイツによる予防戦争だったという主張は、ドイツのエリートたちがそのようなことを考えていなかったという事実でくつがえされている。また逆に大戦は偶発的だったという主張については、スラブ・ナショナリズムの脅威を躱そうとするオーストリアが意図的に戦争に訴えたという事実の前に成り立たない。戦争が長期にわたりかつ泥沼化したという点について計算違いはあったが、そのことは戦争が偶発的だったということを意味するものではない。
 欧州での軍備競争に歯止めがかからなかったことが戦争の原因だとする主張もある。しかし海軍の軍備競争は1912年までにイギリスの勝利で終わっていた。戦争が軍備競争で早められたという主張は皮相的すぎる。
 今日の世界はいくつかの重要な点で1914年の世界とは異なる。一つは核兵器が「戦争のエスカレートで世界はどうなるか」を告げる水晶球の役割を果たしていることだ。仮に皇帝、カイザー、ツァーが、1918年に自分たちの帝国が滅び、王冠を失うことを告げる水晶球を持っていたならば、1914年にはもっと慎重だっただろう。キューバ・ミサイル危機に際して、(核兵器という)水晶球は米ソの指導者に対して強力な影響を及ぼした。その影響は今日の米中の指導者に対しても同様だろう。
 もう一つの違いは戦争に関する考え方の違いということだ。1914年当時には戦争は不可避だと考えられていたし、そういう考えは、戦争は夏の嵐のように「空気を清浄化する」働きがあるというダーウィン的社会進化論によって強められてもいた。
 チャーチルが『世界危機』の中で書いたように、「空気中に妙な雰囲気が漂っていた。物質的な繁栄に満足しないで、各国は内外に争いを求めていた。宗教の没落のもと、ほとんどの国で民族的な情熱が燃えさかっていた。世界は受難を望んでいるかのようだった。人々は進んで受難に走ろうとした。」
 確かに中国のナショナリズムは増大しているし、アメリカは9.11以後に二つの戦争を行った。しかし米中のいずれも限定戦争をしたがっているわけではない。中国はアジア地域でより大きな役割を担うことを強烈に望んでいるし、アメリカは地域の同盟国を守ることにコミットしている。計算間違いは何時でも起こりうるが、そのリスクは正しい政策を選択することによって最小限に抑えることができる。エネルギー、気候変動、金融的安定などの多くの課題について、中米は協力することに強い動機を共有している。
 さらに、1914年のドイツはイギリスに迫っていた(工業力ではしのいだ)けれども、軍事力、経済力及びソフト・パワー諸資源のいずれにおいても、アメリカは中国の数十年先を行っている。中国が冒険的政策をとれば内外での成果を失うことになる。
 別の言い方をすれば、100年前のイギリスと比べるとき、アメリカには台頭する中国との関係を処理するためにもっと多くの時間があるということだ。米中が両国関係をこなすかどうかは別問題だ。しかし、その問題を支配するのは皮肉な歴史の法則とやらではなく、人間の選択である。
 1914年の出来事から学ぶべき教訓としては、分析家が持ち出す歴史的推論、特に不可避論を警戒することだ。戦争が不可避であることはあり得ないが、不可避だと信じてしまうことが戦争の原因になることはありうるからだ。