『すっきり!わかる 集団的自衛権』(はじめに)

2014.01.25

*2月初に出版される予定の本『すっきり!わかる 集団的自衛権』(トップ・ページに紹介を載せてあります)の前書きの部分(「はじめに」)を紹介させてください。私は以前(2002年)にも集団的自衛権を扱った集英社新書(『集団的自衛権と日本国憲法』)を書いたことがあるのですが、今回の本はその後の内外での集団的自衛権にかかわる動きをふまえて書いたものです。そのことについて『はじめに』で、私の問題意識を込めて説明してあります。
安倍首相が国会における施政方針演説で踏み込んだ発言をした今年は、集団的自衛権の問題が否応なしに私たちに突きつけられ、日本の進路についての私たちの主体的判断が問われることになるでしょう。この本を読めば、集団的自衛権を憲法問題として考え、判断するための基本的なポイントをつかんでいただくことができると思います。私としては珍しく(?)自己主張を禁欲して、事実をして語らせるということを心掛けました。
以下で紹介するものは私の手元に残っている原稿版です。出版までに何度か見直しがありましたので、最終版は少し出入りがあるかもしれません。しかし本筋は変わっていません(1月25日記)。

 21世紀も早いもので、すでに10年以上が経ちました。今の生活に満足している人はよほど条件に恵まれている場合を除けば少ないと思います。対応の仕方は各人様々です。多くの人は様々な状況の間で気持ちが揺れ動いているのではないでしょうか。
そういう気持ちが鬱積すると、何かで発散させたくなります。外交・防衛・安全保障の問題は、往々にしてやり場のない気持ちの発散対象になります。また、政治をする側も、自分たちが行っている政治のまずさや失敗に対する批判をそらすために、この問題に私たちの関心を向けさせるということは昔からよくあることです。
しかし、外交・防衛・安全保障の問題は私たちすべてに影響が及んできますから、適切に対処しないととんでもない災難として私たちにはね返ってくることがあります。対処を誤るとどういうことになるかについては、私たちは第二次世界大戦での敗北という重すぎる体験を持っています。ですから、そういう類の問題を一握りの政治家に任せておくということはすまされませんし、ましてや、私たちのもやもやした気持ちを発散させる対象として扱うのは危険極まりないことです。
もちろん、一口に外交・防衛・安全保障の問題といっても実に様々です。私たちには日常生活がありますから、一から百まで常に目を光らせているというわけにはいきません。この本で取り上げるのは、日本の進路を決定的に左右する問題の一つである「集団的自衛権」です。
この問題が日本の進路を左右する深刻な中身を持っていると理解し、認識している人は多くありません。そもそも「集団的自衛権」という言葉自体が、多くの人にとって実は「何それ?」という程度のことではないでしょうか。 その結果、「集団的自衛権」の問題は、「北朝鮮脅威」論や「中国脅威」論といった私たちの感情に訴える話題と結びつけて議論される状況が生まれています。
政治を行う側(日本政府)からは次のような主張が行われています。「日米同盟に対するアメリカの信頼を確かなものとし、中国及び北朝鮮の脅威に対処するためには、集団的自衛権を行使して日米防衛協力の実を挙げることが不可欠である。そのためには、この権利の行使を禁じてきたこれまでの9条の憲法解釈を変えるか、9条を改正すべきだ。」
最近の世論調査の結果を見ると、多くの日本人がこの政府側の主張をどう考えればよいのか迷っていることがうかがわれます。その迷いの中身をまとめて言えば、次のように要約できるのではないでしょうか。

「戦後長い間日本が平和でこられたのは平和憲法のおかげだと思う。しかし、中国や北朝鮮の脅威を考えると、アメリカとの同盟関係も大事だ。でも、「集団的自衛権を行使して日米防衛協力の実を挙げることが不可欠である」と言われても、集団的自衛権のことがよく分からないから判断できない。」

多くの人が共有する基本的な判断としては、次の諸点にまとめることができるでしょう。

<中国の脅威> 経済の急成長(今や日本を追いこし、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国)を背景に、中国は軍事大国を目ざしている。特に2010年に起こった尖閣海域における中国漁船の衝突事件以来、中国は日本の固有の領土である尖閣諸島に対する領有権を主張し、軍事的な挑発を露骨に行うようになった。しかも中国は、歴史教育と称して反日教育を行っている。このような中国は日本に対する脅威だ。
<北朝鮮の脅威> 北朝鮮は拉致事件を起こした危険極まる国家だ。1990年代以後は核ミサイル開発に余念がなく、ノドン・ミサイルは日本に届く。金日成、金正日、金正恩と続いてきた独裁政権は、国内で人権弾圧を行うとともに日本を敵視しており、何を仕掛けてくるか分からない物騒な国だ。北朝鮮は中国と並ぶ日本の脅威だ。
<戦後の日本の平和と繁栄> 戦後の日本がずっと平和であることができたのは、9条のおかげで戦争に巻き込まれなかったことが大きい。また、経済が急速に復興し、成長を遂げることができたのは軍事小国に徹してきたからであり、それも9条の存在によるところが大きい。しかし軍事小国に徹することができたのは、日本の安全を日米安保条約によってアメリカに守ってもらってきたおかげであることも確かだ。占領期のアメリカの寛大な対日政策と独立回復後の日米安保体制が日本の平和と経済的繁栄に果たしてきた役割は否定できない。憲法と安保が戦後の日本の平和と繁栄を保障してきた。
<国際貢献の必要性> 経済大国となった日本は、以前のような「一国平和主義」のままでは国際社会の理解が得られない。また、米ソ冷戦が終わってから、国際関係はむしろ複雑で、不安定になっている。国際テロリズムや大量破壊兵器の拡散の危険性に対処するために、日本はアメリカ、国連をはじめとする国際社会と協力していく必要がある。

以上の判断の上で、多くの人が共通して抱いている疑問・問いとしては、次の諸点にまとめることができると思います。

<安保か憲法か> 中国は早晩アメリカと肩を並べる経済大国、軍事大国になるだろうから、その脅威に対処するためにはアメリカと協力することは今後ますます重要になるのではないか。また、尖閣諸島を守るためにも日米同盟を堅持することが欠かせないのではないか。
<軍事的国際貢献> これから日本が国際貢献を行っていく場合、特に軍事的国際貢献についてはどこまで踏み込む必要があるのか、どこで区切りをつけるべきか、つまり、憲法と安保のバランスをどのようにとればよいのかの判断が難しい。
<対国連協力> 国際貢献として国連の平和維持活動に協力することは賛成だし、自衛隊のPKO派遣も問題はないと思うが、対テロ戦争への協力として、機雷除去のための掃海艇派遣、多国籍軍のための給油艦派遣、イラク戦争での陸上自衛隊派遣などとエスカレートしてくると、憲法との関係で問題ないのか不安や疑問を覚える。
特に政府は、同じPKOに参加している他国の部隊・隊員が攻撃された場合に武器の使用はできないとか、他国が武力行使しているときには自衛隊が後方支援をしてはいけないとかの憲法解釈上の制約があるために、日本の活動が不当に制限されてきたと主張している。こういう主張は一理あると思う。しかしだからといって、憲法解釈を変えてまで国連の活動に協力しなければ国際社会の理解が得られない、ということなのだろうか。
<日米同盟> 以上の軍事的国際貢献、対国連協力も含めて、日米同盟の信頼性を確保するために、日本が積極的に対米軍事協力を行う必要があるという政府の説明は一応分かる。しかし、そのために9条の制約を完全に取り払うべきだ、改憲が必要だという主張に対しては抵抗を感じる。憲法の範囲内で日米の軍事協力ではいけないのか。
特に政府は、日米軍事協力の実を挙げるために集団的自衛権の行使が欠かせず、「集団的自衛権の行使は憲法違反」とする従来の憲法解釈は変える必要があると主張している。その例として政府は、アメリカの艦艇が攻撃されたときに日本が何もしない、あるいは、アメリカに向けて発射された核ミサイルが日本の上空を通る際に日本が何もしないというようなことでは、アメリカとしては、同盟国として最低限のこともしない日本を守る気持ちにはならず、同盟関係は維持できなくなるとしている。こういう主張には一理あると思うが、どうしても引っかかる気持ちがぬぐえない。
<アメリカの軍事政策> アメリカが対イラク戦争を始める際の理由としたイラクの大量破壊兵器開発の事実はなかったし、国連安保理決議が得られなかったのに戦争を強行した。戦争には勝利したが、イラク情勢は今も混乱し、平和と安定は生まれていない。アメリカは対アフガニスタン戦争でも泥沼だ。リビアの内戦でも、ロシアと中国の反対で安保理決議ができないのに、アメリカとNATOは軍事作戦を強行した。その結果カダフィ政権は打倒されたが、リビアは混迷したままだ。このように、アメリカの軍事政策には重大な問題がある。
日米同盟の信頼性を確保することは重要だと思うが、これまでの日本はアメリカの言うなりになってきた印象が強く、これではいけないと思う。アメリカの政策が間違っているときにはハッキリ反対し、意見をいうのが真の意味の同盟国ではないのか。
<集団的自衛権> 以上のいずれの問題に関しても集団的自衛権という問題がかかわってくることが理解できる。ということは、「集団的自衛権とは何か」ということがハッキリしないと、これらの問題についてしっかりした判断ができないということだろう。しかし、この点について分かりやすい説明をこれまで聞いたことがないので、どう判断すればよいのか迷ってしまう。
<憲法解釈> 9条の解釈を変更するべきだという主張がある。その理由としては2点あるようだ。一つは、これまでの法制局の解釈がそもそも間違っていたというものらしい。またもう一つは、国際情勢の変化に応じて憲法の平和主義について弾力的な解釈を加えるべきだということのように見える。
前の点については、法制局の歴代長官を務めた人々から、それはできないはずだという声が上がっている。また、数十年にわたって政府が採用してきた解釈がそもそも間違っていたとするのはあまりにおかしい。しかし後の点については、これまでも政府が9条解釈を変えたことはあるし、新しい国際情勢の下で見直しをするべきだという主張はおかしいことではないと思う。要は解釈の中身次第ではないか。
<日本と世界> よく分からないが、今私たちに問われているのは、日本がこれから世界とどのようにかかわっていくかということではないか。政府側が主張しているのは、アメリカや価値観を共有する国々と協力して、外交・安全保障の面で、世界を積極的にリードしていくべきだということらしい。しかし、外交の大切さは分かるが、軍事面を強調する政府の主張には素直に賛成と言えないものを感じてしまう。とは言え、日本はどのように世界とかかわっていくことが正しいのかについてはよく分からない。

 この本は、「集団的自衛権」に関して皆さんが持っている判断と疑問・問いに対して向きあう試みです。この本では、皆さんの持っている判断が正解かどうかを自分自身でチェックするために必要な事実関係を明らかにしたいと思います。また、皆さんが持っている疑問・問いについて、皆さん一人一人が納得できる答を出すことができるように、できる限りの客観的な判断材料を示すことをもう一つの目的としています。
 この本の読み方ですが、最初から終わりまでを順番に読んでいくという構成になっています。しかし、集団的自衛権と国連の集団安全保障体制を扱っている第Ⅱ章は内容的にすんなり読み進めることがむずかしいと感じる人がいるかもしれません。第Ⅱ章は皆さんの判断、疑問、問いについて考える上では避けて通れない部分でありますし、第Ⅲ章を読む上で必要な知識について書いているのですが、むずかしいと感じる人は、第Ⅰ章から第Ⅲ章に進んでいただき、第Ⅲ章を読んでいる中で第Ⅱ章の関係部分をチェックするという読み方でもいいと思います。