アメリカ・オバマ政権の対外政策(中国側分析)

2014.01.16

*1月14日の環球時報HPは、かつて中国外交部で大使まで務め、現在は中国国際問題研究基金会戦略研究中心執行主任である王嵎生署名の『アメリカは「相対的没落を享受できる」か?』と題する文章を掲載しました。中国の検索サイト・百度で検索してみたところ、王嵎生は、昨2013年12月23日の人民日報海外版HPで「アメリカは戦略的チャンスの十字路に立っている」と題する文章を載せており、その内容は今回の文章と大幅に重複するのですが、より詳しくアメリカ・オバマ政権が直面している外交戦略上の問題を分析していることが分かりました。
 王嵎生の見方は私自身の見方と重なる部分が多いことがとても興味深かったのですが、これは外交実務経験者という経歴のなせる技かもしれません。それはともかく、王嵎生文章は、オバマ政権及び同政権下のアメリカの対外戦略・政策に関する中国側視点を網羅的に伝えており、内容的に極めて興味深いものですので、2013年12月23日のより詳しい方の文章の内容(要旨)を紹介します(1月16日記)。

1.アメリカは第3の戦略的チャンスも間違って失うのだろうか

アメリカには戦略的チャンスという問題はあるか。あるだけではなく、すでに2回のチャンスを失っている。
 第1回目のチャンスは冷戦終結後の1990年代であり、アメリカは本来であればソ連解体の機会を利用し、平和と発展という時代の要請に従い、「対決せず」「協力共嬴」のグローバル・ガバナンスのリーダー役を務めるべきだった。しかしアメリカは「自国のシステムの優越性というピント外れの確信」に酔いしれ、天下の覇権を独り占めにするというエゴが強すぎ、欧州でもアジア太平洋でも東拡西進で、至るところに手を伸ばし、ロシアに対してしつこく絡み、「一歩踏みださなければ永遠に立ち直らせない」と迫った。その結果はどうだったか。元々はアメリカと協力し、「アメリカ的な道を歩む」つもりだったロシアが覚醒し、立ち直り、今や強盛大国の道に向かって再び歩むことになったし、NATOの東方拡大もストップせざるを得なくなった。アジア太平洋地域においては、「アジア版NATO」はなおのこと買い手がなく、早々と「時期遅れの骨董品」になってしまった。
 第2回目のチャンスは9.11事件以後で、アメリカは本来ならば国際的な広範な同情を利用して、グローバルな反テロ協力をリードし、21世紀をしてより安全な時代に導くことができたのだ。ところがアメリカは自らの軍事力を信じるあまりに、「天子を押し立てて諸侯に命令する」、「反テロで覇権を図りめぐらす」ことを狙い、単独行動主義と二重基準に固執し、2つの戦争を発動し、至るところで「カラー革命」を仕掛けた。自分たちは「勝った、勝った」と自画自賛しているが、「この勝利は負けに等しい」ことは誰もが知っている。
 今日、アメリカは再び戦略的チャンスに遭遇している。オバマがこの新しいチャンスをつかむことができるか、それとも再び失敗するかのカギは、オバマ以下のアメリカの指導者が時勢を判断し、時代の変遷と国際的なパワー・バランスの変化を見極め、自らの新たな居場所を見定めることができるか、そしていかなる国際戦略を行うかにかかっている。

2.時代の変遷に基づく客観条件がアメリカの新たな戦略的チャンスを形作る

第一に、今日はもはや帝国主義及び植民地主義の時代ではなく、また、革命及び戦争の時代でもないのであって、平和及び発展を主題とする時代である。科学技術、情報及び投資を含む経済のグローバル化は人々の主観的意思によって動かされることなく猛スピードで進んでいる。このような大環境のもとでは、いかなる国家も、アメリカのような超大国を含め、自分だけ被害を受けないで身を保つことは難しくなっている。中国とアメリカの指導者が言ったように、「同じ船で川を渡る」、「困難な局面を共に克服する」、「協力共嬴」が必要なのだ。BRICSはこの点について共通の認識があるし、G20もこの点を等しく認識している。アメリカで2008年に勃発した金融危機に際しての実践でもこのことが証明された。
 第二に、途上国の広範な台頭は、過去の帝国の興亡とは異なり、既成の先進国に対して挑戦する意図はないし、世界を再分割するとか勢力範囲の線引きをするとかを要求してもいない。これらの国々が求めているのは、より公平で合理的な国際政治経済新秩序であり、国連憲章に従って事を行うということに過ぎない。上海協力機構の言っていることに従えば、「多様な文明を尊重し、共同発展を図る」ということだ。
 第三、アメリカの新保守主義理想家たちの念頭にある、中国やロシアの如き「戦略的ライバル」または「潜在的な敵」は、アメリカと事を構える気持ちがあるわけではない。これらの国々はむしろ、アメリカと協力し、共同で世界的大問題に対処し、協力して世界を治めることを希望している。中国の指導者はつとにアメリカに対し、中米関係を21世紀の新型大国関係に作り上げることを提起している。ロシアの指導者も、「ロシアとアメリカには冷戦を再開するいかなる理由もない」と明確に述べ、「平等、利益のバランス及び相互尊重の基礎の上で他の国々と付き合うことを学びとるべきだ」と呼びかけている。これらのことはロシアのアメリカに対する期待であって、敵視というものではあり得ない。
 第四、アメリカは中国と張り合おうとする国家の「力を借りる」ことを狙っているが、日本やフィリピンなどの個別の国家を除けば、ASEAN諸国はおしなべて「一方の側に立つ」ことを望んではいない。インドの指導者は中国とアメリカとの関係を同時的に発展させたいとハッキリ言っている。インドネシア大統領はさらに、今日は一つの国家が世界を管理するというのは適当ではないとも言っている。  以上のように客観的条件はポジティヴで有利なものだ。問題は、オバマ以下のアメリカの指導者が歴史及び現実を正視し、自らの居場所を再定義し、現在の戦略及び関連する政策を調整することができるかどうかにかかっている。

3.アメリカは戦略的十字路に立っており、どちらに進むのか

この一両年の間、アメリカ国内には「好ましい兆し」がいくつか現れていることを人々は好ましい気持ちで(「ざまあ見ろ」という気持ちではなく)注目している。2011年から翌12年にかけての年末年始に、アメリカのいくつかの主要メディアに連続して文章が発表され、「順風満帆なアメリカの時代はすでに終わった」、「アメリカは1945年以来一貫して世界No.1の大国」で「アメリカの公文書と意思とが世界の法律」だったが、今は「高い山のてっぺん」にいるのに「幾ばくかの寂寥感」と「数々の悩み」を抱え、あの黄金の時代は次第に遠ざかっていくようで、世界と自分自身を改めて認識し直す必要に迫られていると述べた。
 このような現象及び思考がこのように集中的に現れたということは冷戦終結以来かつてなかったことだ。以上の文章はいずれもアメリカの「トップクラスの専門家」の筆になるものである。彼らは病もないのに呻吟しているということではなく、反省し、経験を総括し、如何にしてアメリカの覇権的地位を永続させ、「資本主義を再生させるか」を探究しているのだ。
 2013年にオバマ第2期政権が始動するや否や、国務長官と国防長官が、「我々は世界に対して号令することはできないが、世界(の事柄)に参与するべきである」、「アメリカの世界における役割は…世界に参与する(国家になる)ことだ」と述べた。ケリーは中国訪問中に、アメリカは強健で正常しかも特殊な中米関係を期待しているとも述べた。オバマもまた新任の崔天凱・中国大使と会見した際、米中両国関係は新しい段階に入っており、新しいチャンスに直面している、アメリカは中国と共に新型大国関係を建設することに力を注ぎたいと述べた。
 これらの発言を、オバマが第1期政権の最初に述べた大言壮語(「アメリカの世界における指導的地位を再構築する」と強調)及び第2年目の「アメリカは絶対にNo.2にならない」という誓いと比較するならば、そこに微妙な変化を見て取ることは難しいことではない。つまり時代の変遷に伴う量的変化のプロセスが加速し、国際的なパワー・バランスの変化がもはや逆転しにくくなっている状況のもとで、アメリカの有識者(指導者を含む)としては、アメリカはどうするべきか、時代の流れに従うべきか、それとも時代の流れに逆らって動くべきかについて考えざるを得なくなっているのだ。筆者の見るところ、アメリカは今戦略的な十字路に立っており、苦痛を伴う「量的変化のプロセスの中」にいるとも言うべきだろう。人々が期待するのは、アメリカの指導者が頭の働きをハッキリさせて、現実を直視し、新たな戦略的チャンスを再び失うことがないようにということだ。問題は、アメリカは「(相対的な)没落を享受」できるかということだ。
 2012年9月、イギリス上院議員のメグレナード・デサイ教授が注目を集める文章を発表した。そのタイトルは「アメリカよ、没落を享受するべし」だった。作者は特に冷戦期のアメリカの国務長官・アチソンの「イギリスはとっくの昔に『日没することなき帝国』たる名誉を失ったが、国際の大舞台における自らの居場所を再び見出している」という名言を取り上げている。作者は特別の感慨を込めて、「現在、第二次大戦後のイギリスの状況と同じように、アメリカは正しく似たような挑戦に直面している」、だからこの言葉をアメリカにそっくりそのまま奉ろう、「アメリカ人が自国の将来を考える上でこれ以上妥当な言葉はなく、アメリカ人が世界における自らの居場所を改めて定義することに役立つだろう」、つまり、アメリカはイギリスに学んで、リラックスしてかつエレガントに「没落を享受」するべきであると述べている。作者は最後にユーモアに満ちて、「アメリカよ、もう世界No.1の位置を保とうとあくせくすることなかれ。速やかにポジションを変え、坂を下りる途次での風景を楽しむことだ!」と述べた。作者にはアメリカを傷つけあるいは当てこする気持ちはなく、誠実かつ懇ろにアメリカが歴史の経験に留意することを促しているのだ。
 しかし、こういった話はアメリカの新保守主義者の耳には入らないし、オバマ及びその仲間にとっても聞き入れがたいようだ。大量の事実が示すとおり、アメリカの指導者が一心に考えることは相変わらず「アメリカ支配のもとでの世界平和」であり、「どうしようもなく止むを得ずに戦線縮小する」が、しかし「これまたどうしようもなく手が伸びてしまう」し、至るところで「カラー革命」を仕掛け、「新干渉主義」を推進してしまうのだ。
 そういう発言のその最たるものは新しく国家安全保障担当補佐官になったライスだ。2013年6月に任命された彼女は、就任前だというのにこらえきれずに、「大統領閣下及び卓越した国家安全保障会議のメンバーと緊密に協力して、アメリカを守り、アメリカのグローバルな指導的地位を推進し、アメリカ人が大切にする価値観を押し広めたい」と宣言した。新任のアメリカ太平洋空軍司令官のH.カーライル将軍も、アジア太平洋の同盟国に基地網を作り、精鋭戦闘機を派遣して包囲網を組織し、ソ連を包囲したように中国を包囲すると公言した。
 遺憾なことに、覇権の意図はあっても現実は無情だということだ。アメリカは現在も超大国ではあるが、とっくの昔に元々の意味で言うスーパー大国ではなくなっている。俗な言い方をすれば、「アメリカの指揮棒は効き目がなくなっている」のであり、かつての「アメリカの公文書と意思とが世界の法律」はすでに「賞味期限切れ」だ。アメリカの「裏庭」だった米州について言っても、米州機構の事務総長を誰が務めるかについて、過去数十年はアメリカの言うなりだったが、今ではアメリカが推薦する人物が何度も拒否されている。イランはアメリカから「悪の枢軸」という汚名を着せられたが、アメリカが一手に擁立したアフガニスタンとイラクの指導者はイランの指導者と兄弟と呼び合い、相まみえるときは熱烈に抱擁し合っている。国連の潘基文事務総長も、アメリカの反対を顧みず、イランが主宰した非同盟諸国のサミットに出席した。このような事例は枚挙にいとまがないことはアメリカも知り尽くしているところだ。
これこそが正に、アメリカが近年「スマート・パワー」をしきりに云々し、日本やフィリピンなどの「ミドル・パワー」の「力を借りる」ことをしきりに強調する所以であるし、中国を「牽制する気持ちを抑えられない」にもかかわらず、「やむなく協力する必要がある」根本原因でもあるのだ。これはアメリカ自身では解決が難しい矛盾であるし、アメリカが「没落を享受する」ことができず、また受け入れられないでいることを示している。
 その実、時代の変遷が急速なプロセスにおいては、国家の総合力の消長、起伏は極めて正常なことだ。「アメリカ例外論」、アメリカは「覇権を永続」できる等々の言説は自己欺瞞に過ぎない。しかし現在は時代が異なり、地球上で勃興しつつある大国はアメリカと競いあおうとしているわけではない。アジア太平洋地域においても、中国はアメリカのプレゼンスに反対したことはなく、アメリカが肯定的かつ積極的な役割を発揮することを希望しているに過ぎない。アメリカの指導者が平常心を保ち、歴史(カイロ宣言及びポツダム宣言による敗戦国・日本に対する規定及び義務を含む)を尊重し、アメリカの指導者が制定を推し進めた国連憲章の精神を尊重し、新しい世紀の時代的変遷という現実を尊重し、上記の学者専門家の心のこもった言説を謙虚に聞くならば、それは取りも直さずアメリカにとっての福音であり、平和と発展を渇望する人々の願いでもあり、アメリカは完全に「没落を享受する」ことができ、「下り坂の風景」を楽しむこともでき、そしてなおかつ世界で最強最大の国家の一つであり続けられるのだ。

4.中米が新型大国関係を樹立することは可能か

オバマ再選と習近平就任を受けて、国際世論は、中米関係が今後どうなるか、摩擦の中で次第に緊張緩和に向かうのか、それとも対決に向かうのか、「両国による世界支配(いわゆるG2)」はだめだが、「両国協商(いわゆるC2)」はどうか、両国は「新型大国関係」を作り上げることができるのか、等々の議論百出である。
 時勢を知るものは優れた人間である、という。時代の潮流は阻むことができないのであり、これに従うものは栄える。習近平は訪米時に、中米関係を21世紀新型大国関係に作り上げようと提起した。もしもアメリカの指導者が時代の潮流に従う知恵を持っているならば、現在の「居心地のよくない相互依存関係」を徐々に「居心地のよい」ものにし、「新型大国関係」構築という大方向に向かって邁進できる。
 第一、時代が違えば、時代の求めるもの及び国家戦略目標も自ずと違ってくる。帝国主義及び植民地主義の時代には、No.1の地位にいた大国が没落し、No.2あるいはNo.3の位置にいた大国が台頭してくると、必ずやNo.1に挑戦し、勢力範囲の再配分を要求し、取って代わろうとし、矛盾が起こって衝突、対決ひいては戦争となった。今日の世界は平和と発展が主題の時代にあり、アメリカは「絶対にNo.2にはならない」と宣言しているが、世界を見回したとき、各地で勃興している途上大国で、アメリカに挑戦し、それに取って代わろうと要求するようなものがいるだろうか。中国はそうではないし、見るところ、インドもブラジルもそうではない。これらの国々が求めているのは「平等に相まみえる」こと、そしてより公平で合理的な国際政治経済新秩序以外には何ものもない。中国の場合は、さらに旗幟鮮明に「調和ある世界の建設」、「多様な文明を尊重し、共同発展を目指す」と主張している。これより明らかなとおり、アメリカはどうして世界のNo.1として、世界の平和、発展及び協力の分野で大いに積極的な貢献を行わないのか。
 第二、中米は経済面での相互依存度がますます深まっている。このようなことは旧大国間ではかつてなかったことだ。現在の世界は分かれてあるのではなく一つだ。中米国交樹立後の33年間で、両国間の貿易額は180倍以上に伸び、2012年には4466億米ドルに達した。2013年には5000億ドルを突破すると見込まれている。過去10年来、アメリカの対中輸出は+468%の伸びであり、中国はアメリカの輸出先市場としてもっとも成長が大きい。両国はこの事実を無視すべきではないし、無視することもできない。「和」と「合」に基づけば互利共嬴、「闘」と「圧」に基づけば間違いなく両敗倶傷である。
 第三、早くも20世紀末にクリントン大統領は、中国と共に「21世紀に向けての建設的戦略パートナーシップの建設に力を尽くしたい」と主張したことがある。その後ブッシュ(子)がこれを否定したけれども、彼は情勢に押されて調整を行うことを迫られ、両国が積極的な協力関係を樹立することを主張した。オバマが登場してからは、中米関係にはさらに新しい定義と表現が行われることになった。即ち、双方は「相互尊重、互利共嬴の協力パートナーシップ」の建設に一致して努力するというものだ。両国首脳は、さらに強固な中米関係は両国人民の根本的な利益に合致するのみならず、アジア太平洋地域ひいては全世界にとっても有利であると等しく認識している。中国の指導者は一貫して、以上のことを厳粛な国際的誓約とみなし、両国間の様々な矛盾と摩擦についてこれらの誓約に基づいて大局的に処理することに力を尽くしてきた。アメリカは時としてマイナスの行動をとり、この大局に悖ることがあったけれども、総じて言えば、この大局を無視することはできなかった。こうして双方は、対立面をコントロールするよう、程度の差はあれ努力してきたのだ。
 以上の基本的要因に基づいて中米関係の前途を展望するならば、新型大国関係建設は可能性がなくもないと慎重な楽観論の判断をすることができよう。もちろん正直に言えば、それは極めて難しいことだ。原因は当然ながら多方面にわたるのであって、古くさい歴史観の影響、文化及び制度の違い、実際上の利益の衝突、価値観での不協和音などがあるが、もっとも根本的な原因はやはり冷戦思考とヘゲモニー戦略が邪魔をしているということだ。
 ジョセフ・ナイは次のように述べた。衝突は不可避だとする考え方自身が衝突の原因である。「我々が仮に中国人を敵と見なすのであれば、自分自身の中に敵を作っているということになる。」この発言はクリントン政権を念頭に行われたのだが、今日でも当てはまるだろう。2000年末、ブッシュ政権登場直前にワシントンで行われた中米日・第二トラック対話の際に私は、アメリカは中国を「正真正銘のパートナーと見なす」、あるいは少なくとも潜在的な協力パートナーと見なすことによってのみ、敵を作り出すことを避け、友だちとなることができると強調したことがある。これは決して根拠のない非難ということではない。アメリカの新保守主義の理想家たちは、一貫して中国を潜在的な、更には現実の「戦略的ライバル」と見做し、中米両国関係のあり方を定めた精神とは反対のことを考えていたのだ。
 2009年1月12日、中米国交30周年を記念する北京での会議の席上でブレジンスキーは、中米間の建設的な相互依存関係はグローバルな政治経済安定の重要な源であり、「米中関係は、米欧及び米日関係のような全面的なグローバル・パートナーシップでなければならない」、中国が強調する「調和」は米中サミットの有意義なスタートとなることができる、と述べたことがある。最近彼はさらに踏み込んで、米中が明確に「覇権を求めず」、「相手側がグローバルな出来事において中心的役割を担っている事実を受け入れる」ことによってのみ、米中関係は長期的に安定することができると指摘した。ブレジンスキーのこの発言は、中米が新型大国関係を作り出すことができるかどうかということそのものに対してなされたものであり、アメリカの根本的利益のために行われたものでもある。覇権を求めないということについて、中国には如何なる問題もない。アメリカにとってはどうだろう。恐らくあるだろう。
 アメリカの間違った政策や行動、要求は多方面にわたり、中国としては平常心で対処し、自信さえあればそれで良いのであって、過度にあるいは単純に解釈して新型大国関係の構築を妨げるようなことは避ける必要がある。しかし物事によっては、アメリカは明らかにやり過ぎで覇権丸出しであり、そういう時にはアメリカ人に対して、そういうのは非現実的だし、思いどおりにはならないことを分からせる必要がある。
 アメリカの指導者は口々に、中国が「国際ルールを守り」、「責任ある大国」になりさえすれば、米中関係は良好となり、安定し、更にはパートナーになり得ると言う。問題は「国際ルール」とは何かということだ。第二次大戦後にルーズベルト及びトルーマン両大統領が主導して作った国連憲章の原則と精神は、公認されたかつもっとも権威がある「国際ルール」であり、国際的な中心的地位を占めている。ところがブッシュ大統領はアメリカの権威の方が「国連より上だ」と述べた。彼はそう述べたのだが、アメリカの歴代政権は実際にそのように振る舞ってきた。それでは、中国は国連憲章を捨て去って、アメリカの言う「国際ルール」とやらに従えとでも言うのだろうか。アメリカの指導者は、どこどこの国の大統領は「合法性を失った」から「政権更迭」を行うべきだと言う。中国も「一緒に行動する」ことではじめて「責任ある大国」だとでも言うのだろうか。そのようなことはあり得ないことだ。
 アメリカの戦略が東に移り、繰り返し「アジア太平洋の軍事的リバランス」を強調する。そういう話を聞かされると、中国人としては、アジア太平洋地域に一体何時軍事力における「バランス」なるものがあったのかと合点がいかないのだ。一貫して常にアメリカが絶対的に優勢というのが現実である。アメリカの念頭にあるのは本当の意味における「バランス」ではなく、「バランスを恐れる」ということなのだ。つまり、絶対的な優勢の立場を失い、他国の内政に干渉する能力を削がれることを恐れているのだ。
アメリカが「中国の反介入」力が増強することは「アジア太平洋地域におけるパワー・バランスを崩す危険がある」と宣伝して止まないのも以上のことと符合している。アケスケに言えば、中国の総合的軍事力が増大すれば、アメリカが台湾などの問題で中国の内政に干渉し、中国の領土主権を侵犯する力が相対的に弱まるということだ。アメリカはそのことに「甘んじられず」、だから「リバランス」を実現して、自らの絶対的優勢を維持するということなのだ。
 このような例は枚挙にいとまがない。したがって、中米「新型大国関係」を構築する上での矛盾は主にアメリカにあり、「ボール」はアメリカの手にある。アメリカが中国と同じ方向に向かうのであれば大いに希望が持てる。しかし今はやはり「友でもなく敵でもない」局面であり、「居心地の悪い相互依存関係」であり、更には時に対決が生まれてもいる。こういう状況は、中国としては非常に残念なことなのだ。