「国家安全保障戦略」
「防衛計画の大綱」
「中期防衛力整備計画」の狙いと本質

2013.12.18

*安倍政権が「国家安全保障戦略」、「防衛計画の大綱」及び「中期防衛力整備計画」を閣議決定しました。個々の内容よりも、3文書を通じた安倍政権の狙いと本質をつかむことが重要だと思います。私の認識を紹介します(12月18日記)。

「国家安全保障戦略」、「防衛計画の大綱」、「中期防衛力整備計画」という今回の三つの文書の本質的意味を理解し、認識する上では、アメリカの世界軍事戦略、日本の戦後保守政治におけるもっとも右翼的な思潮、及び日本国内世論という三つの要素の働きについて考える必要がある。
米ソ冷戦終結後のアメリカは、①同国の財政的経済的困難については同盟国の分担で補う、また②ソ連に代わる脅威としてアメリカが勝手に作り上げた「様々な不安定要因」に対して、アメリカを中心とする軍事同盟のネットワークを駆使して対処する、という戦略軌道を追求してきた。ブッシュ政権はその軌道から一時的にはずれたが、オバマ政権は再びこの戦略軌道に回帰している。NATO同様、日米軍事同盟にもこの戦略を担わせるというのがアメリカの一貫した政策だ。今回の三つの文書に盛り込まれた日本の軍事力増強とその目指す政策・方針は、基本的にアメリカの以上の軍事戦略を実現するという大枠のもとにある。
オバマ政権は、以上の戦略軌道にアジア回帰・リバランスという新しい要素を加えた。そしてこの要素は、安倍政権によって優れて日本的に脚色されることとなる。
オバマ・習近平会談を踏まえたアメリカは、中国の提起した新型大国関係に基本的にコミットしている(11月20日のライス補佐官演説)。中国が提起した新型大国関係は脱権力政治を目指すものだが、権力政治の発想に立つオバマ政権は「競争と協力」の米中関係(ライス演説)という捉え方だ。「競争」という要素のもとでは、台頭著しい中国の政治力、経済力そして軍事力をライバル視し、これを牽制し、押さえ込む戦略・政策が歴代政権以上に重視される。オバマ政権の日米同盟強化、特に安倍政権の軍事力増強路線を積極的に支持し、慫慂するする政策はこの戦略・政策の不可欠の一環である。
安倍政権は戦後日本の保守政治におけるもっとも右翼的な思潮の嫡流だ。日本政治における右翼的思潮は、自らの無謬性の確信(信仰)、歴史感覚の欠落、天動説的国際感覚、そして以上に通底する他者感覚の欠如を特徴とする。アジア侵略戦争をアジア解放の戦いとし、敗戦(ポツダム宣言)を受け入れず軍事大国としての捲土重来(改憲)を期し、東アジア政治での盟主を気取って対等平等な民主的国家関係を冷笑する安倍政権の姿勢は以上に由来する。以上の集中的な表現が強烈な対中敵視である。
日本の戦後保守政治の対外政策における最大の特徴は対米追随にあり、安倍政権を含む右翼的思潮も、アメリカによほどの変化が起こらない限りこれを受け入れ、そのもとで日本政治の支配を図ってきた。安倍政権も、オバマ政権の推進するアジア回帰・リバランス戦略に全面的に協力しつつ、そこに自らの脚色、即ち対中敵視政策を加味することに全力を傾けるのだ。それはつまり次のようなことだ。
日本の戦後保守政治における右翼的思潮は早くから存在していた。しかし、戦争を忌避し、平和を渇望するいわゆる護憲勢力が1960年代までは右翼的思潮の復活・台頭を許さなかった。1960年代から1980年代にかけて国内世論は急速に保守化していったが、過去の戦争体験を踏まえた政官財学のいわゆる「良識派」が保守政治の主流を占めていたために、右翼的思潮の跋扈は妨げられてきた。しかし1990年代以後、アメリカが日本に対する軍事的要求を強めるとともに、右翼的思潮は急速に自己主張を強め、対米軍事協力で今や足並みを揃える官財学の支持のもと、日本政治の主流となってきた。安倍政権にとって、以上の3つの政策文書の決定はまだ改憲という最終目標実現に向けてのステップに過ぎない。
日本政治の進路を最終的に決定するのは主権者・国民自身でなければならない。しかし今の世論状況を直視する時、国民の速やかな覚醒には残念ながら多くを期待できない。
当面の情勢のカギを握るのはアメリカだろう。戦後日本政治に圧倒的支配力・影響力をふるってきたアメリカが安倍政権(右翼的思潮)の危険を極める本質を認識し、その対日政策の軌道修正を図ることができるかどうか、ひいては自らがポツダム宣言でレールを敷いた東アジア国際秩序の原点に回帰する(それはまた、中国の提起した新型大国関係の真髄を理解し、認識することに直結する)ことができるかどうかに、日本政治もそして東アジア国際政治の今後も大きく左右されるだろう。

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