集団的自衛権と東アジア情勢

2013.11.05

*表題についての寄稿の招きがあったのでしたためた一文です。
今、久しぶりに集団的自衛権をテーマとする単著を執筆中で、コラムの更新が滞っておりますが、今しばらくは執筆に集中しようと思っております(11月5日記)。

安倍政権が集団的自衛権の行使を可能にするために目の色を変えているのにはいくつかの理由がある。第一のそして根本的理由は、国連憲章によって戦争が違法化されたことにより、対外的に武力行使に訴えることを合法化する途としては集団的自衛権の行使以外にないことだ。第二のそして米ソ冷戦終結後の事情としては、唯一の超大国として君臨しようとするアメリカが、かつてのソ連に代わる脅威として「様々なタイプの脅威」を恣意的につくり出し、それへの対処に当たって同盟国の積極参加を要求していることだ。第三のそしてやはりアメリカの事情としては、自らの財政的経済的困難を打開するために、同盟国の役割分担を不可欠としていることだ。第四のそして日本(安倍政権)の事情としては、戦後保守政治の宿願である憲法(特に第9条)改正実現にかける強い思いがある。そして第五のいわば意図的につくり出された事情としては、東アジア情勢の変化とりわけ「北朝鮮脅威」論及び「中国脅威」論の喧伝がある。

<戦争の「合法化」手段>

 戦争違法化は、兵器体系の革命的な破壊殺傷力の向上で、戦争がもはや「政治の継続・延長」「政策目標実現のための手段」という悠長な位置づけを許さない、人類の生存そのものを脅かす破壊力と化したことに対する認識の深まりを背景としている。第一次世界大戦-国際連盟規約・不戦条約-第二次世界大戦-国際連合憲章という経緯は正に戦争違法化プロセスでもあった。
 その帰結が国連憲章第2条4の「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」とする戦争違法化の規定である。
 他方で国連憲章は、今や違法化された戦争に訴える国家が今後も現れる可能性に備える必要があるとして、安全保障理事会(安保理)に国際の平和と安全の維持の主要な責任を与え、安保理が非軍事及び軍事の集団的措置を担当することを定めた(第7章)。そして加盟国は安保理の決定を「受諾し且つ履行すること」とした。この仕組みを国連の集団安全保障体制という。
 しかし、憲章交渉当時から顕在化しつつあった米ソ対立の下で、国連の集団安全保障体制が有効に機能しないことを考えたアメリカは、戦争が違法化された下で、対外的な武力行使をなお合法化させる法的な根拠として、慣習国際法として一般的に認められていた自衛権の概念を膨らませ、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」として集団的自衛権という新しい権利を憲章に盛り込ませた(第51条)。そして北大西洋条約機構(NATO)、日米安保条約等を作ったわけだ。

<「様々なタイプの脅威」>

 米ソ冷戦が終結し、ソ連が崩壊した後も、アメリカの権力政治(パワー・ポリティックス)の国際観は微動もせず、かつてのソ連に代わる新たな脅威を措定することで、アメリカによる世界軍事支配の継続を追求した。新たな脅威とされたのは「様々なタイプの脅威」、つまり、アメリカの覇権に挑戦する可能性を持つ種々雑多な要素である。
 「様々なタイプの脅威」として取り上げられるのは、国際テロリズム、大量破壊兵器の拡散及びその担い手(イラン、朝鮮等)、地域的不安定要因(地域紛争、内戦、民族・宗教対立等)などだが、これらに尽きるわけではない。近年ではサイバー攻撃も強調されるようになっている。また、伝統的な脅威概念(ロシアや中国に対する警戒)もくすぶり続けている。
 アメリカが「様々なタイプの脅威」に対して効果的に対処する上では、米ソ冷戦時代以上に同盟国の積極的な参加・協力を必要とする。そこにアメリカがNATO及び日米同盟を冷戦時代以上に重視する理由がある。そして、そういう同盟関係を正当化し、合法化する根拠は相変わらず集団的自衛権以外にないのだ。

<アメリカの財政経済状況>

 アメリカは財政的経済的理由からも、冷戦時代以上に同盟国の積極的な協力を必要としている。アメリカは今日もなお唯一の軍事超大国だ。しかし、例えば米ソ冷戦たけなわの時代と比較すれば、最近のデフォルト危機に現れているとおり、その財政力の衰えは眼を蔽わんばかりだ。借金経済によるドル垂れ流しは、アメリカ経済を世界経済にとっての最大の不安定要因、お荷物と化している。本来であれば、そのような状況から脱却するために、アメリカが軍事戦略を根本から見直し、清算することが不可欠の前提になる。
 しかし、アメリカはそれを肯んじない。アメリカは、同盟国の役割及び負担増加によって自らの軍事戦略を維持する路線にしがみつこうとしている。この路線からもまた、アメリカは集団的自衛権に基づく同盟関係強化路線をますます追求することになるし、NATO及び日米同盟に対する要求は青天井で高まってくる。

<保守政治の改憲願望>

 第二次世界大戦を「アジア解放のための戦い」と位置づけ、敗戦を不承不承受け入れたに過ぎない日本の保守勢力にとって、ポツダム宣言に基づく日本国憲法、なかんずく戦争放棄を定めた第9条は当初から改正すべき対象として位置づけられてきた。
 特に1990年代以後、アメリカが日米同盟の強化を迫ってきたことは、保守勢力にとって、試行錯誤はあったが、最終的には改憲実現の絶好のチャンスとして捉えられている。
すなわち、湾岸危機・戦争からイラク戦争に至る時期は、「集団的自衛権の行使は違憲」とする従来の政府の憲法解釈になお縛られながら、アメリカの対日軍事要求に応えるためのギリギリの努力を行った試行錯誤の時期であった。しかし、対テロ戦争及びイラク戦争での対米協力から保守勢力が(彼らの立場から)学んだ最大の教訓は、集団的自衛権行使は違憲とする憲法解釈にとどまる限り、対米軍事協力には超えられない限界があるということであり、「様々なタイプの脅威」に対してアメリカと全面協力する脱冷戦時代・21世紀の同盟関係を構築することは不可能だということだった。こうして、2006年に第一次安倍政権が登場してからは、本格的に集団的自衛権の「呪縛」を乗り越え、改憲を視野に収めることになったと言えるだろう。その最初の産物が安保法制懇の報告書だ。

<「北朝鮮脅威」及び「中国脅威」論>

 しかし多くの国民の意識においては今日もなお、日米安保条約は優れて日本を守ってもらうためのものであり、そういうものとして支持されている。それは、アメリカが要求する日米同盟の姿からはかけ離れている。もう一度確認すれば、アメリカが要求するのは、日本がアメリカに対して全面的に協力して「何でもできる日米同盟」に衣替えすることだ。だがアメリカの対日要求の所在を国民が広く知ることになれば、日米安保に対する不支持が急速に広がるだろう。
 そこで、アメリカの対日要求に全面的に応えつつ、国民に広く共有されている「日本を守ってくれる」日米安保のイメージを維持して国民の支持を確保するために、1990年代につくり出されたのが「北朝鮮脅威」論であり、2010年の尖閣問題を契機とする「中国脅威」論だ。そして安倍政権の下では、この二つの脅威論が集団的自衛権行使(最終的には改憲)正当化の材料として前面に押し出されるに至っているわけだ。
 紙幅の関係で詳述できないが、二つの脅威論は虚構でしかないことは指摘しなければならない。朝鮮の核開発は、戦後一貫してアメリカの核恫喝政策に直面してきた朝鮮の必死の自己防衛策であり、それ以上のものではない。それは「抑止力」としてのみ軍事的に意味がある。朝鮮の核・ミサイルは米日に対する軍事的「脅威」ではありえないのだ。中国に関しては、アメリカが急台頭する中国に対して、権力政治特有の警戒感を持っていることは事実だ。しかしそのアメリカは、「たかが岩礁にしか過ぎない尖閣」のために中国と軍事衝突する発想は持ち合わせていない。尖閣問題を最大限宣伝する日本の保守勢力(安倍政権)とオバマ政権との間には明確な距離がある。

 私たち主権者としては、アメリカの軍事戦略の本質を正確に認識し、保守勢力特に安倍政権の危険な狙いを見破り、「北朝鮮脅威」論及び「中国脅威」論の虚構に惑わされないことが何よりも重要だ。私たちが二つの脅威論に惑わされないで安倍政権の狙いを阻止することは、取りも直さずアメリカの軍事戦略を阻止することにつながる。そうすることにより、私たちは世界の平和と真の安全に積極的にかかわることができることになるのだ。

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