「集団的自衛権」と安保法制懇の狙い

2013.09.23

*9月20日発行の『週刊金曜日』に掲載された拙文を紹介します(9月23日記)。

2006年に安倍晋三首相が設置した有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(以下「懇談会」)が担おうとする役割を理解するためには、1990年代からの北大西洋条約機構(NATO)と日米安保体制の歩みの比較作業が不可欠だ。
米ソ冷戦時代にソ連の脅威を掲げたNATOと日米安保体制は、ソ連消滅の事態に如何に対応するかという課題に直面した。ソ連と対決する役割を担った日米同盟、NATOだから、ソ連が崩壊したら用済みなはずだ。しかしアメリカはそうは考えない。
アメリカは第二次大戦以後、「世界の警察官」を自任してきた。ソ連の脅威がなくなると、大量破壊兵器拡散の危険性、国際テロリズム、地域紛争などを「新しいタイプの脅威」とし、引き続き世界最強の軍事力を維持する戦略を打ち出した。
だが、かつての圧倒的な経済力がないアメリカは同盟国の協力なしにこの軍事戦略を行えない。そこでNATO諸国及び日本に役割分担を要求した。
まず湾岸危機・戦争は、安全保障問題に切実感をもって取り組んできたNATO諸国と国際情勢に無関心を決め込んできた日本との対応の違いを際立たせた。欧州諸国の多くは多国籍軍に参加し、日本は意思決定もままならぬままアメリカの顰蹙を買った。
またアメリカは、1993-94年の北朝鮮のいわゆる「核疑惑」危機に本格的な武力行使を考えたが、出撃・兵站基地となるべき日本が即応できないことを思い知らされた。アメリカは日米安保共同宣言で「安保再定義」を行い、日本の役割分担加速を要求したが、日本の対応は鈍かった。
この間にNATO諸国はユーゴスラビア内戦への対応等で試行錯誤を重ね、1999年に「新戦略概念」を定めて、21世紀の戦略方針を確立した。その結果NATO諸国は、9.11事件以後の対テロ戦争に迅速に対応した。
日本は、対テロ戦争への対処に、憲法解釈の「制約」のもと、苦しい対応を迫られた。これに焦燥感を募らせた外務・防衛両省の働きかけもあり、小泉政権は強引な政治手法で一連の有事法制を成立させた。小泉政権はさらに、「2+2」合意によって日米安保体制を本格的な軍事同盟に変質強化する歩みを進めた。その最大の成果が「日米同盟:未来のための変革と再編」(いわゆる「中間報告」)だ。
安倍首相は、小泉政権の以上の成果を基礎に、憲法の「制約」を「克服」することを目指した。その役割を担ったのが「懇談会」だ。
懇談会の狙いを理解する上では、NATOの「新戦略概念」の記述が参考になる。
NATOが対処するべき脅威はNATO域外を含む不確実性及び不安定要因、周辺地域の地域紛争、深刻な経済社会政治困難、民族的宗教的抗争、領土紛争、改革失敗(による政情不安定)、人権侵害、国家の空中分解(以上、第20項)、核戦力(第21項)、大量破壊兵器拡散(第22項)、テロリズム、組織犯罪(第24項)、要するに森羅万象だ。
NATOが担う任務は、紛争防止及び危機の効果的管理(バルカン半島での危機対応作戦を先例とする)(第31項)であり、対応すべき事態は起こりうるすべての有事を含む(第43項)。
2008年の懇談会報告書はどうか。
脅威認識については、「はしがき」(pp.1-2)及び第1部2「21世紀の安全保障環境」(pp.4-5)に示されているのは基本的にNATOと同じ(「多様な脅威」(p.1))だ。
日米同盟の担うべき任務は、「脅威の多様化」(p.5)という「冷厳な国際安全保障環境を直視」し、「世界の平和…を確保するため、最善の安全保障政策を見出さなくてはならない」(p.2)とする。即ち、「脅威が多様化する中で、国際社会としての共同の取り組みが重視されるようになっている」(p.5)のであり、「日米同盟をさらに実効性の高いものとして維持し、国際社会との協力をするための努力が求められている」(同)として、起こりうるすべての有事に対応すべきだとする。
ところが、それを阻むのがこれまでの政府の憲法解釈にほかならない。報告書は、そういう「安全保障政策を実施するための法的基盤、なかんずく憲法第9条の政府解釈は…日米同盟を効果的に維持することに適合しうるものであろうか。また、国連PKO等の国際的な平和活動への我が国の参加に当たっても、…我が国が効果的に国際的な平和活動に従事することを可能にするであろうか」(pp.7-8)と提起する。そして懇談会は「集団的自衛権の行使及び国連の集団安全保障への参加を認めるよう、憲法解釈を変更すること」を提言した(p.24)。
しかし、日米同盟を完全に「何でもあり」にすることを提言することは控えた。それは、「集団的自衛権を認める場合には、同盟国たる米国が当事国になっている紛争の多くに我が国が参加させられる」、「集団安全保障措置に基づくすべての国際的な平和活動に参加しなくてはならなくなる」という不安(p.24)が国民の間に起こるからだ。
報告書は、国民の不安を招かないため、①問題を「4類型」に限定する、②「新たな安全保障政策に課すべき制約(「歯止め」)を明示する(p.25)ことで、日米同盟が「何でもあり」に変質することはないと強調している。しかしこれらは何の歯止めにもならない。 まず、懇談会自身がいみじくも「4類型」と言っているように、これらはあくまでも4つの例示であり、集団的自衛権行使、国連集団安全保障措置参加のほんの一例に過ぎない。懇談会報告は、他のケースについては不行使あるいは不参加とは一言も言っていない。次に「歯止め」に関しては、法律制定、自衛隊海外派遣の国会承認及び基本的安全保障政策確定という措置において4類型以外への拡大を禁じるとはこれまた一言も言っていない。
しかも懇談会自身、2006年の報告書の内容で完全には満足していない。その一端は、8月16日付時事通信配信の北岡伸一座長代理のインタビュー記事に示される。
報告書は集団安全保障への日本の参加に関し、「法的制約に関する問題解決」として3つの選択肢を挙げて、それ以上に踏み込んだ見解を示すことを避けている(pp.15-16)。しかし北岡氏は、3つの選択肢の一つである「集団安全保障又はそれに準ずる国際的な平和活動は憲法第9条の下で禁止されている活動ではないこと、かつ、そうした国際任務における武器使用は憲法第9条が禁止している「武力の行使」ではないという解釈をとる」(p.15)べきだとし、それを再開される懇談会の次の報告書に盛り込みたいと言っている。
また集団的自衛権の行使に関し、報告書は、「(9条について)個別的自衛権はもとより、集団的自衛権の行使や国連の安全保障への参加を禁ずるものではないと読むのが素直な文理解釈」(p.19)と一般論にとどまっている。しかし北岡氏はインタビューで、「何ができるかは法律で決めればいい」と語り、自衛隊が防衛する対象も「同盟国だけという線は引けない」として、アメリカ以外も対象とし得ると踏み込んだ。この発言は図らずも、上記の「歯止め」が歯止めにはならないことを認めたに等しい。我々としては看過してはならない重大発言だ。
懇談会(及び安倍政権)の意図は明確だ。一言で尽くせば、「日米同盟のNATO化」だ。しかし、国連憲章が定める戦争の違法化は強行法規だ。その例外として認められる自衛権(集団的自衛権)行使及び国連の集団安全保障措置は極めて厳格な制限下でのみ許されるべきものだ。NATOの「新戦略概念」自体が国連憲章を逸脱するとして、欧米の国際法学者は厳しく批判している。
日本国憲法は、広島、長崎に対する原爆投下(核兵器の登場)という体験を踏まえ、国連憲章以上に徹底した戦争放棄の第9条を定めた。戦争違法化の人類史の先端に位置するのが第9条だ。我々は、国連憲章に基づいてNATOの「新戦略概念」を批判する欧米の国際法学者以上に厳しく、第9条に基づいて懇談会(安倍政権)の危険極まる狙いを批判、阻止しなければならない。

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