朝鮮戦争停戦60周年国際シンポジウム(発言ペーパー)

2013.08.04

*8月1日に行われた表記シンポジウムでの発言ペーパーです。一身上の都合で出席できなかったのですが、雑誌『統一評論』に掲載するということなので、このコラムでも紹介します(8月4日記)。

<今日の朝鮮半島情勢の緊張と核戦争危機の基本要因>

 朝鮮戦争以来今日に至る朝鮮半島情勢の緊張がアメリカの朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」)に対する一貫した敵視政策及び核恫喝政策に起因していることについては、このシンポジウムに参加している人々の認識は一致していると思う。したがって、私はその点について屋上屋を架する議論を行うことは避けたい。朝米平和協定締結のための課題という問題を考える上で、私が確認したいポイントと強調したいポイントが一つずつある。
確認したいポイントは、アメリカは、米ソ冷戦時代もその終結後も世界の警察官を自任しており、アジア太平洋地域における軍事プレゼンスはその不可欠の一環であるが、この軍事戦略を正当化するために朝鮮半島で軍事緊張が維持されることを必要としてきたということである。この点についてもシンポジウム参加者の共通の理解があると思うが、朝米平和協定締結という課題を考える上で重要なポイントであることを、まずは指摘したい。
強調したいポイントは、アメリカのそういう軍事戦略及び対朝鮮政策を日本及び韓国が積極的に支持し、下支えしてきたことが、停戦協定60周年の今日なお情勢の根本的転換を妨げている重大な一因として働いているということである。この点についてもこのシンポジウム参加者の間で異論はないと思う。しかし、朝米平和協定締結ひいては朝米国交正常化という課題を考える上で、この問題を直視することがアメリカの戦略・政策を転換させ、朝米平和協定締結への道を切り開く上で大きなカギとなることについてはあまり正面から議論されるに至っていないと思う。
 したがって私は、一日本人として、なぜ日本がアメリカの対朝鮮政策を全面的に支持し、下支えするのかについて考えてみたい(韓国については、韓国からの出席者・参加者の意見を聞きたい)。その点について明確な認識を得ることにより、日本がどうすれば、アメリカの対朝鮮政策支持を改めることが可能になるかについて考える道が開けるだろう。つまりこの作業は、「朝米平和協定締結のための課題」という次の発言テーマについて考える上で不可欠だと考える。
 今日の朝鮮半島情勢の緊張の原因に関し、アメリカ発の情報によって圧倒的に支配される日本においては、もっぱら朝鮮の挑発・暴走によるものとする見方が支配している。そして、そのような見方が支配する背景には日本特有の要因が働いている。
 第一の背景要因は、日本の戦争放棄及び戦力不保持を定めた日本国憲法の制約を突破して「戦争する国」「普通の国」実現を目ざす保守政権にとって、「北朝鮮脅威論」は、日本国憲法の理想主義をあざ笑って改憲を目ざし、日米軍事同盟のもとで強力な軍事力構築を目指す、自らの主張の正当性を主張する上で不可欠であるということだ。かつての帝国主義・軍国主義は対外拡張をその軍事政策正当化の根拠としたが、今日の保守政権としては、朝鮮(及び中国)を脅威に仕立て上げ、これに備える必要性を訴える以外、自らの軍事的野心を正当化することはできない。
 第二のそして優れて日本特有の背景要因は、圧倒的に多くの国民の間に滲み込んでいる朝鮮に対するいわれのない違和感の存在だ。 この違和感の源は、明治以来、支配権力が執拗に国民に注入、扶植してきたアジア蔑視、なかんずく朝鮮蔑視の感情である。人権・デモクラシーを知らない日本人には、「上にはペコペコ、下には横柄」「ウチ・ソト意識」が強く働いている。支配権力は、アジア侵略・植民地支配の政策を国民が支持し、積極的に加担することを確保するべく、お上に弱い日本人大衆(ウチ)が自分たちよりさらに下の存在としてアジアなかんずく朝鮮(ソト)を蔑視するように仕向けてきたのだ。
第二次大戦の敗北以後、この蔑視感情はむきだしの形ではもはや維持できなくなったが、朝鮮に対しては、いわゆる「拉致」問題(これもまた保守政権が意識的に演出してきたものだ)などを媒介とする違和感に変形された蔑視感情が、伝統的かつ否定的な朝鮮観(「朝鮮=悪玉」論)を強く下支えしている。米日韓の圧倒的な軍事力の前にはあり得ない、「朝鮮が攻めてきたらどうする」、「朝鮮の核ミサイルは日本に対する脅威」といった類の滑稽極まる脅し文句が、朝鮮に対して複雑な違和感を持つ日本人の思考を停止させ、保守政権にとって思いどおりの世論を形成してきたのだ。
 第三の背景要因は硬直しきった日本人の天動説的(あるいは権力的・垂直的)国際観、とりわけ「朝鮮=悪玉」論と対になった「アメリカ=善玉」論の強烈な支配ということだ。
帝国主義列強によるアジア蚕食及び日本の植民地化という危機に直面した日本の支配権力の国際情勢認識(その根底に座る国際観)は、当否は別として、パワー・ポリティックスの政治的リアリズムを備えた、それなりに確かなものがあった。しかし、日清及び日露戦争で思わぬ勝利を得て一気に大国にのし上がった以後の支配権力は、頭に血が上って政治的リアリズムを失い、「世界は日本(天皇)を中心にして動く」という天動説的国際観にはまり、アジア蔑視を膨らませて拡張主義に走り、遂には天皇中心の超国家主義という神がかりに陥って自ら墓穴を掘る結果となった。
第二次大戦に敗北したことは、日本及び日本人が新たな国際環境のもとで忌まわしい過去と決別し、人権・デモクラシーに基づく地動説的(あるいは民主的・地平的)国際観を我がものにし、新生を遂げるチャンスだった。しかし、日本を単独占領したアメリカの対日政策が日本の進路そして国際観を大きく規定した。
アメリカは、当初こそポツダム宣言に沿って日本の民主化・非軍事化に着手したが、トルーマン宣言(1947年)以後は反ソ反共・再軍備へと180度急転換し、軍国主義指導者の戦争責任を解除し、彼らを積極的に登用した。戦後日本が戦争責任を直視せず、今日近隣アジア諸国との間で摩擦を生んでいる原因の一つはアメリカの対日占領政策にある(ただし、アメリカにすべての責任を押しつけるのは公正とは言えず、日本人にはもともとまともな歴史感覚が欠けており、そのことがまっとうな歴史認識を育むことを妨げる国内的要因として働いていることも重要な原因であることを指摘しておく)。
もともと事大主義の日本の支配権力は、アメリカの対日政策転換によって復権したが、アメリカ自身が優れて自国中心の天動説的国際観の持ち主であるから、天皇中心をアメリカ中心に切り換えるだけで、天動説的国際観を維持することになった。
天動説的国際観の特徴の一つは、日本(あるいはアメリカ)が当事者となる国際問題について、自らは常に正しく、問題は常に相手側にあるとすることにある。朝鮮半島情勢に関して言えば、「アメリカ=善玉」であり、「朝鮮=悪玉」という決めつけになるというわけだ。
 近年の朝鮮半島情勢の緊張原因、特に核戦争の危険性に関して附言すれば、いわゆる朝鮮の核・ミサイル開発問題がその中心にある。そして、アメリカが主導し、中国及びロシアも同調して、朝鮮の核・ミサイル開発は「国際の平和と安全」に対する脅威だ、とする国連安保理諸決議があるため、近年の朝鮮半島情勢の緊張、核戦争の危険性の責任はもっぱら朝鮮にあるとする主張が俗耳に入りやすい。
 しかし、朝鮮の核・ミサイル開発はアメリカの核恫喝政策に対して余儀なくされたギリギリの自己防衛の所産であること(アメリカ以外の核兵器国の開発動機と変わらない)、朝鮮はNPTの枠外で核開発を行っていること(インド、パキスタン、イスラエルと同じ)、ミサイル開発に関する国際法上の規制ルールは存在しないこと(朝鮮以外にも少なくない国々が自由にミサイル開発を行っている)、朝鮮の人工衛星打ち上げは宇宙条約上の権利であること(これを禁止しようとする安保理決議は不法・不当である)など、朝鮮の核・ミサイル開発を禁止する安保理決議は、国際関係の対等平等性を定める国連憲章の基本原則に反している(二重基準の適用)。したがって、近年の朝鮮半島情勢の緊張、核戦争の危険性の責任はもっぱら朝鮮にあるとする、安保理決議を根拠にした主張にはまったく根拠がない。問題の根幹にあるのはアメリカの軍事戦略及び朝鮮敵視政策である。

<朝米平和協定の必要性とその締結のための課題>

 朝鮮半島情勢の緊張を解決し、朝鮮半島で核戦争が勃発する危険性を取り除く根本的保障は、停戦協定を朝米平和協定に変え、更には朝米国交樹立を実現することにあることについては広い国際的コンセンサスが存在する。しかし、無条件の朝米対話を呼びかける朝鮮と、「北朝鮮の非核化コミットメント」を先決条件とするアメリカ(及びこれを支持する日韓)との対立がネックになっている。これまで述べたとおり、今日の朝鮮半島情勢の緊張に関して朝鮮には非・責任はなく、優れてアメリカにあるのだから、アメリカをして以上の立場を改めさせない限り、事態打開の糸口は生まれ得ない。
 まず、世界の警察官を自任するアメリカの世界軍事戦略及びアジア太平洋地域における軍事プレゼンスが「北朝鮮脅威論」を正当化理由にしてきた点について。オバマ政権の登場以来、特にそのアジア回帰戦略においては台頭する中国の軍事力を照準に据えている。したがって「北朝鮮脅威論」に固執する必要性はもはや客観的に失われている。むしろ、膨大な軍事力維持が深刻な財政負担となっていることを考えれば、アメリカにとって朝鮮半島問題はいまや完全にお荷物になっている。しかも中東問題の複雑さと比較すれば、米朝対決を本質とする朝鮮半島問題はアメリカの政策如何で大きく転回する可能性をもつ。
 アメリカが政策転換を考える上では3つの障害がある。
一つは日本と韓国だ。特に日本の保守政権は、既に述べたとおり、「北朝鮮脅威論」というフィクションを鼓吹することで再軍備、日米軍事同盟の変質強化、そして改憲策動を進めてきた。これを下支えしてきたのが朝鮮に対する国民的な違和感と天動説的国際観に基づく「北朝鮮=悪玉」論であることも指摘した。したがって、日本の保守政権がこうした国民「世論」を後押し材料にして、アメリカの対朝鮮政策の転換に強い抵抗を示すだろうことは容易に想像される。
 しかし、日本においても、アメリカにおけると同じく、改革・開放政策で経済的躍進を遂げる中国が進める軍事力増強に対して警戒感が高まっている。日米「2+2」諸文書から明らかなとおり、21世紀に入った日米軍事同盟は対中同盟という性格を強めている。特に2010年以後、尖閣領有権をめぐる日中関係の悪化を口実として、日本の保守政権は「中国脅威論」を前面に押し出すようになってきた。したがって、日本の保守政権にとっても「北朝鮮脅威論」に固執する必要性はいまや客観的に失われている。
 国民的に共有されている朝鮮に対する違和感及び天動説に基づく「北朝鮮=悪玉」論に関して言えば、「北朝鮮脅威論」と同じく、もともと支配権力によって人為的に作り上げられたフィクションである。したがって、保守政権が「北朝鮮脅威論」をウヤムヤに収める(彼らが「誤りであった」と認めることはあり得ない)とともに、時間はかかるかもしれないが、自然に淘汰されるだろう。
 2番目の障害はアメリカの拡大核抑止戦略・政策だ。朝鮮は、アメリカが朝鮮に対する核恫喝政策をやめることを要求している。アメリカは朝鮮の非核化を米朝関係改善の前提条件に据えるが、朝鮮は朝鮮半島の非核化という枠組みのもとにおいてのみ朝鮮の非核化に応じる。つまり、アメリカが韓国に対する拡大核抑止政策(「核の傘」の提供)をやめることとの見合いでのみ非核化に応じるということだ。
 アメリカにとっての困難は、拡大核抑止戦略・政策はアメリカの核戦略の不可分の一部を構成していることだ。例えば、米朝関係の改善に応じるために韓国に対する拡大核抑止戦略・政策をやめようとすれば、同じくアメリカの拡大核戦略・政策を前提として安全保障政策を組み立てている日本は激しく抵抗するだろう。あるいは、アメリカの拡大核抑止戦略・政策は当てにならないと判断して、独自の核武装に突き進む可能性も排除できない。アメリカにとっては日本の核武装を阻止することは至上命題であるから、米朝関係改善のためにそのようなリスクを冒すことを躊躇せざるを得ない。
 アメリカ(及び日韓)が対朝鮮敵視政策をやめる上での3番目の障害は、朝鮮の核・ミサイル開発を「国際の平和と安全」に対する脅威と断定し、朝鮮に制裁を課した安保理諸決議の存在だ。諸決議の不法性・不当性については既に述べた。しかし、アメリカ(及びアメリカに同調した中露)が諸決議の不法性・不当性を認めて撤回することはあり得ない。
 アメリカ(及び日韓)の対朝鮮政策の転換、米朝関係の改善とアメリカの拡大核抑止戦略・政策との間の矛盾及び安保理諸決議の不都合の克服を可能にするのは6者協議の再開だろう。6者協議再開及び(6者協議での)9.19合意履行の必要性については、4月から6月にかけて行われた一連の外交を経て、関係国すべての合意・同意がある。アメリカとしては、核戦略の根本を損なうことなく、朝鮮半島の非核化に応じる手がかりを求めることが可能である。重要なことは、9.19合意の眼目は朝鮮半島の非核化であり、朝鮮の非核化ではない。そして同合意には停戦協定を平和協定に変えることを含めた朝米関係正常化が既に含まれている。また、朝鮮半島問題の外交の土俵を安保理から6者協議に引き戻すことにより、安保理諸決議の不都合も実質的に解消されることが期待できる。
 最後に、今回のシンポジウムのテーマではないが、朝米平和協定ひいては朝米国交正常化を展望できる国際環境は、米日対中国というアジア太平洋地域の軍事対決構造が基本矛盾として登場したことで可能になった。地域ひいては世界の平和と安定を展望する上では、朝鮮半島問題だけに視野を限るのではなく、アメリカのパワー・ポリティックス及び世界軍事戦略そのものをまな板に乗せる必要があることを確認しておきたい。

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