参議院選挙と日本共産党

2013.07.25

*7月21日の参議院選挙は改憲勢力の伸張ということで、日本の進路にますます暗雲が垂れ込める結果になりました。事前の各種世論調査結果からおおかた予想されていたこととは言え、衰えつつある私の気力をさらに萎えさせるものでした。
 そういう中、共産党が選挙区3人、比例区5人の当選者を出したことは、同党に投票したものとして一服の清涼剤でした。私は有権者になってからは一貫して共産党(及び同党の候補)に一票を投じてきています。今回も、よほどのことがないかぎり共産党、ということは決まっていました。とは言え、7月22日付の日本共産党中央委員会常任幹部委員会「参議院選挙の結果について」(翌日付『しんぶん赤旗』掲載)を読んで、いくつかの思いに襲われました。
私はこのコラムで、共産党の領土問題に関する見解について厳しい批判を行ってきましたが、同党からはまったくの「なしのつぶて」でした。いろいろな集会にお話に伺った際にお聞きすると、古参の党員諸氏の間でも現指導部の政策や党運営のあり方には批判が結構渦まいており、党本部に意見を提出する人たちも少なからずいるとのことです。しかし、そういう人たちに対しても党本部からまともな反応が返ってこないということを聞きました。したがって、私がこのコラムで書くことなど無視されて当然なのかもしれません。
しかし、私が敢えて共産党にもの申してきたのは、日本の既存政党のなかでは唯一まともな政党であるという認識があり、その将来に期待を持つからです。今回も、やはり私が抱いた思いを書き留めておこうと思います(7月25日記)。

<自民党政治批判の「受け皿」>

 今回の選挙で共産党の得票が伸びた最大の原因は、自民党政治に対する批判の「受け皿」としてであったことは、出口調査で「共産党に投票した」と答えた無党派層が多かった事実に端的に示されていると私は受け取りました。このことは、いくつかの興味ある内容をもっていると思います。
 一つは、「アカ」という共産党に対する伝統的な拒絶反応的な意識が多くの国民の間で薄れつつあるという可能性を示唆しているということです。このこと自体は、共産党にとってのみならず、日本政治の民主化、健全化という見地からも極めて積極的に評価するに値するのではないでしょうか。
 しかしこのことは同時に、自民党政治に対する批判の受け皿として考えられてきた民主党、維新の会、みんなの党などが、要するに自民党と「同じ穴の狢」で自民党政治批判の「受け皿」としての役割を担い得ないことが多くの国民の間でハッキリしてきたことに伴うものだった可能性が大きいことをも示唆するものです。やや回りくどい言い方になってしまいましたが、要するに、民主党もダメ、維新の会は論外、みんなの党も大同小異、として消されていく中で、最後に残った批判の「受け皿」が共産党だった、ということを示しているように思えます。ということは、共産党に対する票は、同党の政策を積極的に評価してのものでは必ずしもないということです。
 共産党は、「いや、我々が一貫して訴えてきた政策が国民の間に浸透した結果だ」と主張するかもしれません。確かにそうであるかもしれません。しかし今あるデータからはいずれにも断定することはできないと思います。私としては、後でも指摘するように、今回の結果が「消極的選択(消去法に基づく選択)であった可能性は否定できないし、共産党には、国民の「消極的選択」を「積極的選択」に変えるために、もっともっと国民が評価する政策を提起するべくさらに努力してほしいと願わずにはいられません。

<3議席から8議席への「大躍進」?>

常幹文章は次のように述べています。

 「国政選挙で、日本共産党が議席を伸ばしたのは、1998年の参議院選以来、15年ぶりの出来事となりました。わが党はこれまで、1970年代、90年代後半の2回にわたって、国会の議席の大幅増をつくりだしてきました。6月の東京都議選挙につづく今回の躍進は、"第3の躍進の波"の始まりともいうべき歴史的意義をもつものです。」

 私はこのくだりを読んだとき、党中央としてはこう書きたいだろうけれども、いくつかの点で「違うのではないか」と思いました。
 こう書きたいところだろうと分かるのは、志位委員長になってから(2000年以来)の国政選挙で共産党は連戦連敗だったことを考えれば、今回の結果は正に欣喜雀躍したくなるのは当然だと思うからです。
 しかし、今回の8議席(選挙区得票率10.64%、比例区得票率9.68%)という結果は、1998年の15議席(選挙区15.65%、比例区14.60%)とは比べるのが酷としても、1995年の8議席(選挙区10.38%、比例区9.53%)への失地回復というのが本質だと思います。それだけ志位委員長になってからの共産党の参議院選での落ち込みは激しく、2004年の4議席(選挙区9.84%、比例区7.80%)、2007年の3議席(選挙区8.70%、比例区7.48%)、2010年の3議席(選挙区7.29%、比例区6.10%)は、1962年の3議席(地方区4.85%、全国区3.14%)、1965年の3議席(地方区6.92%、全国区4.43%)、1968年の4議席(地方区8.27%、全国区4.98%)並み(得票率はともかく)だったのです。
 そして重要なことは、共産党の主張・政策が今回の参議院選挙で大化けしたという事情が働いた結果として8議席になった、というわけではないことです。共産党の主張・政策にはたいした変化がなかったのに議席数も得票率も伸びたというのは、既に述べた有権者の消極的選択の結果であることを強く示唆するものでしょう。常幹文章が「大躍進」とした自己評価はどう考えても首肯できるものではありません。
 常幹文章が指摘する1970年代の共産党の文字どおりの躍進(この時は革新地方自治体の大波も起こっていました)については、私も今なお鮮烈な印象で思い起こします。当時の共産党が発表する文章は本当に説得力があったし、この党が伸びれば日本は変わるに違いない、と私も期待を膨らませました。とりわけ強烈な記憶として甦るのは、当時赤旗を配達する一般党員の元気はつらつとした、生き生きした表情でした。本当に若々しい、これからを担う政党という雰囲気を全身に漂わせていたのです。
 しかし、こういう高揚した気持ちは今日の共産党からは味わうことができません。私は常に共産党に投票していると言いましたが、昔は本当に期待を込めた一票であったのに対し、いまは「ほかに投票する党がない」という極めて消極的な理由です。そういう意味では、今回共産党に投票した多くの国民の気持ちと接近していると思います。
 私が言いたいのは、共産党が喜ぶのは分かるけれども、はしゃいでいられる状況ではないということです。政策力を高める、党の足腰強化を図る、という二本足をしっかりさせなければ、そして共産党のアッピール力を高めなければ、ほかの政党(民主党、維新の会、みんなの党)が出直しを図り、あるいは自民党政治批判の受け皿を標榜する新党が出現すれば、共産党が本当の意味で「躍進」することにはつながらないし、再び泥沼に足を突っ込む結果に終わる可能性も決して否定できないと思います。
 多くの国民から「アカ」意識が薄くなっているかもしれない、という私自身の見方についても手放しの楽観は許されません。と言うのも、1970年代及び1990年代に共産党が躍進したとき、これに警戒感を高めた保守勢力が繰り出したのは正に反共攻撃だったし、これが奏功して共産党は防戦を強いられるという歴史を繰り返しているからです。古くさい「アカ」攻撃が再び成功するほど、日本のデモクラシーが相変わらず昔のままの水準にあるとは思いたくないのですが、しかし、韓国、台湾、フィリピン、タイにおけるような下からの民主化運動を真の意味で成し遂げた歴史をいまだ持ち得ていない日本の今日のデモクラシーには、私は正直確信を持ち得ません。この問題はこれからの展開を見守るほかありませんが、共産党が「歴史を繰り返させない」ようにするために政策力を高め、足腰強化に邁進し、確固としたアッピール力を身につけることを願います。

<平和民主勢力の結集>

 最後に、今回の参議院選挙とは直接結びつかないのですが、改憲勢力が台頭し、日本の平和とデモクラシーの基盤そのものが根底から揺るがされようとしている今日、私は何としてでも平和民主勢力が結集し、力を合わせることが不可欠かつ緊要だと思います。そして、この点において、共産党には一皮も二皮も化けてもらわないと困ると思います。
 私は様々な集会に伺ってきましたが、いわゆる平和民主勢力の中における「共産党系」と「非共産党系」との対立というか相互間の反発というか、本当にイヤというほど味わわされてきました。世の中が悪い方向に突き進む様相を今日ほど鮮明に呈していないときならば、「どうぞご勝手に」と突き放して見ていることもできたのですが、改憲勢力が虎視眈々と主導権を握ろうとしている今日、もはや内ゲバしている余裕などはありません。
 私には「共産党系」と「非共産党系」の主張のどちらに分があるのか、どちらに非があるのかについては詮索する気持ちがないし、いずれにしても過去のどろどろを引きずっていることは明らかで、本当に「いい加減にしてくれ」という気持ちにさせられることがしばしばです。そして、平和民主勢力の中でもっとも組織力、動員力、政策力が高い共産党が他の勢力に手を伸ばすべく努力することがもっとも多いと確信します。
 反原発行動に対する共産党のアプローチには、首をかしげる点もある(特に過去の主張・政策をしっかり総括しないままに、昔から反原発だったとする共産党には、恐らくついていけない人が多いでしょう)けれども、運動に一参加者として加わっている姿勢は評価できるものだと思います。こういう謙虚な姿勢を平和民主運動のすべてに貫くべく脱皮を遂げてほしいと願わずにはいられません。

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