自衛権と集団的自衛権

2013.06.27

*ある集会で集団的自衛権を中心にして憲法問題について分かりやすい話をしないかと誘われてお話ししたものを基に、主催者がさらに分かりやすくQ&Aの形にまとめられました。わかりやすさを追求するあまり正確さが欠ける点も見受けられますが、「まあ、こういうこともありかな」と私も納得しました。なんら参考までに載せておきます(6月27日記)。

(主催者側リード部分) 安倍政権が参院選のあとに提出を予定していると言われる、国家安全保障基本法。その中で挙げているのが「集団的自衛権の行使」だ。しかし実態はほとんど知られていない。ふぇみんの平和部会は6月8日、講師に浅井基文さんを招き、東京・渋谷で学習会「安倍政権のねらうもの集団的自衛権の行使ってなあに?」を開催した。なぜ安倍政権は「集団的自衛権」にこだわるのか。浅井さんの講演をもとに、分かりやすくQ&Aでお届けする。

--そもそも、自衛権ってなんのためにあるのですか?

まず、「集団的自衛権」の前に、自衛権の意味を理解しましょう。分かりやすく言えば、刑法で個人に認められる「正当防衛」の権利の国家版が自衛権です。この自衛権が実際的な意味を持つようになったのは、1929年に戦争を違法化する「不戦条約」ができてから。不戦とはいえ戦争を仕掛けてくる国があったら?という懸念から、自衛権の行使=自衛のための戦争は例外的に認められるようになったのです。
しかし、アメリカ独立戦争、フランス革命を経て、人民主権の考え方が世界的に確立した今、私はこの自衛権を「国家の自衛権」と「人民(国民)の自衛権」に分けて考えています。人民の自衛権というのは、個人が持つ正当防衛の権利、その集合体のことです。つまり人民の自衛権においては、私たち主権者が自らの運命を決定するのであり、その際に国家権力が国益を振りかざして私たち主権者の意思や尊厳を踏みにじることは、できません。

--「人民の自衛権」は、あまり聞かない言葉ですが。

「国家の自衛権」はもっぱら国家の戦力=軍事力を使用するもので、安倍政権などが目指しているのは、この「国家の自衛権」の復活です。それに対し、「人民の自衛権」は人民の意思に基づいた多様な方法があるのです。中国の抗日戦争、ベトナムの民族解放戦争などもそうですが、平和憲法である第9条を前提にいえば、例えば第2次大戦時のフランス、ポーランドなどにおけるレジスタンス運動や、また占領や支配に対する不服従運動などの方法もある。ですから第9条が軍事による「国家の自衛権」を否定しているからといって「人民の自衛権」が行使できないわけではなく、私たちが泣き寝入りをする必要はないのです。

--では、安倍政権が意欲的に取り組んでいる「集団的自衛権」とは?

「集団的自衛権」は戦後国連憲章51条で作り出された新しい権利です。第2次大戦の戦勝国は国連憲章で戦争を違法化し、集団安全保障の仕組みを設けましたが(下欄参照)、その中で合法的に戦争をするための抜け道として考えられたのが「集団的自衛権」で、これは2度の大戦の経験から、他国と一緒に戦う可能性を合法化したもの。「自分たちを自分たちで守る」という考え方です。
「集団的自衛権」の行使には、3つの条件があります。「武力攻撃が発生した場合」、「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置を取るまでの間であること」そして「取った措置はただちに安全保障理事会に報告しなければならない」。つまり乱用されないよう安保理の監視下に置こうというものですが、アメリカ主導のイラクやアフガニスタンでの戦争を見ても分かるように、大国の利害がからむと安保理が行動できない状況に陥ります。
また、私が危惧しているのは近年、防衛省を中心に朝鮮半島有事などの場合に「先制的自衛権」の行使も検討していることです。今後、アメリカとともに行使する危険性もあります。

--「同盟国のアメリカが攻撃されたら日本も一緒に反撃を」という声は、高まっているようですが。

そもそも中国や北朝鮮が日本や世界一の軍事大国であるアメリカに、自殺行為に等しい先制攻撃を仕掛けるはずがありません。そんなことをすれば国際社会が許さないでしょう。しかし、そういった脅威をあおり改憲や「集団的自衛権」の行使に道を開こうとしているのが、安倍政権です。
自民党の日本国憲法改正草案には、戦争と平和の問題である自衛権と集団的自衛権に関わること、人権と人民(国民)主権=デモクラシーに関すること、この2つの見過ごせない大問題があります。
本丸である第9条2項で国防軍の保持について述べ、「国防軍は、(略)国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」と、「集団的自衛権」の行使をも含ませています。
安倍政権が自衛隊を国防軍にするのも、正真正銘の軍隊として米軍と一緒に軍事力を行使する、つまり他国を攻撃することを可能にするためであり、あわせて非常に問題の多い多国籍軍への参加や、アメリカが要求するNATO並みの軍事同盟の実現も視野に入れているのでしょう。

--安倍政権がめざすのはどんな日本ですか。

根本的には人民主権をくつがえし、国家主権に日本を逆戻りさせることだと思います。「集団的自衛権」も、このような政権のねらいをよく知った上でとらえるべきでしょう。
自民党の憲法草案を見ると、主権の所在がじつにあやしい。第1条で天皇は日本国の象徴ではなく元首であるとしています。元首には主権者という意味もあり、明治憲法ではそういった意味合いで使われていた言葉です。
人権に関しては、誰にも等しく保障される近代国家の「天賦人権論」とかけ離れたものです。
このように国より人の「人民主権」を廃し、人民より国の「国家主権」に戻すのがねらいです。ですから「人民の自衛権」ではない「国家の自衛権」で戦争や先制攻撃までも可能にする憲法へと変えたがっているのです。

(付)国連の平和と安全の維持の仕組み

【集団安全保障】
世界の平和と安全、紛争予防のために、国際社会の構成員すべてが従うべきルールを作り、違反するもの(国家)があればそれを改めさせるために行動するシステム。第1次世界大戦後に提唱され、国際連盟で機構化、国際連合に受け継がれた。しかし少数の大国による安全保障理事会(安保理)に決定権があり、さらにアメリカ主導であるため、このルールが公平公正に適用されていない場合も多い。
【集団的自衛権】
国連がただちに有効な集団的措置をとることができない場合に、その対応策として国連憲章に自衛権の行使がつけ加えられた。さらにアメリカの発案により、他国のために、あるいは他国に代わって武力行使できる集団的自衛権も認められるようになった。
【PKOとPKF】
集団安全保障とは異なり、地域紛争の解決を目的とする。PKO(国連平和維持活動)の役割には、停戦・休戦を監視する監視団と、合意された停戦が保たれるよう軍事活動し武力衝突に備えて武装するPKF(国連平和維持軍)がある。
(参考)浅井基文著『集団的自衛権と日本国憲法』(集英社新書)

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