日本の防衛政策(中国青年報論評)

2013.06.22

*6月21日付の中国青年報は、王鵬署名の長文の文章を掲げ、6月11日に安倍政権が明らかにした新防衛計画大綱草案を含む、これまでに出された4つの防衛計画大綱に示された日本政府の脅威に関する基本的判断及び自衛隊強化方針について、1976年以来の展開を分析しています。よくまとまっていると思いますし、中国の関心の所在を理解する上でも有益だと思いますので、要旨を紹介します。
 私が特に注目したのは、日本の軍事戦略が、従来の「専守防衛」から、1995年の防衛計画大綱及び1997年の日米防衛協力の指針(ガイドライン)を経て、2003年のいわゆる有事法制によって完全に「先制攻撃」(中国語:「先発制人」)に転換したと断定している点です。私自身も、防衛省を中心にして「先制的自衛権」行使の考え方が強まってきていると見ていますが、中国は2003年の有事法制で、先制的自衛権の行使どころか先制攻撃そのものが既に日本の政策として確立したと見ているのです(6月22日記)。

 防衛計画大綱は、日本の国家安全保障政策及び自衛隊の建設にかかわる綱領的文件であり、その内容は一定期間における日本の防衛政策の方向性を決定してきた。これまでに4回出されているが、それぞれの時期における日本の脅威認識に関する基本的判断及び自衛隊の建設に関する考え方を体現している。
 1976年版防衛計画大綱は、日本が「限定的かつ小規模な侵略事態」に対処するべく、「基盤的防衛力」を構築することを提起した。ソ連を仮想敵とし、独立国として必要な最小限度の戦闘力を持つべきことを強調した。
 1995年版防衛計画大綱は、自衛隊の任務を拡大し、日本の安全を防衛することに加え、大規模災害への対応及び、より安定的な安全保障環境を樹立するべく、日本以外の地域でも軍事的役割を発揮することを明確に定め、「内向」から「外向」に転換することを表明した。
 この大綱ではまだ中国を「脅威」とは明確に見なしてはいないが、1997年に制定されたガイドラインは台湾海峡を対処するべき「周辺事態」に含めた。実際に日本の防衛政策が中国を注目し始めたのは1991年で、その年の防衛白書ははじめて中国の軍事問題を取り上げた。
 2004年版防衛計画大綱は、国際テロリズム、大量破壊兵器及びミサイル拡散の脅威を重点的に取り扱うとともに、自衛隊の海外活動任務を「本来任務」に昇格させた。注目に値するのは、安全保障環境に関する叙述において、中国の軍事力建設を朝鮮の核ミサイル問題と並列して扱い、日本に対する脅威と見なしたことだ。同時に、ミサイル防衛を任務とするだけでなく、周辺諸国との島嶼及び海洋権益に関する紛争をも明確に防衛目標に含めた。
2010年版防衛計画大綱は、中国脅威論をさらに突出させるとともに、「動的防衛力」の建設を提起した。その中での最大の変化は、防衛重点を東北から南西に転換し、南西島嶼(釣魚島を含む)防衛強化を提起したことだ。
この大綱は、中国の軍事力が既に地域及び国際社会にとって懸念材料になっていると断言し、警戒監視しなければならないと声高に述べている。同時に大綱は、海空戦力を主体とした動的防衛力を重点的に配備するとともに、米韓豪等との防衛協力を強化して、連合して中国を牽制するという目的を達成することを強調した。
今回の防衛計画大綱草案も実質的には2010年版と大同小異であるが、中国に対処する意図がより明確かつ直截的であり、先制攻撃の攻勢的性格と内容もより明確であり、来たるべき大綱の政策的方向性を明らかにしている。

<野心満々の新軍事大国>
防衛政策の大幅な調整に伴い、日本の軍事戦略、軍事力建設及び軍事行動等については世人をして不安ならしめる変化を示している。これらの変化は軍事大国を目ざす日本の飽くなき追求を反映している。
軍事戦略においては、日本は既に「守」から「攻」への転換を行った。「専守防衛」は日本政府が1957年に制定し、1970年に提起した軍事戦略だった。それは、地理的範囲及び武力行使の条件において「日本及びその周辺」に限定し、かつ、「相手側の武力攻撃を受けた後」においてのみ自衛権を行使できるとする特定の含意を持っていた。
しかし、1995年版防衛計画大綱及び1997年ガイドラインにおいて既に、自衛隊の作戦範囲を「領域」から「周辺」更にはより遠隔の地域にまで拡大するとともに、武力行使のタイミングについて「敵の侵略を受けた後」から「敵の脅威を受けたとき」にまで早めた。2003年には「武力攻撃事態法」など有事3法案を成立させ、緊急事態発生が「予見」される状況の下では先制攻撃を行うことができることを明確にした。これは、日本が「専守防衛」を完全に放棄し、危機予防及び抑止を主体とする「先制攻撃」軍事戦略に転換したことを示している。今回の草案が提起しているオスプレイ及び水陸両用車両による水陸両用部隊の建設配備は、対敵基地攻撃能力を実現するためのものだ。
軍事力建設においては、自衛隊から常備軍への転換を進めている。2005年には統合幕僚監部を設立し陸海空の指揮権を統一し、作戦指揮系統を強化した。2007年1月には防衛庁が防衛省に格上げされた。本年2月には安倍首相が自衛隊を国防軍に改めることを提起し、任期中に実現を期するとした。
軍事行動においては、日本は既に平和憲法の制約を突破している。既に中曽根政権時代に防衛費GDP1%以下という制限を突破し、1000カイリ防衛によって集団的自衛権不参加原則を突破し、対米武器技術移転許可によって武器輸出3原則を突破していた。1991年には、湾岸戦争に名を借りてペルシャ湾に掃海艇を派遣して海外派兵をしないという制限を突破した。2001年には、9.11事件に名を借りてインド洋で米軍と作戦行動を行い、「地域的制約」、「行動における制約」及び「国会による制約」という3大タブーを一気に突破し、集団的自衛権行使の実を実現した。2011年7月には、ジブチに自衛隊初の海外軍事基地を建設した。こうして平和憲法は今や、「蚕食」方式による突破によって満身創痍になっている。しかも安倍晋三は自分の任期内に改憲を実現させると表明しており、これが実現すれば、日本の戦後の平和改造の痕跡は跡形もなく消え去ることになる。

<疫病神の日米軍事同盟>
 日本が「戦後体制」による軍事領域における制約を突破するのは、国内の民族主義及び右翼勢力の支持のほかに、より重要な要素として強大な日米軍事同盟がそれを下支えしているということがある。そして日米が「永続的」かつ「強固」な軍事同盟たり得ているのには分厚い歴史的及び現実的な原因がある。
 アメリカからすれば、第二次大戦後、朝鮮戦争勃発によってアジアの地縁戦略における日本の重要性が突出することになった。冷戦期を通じて、日本は天然の反共防波堤であり、アメリカは日本の軍事力拡大を大目に見、黙認した。21世紀に入ってからは、アメリカのアジア回帰戦略に伴い、日本は、ソ連対抗の橋頭堡から中国牽制の足がかりへと速やかに転換した。日本からすると、日米同盟は第二次大戦後の「対米防衛依存」、冷戦期の「共同防衛」そして現在の「共同対処」などの段階を経てきたが、日本は不断に日米軍事政治同盟の強化を通じて国際社会及び憲法に基づくタブー及び制限を取り除いてきた。
 2005年に「日米同盟:未来のための変革と再編」と題する共同声明(浅井注:いわゆる2+2の「中間報告」)において、「国際安全保障環境の改善」、「世界的課題への対処」が同盟の協力内容に加えられ、これによって日米軍事同盟が地域的同盟から正式にグローバルな戦略的同盟に転換することが示された。これにより日本は、憚ることなく軍事力建設に進み、周辺諸国との領土紛争に対してますます横暴になることとなった。
 1969年に日本は一方的にいわゆる防空識別圏を設定し、東経123度以東(釣魚島を含む)をその中に収めた。日本はこれを根拠に数十年かけて航空自衛隊及び海上自衛隊で構成する海空立体の巡視体制を組織し、関係水域に対するいわゆる実効支配を実施した。2010年9月7日には故意に漁船衝突事件を起こし、中日間の釣魚島紛争を激化させた。(中略)
 日本のこのような行動に対して、アメリカはエセ中立、実は日本にテコ入れする態度を取った。習近平・オバマ会談で東海(東シナ海)問題を検討するプロセスにおいても、オバマは「米日が同盟国であり、アメリカは完全に日本を信頼している」という態度を相変わらず明確に表明した。
 アメリカは日本に対して道義的な支持を与えるだけでなく、大規模な軍事演習を通じて日米の軍事同盟が確固としたものであることを外部に対して証明した。アメリカのこのような「一方の肩を持ち」「声援する」やり方は、釣魚島問題において日本が後ろ盾を頼りに恐れを知らない姿勢を下支えしていることは間違いない。
 日本の防衛政策の方向転換は日本が向かう方向性を大いに代表している。日増しに「外向」的になる防衛政策は、日本が自らの悲惨な歴史をしっかり反省していないだけでなく、自らの経済、科学技術及び軍事的な実力を正しく運用していないことをも表している。日米同盟を後ろ盾にして日本が示す自負と横暴はアジア人民にとってかつて味わったものであり、アジア各国は不断に「右傾」化する日本政府及び不断に肥大を遂げる自衛隊に対して高度の警戒感をもたなければならない。

(附記)

 アメリカのこのような対日下支えの政策に対して、同じ6月21日付の環球時報所掲の許世銓(元人民日報国際部主任)「安保条約は米日にとって落とし穴になる可能性がある」は、次のように日米特に日本に対して警告していることも、中国側の視点を考える上で参考になります。

 もしもアメリカが日本を甘やかせ、改憲を実現させてしまうようなことがあれば、アメリカのアジアにおける要石、支柱が粉々になり、倒れ傾くことになるのは間違いない。仮にアメリカが釣魚島問題で日本に引きずられて対中衝突の中に巻き込まれれば、日米安保条約はアメリカにとっての落とし穴になるだろう。他方、仮に日本が、安保条約によってアメリカが釣魚島のために出兵することが保障されていると考えるならば、これまた日本にとっての落とし穴になるだろう。筆者としては、日本の有識者に対して、1950年代に起こった台湾海峡におけるいわゆる「金門島砲撃」の歴史を振り返ることを勧めたい。アメリカと台湾当局との間でも「共同防衛協定」を結んでいたが、当時のアメリカがどのように危機をコントロールしたかを見れば、教えられるところがあるだろう。

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