中国の安倍政権批判(人民日報・鐘声文章)

2013.06.19

*6月13日及び翌14日付の人民日報は、鐘声署名の「安倍政権の「価値観外交」の偽りのベールを剥ぐ」という主題での文章を2回にわたって掲載しました。人民日報国際部の総意として出される鐘声文章は、中国党・政府の基本的判断・立場を示すものであることは前にも紹介したとおりですが、2日にわたって文章を掲載するということは珍しいことです。
 昨年(2012年)12月17日付の人民日報は、鐘声「日本の当局が如何に「汚い露店」(「手のつけようのない事物」のたとえ)を収拾するかを見よう」を掲載し、その中で安倍政権の登場に対して次のように述べました(2012年「コラム」欄の「安倍政権の日本政治(中国側見方)」で紹介したもの)。

 自民党が政権に就いた後、日本の極端なナショナリズム感情と「右傾化」はさらに強化されるのか。西側のメディアを含む国際世論は、既にこのことに対して憂慮を表明している。…外部の力に依拠してほしいままに事を行い、時代の潮流に逆らうならば、如何なる前途もあり得ないと言うべきである。
 中日関係が前進するか後退するか、今正にカギとなる時点にある。中日両国は現在外交交渉を通じて釣魚島主権紛争に関する共通の認識を再建しようとしており、日本の新指導者が大局から出発し、アジアの長期的発展から出発して、紛争のエスカレーションを回避し、共同しかつ有効に危機をコントロールし、(日中間の)焦点を中日協力及び地域協力などの重要な議題に移すことを希望する。

 ほぼ半年を経て、中国の党・政府の安倍政権に対する評価は定まり、それを文章にしたものが今回の鐘声文章であると位置づけることが可能だと思います。
 以下の文章は人民ネット(日本語版)に掲載されたものをそのまま紹介するものです。既に同ネットでお読みの方もおられると思いますが、この文章の重要性に鑑み、また、上記12月17日付の鐘声文章のフォロー・アップとして、紹介します。
なお、6月17日付の人民日報海外版は、社会科学院日本研究所の呂耀東による安倍首相の改憲策動に関する批判文章を掲載していますので、それも末尾につけておきます(6月19日記)。

<6月13日:「典型的な「人格分裂」 安倍政権の「価値観外交」
--安倍政権の「価値観外交」の偽りのベールを剥ぐ(上)」>

 近代日本は明治維新後、みだりに戦争を起こす軍国主義の道を一歩一歩歩み、中国を含むアジア各国人民に深刻な災禍をもたらし、日本人民にも深く害を及ぼした。日本軍国主義は第2次世界大戦中、人類史上最も野蛮で、最も残虐な犯罪を犯した。
  戦後日本は極東国際軍事裁判など国際社会の正義の審判を受け、平和憲法を制定して国際社会に復帰した。本来なら日本は戦後、体制上のみならず価値観においても心から悔い改め、戦前の狂気じみた、自由、民主主義、人権を踏みにじる暗黒の歴史と決別すべきだ。だが遺憾なことに、徹底的に取り除かれるべきだった日本軍国主義は戦後、一部残存勢力が命脈を保ったうえ、政治権力の中心に返り咲きすらした。この勢力に牛耳られ、弄ばれる中、日本は長年健全な歴史教育を行えずにおり、侵略の歴史の真相を力の限り覆い隠し、歪曲している。
 それなのに歴史問題で合格答案を提出できずにいるこのような日本が、長年にわたりアジアにおける「民主主義の模範」を装い、いわゆる民主主義の経験をあちこちで売り込み、国際社会の支持と信頼をだまし取ろうと企てている。安倍氏が2度の政権でいわゆる「価値観外交」を力の限り広めようとしているのは、「自国は価値観をわきまえていないのに、他国に物事の道理を説く」という日本の戦後の政治伝統に由来する。
 ここしばらく安倍政権、特に安倍本人は無数の被害国国民の感情をしきりに傷つけ、歴史修正主義路線を露骨に推し進め、日本の侵略の歴史に対する評価を覆し、名誉を回復しようと力の限りを尽くしている。「村山談話」と「河野談話」を見直す方針を放言し、「自主」憲法制定と「国防軍」創設を声高に主張し、靖国神社に供物を奉納し、「東京裁判」に疑問を呈し、「侵略定義未定論」をぶち上げ、「主権回復の日」を盛大に記念したうえ会場で戦前のやり方にならい先頭に立って「天皇陛下万歳」を大声で叫び、自ら軍服姿で戦車や飛行機に乗ってパフォーマンスをする…… 安倍氏は日本極右勢力が長年夢見てきた政治的主張を次々に取り入れている。先日のミャンマー訪問では、第2次大戦中に同国を侵略した日本軍の戦没兵の墓にわざわざ参りもした。こうした動きが積み重なって、日本の全面的な「右傾化」という明確なメッセージが国際社会に向けて発せられたことは間違いない。
 安倍政権の推し進める歴史修正主義路線に鼓舞されて、麻生太郎ら安倍内閣の要人および170人近くの与野党議員が群れをなして今年4月の春季例大祭に靖国神社を参拝した。これは過去24年間で最多だ。同様に安倍政権の推し進める歴史修正主義路線に鼓舞されて、極右政治屋が大いに放言し、日本政界の極めて歪んだ価値指向を世界の人々に教える結果となった。
  安倍政権が歴史問題で見せる戦前の軍国主義的価値観への憧憬と未練は、国際社会で大口を叩く「共有する価値観」とは鮮明なコントラストをなし、典型的な「人格分裂」を呈している。安倍政権の時代に逆行する動きは、日本には歴史の古い夢の再来、第2次大戦の結果の否定、戦後の平和秩序への挑戦を企てる勢力が今日もなおいることを側面から物語っている。しかもこの勢力には居ながらにして強大化する現実的危険がある。安倍政権のすることなすことと照らし合わせ れば、民主主義、自由、人権について大口を叩くその資格と動機に大きな疑問符を突きつけるだけの理由が人々にはある。いわゆる「価値観外交」が世界を欺き不当な名声を得ようとする政治トリックに過ぎず、国際社会と民主主義、自由、人権に対するこの上ない愚弄であることは火を見るよりも明らかである。

<6月14日付:「「新たな冷戦」の企て 安倍政権の「価値観外交」
--安倍政権の「価値観外交」の偽りのベールを剥ぐ(下)」>

 安倍政権発足から半年余り。日本の外交活動はこれまでの政権 よりも主導性、積極性が明らかだ。だがこれには、いわゆる「共有する価値観」を強調し、外交の場で必ず「自由、民主主義、人権」を口にするという注視すべき傾向がある。安倍政権は、まるで「自由、民主主義、人権」が日本の登録商標であり、日本と他国との関係における問題は本質的に価値観の争いであるとの印象を与えるべく力の限りを尽くしている。これは6年余り前の第1次安倍政権期に推し進めた「価値観外交」と全く同じだ。
 安倍政権が愛して止まない「価値観外交」とは一体どんな代物なのか?
  現代世界では世界の多極化と経済のグローバル化が急速に進行し、平和、発展、協力、ウィンウィンが後戻りの許されない時代の潮流となっている。国の大小や 強弱を問わず世界各国の共通利益は増え、共同で対処する必要のある試練も増えている。当然ながら各国は相互尊重、互恵協力、共同発展を図るべきである。いかなる国家間の人為的障害や対立を引き起こす企みも、時代の潮流に逆行する。
 安倍政権は明らかに時代の潮流に逆行し、いわゆる「価値観外交」を推し進めることで、一体化しつつある世界を再び分断しようと企んでいる。本質的に言って、いわゆる「価値観外交」は完全に冷戦思考の禍であり、その目的は冷戦時代のように世界の文明発展の多様性を抹殺し、イデオロギー、政治体制、社会制度上の異同を国家関係の親疎を決定する基準とし、世界を再び截 然と対立する陣営に分断することにある。
 第2次安倍政権は元の稼業に戻り、「価値観外交」に一段と熱 を上げたうえ、これに「戦略的外交」の美名を冠している。これは実際のところ、何ら新しいものではない。第1次安倍政権期にも「平和と繁栄の弧」という名 のいわゆる戦略構想を打ち出し、イデオロギーによるユーラシア大陸の分断を企てた。
 日本が冷戦思考を愛して止まないのは決して偶然では ない。冷戦時代、日本は他国の戦略に助けられる形で冷戦にただ乗りし、経済発展に専念することで、戦後の廃墟からわずか20年足らずで再び台頭を果たし、 一躍世界第2の経済大国となり、冷戦の主たる受益者となった。この特殊な経験が日本の政権階層に頑固な戦略上の惰性を植え付けた。冷戦終結からすでに20 年以上になるのに、一部の日本人は世界でイデオロギーの小さなグループをつくることで、冷戦時代に奪い取った巨大な既得権益を守ることを企んでいる。
  世界経済が成長力を欠き、国際協力が複雑に入り組む中、国際社会はとりわけ「新たな冷戦」をつくりだそうとする日本極右勢力の企てに強く警戒し、国際関係の雰囲気を悪化させる察しの悪い様々な行動を防ぐ必要がある。アジア諸国は歴史的発展の貴重なチャンスを迎えており、なおさらに日本極右勢力の良からぬ魂胆を見破り、アジアを分裂させるいわゆる「価値観外交」を自覚的に拒絶し、協力・ウィンウィン、共同発展という地域の良好な状況を共同で守るべきである。

<呂耀東「安倍氏の憲法9条改正が意味するもの」>

 6月も半ばを過ぎ、間もなく7月になる。日本の参議院総選挙 は目前に迫り、票を勝ち取るために政治屋たちは各々策を講じている。安倍晋三首相は先日、憲法第96条の改正について報道陣に「世論の支持は得られずとも、あきらめる考えは全くない」と述べた。安倍氏の「憲法改正のための憲法改正」、憲法第96条改正の最終的目標が、「戦争放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を含む第9条の改正にあることを国内外の世論はすでに見抜いている。
 第9条の平和主義精神から日本国憲法は「平和憲法」とも称される。安倍氏の憲法改正への断固たる意志と世論調査での反対の主 たる争点は、日本が「平和主義」という歴史的「約束」を放棄するのかどうかにある。「平和憲法」は第2次大戦での日本の無条件降伏の産物であり、アジアおよび世界の反ファシズム同盟の勝利の結果であり、その影響は日本一国内を遙かに超えるものだと言える。
 日本の「平和憲法」は日本軍国主義を根絶する狙いの下、米国主導で制定されたものだ。この歴史を無視し、平和主義の重要な意義を無視し、憲法改正はいわゆる日本の権限内のことであり、「憲法改正と周辺国は無関係」とする安倍氏の論調は、自他共に欺くペテンに過ぎない。
  日本が戦後軍事化を制限し、平和的発展の道を堅持したのは、まさに「平和憲法」第9条の確立と存在に基づくものと言える。だがアジア及び世界から広範に称賛され、日本国民の賛同を得ている、日本経済の台頭に大きな功績を立てたこの「平和憲法」は、「普通の国」を目指す日本の保守勢力から最大の障害と見なさ れている。
 安倍氏らは自民党の建党精神の1つが「自主憲法の制定」であると強調。「平和憲法」第9条の改正、国防軍の創設、海外での武力使用の許可、集団的自衛権行使への制約の撤廃などを主張するその発言は、すでに日本の現行憲法の平和主義精神を著しく侵害している。
  参議院選挙を間近に控え、憲法改正の動きは憲政民主と平和主義に反するのではとの疑問の声に対して、安倍氏は「憲法9条や基本的人権に関する条項を発議要件緩和の対象から除外することも1つの選択肢だ」と言い立てた。だが、これを信じる人はまれだ。憲法第9条改正に関する安倍氏らのこれまでの驚くべき発言を思えば、世界の人々が憲法改正の動機への懸念を解消するのは困難だ。参院選後、安倍氏が憲法改正にブレーキをかけることがあるのだろうか?連立与党を組む公明党は平和主義の手綱を引き締めることができるのだろうか?アジア各国と国際社会は懐疑的だ。
 ひとたび安倍氏らが参院選で勝利し、 日本国憲法第9条の平和主義原則を変え、「国防軍」を創設し、集団的自衛権行使への制約を撤廃すれば、日本の「平和憲法」はもはや存在せず、平和主義の精神は憲政上の拠り所を失う。この極めて危険な結果は、アジアと世界、そして大部分の日本国民にとって警戒すべきものだ。

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