核兵器の人道的影響に関する共同声明と日本政府の不参加

2013.05.29

*安倍政権は、NPT再検討会議の準備委員会に提出された、核兵器不使用を呼びかける74ヵ国の共同声明に参加することを断るという行動を取りました。広島及び長崎では強い抗議の声が上がっていますが、私には少しも意外ではありませんでしたし、いよいよ安倍政権(保守政治)は核の分野でも本性をむきだしにしてきたか、という思いです。
 雑誌『広島ジャーナリスト』のお誘いで一文をしたためましたので、私の問題意識として紹介します(5月29日記)。

2015年に開催されるNPT再検討会議に向けた準備委員会は、2012年4月30日-5月11日にジュネーヴで第1回会合が開催されたのに続いて、第2回会合が同地で本年4月22日-5月3日に開催された。4月24日に74ヵ国を代表して南アフリカが「核兵器の人道的影響に関する共同声明」(以下「声明」)を発表した。南アフリカなどは日本にも声明への賛同を働きかけたが、日本政府は、声明中の「いかなる状況の下においても、核兵器が再び使用されないことが人類の生存の利益である」という文章が、「日本の置かれている安全保障の状況を考えたときに、ふさわしい表現かどうかを慎重に検討した結果、賛同することを見送った」(4月25日の記者会見における菅義偉官房長官発言)。
この日本政府の立場表明に対する広島の反応は私の予想どおりのものだった。広島市の松井一実市長は、「核兵器は『絶対悪』であると訴え続けてきたヒロシマとすれば、(賛同見送りは)到底納得できるものではない」と批判した(4月27日付『赤旗』。ちなみに同紙によれば、長崎市の田上富久市長は「このような日本政府の行為は、これまで被爆地が取り組んできた核兵器廃絶への努力を踏みにじるものであり、理解しがたく、失望しています。被爆国として核兵器の非人道性を訴える機会を放棄するもの」と強く抗議した)。 また4月26日付の「核不使用に賛同せず 「被爆国」名乗る資格ない」と題する中国新聞社説も、「耳を疑うとは、このことだろう」という書き出しで日本政府の行動を批判した。
しかし、私は日本政府の今回の行動に対して「耳を疑う」こともなかったし、意外感もまったくなかった。なぜならば、日本政府は長年にわたって「ホンネ(対米「核の傘」依存)とタテマエ(非核3原則堅持)の使い分け」で国民の眼をごまかしてきたのだが、自民党・安倍政権は、民主党政権が2010年に非核3原則に関する核密約の存在を明らかにしたのをちゃっかり受け継いで、いよいよホンネ部分を核政策の前面に押し出してきたというのが物事の本質だからだ。
私たちに今必要なことは、「核兵器は『絶対悪』であると訴え続けてきたヒロシマ」(松井市長)の立場(この発言の裏には、広島はもはや日本全体を代表していないという醒めた認識が見え隠れする)をオウム返しに繰り返し、日本政府の態度表明をおざなりかつお決まりの文言で批判することでお茶を濁すというようなことではもはや済まされない、深刻な事態に立ちいたっているという認識を我がものにすることでなくてはならない。さらに、そういう厳しい認識に立って、私たち主権者は今後如何に保守政権の核政策と対峙・対決するのかということを考えなければならないと確信する。本稿は、そういう問題意識を提起することを目的とする。

1.事実関係の確認

(1)説得力ある声明内容

NPT再検討会議準備委員会第2回会合で南アフリカが発表した「核兵器の人道的影響に関する共同声明」は、核兵器がもたらす「壊滅的な人道上の結果」に対する重大な関心に立っている。そして声明は、核兵器がこういう重大な結果をもたらすことは、「核兵器が最初に開発された当時から知られていた」が、「長年にわたる核軍縮及び核不拡散の審議において中心的位置を占めてこなかった」し、「核兵器の議論において一貫して無視されてきた」という重大な事実関係を告発する。そしてさらに声明は、「核兵器の使用及び実験の過去の経験から十分に明らかになっているのは、核兵器の計り知れない、制御不能な破壊力により、容認できない危害が生みだされるということであり」、しかも「核爆発の及ぶ範囲は国境に左右されないので、全人類にとっての重大関心事である」という公知のかつ深刻な問題点を確認している。その上で声明は、「近年になって、核兵器の人道的影響は、核軍縮及び核不拡散にかかわるあらゆる審議の中心にならなければならない、基本的かつグローバルな関心事であるということが認識されるようになっている」と述べる。
以上の認識は極めて正鵠を射ており、核兵器に関する国際的認識のレベルの高さを確認することができる。それはまた、広島・長崎の原爆体験を踏まえた私たちの認識そのものでもある。
以上の正確な認識表明を行った上で声明は、「いかなる状況の下においても、核兵器が再び使用されないことが人類の生存の利益である」という、至極当たり前であるが故にこそ重い提起を行っているのだ。
なお声明は、この文章の後さらに次のように述べて、核兵器の不使用を核兵器廃絶につなげるという課題を提起することも忘れていないことも確認しておこう。

「事故、誤算、あるいは故意のいずれによるものにせよ、核爆発の壊滅的な影響は筆舌に尽くしがたい。この脅威を完全に取り除くために、あらゆる努力が行われなければならない。核兵器が二度と使用されないことを保証する唯一の道はその廃絶のみである。核兵器の使用及びその垂直的及び横断的拡散を防止し、核軍縮を実現することはすべての国家の共通の責任である。」
「この問題(核兵器の人道的影響)は、各国政府にかかわるだけではなく、結びつけられた世界に住む一人一人そしてすべての市民にかかわるものである。核兵器の壊滅的な人道的結果に関する認識を高めることにより、市民社会は各国政府と並んで、我々の責任を果たすことにおいて演じるべき決定的な役割を持つ。我々は、核兵器による脅威から世界を抜け出させるために協働することについて将来の世代に対して責任を負っている。」

ちなみに、声明に賛同する74ヵ国のなかには、アメリカの「核の傘」を受け入れるNATOの加盟国であるデンマーク、アイスランド、ルクセンブルグ及びノルウェーが含まれている。また、チェルノブイリ事故の影響で今日なお苦しんでいるウクライナ及び白ロシア、そして核疑惑をかけられているイランも声明に加わっていることにも留意しておきたい。

(2)日本政府の「声明不参加」

 NPT再検討会議第2回会合において4月25日に演説した天野万利・軍縮会議日本政府代表部大使は、その末尾で声明に言及して次のように述べた。

 「日本は共同声明の内容を慎重かつ真剣に検討した。
 原爆投下を受けた唯一の国家として、日本は核兵器使用によって引き起こされる人道的影響に関する関心を共有する。日本は、共同声明で言及された、核兵器の使用によってもたらされる、直接的危害及び耐えることのできない社会経済的及び世代を跨ぐ被害を含む核兵器の人道的影響に関する基本的メッセージを支持する。
 他方、日本を取り巻く安全保障環境を考慮し、我々は、声明中の記述が矛盾ないかどうかを慎重かつ真剣に検討し、それらの修正について協議を行った。残念ながら、双方にとって合意できる結果がもたらされなかったので、日本は声明に加わらないと決定した。
 日本は、核兵器使用の非人道的結果を他のいかなる国家よりも理解している。我々は、核兵器使用による破壊の実態について、世界及び後世代に対して伝えるという厳粛な責任を果たしていく。」

 声明が示した深刻かつ正確な認識と比較したとき、天野大使発言における、通り一遍で寒々しいまでの官僚臭の強い認識はいっそう際立つものがある。それはともかく、天野大使の「日本を取り巻く安全保障環境を考慮し、我々は、声明中の記述が矛盾ないかどうかを慎重かつ真剣に検討し、それらの修正について協議を行った」、しかし「双方にとって合意できる結果がもたらされなかったので、日本は声明に加わらないと決定した」というくだりは極めて抽象的で、要領を得ない。
だが、同日、菅官房長官は記者会見で次のようにその具体的内容を明らかにした(同日付のNHKウェブ・ニュース)。

 「わが国を取り巻く安全保障環境は厳しいので、『いかなる状況でも』という文言を削除してほしいと働きかけをした。日本の置かれている安全保障の状況を考えたときに、ふさわしい表現かどうかを慎重に検討した結果、賛同することを見送った。」

 天野大使の「それらの修正について協議」という発言からは、日本政府が修正を求めたのは複数箇所あったことが窺われる。しかし、菅長官は、日本政府にとってもっとも問題だったのが「いかなる状況でも(核兵器を再び使用しない)」という点にあったことを明らかにした。要諦は正に、アメリカの拡大核抑止政策にコミットする日本政府としては、アメリカの手を縛るような言辞を弄することはできない(核兵器の使用はあり得る)ということだったのだ。

2.保守政権下の核政策

 私は冒頭で、「日本政府は長年にわたって「ホンネ(対米「核の傘」依存)とタテマエ(非核3原則堅持)の使い分け」で国民の眼をごまかしてきたのだが、自民党・安倍政権は民主党政権が2010年に非核3原則に関する核密約の存在を明らかにしたのをちゃっかり受け継いで、いよいよホンネ部分を核政策の前面に押し出してきたというのが物事の本質だ」と指摘した。戦後保守政権(自社連立政権、民主党政権を含む)のもとでの核政策の推移を確認することで、以上の指摘を裏付けたい。紙幅の制限があるので年代順に概略を示すに留めることを断っておく。
◯ 第5福竜丸事件を契機に1954年に原水爆禁止運動が起こり、1955年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開催されるという、国民的な反核感情が明確な形をとりつつある状況下、1955年3月に鳩山一郎首相は、アメリカから日本での原爆貯蔵の要求があったときはその要求を認めなければならないと、国民感情を逆なでする発言を行った。
◯上記鳩山発言は反核世論の強い反発に遭遇したため、大いに慌てた政府は、同年5月に重光葵外相とアメリカのアリソン駐日大使との間でいわゆる「重光・ハリソン口頭了解」を行い、「在日米軍は日本国内に原爆を保有しておらず、将来も日本の同意なしに持ち込まない」として世論の批判をかわそうとした。
◯しかしアメリカは1957年以後、欧州や朝鮮半島更には沖縄に核兵器の配備を開始したため、日本国内にも核兵器が持ち込まれ、配備されるのではないかという国民的不安が高まり、その不安を鎮めるべく、1957年2月に政府は「核兵器の持ち込みは断る」(国会答弁)と述べることを強いられた。
◯1960年代には沖縄の本土復帰が国内最大の政治問題となったが、世論は圧倒的に「核抜き本土並み返還」を要求し、国会でも様々な議論が行われた。そういう状況を受けて、1967年12月、佐藤栄作首相は国会答弁で、「私どもが忘れてはならないことは、わが国の平和憲法である。また、核に対する基本的な原則である」とした上で、「核は保有しない、製造しない、持ち込まないという核に対する三原則」で日本の安全を考えると発言し、衆参両院は非核三原則に関する決議を行った。こうして「国策」としての非核三原則が定められたのだ。
◯しかし佐藤首相は1969年11月、ニクソン大統領との間で、重大な緊急事態が起きた際の核兵器の沖縄への再持ち込みに応じる旨の核密約を行った。また政府は国会の質疑において、核搭載艦船の日本への入港、領海通過も「持ち込み」に当たるから認めないとする立場を繰り返し表明したが、核搭載艦船の日本への寄港、領海通過は「持ち込み」に当たらないとするアメリカとの矛盾は1980年代には露呈していた(ラロックやライシャワーの証言)。
◯米ソ冷戦終結及び1990~1年の湾岸危機・戦争という国際的出来事は、日本の平和と安全のあり方に関する議論を呼びおこしたが、多くの国民の平和志向を「一国平和主義」と決めつけ、「軍事的国際貢献論」を高唱する自民党政権が主導権を握ることに成功し、1992年のPKO法に基づいて自衛隊の海外派遣への先鞭をつけ、国内における安全保障論議を転換させる突破口を作った。
◯また、自民党を中心とする保守政権は、1993~4年の「北朝鮮の核疑惑」を利用して「北朝鮮脅威論」を鼓吹し、1996年4月には日米安保共同宣言(及びこれを受けた1997年9月23日の日米防衛協力指針(ガイドライン)見直し最終報告)によっていわゆる日米安保の「再定義」を行った。
◯それ以後の国内政治の特徴は、日米安保体制の変質強化(軍事同盟化)を、国内での強い抵抗と煩瑣な手続きを回避するため、日米安保条約の正式な改定によらず、日本の国内法(有事法制)によって受け皿づくりをするという方法で進めるという手法がとられたことだ。こうして、周辺事態法(1999年5月)、テロ対策特別措置法(2001年11月)、武力攻撃事態対処法(2003年6月)、国民保護法等(2004年6月)が作られた。
◯国内の有事法制づくりが一段落した後は、日米両国の外務及び防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(「2+2」)が中心となって、自民党政権の下で、2005年2月19日の「共同発表」を皮切りとし、「日米同盟:未来のための変革と再編」(いわゆる「中間報告」、2005年10月)、「在日米軍再編実施のための日米のロードマップ」(2006年5月)が、また民主党政権の下でも、「共同発表」(2010年5月)、「共同文書」(2012年4月)がそれぞれ作られて、アメリカの世界軍事戦略の下で機能する日米軍事同盟の変質・強化が着々と進められてきた。
◯ちなみに、日米軍事同盟の形成を自画自賛したのが2006年6月のブッシュ・小泉共同声明であり、また、21世紀における日米軍事同盟の役割を自己規定したのが2011年6月の「共同発表:より深化し,拡大する日米同盟に向けて:50年間のパートナーシップの基盤の上に」であった。安倍政権は、民主党政権の下で日米同盟は迷走したとしきりに強調するが、それはまったく事実に反する。
◯本稿の主題である核兵器に関して言えば、米ソ冷戦終結後もアメリカの核固執戦略は微動もせず、「北朝鮮脅威論」、「中国脅威論」を利用して、日本、韓国などの同盟国に対する拡大核抑止政策(「核の傘」)を続けてきたし、有事の際における同盟国への核兵器再配備の可能性を排除していない。そして、以上に述べた有事法制の積み重ねという既成事実に「弱い」国民の間で広まった日米軍事同盟を受容する世論を「追い風」として、2010年3月に民主党政権は、核密約に関する有識者委員会の報告書を公表して核密約の存在を認め、岡田克也外相は、「有事には核持ち込みもありうる」と答弁(衆議院外務委員会)した。その延長線上に今回の問題が位置しているということだ。
 以上のごく簡単なスケッチに基づいて、保守政権の核政策の特徴点として以下の諸点を確認したい。
 第一、戦後の保守政府は早くからアメリカの核政策に対して迎合的であり、受容的であった。
第二にしかし、広島、長崎、第5福竜丸を経験した国民の強い反核感情の盛り上がりは歴代政権として到底無視できず、アメリカの核兵器持ち込みを認めないことを中心とする非核三原則を約束せざるを得ない状況を作り出した。
第三にしかしまた、国民世論は政権をしてアメリカの核政策とキッパリ絶縁させるまでには強力かつ明確なものではなかったために、歴代政権は「ホンネとタテマエの使い分け」という民主国家では許されるはずのない反国民的な政策を行うという苦肉の策を選択することでやり過ごすことになった。だが歴代政権からすれば、このような政策はあくまでも国民世論を無視できない状況下でのやむを得ざる便宜的選択であり、国民世論の圧力が弱まり、変化しさえすれば、ホンネに基づく核政策を行うことを常に意図していたし、また、その機会を虎視眈々と狙ってきた。
第四にしたがって、1990年代以後に顕著になった、以上に述べた日米軍事同盟に対して受容的な世論状況の変化は、政権からすれば正に好機到来であり、それが民主党政権による核密約の公表(及び「有事には核持ち込みがあり得る」という岡田外相発言)となり、更には本稿の主題である核兵器不使用に関する共同声明への安倍政権による不参加表明となっているわけだ。
第五そして最後に、保守勢力の最終的狙いは非核三原則という邪魔な看板を下ろし、アメリカとの核軍事同盟をおおっぴらに推進することにあるのは明らかだ。今後もそのために布石を重ねていこうとあの手この手を画策していることは間違いない。

3.私たちの課題

 今私たち主権者は21世紀における日本の進路をどうするのか、具体的に言えば、日本の平和と安全をどういう中身において実現するのか、という重大な判断と選択を行うべき岐路に立たされていることを認識しなければならない。
 私たちはまず、日本の平和と安全にかかわる政策的選択肢を整理することから着手する必要がある。その場合、タテ軸に核兵器に対する否定及び肯定(その中でも、持ち込み拒否・持ち込み肯定・自前の核武装とに三分される)を、ヨコ軸に武装(軍事力)に対する否定(つまり非武装)及び肯定(その中でも、日米軍事同盟中心・自主防衛とに二分される)をおくことによって合計12の選択肢を設定することになる(表参照)。

           非武装                      武装肯定
     日米軍事同盟中心            自主防衛
                核否定            (平和憲法)           ×         ◯
   核肯定       核持ち込み拒否            ×       (非核三原則)          ×
      核持ち込み肯定            ×       (非核二原則)          ×
      自前の核武装            ×            ×          ◯

 上記の表に関してあらかじめ正確を期して言えば、非核三原則を核肯定の立場で括ることには私自身も若干抵抗がある。なぜならば、反核世論の立場においては元々、核兵器は廃絶されるべきであり、したがって核兵器の使用などはあり得ないし、あってはならないということであり、そのためにも日本への持ち込みなどは許してはならないということだったはずだからだ。つまり、核否定を前提にした非核三原則だったということだ。
しかし、1960年代から90年代にかけて、安保肯定論が国民世論の多数派を占めるようになるにつれて、アメリカの核戦略に目をつぶり、アメリカの「核の傘」に入ることにも違和感を覚えない(むしろ安心感を覚える)状況が次第に形成され、「安保は良いけれども、核の持ち込みはダメ」という形で、「持ち込み拒否」だけが自己目的化することになった。そういう「現実」的多数派世論においては核肯定を前提にした非核三原則ということになっている(もちろん、初心に基づいて、核否定の立場で非核三原則の意味を考える人々が今なお存在することはもちろんだ)。上位表での分類はそういう現実を前提にしていることを断っておく。
 本論に戻る。12の選択肢のうち七つの選択肢は考慮の対象から除かれる。その理由は次のとおりだ。まず、「非武装+核肯定」という組み合わせはあり得ないことは自明だ。次に、「日米軍事同盟中心+核否定」という組み合わせはアメリカの核固執政策から言ってあり得ないし、「日米軍事同盟中心+自前の核武装」という組み合わせも、アメリカが日本の核武装を認めるはずがないからあり得ない。また、日米軍事同盟を拒否する「自主防衛」の立場では、アメリカの核兵器を持ち込むか否かという問題はそもそも起こりえないから、「自主防衛+核持ち込み拒否」及び「自主防衛+核持ち込み肯定」という組み合わせもあり得ない。
結局、私たち主権者にとっての有意な選択肢は、「非武装+核否定」(端的に言えば、平和憲法を支持する立場)、「日米軍事同盟中心+核持ち込み拒否」(現在の多数派世論及び従来の政府のタテマエの立場)、「日米軍事同盟中心+核持ち込み肯定」(政府のホンネの立場)、「自主防衛+核否定」(私の思い違いであってほしいが、長期的には共産党の考え方はこの立場に属する可能性がある)あるいは「自主防衛+核武装」(石原慎太郎流の立場)という五つの選択肢に絞り込まれることになる。
 しかし、核密約の存在が明らかになり、今や安倍政権がアメリカによる核兵器使用の可能性を縛るような政策はあり得ないことを明らかにした今日の状況においては、「日米軍事同盟中心+核持ち込み拒否」(=非核三原則)という国民の多数派が支持する選択肢は考慮の対象から外さなければならないことを認識しなければならない。
 なぜならば、多数派世論の気持ちを有り体にいえば、「アメリカにはいざとなったら核兵器で守ってほしい(汚い役回りはアメリカにお願いする)。しかし、日本に核兵器を持ち込むのは願い下げだ(自分自身はきれいな身でいたい)」と言うに等しいからだ(ちなみに、このような身勝手な論理は、「安保は賛成。しかし、自分のところに米軍基地が来るのは願い下げ」と同じものだ)。アメリカがこのような「身勝手さ」を受け入れるはずはない。また、受け入れないからこそ、佐藤・ニクソンの核密約が行われ、「ホンネとタテマエの使い分け」が行われてきたのだ。菅官房長官の発言は、こういう「身勝手」な国民世論に対する自民党政権による最終的な引導渡しの意味を持つ。
 そこで、残された4の選択肢のなかのいずれを私たち主権者は取るのか。これが私たちの直面する、今や避けて通ることが許されない問題である。そしてこの選択を考える上での最終的な拠りどころが、私たちは広島・長崎の原爆体験を踏まえるのか否かということなのだ。
 「自主防衛+核武装」の選択肢をとるものは、よほど極端な右翼思想の持ち主以外にはあるまい。しかし、「日米軍事同盟+核持ち込み肯定」の選択肢をとるものは、今の安倍政権のみならず、民主党を含め、保守勢力の間では決して少なくないし、国民世論における多数派ですらあることは認める必要がある。しかし、この選択肢をとるものは、「核兵器は絶対悪」(松井広島市長)というようなきれいごとを言うことで、問題の本質から逃げたり、自らの矛盾を取り繕ったりする自己欺瞞はもはややめるべきだ。
しかし、原爆体験を踏まえ、本稿冒頭で取り上げた声明の認識を自らのものとする私たち主権者の選択は、「非武装+核否定」あるいは「自主防衛+核否定」のいずれしかあり得ないことは明らかと言わなければならない。そのいずれを取るかにこそ、私たち主権者の熟慮と決断が求められている(ちなみに、「自主防衛」の立場は憲法改正を前提とすることは改めて言うまでもないが、改憲問題は本稿の主題ではないからこれ以上は立ち入らない)。
最後にひと言。安倍政権がかくも明確に核兵器使用の可能性を排除いない立場を明確にした以上、今年からの8.6式典に「核肯定の首相」を招くことはそれこそ「核兵器は『絶対悪』であると訴え続けてきたヒロシマ」の自殺に等しい。安倍首相を式典に招くことをキッパリやめるか否かに、広島が本当にヒロシマであるか否かが問われている。仮に招くとしても、安倍首相が核否定を明確に明らかにすることを条件とすることが不可欠だ。今年の8.6は広島にとって正念場であることを強く指摘しておく。

RSS