「安倍外交」における国際約束(了解)破り

2013.05.28

*私には安倍外交と呼ぶに足るだけの中身があるとはとても思えないので、「安倍外交」とカッコ付きにするのですが、5月14日から17日にかけての飯島勲・内閣官房参与の朝鮮訪問の顛末を見て、「安倍外交」における非常に危険な要素の存在について、蟷螂の斧に過ぎないことを十分わきまえた上で、指摘しておく必要を感じています。それは、自ら(あるいは自民党政府)が行った重要な国際的(国際的な意味合いを持つ)約束(了解)を彼が平気で破りあるいは無視するという問題です。私の念頭にあるのは、起こった順番でいえば、被拉致被害者の帰国問題(2002年)、尖閣「棚上げ」問題(2012年)、非核3原則問題(2013年)そして今回の飯島参与訪朝問題(2013年)の4つです。
こういう約束(了解)破りは、それだけで日本の対外的信用力を深刻に傷つけるものであり、まともな外交を行う(心掛ける)上では考えられないことです。しかし、「安倍外交」のこの危険性について、国内において十分な認識と危機感が生まれてすらいないので、敢えて一筆する次第です(5月28日記)。

1.過去の3事例に関するまとめ

<被拉致被害者の帰国問題>

 被拉致被害者の帰国問題というのは、2002年の小泉訪朝で平壌宣言ができて、いわゆる「拉致」問題について日朝間に合意が成立し(第3項:「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」)、5人の生存者が「一時帰国」という日朝間の約束に基づいて日本に帰国したのにもかかわらず、安倍官房副長官(当時)の強い主張によって、この約束を無視して5人を朝鮮に戻さなかったことを指します。日朝関係が相互不信のただ中にあるとき、日本が一方的に約束を破るということは、朝鮮の対日不信感をさらに根深いものにするものであったことは言うまでもありません。
 同じように相互不信が充ち満ちている米朝間において、10年以上かけて最終合意の実現を目ざすいわゆる「枠組み合意」が行われた(1994年)のは、上記のケースに対する反面教師としての大きな意味を持っているのです。また、朝鮮半島の非核化実現を目ざすいわゆる6者協議においても、「約束対約束、行動対行動」の原則が確認されたのも、枠組み合意と同じ趣旨に基づくものでした。

<尖閣「棚上げ」問題>

 尖閣「棚上げ」問題というのは、自民党政府が行った日中国交正常化(1972年)及び日中平和友好条約締結(1978年)の際に、「尖閣問題については取り上げない(いわゆる棚上げ)」という日中首脳間で達成された了解について、同じ自民党政府の安倍首相が、「日中間にはそういう合意は存在しない」という前民主党政権からの立場を踏襲して憚るところがないという問題です。私がさらに驚いたのは、米誌『フォリン・アフェアズ』とのインタビュー(5月16日付。原題は"Japan Is Back: A Conversation With Shinzo Abe")で、安倍首相が「我々は、中国側との間で、尖閣諸島の問題を棚上げすることを合意したことはない。我々が過去において合意したというのは中国側の完全なウソだ(a complete lie by the Chinese)」と言い放ったことでした。
 民主党政権が言うのであれば、それは「過去の経緯に対する無知」として大目に見る(?)こともあるいは可能かもしれません。しかし、自民党政権の最高首脳が行った中国最高首脳との了解ですから、同じ自民党政権の安倍首相が「存在しない」ということはあり得ないことです。ましてや「完全なウソ」とまで言い放つとなると、中国としては怒り心頭に発するとしても当然なことと言わなければなりませんし、安倍首相に対する徹底した不信感に塗り固められてしまうだろうことも見やすい道理なのです。

<非核3原則問題>

 非核3原則問題というのは、4月にジュネーヴで開催されたNPT再検討会議準備委員会で、核兵器不使用を呼びかけた南アフリカなどの声明に、日本政府が参加を断ったという問題です。この問題については、すでに執筆を頼まれて一文をモノしていますので、近いうちにこのコラムで紹介するつもりをしています。
ごく簡単に言えば、原爆体験を経験した日本・日本人は、二度と人類が同じ体験を味わうことはあってはならないと願い、その一環として非核三原則を定めたという歴史的な経緯があります。そうである以上、核兵器不使用に関する声明に日本政府が参加するのは至極当然なのです。ところが安倍政権は、日本がアメリカの「核の傘」に入っている(つまり、アメリカの核政策を縛ることはできない)という理由で、この声明への参加を断ったのです。
 確かに非核3原則は日本の国内政策です。しかし、「唯一の被爆国」「非核3原則」は、国際関係における日本の道義的立場を表すシンボル的な意味を持っていますし、「平和国家」日本に対するアジア諸国などの安心感の拠りどころの重要な一つでもあるのです。言うなれば、国際公約の意味を持っています。安倍政権は、そうしたことを平気で足蹴にしたのです。

2.飯島参与の訪朝問題

 飯島参与の訪朝に関しては、日朝関係の打開につながる可能性があるという認識から、日朝関係者の間では評価する向きもあります。また、日本共産党(志位委員長)も「対話に動いたことは、歓迎すべき方向。今後を注視したい」と肯定的に評価したことが報じられました。
 しかし、私は主に3つの点から強い疑問があります。
 第1点は、安倍政権が真剣に日朝関係の打開に取り組む姿勢を窺えず、極めて政略的に日朝関係を利用していることです。その証拠に、安倍首相の発言は最初の段階と最近とでは明確に違うのです。
安倍首相は当初、「拉致」問題解決に資するのであれば金正日との首脳会談の可能性を含む日朝協議も考慮すべきだと明言(5月15日参議院予算委員会)していました。そういう発言の裏には、アメリカ以下の主要関心は朝鮮の核ミサイル問題にあり、日本が主導権を取って動かなければ「拉致」問題が取り残されてしまうという判断がありました(5月20日の参議院予算委員会での発言参照)。
 そして5月22日付の読売新聞HPによれば、菅官房長官は同日午前の記者会見で、日朝政府間協議の見通しについて、「首相はすべての最高責任者で、拉致問題解決に非常に強い意志をもって取り組んでいる。ありとあらゆる可能性を模索しながら、今、交渉に当たろうということだ」と述べ、日本政府として独自に朝鮮との交渉を進める考えを示したのです。
 ところが同じ日に外務省の横井報道官は定例記者会見で次のように述べ、菅官房長官の発言内容を実質的に全否定しました(外務省HP)。

【共同通信】本日、菅官房長官が午前中の記者会見で、北朝鮮の関係で日朝間の対話のあり方について、あらゆる選択肢の中に日朝政府間協議も当然入るという趣旨の発言をされています。この関係でお伺いしたいのは、昨年12月に北朝鮮が事実上の弾道ミサイルを発射して、それによって日本側として、これは日朝政府間協議は続けられないということで、延期を通告したという経緯があったと記憶しています。現時点で、官房長官が言われるような政府間協議の再開を検討するという環境が整っているのかどうか、今の北朝鮮の核・ミサイルへの対応を見て、そういった条件が整っているのかどうか、この点について外務省の見解をお尋ねしたいと思います。
【報道官】この北朝鮮の問題については、我が国として引き続き対話と圧力の方針の下、日朝平壌宣言に基づいて、拉致、核、ミサイルといった諸懸案の包括的な解決に向けて取り組んでいくという方針に変わりはありません。
 特に拉致問題は、断固たる決意の下でありとあらゆる可能性を模索しながら、我が国の総力を挙げて取り組んでいくというのが政府の方針であります。
 今後の外交上の取組について、具体的に明らかにするということは適当ではありませんが、ただし今お尋ねの日朝政府間協議を再開するという具体的な計画があるわけではありません。
 いずれにしても、関係国と密接に連携しながら、いかなる挑発行為も行わず、安保理決議、六者会合共同声明に基づく国際的責務、それから、コミットメントを誠実かつ完全に実施することを北朝鮮に対しては引き続き求めていく考えです。
【共同通信】昨年の野田前政権のもとで決めた日朝政府間協議の延期通告措置、これは現政府、現時点でも引き継がれているのでしょうか。
【報道官】基本的に、今ほど申し上げたとおり、日朝政府間協議を再開するという具体的な計画があるわけではありません。その背後にある具体的な考え方について申し上げることは差し控えたいと思います。

 また同じ日に古屋・拉致問題担当相も、「拉致」、核及びミサイルなどの未解決の問題を全面的に解決し、日朝の不幸な歴史を清算して日朝国交正常化を実現するという日本の立場にはいささかの変化もないと発言しました。
 この時を境目にして、安倍首相は軌道修正を図る方向に舵を切り、5月26日には、「拉致」問題の解決は金正恩と首脳会談を行う上での前提であり、首脳会談のような重要な外交的決断は、拉致問題でしっかりした結論が得られない限り、はじめから行うべきではない、と発言したのです(同日付共同通信)。
 第2点は飯島参与の訪朝を朝鮮が逐一公表したことに関する安倍首相の発言に明らかな、呆れるほかない外交センスの欠如です。共同通信によれば、安倍首相は5月23日の参議院内閣委員会で、朝鮮が飯島訪朝を公開することは予想していたことだ、金正恩に日本側の主張を伝えることは簡単ではないとし、報道されたことによって金永南とも会見したし、それらの内容が金正恩にも伝わることになると説明したのです。
安倍首相の主張に額面どおりに従えば、秘密が保たれていたら、飯島参与は金永南にも会えず、金正恩に報告も上がらなかっただろう、ということになります。そのようなあやふやな判断(端的に言えば、朝鮮が公表しなかったならば、飯島訪朝が朝鮮の官僚レベルで処理される可能性があるという判断)の下で、これから述べる第3点の問題を無視したのであるとすれば、その外交センスの恐ろしいまでの貧困さにのけぞるほかありません。
もう一点つけ加えるならば、公開されたから金正恩に内容が報告されることになったという発想は、朝鮮の政治の仕組みに対する恐ろしいまでの無知をさらけ出しています。安倍首相の特使とでも言うべき飯島参与訪朝を、朝鮮外務省がトップに無断で行うはずがないではありませんか。
 第3点は、制裁をはじめとする対朝鮮強硬外交の必要性をアメリカ以下にもっとも強く主張してきたのはほかならぬ安倍首相自身であるということです。その安倍首相が、アメリカ以下は「拉致」問題に真剣ではないから日本が主導権を取らなければ事態が打開できないという理由(そんなことは前々から分かりきっていたことで、今更始まったことではない!)で、米韓に断りなく秘密外交に突っ走ったわけですから、米韓としては安倍首相は信用できない人物という印象を強めたに違いありません。私が空恐ろしく感じるのは、そういうもっとも基本的なポイントも、目先の利益(巷間伝えられたのは参議院選挙目当ての得点稼ぎ)しか考えられない安倍首相にとっては「取るに足りない」ことだったということです。

<結論>

 私は、外交において、約束(了解)を守るということは基本中の基本だと思います。もちろん、約束(了解)が作られた当時と今日の状況が変わることにより、当時の約束(了解)内容が今日の状況にふさわしくなくなるということはあり得ます。
しかし、そういう場合でも、相手側と交渉してその約束(了解)を変えるというルールを守ることが不可欠です。自分にとって気に入らない(都合が悪くなった)からその約束(了解)を破る(無視する)ということは、ガキではない外交の世界では許されないのです。「安倍外交」の危険性はこの最低限の基本ルールすら分かっていないということです。
 もっとも、国際約束を軽んじる傾向は安倍首相だけのものではないという経験を、私は何度も味わっています。尖閣の領有権はポツダム宣言第8項で国際的に決着済みで、日本がシノコノ言っても始まらない、というお話を様々な集会でするのですが、往々にして会場から出される疑問は、「ポツダム宣言の内容には納得(同意)できない部分もあり、決着済みという話にも納得できない」というものです。こういう発想は安倍首相のそれと基本的に同じです。
 しかし、日本はポツダム宣言を受諾し、その内容を忠実に履行すると連合国に対して約束した(昭和天皇の終戦詔書及び降伏文書)ことによって降伏し、連合国もその約束を受け入れたからこそ戦争終結に応じたのです。ポツダム宣言の内容に気に入らない部分があるとしても、日本が勝手に無視することは許されるはずがありません。せいぜいできることは、ポツダム宣言の当事国(連合国)に対してその内容を変更することを申し入れるということであり、その場合も当事国(連合国)が日本の申し入れに応じる場合にのみ、その内容変更について交渉できることになるのです。
相手(連合国)が日本の申し入れを拒否する場合には、日本としては、もう一度惨憺たる戦争を覚悟しない限り、ポツダム宣言を破棄することはできません。外交上の約束(了解)を作るということはそれだけ重い意味を持つことなのです。
 私は、安倍首相が政権にある間にさらに約束(了解)破りを重ねることがないことを願うほかありません。しかし、安倍首相に生まれ変わりを期待するのは不可能ですから、彼ができる限り速やかに退陣せざるを得ない状況を作り出すことが、私たち主権者にとって日本の対外的ダメージを最小限に抑える唯一の決め手でしょう。

主権者よ、奮起せよ!

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