朝鮮半島情勢:「北朝鮮脅威論」の虚構性

2013.05.18

*5月11日にある集会でお話しした内容がテープ起こしされて送られてきたので、それに最低限の修正と補足を加えたものを紹介します(5月18日記)。

はじめに

話をはじめる前に一つお断りしておく必要があるのは、私は朝鮮問題の門外漢であり、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のことについて深い理解があるものではない、ということだ。私は外務省アジア局にいた頃、中国との関わりから朝鮮半島情勢について興味があり、韓国勤務を希望したこともあるのだが、結局、韓国に出張することもなかった。朝鮮半島で最初に訪れたのは平壌で、それは大学の世界に入ってからだった。ちなみに、これまで平壌に2回、韓国にも2度訪れただけだ。
私が朝鮮及び朝鮮半島に強い関心を持つに至った直接のきっかけは1994年に朝米間でいわゆる「枠組み合意」というものができたときだ。
朝鮮のいわゆる「核疑惑」をきっかけに、93~94年にかけて第二の朝鮮戦争かとも言われた非常に緊迫した事態になった。当時はクリントン政権だったが、朝鮮をぶっ叩くという物騒な話になって、明日にでも日本が米軍の発進基地になるかという緊張状態になった。日本の当時の報道はそういう緊迫感がなく、ただただ「北朝鮮はけしからん」という論調だけで、その時に実際にあった非常に緊迫した情勢というのはほとんど国民には知らされなかった。しかし、アメリカは最終的に日本が発進・兵站基地として機能する体制ができていないことを思い知った。なぜならば、日本には有事法制がなかったから、米国が戦争しようとしても、日本が手伝いする仕組みがない状態だったからだ。この苦い体験から、アメリカは日本に対して有事法制づくりを要求することとなった。
さて、当時その米朝間の枠組み合意を読んで、私は非常に驚いた。いまだかつて見たことないような形式と内容の協定だったからだ。私が何より驚いたのは、こういう協定を超大国の米国との間でやってのけた朝鮮の外交力についてだった。朝鮮の外交力にはただならぬものがあると感心した。私も外務省にいたときは条約局で仕事したこと経験があるから、アメリカを相手にこういう取り決めを作り上げる能力を持っている朝鮮はたいしたものだと思った。そのことが、私が朝鮮への関心を持つことになった大きなきっかけだった。
もう一つ、私が朝鮮問題に深入りしていくこになったのは、2002年の平壌宣言後の日本社会の異常さを痛感したことだ。平壌宣言では、いわゆる「拉致問題」に関して、朝鮮がこれからはそういうことをしないという約束をしたこと(第3項)で決着したはずだったのに、日本政府は、そのとき一時帰国という合意で帰国した5人を、当時の安倍副官房長官のごり押しで、その合意を破り、朝鮮に帰さないというとんでもないことをやった。朝鮮からすれば、日本は信用できない国だ、国際約束を平気で足蹴にする国だ、というイメージを持っただろう。それにもかかわらず、それ以後国内では完全に「北朝鮮は悪者」というイメージがはびこって、いま私たちが目にしている朝鮮に対する憎悪――「北朝鮮脅威論」ならまだ理を尽くせば話を戻せるが-が支配するようになった。そうなるともう感情論が支配する世界ということで、どうしようもない。こうした異常な日本を目の当たりにしたことが、私が朝鮮問題をしっかり見ないといけないと思った今一つの原因となった。
2003年に朝鮮半島の非核化をテーマとする6者協議が始まった。私はこの協議については綿密にフォローしてきたつもりだが、ここでも朝鮮の高い外交能力に感心した。6者協議といっても要するに1対5だ。私がよく喩えるように朝鮮をハリネズミとするならば、他の5ヵ国は猛獣だ。ハリネズミが孤軍奮闘してものすごい交渉能力を発揮してきたのが6者協議だ。
ふつう国際約束とは「これこれをしましょう」という合意をする内容のものだ。しかし、相互不信のかたまりである相手同士の間では、おたがい約束するだけでは本当に約束した中身が実現できるかどうかは分からない。
1994年の枠組み合意は、ひと言でいうならば、要するに積み上げ方式というものだ。自分たちがこれをやったらあなたは次にこれをやりなさい、それを見届けたらこっちも次のことをやる、というやり方だ。枠組み合意は、その積み上げを10年かけてやっていって最終目的に到達するという内容だった。10年間、おたがい約束を違えず履行していけば、その間に相互不信を払拭することができるだろう、という考えが入っている。その考え方は、6者協議で朝鮮が力説した「言葉対言葉」「行動対行動」「約束対約束」につながっており、米国をはじめとする5ヵ国に対してこの方式を受け入れさせた朝鮮の外交の力量は生半可なものではないことが分かるし、その外交力には敬服置くあたわざるものがある。
ただし皮肉な言い方をするならば、朝鮮には外交力を除いたらなにもない。他に何か拠る手がかりがあるならば、それに依拠して他の5ヵ国に対して力むこともできるが、何もないのだから、約束したことは必ずやる、ということを示す以外ない。アメリカや日本は約束したことを平気で破るが、そんなことを朝鮮がやったら、それを口実として朝鮮に対して実力行使ということだってありうる。だから朝鮮としては言ったことは守らざるを得ない。それが朝鮮にとって生き残りをかけるもっとも確実な手がかりとなっているのだ。
私は約20年間朝鮮外交を観察してきたが、私が見る限り、朝鮮が約束を破ったことは一度もない。正に有言実行なのだ。したがって、ウェブサイト『朝鮮中央通信』に出ている日本語版の文献を克明にフォローすることにより、朝鮮の外交的な出方についてもある程度予測がつく。外交実務をやってきて、大学で国際関係論をやったものとして、朝鮮外交は非常に研究するに値する対象だ。私は朝鮮が好きとか嫌いとかという次元で話をするつもりはない。私が心掛けているのは「公正でありたい」ということだ。色眼鏡で物事を見ることだけは慎みたい。あくまでも国際関係論、外交論の対象としての朝鮮として、私の以下の話を聞いていただきたい。

朝鮮の人工衛星打ち上げと核開発

まず、「朝鮮の人工衛星打ち上げと核開発」という問題について触れたい。この問題には二つの内容がある。一つは「朝鮮の核・ミサイル政策の政治軍事的本質」という問題だ。もう一つは、「朝鮮の核・ミサイル政策の国際法的側面」だ。この二つの側面をしっかり分けて考察すれば、「北朝鮮脅威論」が如何にためにするものであるかということが分かると思う。
まず政治軍事的本質についてだが、これについても、「対米抑止力及び交渉力の構築」という問題と、「核・ミサイル問題の宇宙開発的側面」という問題との二つの側面がある。この二つを混同してしまうと、今日本で見られるような好戦的な議論が起きてしまう。だからそれを分けなくてはならない。
まず「対米抑止力及び交渉力の構築」という問題についてだが、これも「抑止力」と「交渉力」の二つの問題に分けられる。
朝鮮としては、米国が朝鮮に対して戦争を仕掛けることを思いとどまらせるために、核兵器を開発した。それが対米核抑止力だ。これまでの朝鮮は、38度腺に重火器を集中させて、それを抑止力として機能させてきた。最近ペンタゴンが出した朝鮮の軍事力に関する年次報告にもあるが、38度腺沿いに朝鮮の火力(大砲や多連発火砲)の70~80%が集中しているという。アメリカが戦争を仕掛けるときには、朝鮮はその火力でソウルを火の海にすることができる。
韓国の人口の大半が住むソウルを犠牲にしてアメリカが朝鮮に戦争を仕掛けることは、とてもではないがありえない。私は今日でも、それだけで朝鮮の抑止力として十分だと思うが、朝鮮としては湾岸戦争以降、米国がハイテク戦争の破壊力を高めたことに脅威を感じているのだと思う。38度腺沿いに重火器を集中させ、しかもそれを地下化しているので、そう簡単に米国にやられるとは思えないが、朝鮮からすれば、ソウルを火の海にする前にその能力を緒戦で叩き潰される恐れを感じているのではないだろうか。そうするとソウルを人質にするだけでは不安だという考えが出てきてもおかしくない。そこで、アメリカに対する抑止力をより確実なものとするために、核ミサイル開発を急ぐことになったのではないかと推察される。
なお、貧弱な国力からいって、朝鮮はアメリカ全土を灰にするだけの豊富な核戦力を持てるわけがない。朝鮮が考えているのは「最小限核抑止力」というものだ。朝鮮としては、アメリカに対して核ミサイルで先制攻撃をしかけるだけの意思も能力も持たないし、持ちえない。しかし、アメリカが攻撃してきたら、報復攻撃として韓国あるいは日本を道連れにするに足る限定的な核戦力を持つことは可能だ。アメリカからすれば、同盟国の日本、韓国が報復的核攻撃の対象となることは、サンフランシスコをやられてしまうのとほぼ同義だ。だから、朝鮮に対する先制攻撃を思い止まらざるを得ない。それが「最小限核抑止力」という考え方のエッセンスだ。
この最小限核抑止の考え方のポイントは、こちら(朝鮮)から相手(アメリカ)に対して先制攻撃を仕掛けることは絶対ありえないということを、アメリカに対して明確に得心させるという点にある。私たち(朝鮮)からは戦争を起こすことはあり得ない、しかしあなた(アメリカ)が戦争を仕掛けてくる場合には、アメリカが到底呑みこむことができないだけの犠牲を払わせることになるがそれでもいいのか、ということだ。
「脅威」と「抑止」とは似て非なるものである。「脅威」というのは攻撃する意思と能力を持つ場合に成立する。しかし、攻撃する意思と能力を持たなければ、軍事的な「脅威」とは言えない。攻撃する意思と能力はないが、反撃する意思と能力を持つ場合に、軍事的な「抑止」が成立する。以上から明らかなとおり、朝鮮は脅威ではあり得ない。だから「北朝鮮脅威論」というのは、軍事的にはまったくナンセンスであり、まったくの虚構に過ぎないということが分かるはずだ。
ただし一点だけ補足しておく必要がある。今回、朝鮮半島が非常に緊張した事態になったとき、朝鮮が「核先制攻撃」という言葉を使ったので、私もさすがに驚いた。もし本気であるとすると、それはむざむざ自滅を覚悟しているということになる。しかし、その頃のかれらの発言をフォローしたところ、どうもそういうことではなかった。やはり根底には最小限核抑止の考えが働いていることが確認できた。
もう一つの「交渉力」という点に関しては、核戦力を構築することによって最小限の対米抑止力を備え、対米交渉力を増すことを朝鮮が狙っているのは明らかだ。つまり、アメリカに対して軍事的「解決」はありえないことを認識させ、外交交渉で問題を解決する方向に引っ張り込もうとしている。
朝鮮はとにかく米軍との休戦協定を平和協定に変えたい。究極的には朝米国交正常化に持ち込みたい。それが狙いであることは明確だが、そのための取引材料として核抑止力を位置づけているということだ。

核・ミサイル問題の宇宙開発の側面

次に、「核・ミサイル問題の宇宙開発の側面」という問題について話す。
人工衛星打ち上げ用のロケット技術はミサイル開発の一環として行われるというのがほとんどの国がたどる道だ。つまり、宇宙開発はミサイル開発とほぼ同義だ。しかし、朝鮮は宇宙条約に認められた国際法上の権利を行使しているのだと言っている。この問題をどう理解するか。
宇宙条約には「すべての国がいかなる種類の差別もなく、平等の基礎に立ち、かつ国際法に従って、自由に深査し及び利用することができる」(第1条)とある。すべての国に無条件で認められた権利ということだ。朝鮮だけはダメだという理屈はでてきようがない。それを安保理決議が無理矢理「挑戦だけはダメだ」とするから、朝鮮が反発しているのは当然だと言わなければならない。これは、国際法では許されてはならない典型的な二重基準だ。
朝鮮は「今回の緊張激化の発端は、当初からして米国がわれわれの平和的な衛星打ち上げの権利を乱暴に侵害したことにある」(4月18日付朝鮮外務省スポークスマン声明)とし、これが第3回核実験を行った原因だと主張している。朝鮮の主張には無理がない。
軍事的な核ミサイル問題と平和的な人工衛星打ち上げ問題は分けて考えなければならない。将来的に朝鮮半島情勢が解決に向かうときにも、おそらく朝鮮は人工衛星打ち上げの権利を放棄することは絶対にのまないだろう。それは、宇宙条約がすべての国に認めている権利を放棄するということだからだ。
私たち第三者の立場からいっても、大国の権力政治の前には宇宙条約という普遍的・原則的な条約も紙切れ同然という話になるから、仮に朝鮮がそういう大国の圧力に屈するような弱腰になろうとしても、国際世論の力で朝鮮の主張を支えなければならない。大国が安保理決議でごり押しすることに対しては、それこそ国際世論を糾合して反対しなければならないのだ。

朝鮮半島情勢打開の可能性

次に、「朝鮮半島情勢打開の可能性」に話を移したい。国際関係論ではとにかく他者感覚を働かさなければならない。「自分がこうしたい」だけで突っ走るのはダメなのだ。相手が何を考えているかを限りなく相手の立場にたって考え、その考えを洗い出して整理することが大事だ。その上で日本の立場はどうなのかを考え、どこで折り合えるかを探るのが外交だ。
自分と相手で50対50という結果になれば過不足がない。55対45で55も取れれば外交的勝利だ。相手の立場を考えてここまでが歩留まりだという見きわめが必要なのだ。
そういう視点から朝鮮、韓国、アメリカ、中国、ロシア、日本の立場を見てみたい。
金正恩が出てきたとき、私は正直「大丈夫なのか、持たないのではないか」と思った。しかしもう一年以上になるが、波乱なく乗り切ってきている。軍のトップのすげ替えというすごいことまでやりきった。4月19日付の『朝日新聞』(夕刊)に載っていたが、アメリカ国防省の国防情報局が議会証言のために提出した書面における評価結果においても、「故金日成主席に似た思いやりがあり、断固としたリーダーとして(国内で)描かれ、父にないカリスマ性を持っている」とあるそうだ。そして金正恩体制は最近、経済建設と核戦力建設を併進する戦略的路線を法制化した。
韓国の朴槿恵大統領は、「朝鮮の国力では核と経済は両立しない、だから核を放棄しろ、それ以外に朝鮮の道はない」と主張している。私自身はこういう言い方はしない方がいいと思う。はじめから喧嘩を売っているようなものだからだ。しかもそれを訪米中に発言していることに、朝鮮はますます食えないものを感じているだろう。にもかかわらず、朝鮮は訪米後の朴政権をなお慎重に見守るという趣旨の発言をしているので、とりあえずほっとしているところだ。
朝鮮の対外政策についてはかなり不安材料がある。とくに、先行きが見えない対中関係は、これからの大きな鍵になると思う。私の中朝関係への懸念は、ここ数日来報道されている中国の4大銀行が、対朝鮮取引を停止したということでも増幅されている。この微妙な時期に、中国がこのような行動に出るのはまずいと思った。中国にしてみれば朴槿恵訪米にあわせてやったのかもしれないが、そうだとすればなお悪い。そこに中国外交の怪しさを感じないわけにはいかない。
次に朝鮮にとって、対米関係は常に綱渡りだ。すでに述べたように、朝鮮には頼るカードが外交しかない。核抑止力はいまだ発展途上で、完全なものではない。
またアメリカは、クリントン政権でもブッシュ政権でも対朝鮮政策のブレが激しかった。どちらも第一期ではたいへん強面だったが、第二期の終わりごろになると融和的になっていた。それが偶然なのかどうかよく分からないが、オバマ政権も第二期に入ったので、朝鮮としてはその先行きが非常に読みにくいだろう。朝鮮としては、外交とクエスチョンマークの付く核抑止力しかカードがないから、目標としている朝米平和協定と国交正常化に到達するにはどうすればいいか、本当に難しい。
南北関係(対韓問題)については、朝鮮としては、朴槿恵政権がアメリカに対して自主性を持つ政権かどうか、ということが見極めのポイントだろう。朴槿恵の今度の訪米で米韓関係の緊密さが盛んに強調されたので、朝鮮は朴槿恵政権を見限るのではないかと懸念したが、朝鮮としてはなお関心を持って見守る、という立場を維持することを明らかにしたので、朴政権の評価について、朝鮮としてはまだ答えを出していないということだろう。6月に朴槿恵は訪中するが、これが次の当面の見どころだと朝鮮は固唾をのんで注視しているところだろう。
日本については、朝鮮は見限っていると思う。相手にする気がない。拉致問題のことしか言わない日本と話し合っても埒があかない。またロシアについては、アメリカ、中国に比べれば重要度は低いが、朝鮮としては無視するわけにはいかない。なぜかと言えば、ロシアは安保理常任理事国だからだ。しかも安保理では中国以上に朝鮮に対して厳しい。また、6者協議プロセスにロシアはきわめて積極的だ。そしてロシアの極東経済開発は、朝鮮にとって外貨獲得に非常に重要な意味を持っている。日本よりはるかに重要な存在だ。
こういう様々な要素を考えながら、朝鮮半島情勢について考える必要がある。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」式で無責任なことをいう「専門家」が多いが、朝鮮半島情勢を考える上では、これらの多岐にわたる要素を考えないと正確な判断はできないことということは分かってほしいと思う。
(韓国及びアメリカについて説明した後、中国に関して)中国については、いま国内で朝鮮に対する百家争鳴の世論状況がある。朝鮮戦争当時の「血の同盟」という認識が薄れてきている。朝鮮はけしからん、という議論も出てきている。去年末までの中国の国際問題専門家の議論を見ていると、まだ朝鮮の情勢を正確に認識し、理解したうえで発言するものもたくさんあったが、今年に入ってそういう人たちの文章がめっきり減って、朝鮮に対して強い意見を持っている人が議論を支配するようになっていることに懸念を持っている。
また、中国は安保理の常任理事国で、アメリカと韓国にも考慮して動いている。問題は中国が、自分が安保理の常任理事国である重みをどう理解しているかだ。たとえば、リビア問題で軽々にアメリカに同調したために、カダフィ政権が崩壊に追い込まれてしまったことに、中国はすごいショックを受けている。下手をすると安保理は何をやりだすか分からないという警戒感を持った。だからシリアの問題でも、中国・ロシアが反対して安保理決議ができない状況が続いている。安保理決議がとんでもないことをしでかしてしまうことが朝鮮問題でも起こりうることを、中国がしっかり考えるようにならないと、今後の情勢の展開について安易な楽観はできない。私自身は、安保理が主体となって朝鮮問題をやっていてはいけないと思う。やはり6者協議に戻ることが大事だ。そのためにも、中国が大きな力を発揮することが必要だ。

朝鮮問題と日本

朝鮮問題に関しては、要するに日本は影が薄い。どこの国からも相手にされない存在になっている。それだけならまだ許せるが、実は朝鮮半島に平和と安定をもたらすうえで、日本は非常にマイナス要素となっている。伝統的かつ牢固とした朝鮮蔑視、深刻な歴史認識、領土問題に対する頑迷な立場、感情的(右翼小児病的)な対朝敵対姿勢、「北朝鮮脅威論」を利用する軍事大国化への策動、それから6者協議に対する具体的な妨害者となっている等々。日本は6者協議に対して一貫した消極的、妨害的な姿勢を取っており、例えば9.19合意で朝鮮に対して原油を提供するという約束もまったく果たしていない。アメリカですら60%は履行したのに、ゼロ回答は日本だけだ。
それから、いわゆる「拉致問題」を理由として日朝交渉を拒否している。日朝国交正常化については、9.19合意の第2項で、朝鮮と日本が平壌宣言に従って国交を正常化することを約束している。安倍政権を含め日本政府は、「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」と言ってきているが、被拉致生存者の帰国問題というのは平壌宣言に書いてあることではない。日本が勝手に言っていることだ(注)。
もちろん私も、拉致されて朝鮮で生きている人がいて、日本に帰りたいと思っているなら帰すべきだと思う。しかし、それと平壌宣言と設定された国交正常化の枠組みとは別物だ。国交正常化交渉とは別立ての外交交渉としてやることだ。そういうけじめをつければ朝鮮は乗ってくるだろう。
とにかく日本の外交は見ていられない。安倍政権の外交に、「何を言っているんだ」というまともな議論が国内で出てこない限り、朝鮮からは相手にもされない状況が続くだろう。「私たちは何をなすべきか」ということで言えば、こんな異常な国内世論をどうやって健全化させるのかというのが最大の課題だと思う。

(注)安倍政権は、5月中旬に飯島勲・内閣官房参与を訪朝させたが、この行動は如何なる意味においても最低最悪の評価を免れない。特に次の2点は致命的だ。
第一、安倍政権は従来、米韓以上に朝鮮に対して強硬姿勢で臨んできており、しかもその必要性を米韓に説いて止まなかった。その安倍政権が、ひたすら「拉致」問題打開のために、米韓に無断で投機的な行動に出たということは、当然ながら米韓両国から厳しい批判と不信を招く結果になった。この外交的オンチさには目を疑う。
第二、安倍首相には、外交における信義の重要性ということに対してまったく無関心であり、冷笑的ですらある。2002年に拉致被害者5人の一時帰国という約束を破って朝鮮に戻さなかったのは、当時の安倍副官房長官の主張によるものだった。尖閣問題に関する日中間の「棚上げ」合意を反故にして顧みないのも安倍首相である。そして今回、米韓との協調体制を平気で足蹴にして、参議院選挙目当ての行動に走った。ここまで来ると、安倍首相には外交担当能力は欠落していると言わざるを得ない。

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