朝鮮の核問題:まだ失われていない可能性

2013.02.14

*2月12日に発表された朝鮮外務省スポークスマンの談話において、「もともと、われわれには核実験を必ず行うべき必要も計画もなかった」というくだりがあるのを見て、中国の外交的努力によっては朝鮮の今回の第3回核実験を回避する可能性はあったのではないか、という思いを改めて禁じえませんでした。
もちろん、アメリカの対朝強硬政策が変わらない限り(つまり、休戦協定を平和協定に変えること、ひいては米朝国交正常化交渉に応じない限り)、朝鮮が核ミサイル計画を推進する政策を放棄することはあり得ませんし、したがって核弾頭の小型化、高性能化のための核実験を行う朝鮮の政策にも変わりはないのです。しかし、朝鮮の人工衛星打ち上げに対する国連安保理決議採択を中国が阻止する断固たる姿勢を堅持し、その結果として米韓が決議採択を固執しなかったならば、朝鮮が第3回核実験を行うことを先延ばしすることはできたのではないか、と思うのです。
そんなことは大したことではないのではないか、と思われるかもしれません。しかし、私はそうは思いません。米中韓の新政権就任(アメリカは第2期オバマ政権の発足)の機会を捉えて6者協議を再開し、朝鮮半島非核化、米朝関係改善、南北関係改善のプロセスを起動させることにつなげる(そうなれば、頑迷な日本外交も軌道修正を迫られる)ことが期待できるからです。このプロセスが動き続ける限り、朝鮮は核ミサイル計画を自制することは十分期待できますし、プロセスが成果を収めれば、朝鮮半島非核化の一環として、朝鮮が核ミサイル計画を最終的に放棄することにつながるということになるのです。
私はいま、以上のことを改めて確認しておきたいのです。なぜならば、今回の朝鮮の第3回核実験後の米日韓主導による事態悪化を阻止し、朝鮮半島ひいては東北アジアの平和と安定を実現するためには、中国外交が核実験によるダメージを最小限度に食い止める(朝鮮の「強硬に対しては超強硬で対応する」動きを抑制する)ために果たす可能性はなおあり、その役割は極めて大きいと思うからです。
朝鮮に対する国際制裁が朝鮮の軌道修正に対して効果がないことは明らかです。そして、仮に朝鮮に対して打撃を与えるほどの厳しい制裁措置が講じられるとしても、誇り高い朝鮮がそれに屈伏して政策を全面的に見直す可能性は乏しく、むしろあり得る最悪の事態は戦争へのエスカレーションか朝鮮半島情勢の大混乱かということでしょう。いずれにしても朝鮮半島ひいては東北アジアの平和と安定が根底から揺るがされる事態になることは明らかです。そのような事態は、米韓を含め誰もが望んでいないでしょう(ひとり安倍政権及び日本の右翼小児病患者を除き)。中国は他の誰にも増して朝鮮半島ひいては東北アジアの平和と安定を望んでいるはずです。中国外交はこの根本的な出発点にあくまで固執するべきです。
以上の認識に基づいて、朝鮮の発しているメッセージの所在を明らかにし、中国のあるべき対朝鮮半島政策に関する私の考えをまとめて指摘しておきたいと思います(2月14日記)。

<朝鮮の政策と事態の進展に関する確認>

 昨年のコラム「朝鮮の人工衛星打ち上げと中国」のなかで、私は、昨年12月12日の人工衛星打ち上げに際して朝鮮外務省スポークスマンが行った次の発言を紹介しました。

米国は、去る4月の衛星の打ち上げの時も、敵対的な過剰反応を見せてわれわれをして核問題を全面的に再検討せざるを得なくしたことがある。
 敵視観念は誰にも役に立たず、対決によってはいかなる問題も解決することができない。
 われわれは、すべての関係側が理性と冷静を堅持して、事態が不本意ながら誰も望まない方向に広がらないようになることを願う。

 私は以上の発言について次のように記しました。

「対決によっては如何なる問題も解決することができない」という言い方は極めて穏やかですし、そこから「すべての関係者が理性と冷静を堅持」することを呼びかけ、「事態が不本意ながら誰も望まない方向に広がらないようになることを願う」と述べているのは、私の貧しい記憶に基づく限り、これまでになかったような内容です。要するに、米日韓主導による安保理によって強硬な制裁措置が講じられるようなことがなければ、朝鮮としては「不本意」な「誰も望まない方向」に走ることはない(つまり、核実験を今すぐ行うということはない)、というメッセージを発していることは明らかだと思われます。逆にいえば、もし中国が米日韓に同調するようなヘマをすれば、朝鮮が第3回核実験に走ることはあるというメッセージでもあると思います。

 しかし私にとって極めて意外だったのは、中国は、安保理決議採択にあくまで抵抗するということではなかったことが中国側報道から読み取れたことです。むしろ中国は決議の内容をなるべく緩やかにすることに重点を置き、米韓に最終的に同調して安保理決議2087の成立に賛成票を投じました。この中国の行動に対する朝鮮の怒りは、1月24日の朝鮮国防委員会の声明が、名指しこそ避けたものの、中国の行動を次のように非難したことに歴然としていました。

 世界の公正な秩序を立てるうえで先頭に立つべき諸大国まで気を確かに持てず、米国の専横と強権に押さえられて守るべき初歩的な原則もためらうことなく放棄している。

 このくだりは中国でも驚き(及び腹立たしさ)をもって受けとめられたことについては、私もコラムで紹介したところです。そういう一連の背景のもとで、2月12日に発表された朝鮮外務省スポークスマンの談話の次のくだりを読む必要があると思います。

 もともと、われわれには核実験を必ず行うべき必要も計画もなかった。
われわれの核抑止力は、すでに以前から地球上のどこにあっても侵略の本拠地を精密打撃して一挙に掃滅できる信頼性のある能力を十分に備えている。…
  昨年4月、米国が国連安全保障理事会を盗用してわれわれの平和的衛星の打ち上げに言い掛かりをつける「議長声明」というものをつくり上げた時も、われわれは最大限の自制力を発揮した。
しかし、米国が再びわれわれの衛星打ち上げの権利を乱暴に侵害し、それに対して謝罪する代わりに、むしろ国連安全保障理事会の「制裁決議」を他国よりも先に履行に移すなど敵対の度合いを高める以上、われわれの忍耐性も限界に至ることになった。
今回の核実験の主な目的は、米国の白昼強盗さながらの敵対行為に対するわが軍隊と人民のこみ上げる憤怒を示し、国の自主権をあくまで守ろうとする先軍朝鮮の意志と能力を誇示するところにある。

 「もともと、われわれには核実験を必ず行うべき必要も計画もなかった」という発言は、昨年12月12日の「われわれは、すべての関係側が理性と冷静を堅持して、事態が不本意ながら誰も望まない方向に広がらないようになることを願う」という一節に対応するものであることは明らかだと、私には思われます。つまり、「誰も望まない方向」とは安保理決議の採択を指しており、このようなことがなければ、朝鮮が核実験に踏み切る「必要も計画も」なかったということです。  細かくいえば、「われわれの核抑止力は、すでに以前から地球上のどこにあっても侵略の本拠地を精密打撃して一挙に掃滅できる信頼性のある能力を十分に備えている」とする外務省スポークスマンの発言は明らかに強がり(虚勢を張っている)でしょう。そのことは、同日の朝鮮中央通信報道が、「爆発力が大きいながらも小型化、軽量化した原子爆弾を使って高い水準で安全かつ完ぺきに行われた今回の核実験」という意義づけを行っていることからも直ちに明らかです。
もう一つ細かいことながら興味深いのは、昨年12月12日の朝鮮外務省スポークスマン発言が「米国は、去る4月の衛星の打ち上げの時も、敵対的な過剰反応を見せてわれわれをして核問題を全面的に再検討せざるを得なくしたことがある」としていたのに対し、今回2月12日の談話は、「昨年4月、米国が国連安全保障理事会を盗用してわれわれの平和的衛星の打ち上げに言い掛かりをつける「議長声明」というものをつくり上げた時も、われわれは最大限の自制力を発揮した」としていることです。
私は昨年書いた上記委コラムにおいては、次のように記しました。

 2010年4月の衛星打ち上げの時に、アメリカが「過剰反応を見せてわれわれをして核問題を全面的に再検討せざるを得なくしたことがある」というくだりは 恐らく、アメリカが人道援助の約束を履行しなかったことを指していると思われます。ただ、そのことによって「核問題を全面的に再検討せざるを得なくなった」というスポークスマン発言の趣旨は、私にはよく理解できていません。

 今回の談話と合わせて読むと、2010年4月に朝鮮が「核問題を全面的に再検討せざるを得なくなった」とした意味は、議長声明に対抗して核実験を行うかどうかの「再検討」だったこと、しかしそのときは「最大限の自制力を発揮」して第3回核実験を行わなかった、ということだったことが分かります。
 しかし、本筋の話としては、朝鮮としては、日本内外の一般的受けとめにあるような「衛星打ち上げ→核実験」をパッケージで考えていたわけではないことは確認できるのです。つまり、安保理そしてそれを動かすアメリカの対応如何によっては、というより、中国が以上の朝鮮のメッセージを正確に受けとめ、そのメッセージを以て米韓に対する説得を行っていたならば、つまり、安保理決議を強行しないことこそが朝鮮の核実験を抑制させる所以であることについて米韓に対して理を尽くし、安保理決議採択に拒否権行使を辞さない確固たる態度で臨んでいたならば、事態は異なる方向に進んでいた可能性が大きかったということです。
 残念ながら、中国の対応は、私がコラムで紹介してきたとおり、朝鮮のメッセージを受けとめた上でのものではなかったようですし、安保理決議後の朝鮮の強硬な対応に接しても、中国外交のあり方について反省する趣旨からの中国国内の論調は今のところありません。むしろ、中国はこれだけ朝鮮のために努力してきたのに、朝鮮はそのことを評価していないという恨み節が出ていますし、朝鮮の核実験に対しては中国も制裁を強化すべきだ(もちろん、米日韓に同調することは論外)だという強硬論が環球時報社説に現れているという状況です。

<朝鮮の発している新たなメッセージ>

 もう一度2月12日の朝鮮外務省スポークスマンの談話を見てみます。私は次のくだりを重視します。

 今回の核実験は、われわれが最大限の自制力を発揮した1次的な対応措置である。
米国があくまでも敵対的に出ながら情勢を複雑にするなら、より度合いの強い2次、3次の対応で連続措置を講じざるを得なくなるであろう。
敵対勢力がけん伝する臨検だの、海上封鎖だのというものはすなわち、戦争行為とされ、その本拠地に対するわれわれの無慈悲な報復打撃を誘発させることになるであろう。
米国は、今でもわれわれの衛星打ち上げの権利を尊重して緩和と安定の局面を開くか、そうでなければ対朝鮮敵視政策をあくまで追求して情勢爆発に向けた現在の誤った道を引き続き歩むかという両者択一をすべきであろう。

 私は、以上のくだりに朝鮮のいくつかの重要なメッセージを読みとらなければウソだと思います。まず、アメリカが「あくまで敵対的に」「情勢を複雑にする」ならば、朝鮮は「より度合いの強い2次、3次の対応」をするというのは、裏返せば、アメリカがそうしなければ朝鮮も自制するというメッセージであることは見やすい道理です。
そのことは、それに先立つ「今回の核実験」は「最大限の自制力」に基づく「1次的な対応措置」という文言からも明らかだと言うべきです。ここで想起するべきは、2月5日の朝鮮中央通信社の論評「われわれの選択は敵対勢力の想像を絶するだろう 」(コラム「朝鮮の第3回核実験と中朝関係」で紹介)における、「敵対勢力の増大する核戦争挑発策動に対処して核実験以上のことも行わなければならない」というくだりです。つまり、朝鮮としては、「核実験以上のこと」を考えており、核実験はあくまで「1次的な対応措置」という位置づけであるとしているのです。少なくとも朝鮮の論理としては、朝鮮はまだ二の手、三の手の対抗策を用意しており、今後の事態をさらにエスカレートするかどうかはもっぱらアメリカの出方次第だということでしょう。
朝鮮外務省スポークスマンの談話に込められている今一つのメッセージは、今後のアメリカによる事態のエスカレーションとして朝鮮が具体的に警戒しているのは臨検、海上封鎖であり、そのような措置(安保理決議)を取るなという警告です。
2月9日付労働新聞署名文章「 反共和国「制裁」策動がもたらすのは戦争だけ」(この文章についても前のコラムで紹介済み)と上記朝鮮外務省スポークスマン談話を合わせ読めば、朝鮮は、安保理が国連憲章第42条に基づく「臨検」「海上封鎖」を制裁内容とする決議をもっとも警戒していることは明らかです。第42条はいうまでもなく、国連の強制行動としてもっとも厳しい「軍事的措置」であり、「国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。」と定めています。朝鮮からすれば、朝鮮外務省スポークスマンが指摘するとおり、それらは取りも直さず「戦争行為」です。このような安保理決議を受け入れる用意のあり得ない朝鮮からすれば、決議が採択される場合には、超強硬措置としての「無慈悲な報復打撃」「情勢爆発」で対抗することになるのは明らかです。
朝鮮外務省スポークスマン談話にはもう一つのメッセージが込められている、と私は受け取っています。それは、アメリカに対して「衛星打ち上げの権利を尊重して緩和と安定の局面を開く」ことを要求していることです。つまり、アメリカが朝鮮の人工衛星打ち上げの権利については認めることをあくまで要求していることです。
この朝鮮の要求は、これまでの朝鮮に対する安保理決議の根幹部分の見直しを求めるものであり、アメリカ及びその影響下の安保理としては簡単に受け入れることができない難題と言うべきでしょう。なぜならば、安保理決議は「弾道ミサイル技術を利用した」朝鮮による人工衛星打ち上げを禁止しているわけです。そして、「弾道ミサイル技術の利用」によらない衛星打ち上げが実際問題としてありえない以上、このハードルは朝鮮の人工衛星打ち上げの権利を認めないのと同義です。
しかし見方を変えれば、朝鮮は核ミサイル開発計画と人工衛星打ち上げ計画とを分けて考える用意があることを示していると受けとめることも不可能ではないと私は考えます。そしてそもそも、ほかのすべての国家(イランを含む)の人工衛星打ち上げにはおとがめなしで、もっぱら朝鮮に対してだけ、しかも宇宙条約公認のすべての国々に認められている権利を認めないという安保理決議は、国際法的に無効であると私は思います。ですから、やはり公正に見て、朝鮮の要求は当然なものであり、安保理としては国際法の常識に従ってこれまでの決議内容の何らかの見直しを行うことが求められているだろうと思います。

<事態収拾のための中国外交の役割:まだ失われていない可能性>

 私は、以上の三つの朝鮮のメッセージを受けとめて事態収拾に動くのが中国外交の役割であると確信します。朝鮮が第3回核実験に踏みきったからといって事態収拾は不可能になったというわけでは決してなく、可能性はまだ失われていないと思います。
 中国外交がまず踏まえるべきは、とにかく事態が悪い方向にエスカレートすることを阻止することをもって出発点の認識として確立することです。朝鮮には、そうした中国外交に熱い期待こそあれ、これを足蹴にするような余裕はあり得ません。朝鮮外務省スポークスマンの談話の第一のメッセージから、それは明らかです。
 第二に具体的には、中国外交としては絶対に国連憲章第42条に基づく臨検、海上封鎖を含む軍事的行動に関する安保理決議を阻止しなければなりません。そのためには、たとえアメリカ・オバマ政権及び韓国・朴槿恵新政権との一時的な関係悪化を招くとしても、それを甘受する決意を持つことが不可欠です。これまでの中国側論調でも、米日韓の要求する強硬な決議は論外だとするものが主流であることは心強いことです。しかし、一定の制裁強化は必要だ、それが中国の民意だとする論調(環球時報社説)も出ていることをも考えれば、中国外交が、朝鮮の納得するに足る明確な対応を行うことが求められます。
 第三に、朝鮮の宇宙開発の権利を承認しつつ、しかしその権利行使は安保理決議の制約下にあるとする中国の立場については、やはり根本的な見直しを行うことが求められます。この問題は、朝鮮の核実験に対する新たな安保理制裁決議と直接からむというわけではありません。むしろ、この新たな安保理決議の取り扱いについて一段落した後の問題として考えるべきものです。
 それは、これまでの6者協議に新しい議題として取り入れるという方向で考えることができるものでしょう。6者協議では、朝鮮半島の非核化という一般的議題のもとで、朝鮮の核ミサイル開発問題が扱われてきましたが、朝鮮の人工衛星打ち上げ、つまり宇宙開発の権利という問題は明示的に取り扱われてきてはいません。中国外交としては、安保理でこの問題を扱うのではなく、6者協議の枠組みのなかで扱うという方向に持って行く努力をするべきではないでしょうか。
そうすることは、この問題に関する中国のこれまでの誤った対応を軌道修正する上でもむしろ必要だと思います。というのは、安保理で扱う限り、これまでの決議の内容をひっくり返す(つまり、安保理が自己否定する)ことは極めて難しいからです。安保理から6者協議に交渉の場所を移すことによって、「過去の腐れ縁」に縛られないで外交的に動く可能性も出てくるというものです。
 朝鮮問題の解決の可能性はまだ失われていません。中国外交にはまだ動きうる余地が豊かに存在しています。権力政治が支配する国際秩序を否定し、「和して同ぜず」の新しい国際関係のあり方を追求する中国外交の真価が問われていると私は確信するし、その真価を発揮してこそ中国に対する国際的な信頼が高まる所以だと思います。

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