日中関係:公明党・山口代表訪中と中国論調

2013.02.03

*公明党の山口代表が安倍首相の親書を携えて訪中し、1月24日に楊潔篪外相及び王家瑞・中国共産党対外連絡部長が同委員長と会見して瀬踏みを行った後に、25日に習近平総書記が直接会見しました。同代表訪中直前までの中国側論調は、以下1.で紹介、確認するように本当に厳しいものでしたが、その後の論調にはかなり大きな変化が見られます。中国・習近平政権は、安倍首相及び同政権の危険性に対する認識及び警戒をいささかも弛めているわけではありませんが、日中軍事衝突という最悪の事態を回避することについては安倍政権も同じ認識に立っているという判断の下、この最悪の事態を回避するために同政権との対話の可能性を模索する余地を残すという政策判断を行った可能性があると思われます。同時に、鳩山由紀夫、村山富市などの訪中を積極的に受け入れた中国においては、日中国交正常化以前に両国関係を辛うじてつなぎ止めた民間交流の歴史への評価に立脚して、今一度日中民間交流を重視するという動きも新たに看取されます。最近の論調を紹介します(2月3日記)。

1.山口訪朝直前までの厳しい論調

 ここでは、1月15日付環球時報社説「30年近く続いた平和の後、「戦争」を如何に見るべきか」、翌16日付同紙社説「中国を包囲する? 何を寝ぼけたことをいっているのか」、さらに翌17日付同紙社説「日本には断固対抗するが、対日友好の可能性もふさがない」、1月19日付人民日報所掲の鐘声「対中包囲網を作るというのは日本の勝手な想像、自縄自縛に陥らないように」の内容を紹介します。
 なお、1月17日付環球時報社説は日中民間交流の意義を肯定的に評価するものですが、2月2日付中国青年報は、1月28日に開催された「中日国交正常化40年の回顧と展望」国際研討会における馮昭圭(全国日本経済学会顧問)、楊伯江(中国社会科学院日本研究所研究員、中華日本学会常務理事)、宋磊(北京大学政府管理学院教授)、江瑞平(外交学院副院長、全国日本経済学会秘書長)、高海寛(中華日本学会常務理事)、丁敏(中国社会科学院日本研究所副研究員)、黃暁勇(中国社会科学院研究生院副院長、、全国日本経済学会副会長)の発言を詳しく紹介しました。
 このセミナーは、17日付環球時報社説が述べている「中国の民間にも活発な対日友好人士がいて、日本の対中友好人士との間で有効にマッチングするべきだ。対日問題における中国社会の団結度は高く、これは良いことだ。このような団結は同時により大きな開放性を持つべきで、より豊かな情緒及び対日政策の主張を受け入れるべきであり、そこには対日友好人士がさらに自由に動くスペースを与えることが含まれる。これは、中国の全体としての対日外交の欠くべからざる一部分であり、多元化する中国社会が必ず備えるべき寛容でもある。日本の挑発が中国で広範囲な憤激を引き起こしているとき、中日の対抗が既に両国関係における主潮流になっているとき、我々は中日友好に従事している人及び組織をもっと支持するべきかもしれない。」というくだりと符合するものだと思われます。

<1月15日付環球時報社説>
 近ごろは「戦争」をめぐる議論がだんだん増えて来た。直接の原因は釣魚島情勢の緊張であり、中日が軍事摩擦の方向に進んでいることを憂慮する向きがある。そのほか南海(南シナ海)で軍事摩擦が起こる可能性も排除できず、中国周辺のホット・スポットの背後にはすべてアメリカの影が見え隠れしている。中国の安全保障情勢には尖鋭な不確定性が現れている。
 中国は、対ヴェトナム自衛戦争以来‥ほぼ30年間戦争していない。…戦争に如何に対処するか、社会を挙げて久方ぶりに考える必要がある。
 まず、戦争は良いことではない。ましてや中国はかくも長年にわたって戦争をしておらず、誰と戦争するにしても社会にもたらされるショックは小さくない。…中国政府はいかなる時も国家利益を冷静に推し測り、人民のために正確な政策決定を行う責任がある。
 第二、‥中国は徐々にグローバルな戦略的パワーになっており、遠方の大国との摩擦は絶えず緊張しがちであり、近場の相手は互いに力を借り合って中国に対する圧力を強めている。この種の圧力の最高形態が戦争瀬戸際ゲームであり、中国が後ずさりすれば、一連の戦略的結果がもたらされ、世界における中国の総合的な競争能力が傷つく。
 第三、戦争をしたい国家はなく、ましてや中国のような相手とは戦争したくはない。中国がいったんどこかの国家と渡り合うとなれば、それは軍事対抗であると同時に意志比べともなる。中国は核兵器国であるから、理論的にどこかの国家が我々を征服できるということはなく、「好敵手」との戦争に本当に巻き込まれるとなると、中国の勝敗は中国社会が戦争によって作り出される損失をどこまで耐え忍ぶことが得きるかによって決まる。  第四、確率的にいうと、中国は、冷戦後では、いかなる戦争にも巻き込まれていない唯一の国連安保理常任理事国であり、このこと自体が既に「奇蹟」だ。中国がさらに20数年にわたる無戦争状態を維持できるかどうかは、国際関係学では回答しようのない問題だ。
 第五、戦争に対処する上では、中国としては恐らくリアリズムの態度を確立する必要があり、様々な戦略的な願望の優先順位を明確に定めるとともに、受け入れ不可能な事態の順番についても明確に定める必要がある。そして圧力が我々の耐え忍ぶ範囲内であればそれを耐え忍ぶし、ボトム・ラインに触れるならば、ためらうことなく軍事的反撃を行うべきである。
 第六、中国が征服されることはあり得ないが、中国が誰かと開戦するとなったときには、相手側を征服するという考えを持ってはならない。中国が打つのは相手側が中国の利益を侵犯する暴挙に対してであり、(打つ目的は)相手及びその他の潜在的な相手に教訓を与えるということにある。中国が行う戦争は理、利、節度があるものでなければならず、そういう戦争は中国の平和的台頭との間で戦略的矛盾とはならず、中国の戦略的チャンスは戦争によって一時的に乱されることはあっても、終わってしまうことはない。
 第七、中国が戦争するにしてもしないにしても、対外競争の主戦場は経済に置くべきであり、軍事力を発展させ、必要なときにこれを動員するのは経済という競争の舞台が壊されないようにするためである。こういう闘い方は中国がもっとも得意とする分野であるし、人類道徳及び国際法がともに奨励する競争方式でもある。
  これらの問題をハッキリさせ、それらの結論を我々の確固たる決心とすることにより、我々は外部のパワーからさらなる尊重を獲得できることは間違いないし、怒らずとも自ずと威厳があるということになる。戦争を懼れずかつこれを好まないということにより、中国は、奇跡的にいかなる戦いをも回避することができるかもしれないし、仮に戦うことになっても、相手側は無限に戦おうとはしないだろう。彼らは、適当な時期に中国との休戦の機会を探すだろう。
 中国は引き続き国防力の建設を強化し、アメリカに対する戦略的抑止力を備えるべきであり、これは以上の考えが成立するための前提である。中国の経済的実力が強まれば強まるほど、世界秩序とのぶつかり合いもますます大きくなるわけで、中国としては、非経済的手段によって競争ルールを変えてしまおうとする野心を抑えるに足る軍事力を持たなければならない。
中国が打つ盤面はますます大きくなり、どの一手も人を驚かせる潜在的な影響力を持つ可能性がある。意志なくしては圧倒されてしまうだろうし、知恵と深謀遠慮なくしては変化する局面に呑みこまれてしまうだろう。中華民族は、人類史上かつてない重大な試練に直面している。

<1月16日付環球時報社説>
 (安倍首相の東南アジア歴訪の狙いを取り上げ)日本の中には「中国包囲」などと叫ぶ連中もいる。中国包囲だと? こんなことを書いている人間は多分自分が何を言っているのかが分かっていないのだ。日本人の中には妄想狂がおり、中国は「囲い込む」ことが出来ると考えている。日本の政治家のなかには頭が冴えていないものもおり、最初に首相になったときの安倍は「自由と繁栄の弧」を提起した。(彼自身は)「包囲」とは言わなかったが、多くの人は彼にはそういうつもりがあると解釈した。
 最近の産経新聞は安倍の「安全保障ダイアモンド」構想について報道したが、それはオーストラリア、アメリカのハワイ、インド及び日本が菱形となって、「安全保障ダイアモンド包囲網」を結成するというものだ。…  中国は大きすぎて、日本がそのような今日の中国と「碁を打つ」などということは、国際戦略の世界では笑い話でしかない。アメリカが加わったとしたって中国を囲い込みようがないのだ。…
 アジアに日本がいることは中国にとっても良いことだ。日本は時に極端で偏執的になり、中国が将来遭遇する可能性があるさまざまなリスクについてあらかじめ予行演習させてくれる。日本は中国をどうすることもできず、仮に中日開戦となっても、日本が戦略的に中国を打ち破る希望はゼロだ。しかし、日本は我々に刺激と警告とをもたらし、中国がさらに台頭することでどのような外部の阻止力に遭遇するかを知らしめる。
 中国は日本に真剣に対処するとともに、戦略的には「あれこれと心を馳せる」態度で日本に臨む必要がある。日本にとって中国は「危機感」の圧倒的な源であるが、中国にとっての日本はそうではなく、中国の戦略的な潜在的リスクの小さな一角であるに過ぎない。今はそのリスクが極めて顕在化しているが、その本質は変わらない。中国の安全保障上の利益は全方位かつ放射的であり、中国の意志如何にかかわらず(中国は)21世紀におけるグローバルなプレーヤーになるのであり、我々の戦略的計画においては「日本を克服」する必要があるとともに「日本を超越」しなければならない。
 安倍が東南アジアに行くのが「中国を牽制する」ためであるとしても、彼ができることは、アジアの政治舞台における日本の役回りを「ピエロ」級に貶めるだけのことだ。…
 中日関係についてもっとも焦っているのは日本であって、中国ではない。中国はゆったりと上向きかつ大きくなっており、アジアの地縁政治の変化における推進力であって、何も急ぐ必要はない。日本が中国の周辺でもがくならもがかせておけばいい。日本が南海(南シナ海)で主権を主張する国々と対中態度を協議するとしても、なんの作用も起こせないのであって、せいぜい日本と関係国の自慰にしか過ぎない。
日本の政府交代は世界でもっとも頻繁であり、このことが日本政治の劇場的性格を強めている。日本を見る際には、中国としては警戒する必要があることはもちろんだが、演劇を楽しむ気持ちを持つことも妨げないだろう。

<1月17日付環球時報社説>
 (鳩山由紀夫の訪中時における南京大虐殺及び尖閣問題に関する発言を取り上げ)この2日間の鳩山の中国における言動は、大環境はかつてなく厳しいものであるとしても、日本社会における対中友好勢力の力はなりを潜めたわけではなく、日本社会も右傾化によって人々が窒息させられてしまったわけでもなく、対決以外のスペースひいては隙間もないということではないことを示している。
 中国としては、鳩山という在野の人間の友好的な発言の断片だけで対日政策を変更することはできず、安倍政権の強硬政策がある限り、中国政府は真っ向から対決しなければならない。しかし、鳩山が示した態度は、日本の民間の友好的な言動に対しては我々としてもしかるべく激励し、応えていくべきだということを我々に思い起こさせている。中国の対日政策は大方向での協調統一を持つべきであるとともに、豊富で多チャンネルでもあるべきだ。
 中国の民間にも活発な対日友好人士がいて、日本の対中友好人士との間で有効にマッチングするべきだ。対日問題における中国社会の団結度は高く、これは良いことだ。このような団結は同時により大きな開放性を持つべきで、より豊かな情緒及び対日政策の主張を受け入れるべきであり、そこには対日友好人士がさらに自由に動くスペースを与えることが含まれる。
 これは、中国の全体としての対日外交の欠くべからざる一部分であり、多元化する中国社会が必ず備えるべき寛容でもある。日本の挑発が中国で広範囲な憤激を引き起こしているとき、中日の対抗が既に両国関係における主潮流になっているとき、我々は中日友好に従事している人及び組織をもっと支持するべきかもしれない。
 中国は既に中日関係の将来の大方向を主導するものであり、日本がさらに右傾化するとしても、我々は日本の中の対中友好勢力に対する働きかけを放棄するべきではない。中国の力量がさらに壮大になるに伴い、日本という島国の人心がどのように変化するかも決まってはいない。歴史的に日本の主流の価値観というのは世界の強者に従うということであり、日本が中国と対立する意志が絶対に変わらないということでもない。
 中国の利益の総体及び構造が膨大で複雑であることに鑑み、中国の対日政策は確固としたものであるべきだが、スローガンのように単純なものでもない。中国が自信を増すに連れて、我々内部に出現する日本と交際する様々な役割(の担い手)をますます許容することにより、我々はますます日本に対して恩義と権威とを思いきり施し、闘うべきは闘い、商売するべきは商売し、友好であるべき時は顔をこわばらせないことだ。

<1月19日付鐘声文章>
 …日本の元首相・中曽根康弘は長年前に「日本は伝統的に国家戦略を制定することに長じていない国家であり、現在もそうだ」と書いたが、この言葉は今日においても依然通用する。
 長期的視野のある戦略は地縁政治的環境に対する冷静な認識という基礎の上に作られる。安倍が(1月)18日にジャカルタで提起した日本とASEANとの関係に関する5点の原則においては、日本の戦略的眼力のカオスぶりがまたもや余すところなくさらけ出された。
 5点の原則中の第一条はいわゆるデモクラシー及び人権などの普遍的価値観を強調するもので、日本が東南アジアで価値観外交を推進しようとする衝動を示している。しかし東南アジアの多くの国々のこれに対する反応は極めて「冷淡」であり、はなはだしきは反感であった。歴史上侵略という罪を犯したことを反省するのを拒否する国家はアジアの国々の信任を得ることは根本的に不可能であり、ましてや普遍的価値観を語る資格はないということを安倍は忘れているようだ。
 日本が歴史の深い霧から脱け出せない限り、まともなロジックに基づいて中国の台頭がアジアにもたらしているチャンスを観察する能力も当然にないわけで、したがって中国をアジアの主導権を争う最大のライバルと見なすこととなり、その視点に基づいて自らのアジア外交戦略を作るということになる。日本とASEANの関係の5原則は、「価値観」という表看板で東南アジア諸国を引っ張って対中包囲網を作ろうとしている。悲しいことに、このような奇想天外な構想は東南アジアにはマーケットがあり得ないのだ。
 日本は、投資を増やせば東南アジア各国の対日依存を高め、ASEANと中国の関係を引き離すことができると考えている。このような考えは一方的願望に過ぎない。すべての国家が「経済的動物」ということではない。ASEAN諸国が外交政策を制定するのは総合的考慮に基づくもので、その中には当然ながら道義的原則も含まれている。外交政策における経済的要素を強調するとしても、ASEAN諸国の経済発展は対中協力関係と密接であることを日本は忘れるべきではない。…
 …安倍には海洋権益や航行の自由をみだりに語るいかなる資格もないのであって、隣国の領土をかすめ取り、戦後国際秩序に挑戦しているのはまさに日本なのだ。こざかしく立ち回っても誰をも欺くことはできず、いかなる目的も達成できないのだ。

2.公明党・山口代表の訪中と中国党・政府の対応

 山口代表の訪中及び彼に親書を託した安倍首相に対する中国側の受けとめ方は、「友好親善の言動に対しては中国ももとより拒絶はしないが、その言動の背後に誠意があるかどうかを見なければならない」、「親書外交は日本の首相が極めて好むものだが、‥カギは親書にあるのではなく、国際関係の問題を扱う上で誠意と信用があるかどうかであり、中国人の目には、この面での日本の借り越し残高は深刻なものがある。この親書も、中日関係の破冰の開始かもしれないし、何もないかもしれず、安倍政権が何をもってこの親書の歴史的地位を論証するかにかかっている」(1月23日付人民日報海外版)という極めて醒めたものでした。
 山口代表は1月24日に楊潔篪外相及び王家瑞対外連絡部長と会見するのですが、その24日付の環球時報社説「安倍首相のオリーブの枝は西側に見せるショーのようだ」は、「安倍の思考様式は野田のそれと驚くほど似ている」、「彼は日本に対しても西側世界に対しても、自分の中日関係改善の気持ちは本物だ、中国が尖閣諸島は日本の領土だと同意しさえすればすべて解決、と言いたいのだ」と厳しい視線を向けていました。そして、「日本に対して友好を語るにせよ対決するにせよ、中国の立場をもっとも支えることができるのは唯一実力のみである。それこそが日本が一番理解することができる言語であり、他の形のコミュニケーションはすべて補助的なものに過ぎない」、「中日関係は最終的には緩和するだろう、なぜならば中国には日本とやり合う興味はないし、日本は今後ますます中国と真に対抗する力を失っていくからだ。しかしそういう局面も闘いを通じてのみ実現できるのであり、‥遺憾なことに日本は実力しか分からないのだ」という判断を示していたのです。
 習近平は、楊潔篪外相及び王家瑞部長からの報告を踏まえて最終的に山口代表と会見することを決定したのは明らかです(中国側の報道のなかにも、後で紹介するように、習近平が山口代表と会見するかどうか自体が一つのカギだとする見方があったほどです)。この会見には楊潔篪外相も同席しました。25日の会見については新華社がそのすぐ後に報道して、習近平が次のように発言したことを伝えました。

 習近平は次のように述べた。中日は互いに重要な隣国であり、国交正常化の40年来、各分野の協力の深さと広がりはかつなかったレベルに到達し、両国それぞれの発展を大いに促してきた。中国政府の中日関係発展重視の方針には変化がない。事実が証明するように、両国間の4つの政治文件は中日関係のバラストであり、遵守を堅持するべきだ。新しい情勢の下において、我々は両国の先輩指導者のように、国家責任、政治的知恵及び歴史担当責任を体現し、中日関係が困難を克服し、引き続き前に向かって発展するよう推進するべきだ。
 習近平は次のように強調した。中日関係を長期にわたって健康的かつ安定的に発展させるためには、大局に着眼し、方向性を把握し、両国間に存在する敏感な問題をタイミングよく適切に解決しなければならない。釣魚島問題に関する中国の立場は一貫しており、明確だ。日本は歴史と現実を正視し、実際の行動により、中国側と一緒に協力し、対話と協議を通じて問題を適切に管理し、解決する有効な方法を探し出すべきである。歴史を鑑とすることによってのみ未来と向かい合うことができる。日本は中国人民の民族感情を尊重し、歴史問題を正しく処理するべきである。中国は、両国関係が特殊な情勢に直面しているときに山口が訪中したことを重視しており、公明党が引き続き中日関係の発展を推進するために建設的な役割を発揮することを希望する。

3.習近平の山口代表との会見後における中国側論調

 習近平が山口代表と会見した後の対日論調をリードしている感じがあるのは、これまでのところは新華社です。興味深いのは、対日強硬論を展開してきた環球時報社説がこれまでのところは音沙汰なしであり(ただし、事実関係に関する報道はある)、人民日報の鐘声文章も「「永久責任」があってこそ真のあがないがある」というタイトルのドイツの戦争責任のとり方を肯定的に論じたものがあるだけで、日中関係を直接取り上げたものはないことです。
この点については両紙を引き続きフォローしていくこととし、ここでは新華時評「中日関係は大局に着眼してのみ方向性を把握できる」(1月26日付)、新華ネット評「安倍の「親書」、誠意はいかほど?」(1月27日付)、中国国際戦略研究基金会学術委員会の張沱生主任のインタビュー発言(1月27日付新華社HP)、及び2月1日付の新民晩報に掲載された上海交通大学日本研究センター主任の王少普教授インタビュー発言「日本の政治家の続けさまの訪中と中日関係発展の展望」(この文章も新華社配信のようです)の注目される部分を紹介します。
 ただし、断っておきますが、新華社のいずれの文章も、決して日本に対して宥和的だとか妥協的だとかいうわけではありません。これからの紹介で一目瞭然なように、言うべきは言っているのです。人民日報対新華社(その背後にある最高指導部内部での路線闘争)という対日政策をめぐる権力闘争説まで飛躍するのは少なくとも現時点では厳に自戒したいものです。

<新華時評>
 (習近平が山口に述べた)国家責任、政治的知恵及び歴史担当責任という3つの言葉は簡潔にして意味が重く、日本が2012年9月に不法に「島を買い上げ」て以来の中日関係の膠着状態を解明するためのカギを提供するものだ。
 …二国間関係において何が大局か。問題と困難に臨むとき、政策選択において何を重くし何を軽くするか。情勢の危急の時、適切に管理するかそれともレッド・ラインを探るのか。答えは明らかだというべきだ。さもなければ、カギとなる時期の山口の訪中はあり得なかったし、安倍晋三首相が親書のなかで「日中関係は最重要の二国関係の一つ」という表明もあり得なかった。
 国家責任を担うのであれば、日本はいわゆる「民意カード」を切り、右翼勢力の中日関係の基礎を動揺させる言動を無視したり甚だしきはこれに屈したりするべきではない。また言行は一致させるべきであり、こちらでは大局を語り、あちらでは中国を「包囲」しようとしたり、甚だしきは軍事演習の手段で「力をひけらかす」ことをしたりというようなことがあってはならない。…
 政治的知恵を展開するのであれば、日本は謙虚に両国の先輩指導者に学び、彼らが中日関係のカギとなるときに示した矜恃と気魄とを深く体得するべきである。特に対話が進行中の時に、釣魚島紛争は「討論すべき問題ではない」などと言うことは、対話の進行及び継続にとって実に無益なことだ。
 歴史担当責任を備えようとするのであれば、日本はまず歴史に直に向きあうべきだ。中日関係の複雑さは多かれ少なかれすべて歴史と関係している。歴史に直に向きあうことは重い荷物を下ろすということであり、歴史を正視することによってのみ、中日両国は真の平和な未来を持つことができる。歴史を担当する責任はずっしりと重いものであり、現下においては如何に困難を克服して危機管理するか深く考えるべきであり、長期的にはいかなる中日関係をもって未来に向かうかを図りめぐらすべきである。
 中日関係に関して言えば、両国間の4つの政治文件は中日関係のバラストであり、遵守を堅持するべきだ。大局を胸に抱いてのみ方向性を把握でき、進んではさらに両国間で棚上げされてきた本来はより重要な課題を検討することができるようになる。

<張沱生インタビュー発言(抜粋)>
(問)山口の訪中は谷底に陥った中日関係の突破口を探すためか。この突破口は一体どこにあるか。
(答)山口の訪中が突破口を探すためという言い方は必ずしも当たらないと思うが、山口訪中の目的は明確で、中国政府の態度を探るものであり、危機管理を強め、また正式な対話を起動させるための準備をするためでもある。もしも今回の訪問が最終的に双方の対話を推進するならば、山口の訪問は成功である。党第18回大会報告中には「対話は対決よりよく、平和は戦争よりよい」という2句があるが、これは中国人民の心底からの願望である。釣魚島紛争は日本が引き起こしたもので、中国には選択の余地がなく、対抗措置に出るしかなかった。
…もしも世界第2位及び第3位の経済大国が衝突すれば、全世界に対して巨大なマイナスの影響があることは疑問の余地がない。…現在は非常にカギとなる時期であり、積極的な態度で両国関係を安定的に改善するための試みに向きあう必要がある‥。
 …突破口を探し出し、問題解決の方法を探し出すためには、習近平が述べたように、両国の先輩指導者に学び、国家責任、政治的知恵及び歴史担当責任を体現しなければならない。…
(問)山口訪中は一定の積極的役割を発揮したと思うか。
(答)答は肯定的だ。以前にみんなが注目した焦点は山口が果たして習近平と会えるかどうかであり、これは非常に重要で、シンボル的な意味をもった視点だった。最終的に習近平は山口を接見し、公明党が両国関係が特殊な情勢に面しているときに訪中したことを重視すると明確に表明した。日本としては、このことから、中国の中日関係の安定的改善に対する基本的態度を見て取るべきである。この点は非常に重要で、十分に肯定するべきだ。…私は北京大学で会議に出ていたときに習近平が山口を接見した知らせに接したのだが、会議の専門家や学者に伝えたところ、全員がこれは非常に重要な一歩であり、習近平の話にも賛意と支持が表明された。
(問)2013年に中日関係は回復すると思うか。中日関係の将来にはいかなる展望があるか。
(答)将来については3つの可能性がある。一つは日本がなんらかの形で紛争を承認し、双方がかつて先輩指導者の達成した紛争棚上げの共通認識に戻ることだ。ただし、これは単純に元々の局面、すなわち日本が島々を支配し、我々は行かないという局面に戻るということではなく、新しい現状のもとで新しい了解と共通の認識を達成するということだ。この点が実現できるならば、両国関係は比較的大きく、速やかに改善できるだろう。
何が新しい共通認識かに関しては、双方が釣魚島に行かないとか、双方が行くとかが考えられるが、同時に摩擦と衝突を防ぐ有効な方法があるべきだ。もしも正式な文言上の新しい共通認識を達成できれば最善であろう。というのは、前は正式な約束がなかったために、両国間でこのことについて了解を達成したことを承認しない日本人がいたからだ。
実際は双方が了解を達成したことは否定できないことで、談話記録の中に明確な記載がある。私はかつて論文を書くためにこれらの歴史文献を見たことがある(から確かだ)。
 第二の可能性は、釣魚島紛争に関し双方が比較的長期にわたって膠着するが、危機管理の面で一定の共通認識を達成することだ。双方は争うのだが、衝突発生までは至らない。この状況のもとでは、両国関係の他の分野は段階的かつ緩やかに一定の回復と発展を実現する。しかし、最初の可能性と比べると、回復の速度ははるかに緩慢で、双方の関係も真の改善には至らない。
 第三の可能性は、偶発的な武力衝突が起こり、情勢がコントロールできなくなって、軍事衝突にまで至る事態だ。これは両国の根本的利益に合致しないし、双方が避けたいことでもあるので、可能性は大きくない。
 …第一あるいは第二の可能性を実現できるか否かは、習近平が言うように、両国指導者の知恵と責任とによって決まるだろうが、私としては両国指導者の決断力ということもつけ加えたい。…中国の指導者には(私は)確信があるが、日本の政治家に対しては心配がある。安倍が最初に政権に就いてから、日本では6年に7人の首相であり、政局は非常に不安定で、政策もくるくる変わってきた。…安倍が正確な決断を行い、見識のある有為な政治家であることを示すことを希望する。

<新華ネット評(呉定平署名文章)>
 …「親書外交」もまた一種の国際慣例であり、中日間の紛争確執が解決困難で、会見するタイミングもあまり芳しくないもとで、安倍が親書を託してひそひそと「プライベートな話」で膠着した両国関係を打破しようとするのはいけないことではない。ただ、安倍の「親書」にはどれほどの誠意があるのだろうか。…
 野田が下野した後、人々は次の日本政府に期待を寄せた。しかし、日本の右のタカ派である安倍は、いくつかの問題で、野田よりもさらに偏っており、さらに突っ走ってしまった。総選挙が始まってから正式に政権を取るときまで、「激しい言葉」は絶えることがなく、動きも頻々で、中日関係に新たな影が差した。今回安倍が親書を送ってきたのは、中日関係というこの碁盤を見極めたからなのか、本当に十分な誠意を示すことができるのかどうか、今のところ、恐らく彼自身を除けば、確信を持てるものは幾ばくもいないだろう。
 中国は責任を負う大国として、両国関係が現在置かれている緊張した情勢の下で、日本からの訪問客に対してはやはり礼をもって接するということで、このことは中国が日本に対して誠意をもって相対することを願っているというシグナルだ。中国のこの誠意に対して、日本の政治屋や右翼勢力は、中国は日本の「お相手もできない」と考えるような錯覚に陥るべきではなく、少なくとも安倍政権はこの点について明確な認識を持っているべきである。
 (習近平の発言内容を紹介した上で)中国のこの率直なアドバイスに対しては、安倍はしっかりと頭に刻み込み、「氷を溶かす」実際行動にしっかりと転化し、政治家が持つべき気概を示すべきである。
 安倍の「親書」は中日外交関係修復の第一歩ではあるが、我々としてはあまり「信じ」込まないようにするべきで、今後の日本政府がどうするかについては、その言を聞くとともに、それ以上にその行いを観る必要がある。ここで我々は日本政府に対して次のことを懇ろにお薦めする。中日の先輩指導者に多くを学び、国家責任、政治的知恵、歴史担当責任を重視し、真に大局から出発し、中日関係の硬直を打ち破り、中国とともに前進せよ、と。

<王少普インタビュー発言(抜粋)>
(安倍「親書」の位置付け)
 もっとも注目されたのは、山口代表が習近平総書記に渡した安倍首相の親書だった。この親書が示した姿勢は積極的なものであり、安倍が引き続き大局的に両国関係を把握したいと願っており、双方の局部的矛盾が全局に影響する問題となることを望んでいないことを反映しており、中国側と相接近した期待であることを示している。この状況は、釣魚島紛争で困難に陥った中日関係に転機が出現したことを反映している。
(習近平が言及した日中関係の4つの政治文件)
 4つの政治文件の原則・精神は、第一に中日関係の政治的基礎を定めている。台湾問題においては、日本は台湾が中国の不可分の領土であることを承認しなければならず、ポツダム宣言第8項の立場を遵守しなければならない(としてポツダム宣言第8項とカイロ宣言の内容に言及)。…
 これらの政治文件はまた、中日が異なる社会制度の国家として平和的に共存する原則を定めている。これはいわゆる「価値観外交」などの誤った理念に対する批判及び是正(という意味)だ。経済がグローバル化し、世界が多極化して発展している今日、文化の多様性は空前の勢いで現れている。各国は、他国の文化の先進的な内容を学ぶとともに、自らの状況に合致した発展の道を選択することの重要性をますます認識しつつある。このような時代的潮流のもとで、特定の国家の価値観を外交関係の原則とすることは、ばかげたことであるのみならず危険なことでもある。
 4つの政治文件はまた、「平和共存5原則」及び国連憲章に依拠して両国間の問題を処理する原則を定めており、平和的手段ですべての紛争を解決し、武力及び武力の威嚇に訴えないことを強調している。…この原則を堅持することは、アジア太平洋地域が重大な変動時期に入り、中日関係が重要な調整時期に入っている今日、格別に重要性を増している。
 4つの文件はまた、中日がアジア太平洋地域及び世界秩序に対する上での基本的立場を明確にしている。それは即ち、自らが覇権を求めないと同時に、いかなる国家または国家集団が覇権を打ち立てようとすることに反対するということだ。急速に発展している中国は平和的発展の方向を堅持しているが、これは戦術的なものではなく戦略的選択である‥。アメリカを追いこすことは中国の平和的発展の基本目標ではなく、その基本目標は中国人民によりよい生活を作り出すとともに、世界各国との協力を強化し、世界秩序をより合理的なものとし、人類に対して中国が大国の地位にふさわしい貢献を行うことにある。もちろん、中国はその発展が順風満帆ではあり得ず、世界には中国の発展を阻止しようとする力が確かにあることを認識している。したがって、中国の平和的発展を防衛するのに足るだけの抑止力を建設することは、中国の平和的発展戦略における当然の内容である。

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