安倍政権批判
-日中軍事衝突を辞さない中国-

2013.01.13

*衆議院総選挙で勝利し、政権に復帰することになった自民党・安倍政権に対して、中国側は直後こそその対中政策を見極める姿勢を取ったこと(2006年に安倍晋三が政権に就いた際の対中政策に対する評価から、安倍政権は尖閣問題で野田・民主党政権の大失策を改める可能性も考えられるという観測も示されていました)については、2012年のコラム「安倍政権の日本政治(中国側見方)」で紹介しました。また、安倍政権の出方次第では、中国側にはまだ尖閣問題で棚上げ合意の線に前戻る用意はあるのではないか、という私自身の判断も他のコラムで示してきました。
しかし、村山談話及び河野談話を改める意欲を示した安倍発言、更には政権就任後の一連の「価値観外交」(その狙いは米日韓豪印越などと結んで対中包囲網を形成することにあると中国側は認識しています)としての外交活動(特に麻生副首相のミャンマー訪問及び岸田外相の東南アジア諸国歴訪更には安倍首相自身による同地域訪問計画)により、中国は安倍首相及び同政権が民主党政権時の政策を改める意思はないと見極め、同首相・政権に対する厳しい判断を公にするに至りました。さらに、尖閣に飛来する中国機に対して航空自衛隊機が曳光弾を発射するとした1月9日の産経新聞の報道は中国側の神経を強烈に逆なでしました(ただし、この産経新聞の記事内容に対しては、10日に菅官房長官が否定したことも後で報道されました)。そして、1月10日には尖閣空域への中国戦闘機の出動について、これは中国側の断固とした(日中軍事衝突を覚悟した)意志の表明であるとする環球時報社説も登場しました。
 私は、安倍首相のあまりにもあからさまに中国を刺激する言辞を弄する無神経さ(というよりも外交センスの欠落)には絶望しています。そして、そういう重大極まる言動に対して、国内マス・メディアが問題意識も持たず(私にはそうとしか見えない)、「淡々と報道する」姿勢に徹していることは、権力批判こそがジャーナリズムの使命の一つである以上、あってはならないことだと思います。しかも日本のメディアは、日中軍事衝突を覚悟するまでになっている中国側の深刻な危機意識について、まともに取り上げてもおらず、報道ジャーナリズムとしても無責任を極める姿勢に徹しているのです。
 こういう日本のジャーナリズムの偏向姿勢に大きな責任はあると思いますが、私が何よりも不安に思うことは、国民世論がことの重大さにほとんど気づいてもいないということです。私も詳しく調べたわけではありませんので印象論なのですが、今の日本の状況は、1937年の盧溝橋事件から日中戦争の泥沼に入っていってしまったときの状況と似ているのではないでしょうか。
つまり、当時の政府は、中国人・民族の抵抗力を過小評価して「一発噛ませれば、中国はすぐにひれ伏す」と思い込み、結局ずるずると全面戦争に入り込んでいきました。当時のマス・メディアは政府・軍部発の勝ち戦に関する大本営発表を垂れ流しました。そして多くの国民は、事実関係を何も知らされないまま「皇軍の勝利を確信」して、政府・軍に盲従していくだけでした。要するに、日本側には明確な戦略も政策もないままに、そして健全な批判勢力がまったく存在しない中で、ズルズルと既成事実の積み重ねの流れに身を任せ、気づいた時には身動きがとれない状況に落ち込んでしまいました。原爆が投下されることによってのみ、昭和天皇は敗戦を受け入れるということだったのです。
今の日本は正にそのずるずるべったりの歴史を繰り返そうとしているのではないでしょうか。右傾化に前のめりの安倍政権に明確な戦略判断を期待することができず、マス・メディアも絶望的な状況の下で、私たち主権者・国民が前轍を踏まず、政治の暴走をチェックする以外にないのですが、今の世論状況にも甚だ心許ない気がします。
 そういう私の不安を裏書きしたのが1月5日配信の共同通信の世論調査結果でした。実は、私は中国側の記事においてこの共同通信の世論調査を紹介しているのを読んで、はじめてその存在を知ったので、それ自体鼻白む思いです。それはともかく、共同通信の世論調査によれば、「「尖閣(釣魚島)紛争は中日間の軍事衝突を引き起こす可能性があると思うか」という質問に対して、75%の中国人が「可能性がある」と回答したのに対して、59%の日本人が「可能性はない」と回答した」というのです(ただし、この事実関係は中国・人民日報HPが引用した共同通信記事であり、私が見た限りでは、共同通信社HPでは見つけることができませんでした)。しかも、自由記述の欄では、「日本政府に対してもっと強硬な対中政策をとることを要求する日本人の意見が突出して多かった」というのです。
 この記事からは、多くの日本人が尖閣問題をきっかけにして日中間の軍事衝突が起こるような深刻な事態に陥っているとは思ってもおらず、その安心感も手伝って、政府に対して「行け行けどんどん」式に、もっと強硬な対中政策を求めているという姿が浮かび上がってきます。しかし、中国においては、党機関紙である人民日報及び環球時報が日中軍事衝突の可能性に対する国民の覚悟を呼びかける事態になっており、中国人もその危機感を共有して、4人のうちの3人までが軍事衝突があり得るという厳しい認識を持つにいたっているのです。日中彼我の問題意識・危機意識のこのように激しい落差・ギャップにこそ、本当の危機・危険があると思います。
 私にはこの日本の絶望的な現状に対して何もなすすべがありませんが、せめて中国側の厳しい認識の所在(強調は浅井)を紹介しておきたいと思います(1月13日記)。

1.歴史認識を改める気持ちがゼロの安倍首相・政権に対する見限り

 安倍政権に対して幻想は禁物であるという判断を早々と示したのは党機関紙である人民日報及び環球時報でした。通常は世論状況をも見ながらおもむろに「権威ある」立場を示すというのが両紙の立場だと思うのですが、安倍首相・政権批判に関してはトップ・ランナーの趣があります。それだけ、習近平指導部が安倍政権に対して厳しい判断をしていることを反映しているのだろうと思います。紹介するのは、2012年12月17日付の人民日報所掲の鐘声「策士策におぼれる」と同日付環球時報社評「安倍が友好的であることを期待しないし、彼が強硬であることも恐れない」です。

<鐘声「策士策におぼれる」>

 鐘声の文章については人民日報HPに日本語の翻訳が紹介されていますので、それをそのまま紹介します。鐘声の文章から明らかなことは、安倍首相の村山談話及び河野談話に対する態度を見て、中国は「過去の侵略の歴史について徹底的な反省をしなければ、日本(注:安倍政権)が根本的是非に関わる問題で小賢しく立ち回る悪習を捨てることはあり得ない」と、その本質について早々と見極めをつけたということです。

 その国の歴史教科書に書かれた通りに、その国の国民は歴史を認識する。歴史問題においてずる賢く立ち回ることこそが、本当の「自虐」だ。
 アジア諸国には、日本の新内閣に強い警戒を保つに十分な理由がある。
 安倍氏は今年8月の自民党総裁選時に、自民党が政権を握れば「歴史反省の三大談話」を全面的に見直すと表明した。周知のように「三大談話」は、いずれも歴史問題に対する日本の認識に関わるものだ。1982年の「宮沢談話」は教科書の内容は隣国を刺激してはならないと表明。1993年の「河野談話」は日本軍による慰安婦強制連行についておわびし、1995年の「村山談話」は日本の侵略と植民地支配についておわびした。「三大談話」は重大な歴史問題に関わるものであり、これらの問題において言葉を濁したり、勝手に歪曲することは、いずれも日本の発動した侵略戦争の被害国およびその人民を傷つけるものであり、軍国主義の亡霊を呼び戻すものだ。
 まさにこうしたアジア各国を不安にさせる雰囲気の中で、日本は再び「安倍時代」に入った。この「時代」はまだ何日も経っていないが、根本的是非に関わる問題におけるこざかしいやり方は、すでにはっきりと示されている。「村山談話」の精神を引き継ぐと表明する一方で、「専門家の意見を聞いて」「河野談話」を見直すか否かを決定すると強調したのだ。歴史教科書問題における言い分はなおのこと突拍子もない。安倍氏は教育改革を通じて子どもたちに「歴史と文化を尊重する姿勢」を身につけさせると表明したのだ。
 歴史と文化の尊重とは何か?自民党の衆院選の政権公約は、歴史教科書には「自虐史観や偏向した記述が多い」と揚言し、もう隣国の認識や感情を考慮しないことを主張し、「日本の伝統と愛国心の尊重」に傾いている。
 周知のように、その国の歴史教科書に書かれた通りに、その国の国民は歴史を認識する。歴史問題においてずる賢く立ち回ることこそが、本当の「自虐」だ。日本が誤った歴史観を固守したまま「普通の国」の列に加わり、アジア諸国の寛大な許しと尊重を得ることは永遠に不可能だ。
 日本メディアの分析によると、歴史問題における安倍内閣の姿勢軟化には、中韓など隣国との関係を緩和する狙いがある。そして関係緩和は協力の強化によって経済の苦境を脱し、来年7月の参院選で勝利するためなのだ。なんと緻密な計算か! ただ、この計算者は一点忘れている。日本の隣国は尊厳ある国家であり、原則的問題を取引材料にすることはなく、過去も、現在も、将来も、日本の操り人形になることはあり得ないのだ。
 日本の近代史を振り返り、日本が失敗を重ねて原爆まで投下された原因を分析すると、自分が思い上がって、他者の知能指数と実力を見くびったことが運の尽きだった。こうした小賢しさはどこから来るのか?日本の政治屋達自身が最もよくわかっている。注意を促しておきたいのは、過去の侵略の歴史について徹底的な反省をしなければ、日本が根本的是非に関わる問題で小賢しく立ち回る悪習を捨てることはあり得ないということだ。
 策士策に溺れる。この古訓に含まれる道理が時代後れになることは永遠にない。

<環球時報社評「安倍が友好的であることを期待しないし、彼が強硬であることも恐れない」>

 上記鐘声の文章が人民日報に掲載された同じ日の環球時報社説は、もっと歯に衣を着せぬ表現で日本の対中外交そのものに対する厳しい批判を展開しました。環球時報社評については、私がチェックした限りでは人民日報HPに日本語訳が掲載されていません。思うに、このような激しい内容については日本政府当事者に中国側のホンネが伝わればいいわけで、一般国民に対してはむしろ逆効果(中国に対する反感をあおりかねない)になりうるから日本語訳を作らなかったということかもしれません。
しかし、私のコラムを読んでくださる方々は十分な抵抗力(免疫力)をお持ちだと思いますので、大要を紹介します。この社説の主張の中身を一言でいえば、これまで中国は中日関係を「友好第一」で「ならぬ堪忍するが堪忍」で後生大事に扱ってきたが、日本がここまで勝手放題をする以上、もはや堪忍袋の緒が切れたのであり、これからは中国も遠慮なしに、丁々発止のドライな二国間関係として割り切って行く、ということだと思います。

 …中日が小泉時代以前の友好関係を回復することはもはや可能性がなく、釣魚島衝突前の関係を回復することすら短期間ではほとんど無理だろう。中国は心を静かにして、中日関係が長期にわたって冷却化しひいては緊張・多変化の状態にあることを受け入れる必要がある。これが対日外交を具体的に設計する上での出発点であるべきだ。
 中日政府関係者が口先では「戦略互恵関係」という高邁なことを唱え続けることは、両国間のますますまずくなっている雰囲気を和らげることができるという最低限のメリットはあるので、有益無害である。しかしこのようなスローガンが現実のものになると本気で期待するべきではなく、中日間の現在の緊張がより真実であることを認識するべきだ。小泉から始まって両国間では10年以上も寒風が吹いており、両国民間の心情も傷つききっており、アジア太平洋の構造が変化しない状況の下では、両国関係を真に回復する力はまったくない。
 中国には日本と対立する気持ちは元々ないのだが、事がここまで来てしまった現在においては、我々としては足を地につけるしかない。中国には中日の矛盾を取り除く戦略的能力があり、日本が中国のグローバルな影響力を発揮する上での障害物になることを避けるべきだというものもいる。この言や良し、ではあるが、少なくとも現段階では中国が動きうる余地はまったくない。
 中日間では、「政冷経熱」から既に「政冷経冷」に向かっており、中国経済も一定の損失を被った。誰もこのようなことを望んでいないが、「我々はなぜこのような状況が現れることを避けなかったのか」という類の仮説は幼稚極まる。
 中日間には猜疑と誤解が充満しており、様々な現実的争い及び戦略的不確定性によってどうしたら良いのか分からないような二つの隣り合う国家となってしまっている。両国は互いに、自らの強硬さに対して相手側が恐れを抱くということに一定の期待があり、状況が段階的にエスカレートして最終的に戦争を導いてしまうことに対してともに心配感がある。このような両国であるから、友好はごちゃごちゃに壊れてしまったが、戦争と言うには本当の推進力を欠いている。戦争を回避するという戦略的警戒心は持つべきだが、これをもって我々が対日政策を設計する際に常に踏まなければならないブレーキとするべきではない。
    …中国の国力の発展に従い、日本が中国に対して友好的であるかそうでないかということの価値の違いは今後小さくなることは決まっているので、我々は中日関係の細かいことにもはやあまり気にかけるべきではない。商売をするときはそうするべきだが、我々としては両国間の経済貿易が下り坂になることに対してより多くの抵抗力を残すようにするべきであり、戦略的に中日経済協力に対する期待をもはや高くすべきではなく、中日関係が長期にわたって冷え込むことを戦略設計における一つの与件とする必要がある。
 日本はアメリカ一辺倒になり、しかもアメリカよりも激しい反中国家になるかもしれない。しかしこれは一つの可能性であるに過ぎず、それが現実となるかどうかはアジア太平洋における力比べという情勢によって決まってくるだろう。この「最悪の状況」は、中国の台頭が招く「最悪の可能性」の一つであり、中国にはこのような局面が出現することを回避するための真の主動性はなく、むしろ、中国が自らの力量を強めることによってこの種の状況に対処することの方が、日本に乞い求めるよりは、日本が将来において中国と敵対する動機を解消する可能性がより多くあるだろう。
 中国には、釣魚島及び靖国神社について対日姿勢を和らげるだけの国内における政治的余地はない。このような恥を忍んで重責を担うという兵法の極意は、帝王の時代においてのみ可能だったのであり、現代民主社会にはあり得ない。中日友好を維持する責任を、過去において日本はほとんどもっぱら中国に押しつけてきたが、日本が中国との関係を引き続き悪化させたくないと思うのであれば、これからは日本もその応分の責任を負うべきだ。
 中日間の膠着状態は、東アジアの実力構造の変化がもたらしたものであり、中日間では現段階において互いに道理を説くことが難しくなっており、両国は、摩擦の中で経験を積み、琢磨して、徐々に両国関係の新たな性格に慣れ、「闘うが(関係を)壊さず」、あるいは「闘うが戦争はせず」という暗黙のルールを形成する必要がある。
 最終的には、日本はアメリカとは異なり、日本と一定程度対決するとしても、中国の外交全体が壊されることにはならない。しかし別の角度から言うと、中日関係の背後には深刻なアメリカファクターがあり、日本の対中政策には、日本独自の内容もあるが、アメリカの対中戦略の派生物という要素もある。アメリカこそが中国にとっての大きな憂慮であり、日本は「小さい憂慮」でしかない。

2.野田政権の国有化を引き継ぐ安倍政権に対する態度硬化

 安倍政権に対する批判を人民日報及び環球時報が公にしてからは、尖閣問題に関して、2012年以前の棚上げに関する了解と共通の認識に戻るのではダメだとする主調が公然と展開されるようになりました。例えば、1月8日付の環球時報をソースとする梁芳署名文章「日本に反撃する全方位の準備を行おう」は、「日本が「島購入」を行った以前の状況、即ち日本側による実効支配の状態には絶対戻ることはできない」として、「共存共治共管理」もありえないと主張しています。
 そうした中で、1月7日に中国の4隻の艦船が尖閣の12カイリの海域を航行したことに対して外務省が中国大使を呼び出して抗議の申し入れをしたことは、安倍政権が野田・民主党政権の行動をそのまま受け継いでいるものとして中国側の安倍政権に対する姿勢をさらに硬化させました。1月9日には、人民日報が鐘声の文章を、そして環球時報は社説を掲げました。鐘声の文章については人民日報HPに掲載された日本語訳を、環球時報社評については私の拙い訳をそれぞれ掲載します。
 鐘声の「(日本は)目先の利益を得ようとして元も子もなくした」、環球時報社評の「釣魚島では既に中国の常態化した主権的巡視が形成されており、この成果は不断に強固にする必要がありこそすれ、得たものを再び失うということは絶対にあり得ない」という指摘を見れば、もはや中国が1972年及び78年の日中首脳間での「棚上げ」合意という線での原状回復に応じる意思はないことを明確にしたと見るべきでしょう。日本側からよほどの誠意を示さない限り中国側の態度軟化は期待できず、私のこれまでの判断はもはや通用しない状況に立ちいたっている、と判断するほかありません。
また、環球時報社評の「日本は今全世界でいちばん中国に対して友好的でない国家であり、中国と深刻な軍事衝突を起こす可能性がある一番手の国家である」という指摘は強烈極まるものです。私の記憶にある限り、中国が対外関係においてこれほどの表現で相手国を糾弾した例は知りません。日中関係は本当に一触即発の危険きわまりない状況に立ち立ってしまっています。

<鐘声「日本は釣魚島海域と領空での不法活動を止めなければならない」>

 日本外務省は8日午前、中国の駐日大使を急遽呼び出し、中国の海洋監視船が釣魚島(日本名・尖閣諸島)海域に入った件について、中国政府に強く抗議するとともに、自制を保つよう強く求めた。中国の駐日大使は道理を根拠に反駁し、いわゆる抗議は受け入れられないとの厳正な立場を表明した。
 2010年に中国漁政は釣魚島およびその付属島嶼の周辺海域の漁業保護目的の巡航を常態化した。2012年9月10日、中国政府は釣魚島およびその付属島嶼の領海基線を公布。中国海洋監視船は同海域で主権維持目的の巡航を行い、釣魚島およびその周辺海域に対する管轄権を行使した。日本は抗議したければ抗議すればいい。どんなに強く抗議しようとも、何も変えられない。簡単な理屈だ。釣魚島およびその付属島嶼は中国固有の領土であり、その領海と領空の主権は中国に属すのだ。領土主権を守るために中国がどのような措置をとろうとも、全くの内政であり、日本にはいかなる関係もないことだ。
 釣魚島問題がどのようにして生じたかを、再度説明する必要がある。甲午戦争(日清戦争)後の1895年、日本の内閣は秘密裏の決議を通じて、釣魚島などの島嶼を沖縄県の管轄に組み入れた。同年4月17日、中国は不平等な馬関条約(下関条約)の締結を余儀なくされ、台湾全島および釣魚島を含む全ての付属各島を日本に割譲した。第2次世界大戦後、釣魚島は中国に復帰した。だが1970年代、米国と日本は釣魚島をひそかに授受し、中国の領土主権を再び深刻に侵害した。
 中華民族が虐げられるがままだった時代はとうに過ぎ去り、もう戻ってはこない。中国は自らの領土主権を守る能力を完全に備えている。日本はこの現実を正視しなければならない。日本が昔の帝国の輝きをどんなに忘れがたかろうと、日本の心の調整がどんなに難しかろうと、それらは全て日本自身の問題であり、中国は少しも興味はないし、日本の感情に配慮するいかなる義務もない。日本が不当な目に遭ったような様子を見せ、もっともらしく抗議なんぞをするのは、自他共に欺き、自らを慰めるつまらぬ行為に過ぎない。
 40数年前、中日両国の前の代の指導者は釣魚島問題について了解と共通認識にいたって、中日国交正常化の地ならしをした。釣魚島問題がどのようにして今日のレベルにまでいたったかについては、再び詳述する必要はない。国際社会はよくわかっていることだ。目先の利益を得ようとして元も子もなくした。これは日本が自ら招いたことだ。悔い改める気がなく、ごたごたと動き続ければ、日本の気分はさらに悪くなるだけだ。
 中日の正常な付き合いや経済貿易協力が深刻に妨害されたことに日本は非常に不安を覚え、対中関係の流れを転換する必要を繰り返し表明している。中国は日本との平和共存、世々代々の友好、互恵協力、共同発展を望んでいる。だがその全てに前提条件があり、釣魚島問題を回避することは不可能だ。中国は引き続き断固たる措置を講じて領土主権を守る。日本は幻想を捨てて、中国の領土主権を損なう全ての行為を止めなければならない。
 日本は繰り返し船舶や航空機を出動して中国の釣魚島海域と領空に不法に進入している。こうした不法活動は止めなければならない。

<環球時報社評「日本の中国に対する抗議はしらばっくれたかつ笑うべきものである」>

 …安倍が政権に就いてから中日関係について大量の矛盾したシグナルを出しているが、これに対する中国の心理状態をいうならば、安倍が善意のジェスチャーを示すときは拒まないが、彼が強硬にでてくれば、野田に対した方式でお返しをする、ということだ。…
 日本は、釣魚島問題では、日本が強硬になれば中国はひるむだろうという幻想を捨てるべきであり、中国の全社会が次第に釣魚島情勢が最悪に至るという「最悪」の思想的準備を持つようになっている。最悪の事態とは軍事衝突である。日本が望んで前掛かりになるならば、もう戦うしかない。中国人は今そう考えている。
 もちろん、中国人は、衝動的かつ集団的に政府が進んで日本と開戦することを要求するということはあり得ないが、釣魚島では既に中国の常態化した主権的巡視が形成されており、この成果は不断に強固にする必要がありこそすれ、得たものを再び失うということは絶対にあり得ない。これは、中国社会が政府に対して要求する釣魚島をめぐっての行動に関する主流なのだ。
 …もしも安倍政権が自らの意志で中国の意志を覆い尽くそうと考えるのならば、中日が釣魚島において新しい激烈な対決を迎えることを準備しなければならず、このことがもたらす様々な不確定な結果を引き受ける準備をしなければならない。
 …日本はアメリカに協力して中国を閉じこめようとしている…。中国人の受けとめ方において、日本は今全世界でいちばん中国に対して友好的でない国家であり、中国と深刻な軍事衝突を起こす可能性がある一番手の国家である。
 中国人は今もなお中日友好が重要だと考えているが、中国社会全体が既にこのことに対する忍耐心を失ってしまっており、中日友好に希望を抱く人はますます少なくなっている。ほとんどの中国人は既に中日関係の緊張状態に適応しており、安倍政治が両国関係に重要な改善をもたらすという期待はまったく持っていない。
 …両国関係が改善するための戦略的動力が欠けているとき、両国は現実に向きあい、この悪化してしまった関係をうまく管理する方が実際的だろう。…両国としては、二国間外交の目標を軍事衝突の回避に設定するべきである…。
 中日は戦略対話を強化し、互いのボトム・ラインを明確に認識する必要がある。双方のボトム・ラインが重なるときには、早晩戦争となるだろう。双方のボトム・ラインの間に隙間がある…のであれば、双方の政府は自国の国内世論を慎重に誘導するべきであり、みだりに決意を表明して、不断にエスカレートしていく世論によって縛られることがないようにするべきだ。この(戦略的判断能力という)問題では、日本政府の成績は最低であり、日本の高官が中国に対して発する激しい言い方は、あまりに勝手気ままなであり、激高した青二才のようである。
 安倍も時には中国に対して友好的な発言を差し挟むことがあるが、彼のこの類の話はもはや中国を動かすことはできないのであって、彼には実際の行動で示してもらうほかない。即ち、第一、彼本人及び閣僚の発言をしっかり管理してほしい。第二、安倍は靖国神社というレッド・ラインを跨いではならない。第三、どんなことがあっても、安倍は釣魚島問題で荒っぽいことをしてはならない。さらに第四、安倍は、彼がアメリカの毛むくじゃらに太ももを抱きかかえており、かつ、アメリカが中国を囲い込むことの急先鋒を務めるというような印象を持たせないことだ。

3.日本の軍事措置に対して断固対応を明らかにする中国

 1月9日付の産経新聞が尖閣に飛来する中国機に対して日本の自衛隊機による曳光弾使用について報道したことは、「軍事エスカレーションの危険極まる動き」として中国側の激しい反応を引き起こしました。中国側も戦闘機を出動するに至りました。
このことに関して中国外交部報道官は1月11日の定例記者会見において記者からの質問に答え、「中国の戦闘機が東海(東シナ海)で飛行しているのはルーティンである。中国側は、日本側が理由なく事態を拡大し、緊張を作り出すことに断固反対する」と述べました。また国防部の報道関係者も同日、次のように述べました(12日付新華社HP日本関係ページ)。

「10日、中国軍の航空機(運-8)が中国の温洲東方、東海の天然ガス田西南空域をパトロールしていたとき、日本航空自衛隊の2機のF-15が近距離で尾行し、同時にもう1機の偵察機がやはりこの空域で活動しているのを発見したため、中国の2機の殲-10が確認しかつ監視を行った。
指摘する必要があるのは、近年になって、日本の自衛隊機による中国に接近した偵察活動が不断に強まり、最近においては作戦活動範囲が不断に拡大し、中国の公務機の正常な飛行及び軍機のルーティンパトロール及び訓練活動に対して頻繁に尾行して邪魔をすることとなっており、これが中日間の海空での安全問題の根源となっていることである。日本側のこの動きに対して、中国軍は高度に警戒している。中国側は、国家の空防上の安全を断固として守り、国際法に基づく正当な権利を断固として防衛するであろう。日本側が関連する国際法規を尊重し、有効な措置を取ることによって海空上の安全問題が発生することを防止するよう希望する。」

政府関係者の反応は以上のように自制をきかした、比較的穏やかなものでしたが、1月10日付の環球時報社評「曳光弾発射は中日を戦争の瀬戸際に追いやる」及び11日付の同紙社評「釣魚島への軍用機出動は中国世論の主流」は、中国の戦闘機出動は日本側の軍事的エスカレーションに対抗する措置であるとするもので、日本側の今後の出方次第では日中軍事衝突に至ることを覚悟した上でのものであるとするものでした。この二つの文章については人民日報HPに日本語翻訳が掲載されていますので、それらの紹介です(鐘声の文章は今のところありません)。

<環球時評社評「曳光弾発射は中日を戦争の瀬戸際に追いやる」>

 日本メディアの報道によると、日本政府は釣魚島(日本名・尖閣諸島)周辺の「領空」を侵犯し、無線での警告に従わない航空機に対する曳光弾による警告射撃を自衛隊の戦闘機に認めることを検討している。中国外交部(外務省)報道官は9日「中国は一貫して中国の釣魚島海域・空域での日本の主権侵害行為に断固反対し、日本側のエスカレートする行動に強く警戒し続けている」と表明した。
 外交部報道官のこの発言は、日本側の狂暴な行為に断固反撃するとの中国人民の揺るぎない決意を表明するには不十分だ。もし日本側が中国機に曳光弾を発射して中国機が被害を被れば、中日軍事衝突の始まりとなるのは必至であり、中国人民は軍事力を用いて日本側を厳重に処罰するよう政府に求めるはずだとわれわれは信じる。
 曳光弾は化学薬剤を内蔵した砲弾で、発射時にまぶしい光芒を放つ。日本は1987年に航空自衛隊の戦闘機を出動し、沖縄近くの領空で旧ソ連の偵察機に曳光弾発射による警告を行ったことがある。
 だが1987年時のソ連と日本は侵入する側と侵入される側の関係だった。一方、釣魚島は典型的な領有権係争地域だ。日本が釣魚島上空で中国の海洋監視機に曳光弾を発射すれば、双方の対峙を直接的にエスカレートさせるものとなる。
  現在の釣魚島上空での中国の海洋監視機は自衛隊の戦闘機とバランスがとれていないため、中国側は釣魚島への戦闘機派遣計画を真剣に検討しているはずだとわれわれは信じる。日本側が曳光弾を発射すれば、中国機に対する軍事行動を開始したに等しく、行き掛かり上中国は戦闘機を釣魚島に出動しないわけにはいかない。
 中国が海洋監視機を戦闘機に代えることは、必ず戦闘に行くという意味ではない。これはまず、日本側の挑発を前にした中国の主権維持行動の格上げだ。中国機も日本機に曳光弾を発射し、同等の報復を断固行うべきだ。
 釣魚島上空ではらはらするような中日の戦闘機の対峙と摩擦が生じれば、東アジア全体がのどから心臓が飛び出しそうになるだろう。やむを得ないことだ。われわれは自ら進んで日本側と開戦することは望んでいない。だが日本がどうしても危険なゲームをするのなら、われわれは断固として相手をする。
 もし中国政府がそうしない場合、あるいはそうしないために現在真剣に綿密な準備を進めている場合、中国政府は中国社会で甚大な政治的損失を蒙るに違いない。そうしないことについての政府のいかなる釈明も大衆は理解しがたいし、受け入れがたいだろう。
  中国はこのためにある時点で本当に日本との軍事衝突に陥る可能性がある。これは小康(ややゆとりのある)社会の建設に向けた中国国民全体の戦略努力にとって確かに余計な問題を抱え込むことになるが、それが中国の宿命なのかもしれない。中国は大国の中で唯一、すでに30年近く平和的に発展してきた。われわれは引き続き平和的に発展していくことを望んでいるが、さまざまな圧力が集まってきており、リスク管理はかつてないほど複雑化している。
 日本が中国に対してこのように狂暴になる背後には、米国の支えがあり、これが中日衝突の可能性を高めている。
  だがわれわれに譲歩の余地はまだあるだろうか?もうなくなったようだ。釣魚島に対する昨年の中国の一連の大きな行動はすでに「追い込まれた上での反撃」 だった。自衛隊の戦闘機が中国機に曳光弾を発射すれば、中国の主権に対するあからさまな辱めであり、譲歩しようものなら中国は1931年の時点にまで戻ってしまう。
 したがってわれわれは全ての躊躇を捨て去り、釣魚島上空で日本とアクロバット飛行のような相互警告と意志の対抗を行う準備を真剣にしようではないか。ひとたび偶発的な衝突が起きれば、われわれは必ずや日本に中国側の損害を下回らない代償を支払わせる。
 中国は近代以降、日本に虐げられ尽くしてきた。釣魚島についてはこちらから衝突を起こしはしないが、ひとたび衝突が起きれば、中国は全ての手段を用いて日本を懲罰し、勝利を確保しなければならない。甲午戦争(日清 戦争)の現代縮小版にしては断じてならない。もしそうなれば、中国社会における政府の威信が地に落ちるのは必至だ。
 釣魚島は中国政府の政権担当能力を長期間試すものとなる。現在それはより差し迫り、激しくなっているように見える。だがわれわれは自信を持つべきだ。われわれの対戦相手は弱い国を侮り、強い国に平身低頭する、米国による軍事占領でさえ忍受した国なのだ。釣魚島で火蓋が切られた時にわれわれが大胆な行動に出さえすれば、必ずや日本列島に衝撃が走る。この意志の対抗においてわれわれが負けることは断じてあり得ない。
 中国は戦略的打撃・報復力を持つ大国だ。われわれ自身に衝突を全面戦争にエスカレートさせる考えさえなければ、敢えてわれわれと全面的な戦略衝突を行う国はない。したがってひとたび釣魚島で火蓋が切られたら、われわれは日本に対して同等の懲罰を存分に与える。どの国であれ戦争の瀬戸際で中国に乱暴な振る舞いをすることができないことをわれわれは世界の人々に見せるべきだ。

<環球時報社評「釣魚島への軍用機出動は中国世論の主流」>

 日本メディアによると戦闘機を含む中国の軍用機10数機が昨日釣魚島(日本名・尖閣諸島)方面に飛行し、自衛隊の戦闘機が緊急発進(スクランブル)して対処した。釣魚島空域で中日の「軍用機対軍用機」の相互示威が 初めて出現した。釣魚島情勢だけでなく東アジア全体も不確定性の先鋭化に直面している。
 釣魚島情勢が今日の事態にまで拡大したのは、中国に対する日本の思い上がった粗暴な振舞いに強いられた結果だ。石原も野田も中日間の最低限の了解を破壊した罪人だ。
 中日は実力による対抗に完全に雪崩れ込む転換点に立っている可能性がある。両国の世論から見て両国社会の相互嫌悪、さらには相互敵視が戦後最も強まっている。両国を友好へと引き戻すことのできる勢力は非常に弱く、両国関係の展望は非常に悲観的だ。
 日本は外部の反復的で悪質な挑発に直面した時の中国の戦略的姿勢への予測を誤り、釣魚島の主権を守る中国の決意を大幅に見くびっていた。日本の各派の政治家にとって、中国の戦闘機が勇敢に立ち向かって反撃の列に加わるとは、1年前には全く想定だにしなかったことだ。
  「中国は戦略的チャンス期を守るために、どこまでも自制を保つ」と一部の日本人は信じ続けてきた。こうした分析は東アジアの他の一部の地域で、中国に対する横暴な行動を主張する一部の者の間でも流行っていた。中国の軍用機の昨日の行動は、彼らにこうした見解を捨てさせるに十分だったはずだ。
  中国の軍用機が昨日発したメッセージとは何か。われわれは中国の軍用機は日本の自衛隊の戦闘機が繰り返し釣魚島へ出動しているのと同じ意味をもって出動したのだと思う。釣魚島が将来どれほど危険になるかは、日本による中国軍用機の「阻止」が形式的なものに過ぎないのか、それとも本当に対抗するつもりなのか に完全にかかっている。もし日本人が後者を選択したのなら、それは中国との軍事衝突を選択したということだ。
 日本に対する「口頭抗議」には中国社会全体がうんざりしている。中国人は国が実際の行動によってわれわれの権利を守り、日本の鼻柱を折ることを強烈に望んでいる。中国政府が昨日軍用機を釣魚島へ出動したのは、世論の主流に沿った措置だ。
 釣魚島をめぐり中日間で偶発的衝突が起きる可能性は昨日から全く新たなレベルに上昇し始めた。戦闘機を出動した以上、われわれは情勢の一層の悪化に対して全面的な準備をする必要がある。われわれは当初の日本と同じ過ちを決して犯してはならない。つまり中国が強硬に出れば日本は容易に怖じ気づくとの幻想を抱いてはならないのだ。われわれは最悪の事態への心づもりをしなければならない。
 中日は長期的なライバル、さらには敵となり、日本は米国による中国封じ込めの忠実な先鋒部隊となる可能性がある。中日間で局地戦が起き、米国が舞台裏から表舞台に出てくる可能性がある。中国は昨日第一歩を踏み出した。もう第二歩、第三歩で怖じ気づくわけには決していかないのだ。
 今回の手に汗握る角逐について中国社会全体が重要な共通認識を形成し、それらをいかなる時でも揺らぐことのない決意にしなければならない。第1に日本のいかなる挑発にも断固反撃する。中国は先に発砲はしないが、軍事的報復にいささかの躊躇もしない。第2に今後も戦争行為の規模を自ら拡大はしないが、戦争のエスカレートを決して恐れもしない。第3にわれわれの戦略目標は限定的なものであるべきだ。つまり中国の釣魚島政策の受け入れを日本に余儀なくさせることであり、日本と「まとめてかたをつける」まで拡大することではない。
 中国は極端な挑発に遭った時、いかなる相手であろうと果敢に軍事的に対抗しなければならない。だが同時に、歴史の復讐という激情に飲み込まれることなく、冷静さを保たなければならない。軍事的対抗の最終目的は中国に対する対戦相手の様々な野心に打撃を与え、中国の平和的発展のための戦略環境を守り、あるいは再建することだ。
  中国と日本の間には巨大な規模の貿易その他経済協力がある。われわれは落ち着いて日本に対処すべきだ。これはこれ、それはそれ、つまり対抗は対抗、商売は商売という姿勢で付き合うべきだ。これは完全に成し遂げるのは難しいが、揺るぎない原則であるべきだ。そうすることで中国社会の損失を最低限に抑えることができる。これは人民全体の利益に合致し、日本との対抗に対する持続的な民衆の支持の拡大にもプラスだ。
 インターネット時代における中国社会の団結力が釣魚島情勢によって大きく試されている。中国の総合的力はすでに今日の方法の対日反撃を支えるに十分だが、これによる様々な不確定性にも直面している。これには1つ条件がある。中国は力を互いに消耗するのではなく、結集できなければならない。中国はこのより肝要な問題において自らを証明する必要がある。

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