尖閣問題を考える

2012.12.01

*『広島ジャーナリスト』の誘いがあって、尖閣問題に関して私自身が考えてきたことをまとめる機会がありました。本年に入ってからの問題の尖鋭化の経緯、尖閣問題という領土問題の本質及び問題打開の可能性という三部構成です。第二部に当たる部分は、このコラム「領土問題を考える視点」をほぼそのまま再録しています(根本的に改めなければならない内容は見いだせませんでしたが、さらに詳しくしてある部分はあります)。
 日中関係に関する私自身の考えについては、コラム「日中関係:反省と転換」で書きました。今回のコラムは、尖閣問題にしぼって考えたものです。双方を合わせて読んでいただくことにより、私の日中関係に関する考えを理解していただくことができると思います(12月1日記)。

1.緊張激化の責任の所在:今回の問題の経緯

 日中国交正常化40周年を迎えた今年、本来であれば、盛大かつ多彩な交流、行事を日中双方が行って、日中関係をさらに発展させる年となるはずであった。中国側は2011年以来、12年をそういう年とするべく様々な企画を準備しつつあった。
ところが、12年に入って、日本において中国側にとって看過しえない事件が次々に起こった。まず1月3日には石垣市議会議員等3名が尖閣諸島の一つに上陸した。これに対して同日付の人民日報ホームページ(HP)は、「樹木静ならんと欲すれども風止まず。12年が始まったばかりの時に、日本の数人の市議会議員が釣魚島に上陸して問題を引き起こし、中日関係に波を立て、中日両国の国交正常化40周年の友好記念の雰囲気に冷水を浴びせた」と批判した。同月21日には、民主党の向山好一及び自民党の新藤義孝衆議院議員らが日本の尖閣主権を誇示する目的で尖閣諸島周辺を漁船で回遊し、新華社HPは即日不快感を込めて報道した。
そして1月31日付の人民日報HPは、日本政府が尖閣諸島の島嶼を含む39の島嶼に命名する問題を取り上げ、次のように野田首相への不快感をあらわにした。今の時点で読み返すと、「国有化」を強行した野田首相に対する中国側の評価は早い段階から厳しくなっていたことが分かる。

「中国には、『その言を聞き、その行いを観る』という言い方がある。去年12月、野田首相の訪中期間は金正日死去に当たっていたため、彼は中国側と協議したいという切迫した必要から、中国指導者との会談で尖閣は日本の領土だと主張する元々の予定を取り消し、自らを『日中交流の子』と言い、朝鮮の安全は日中両国共通の戦略的利益だと言葉を換えた。この言葉がまださめやらないうちに、野田佳彦が主宰する政府は釣魚島問題で手を下し、中日間の国家主権にかかわる領土問題及び敏感な国民感情にかかわる問題に挑戦することを憚らない。…消息筋によれば、‥野田佳彦は、日本が支配している釣魚島に関してさらなる実質的行動に出る可能性がある。日本政府が新年にこういう措置をとるのは、アメリカの『アジア回帰』戦略に対する呼応、テストと見ることができる。分析筋の指摘によれば、…内政において税制改革で困難に耐えないときに、野田としては外交カードを切って中国を試してみようと考えている」

2月20日、名古屋の河村たかし市長は、姉妹都市である南京からの代表団に対して南京事件というのはなかったのではないかと発言した。そして4月16日の石原慎太郎東京都知事の尖閣「購入」発言を経て7月7日の野田首相の「国有化」発言(この日が75年前の盧溝橋事変当日であることも中国の神経を逆なでするものだった)となり、中国メディアは野田政権に対する公然とした批判に踏み切り、中国政府は一連の対抗措置を講じることとなって、今日に至る緊張に満ちた日中関係の局面となった。
しかし実は、中国の民主党政権に対する認識は既に2010年以来厳しさを増していた。即ち、10年9月のいわゆる中国漁船衝突事件に際して、民主党政権が「領土問題は存在しない」(当時の前原誠司外相発言)とし、「棚上げ」という日中間の了解を無視・否定したことは、中国側にとっては到底看過できない、日中関係を根本的に突き崩す重大発言ととらえられた。しかも前原外相は訪米してクリントン国務長官と会談し、日米安保条約が尖閣諸島に適用されることについて確約を取り付けようとまでした(同長官はこれに応じた)。石原慎太郎都知事の購入発言及び野田首相の国有化発言はその延長線上にあり、中国官民の怒りに油を注ぎ、事態はさらに深刻化した。しかも、米政府関係者の累次にわたる「日米安保の尖閣への適用」発言及び(明らかにこれに力を得た)野田首相の自衛隊出動発言を受けて、中国側メディアでは軍事衝突という不測かつ最悪の事態への言及がなされるまでになった。
前原外相(及びその後を継いだ玄葉光一郎外相)の言動には、少なくとも3点で致命的な問題が含まれている。日中関係がここまで悪化してしまった責任はひとえに民主党政権にあると言わなければならない。
\ 前原及び玄葉の言動の第一の問題は、日中間には領土問題は存在しないと言い放ち、頑なにその立場にしがみついてきたことである。彼らの言動は、少なくとも二つの点で誤っておりかつ愚かとしか言いようがない。
一つは、尖閣は日本の固有の領土という自らの考え(信じ込み?)と尖閣の領有権に関しては日本と中国との間に歴然とした立場の相違、したがって領土紛争が存在するという外交問題との両者を区別できない、という誤り・愚かさである。このような誤り・愚かさは、彼ら(したがって民主党政権)の外交能力の欠落を端的に示している。
今一つは、日中間の問題と日韓間の問題とはまったく同じ問題である(唯一の違いは、日中間では日本が実効支配し、それに中国が異議申し立てをしているのに対して、日韓間では韓国が実効支配し、日本が異議申し立てをしていること)のに、日本がまったく身勝手な主張をしているという誤り・愚かさだ。つまり、中国に対して「領土問題は存在しない」と言い張るのであれば、日本に対してまったく同じ主張をしている韓国に対して領土問題の存在を主張するのは筋が通らない。逆に、韓国に対して領土問題の存在を認めさせようとするのであれば、中国の主張も受け入れなければこれまた筋が通らないということだ。こういう支離滅裂な外交(実は外交以前の問題だが)を行っていることについて自覚すらないというのは末期症状である。
前原及び玄葉の言動における第二の問題は、日中間に「棚上げ」合意は存在しないという立場に固執していることだ。確かに日中間に「明確な合意」があるということではない。中国も明確な合意があると主張しているわけではない。しかし、1972年の国交正常化交渉における田中角栄・周恩来そして78年の日中平和友好条約署名に際しての福田赳夫・鄧小平の首脳会談で、尖閣問題を棚上げ(中国語:「擱置」)することについて中国側の言う「共通の認識と了解」(中国語:「共識和了解」)ないしは日本側の言う「暗黙の了解」(栗山尚一元外務事務次官)があったことについては日本政府として認めていたことである(私自身、外務省中国課長として日中間の外交実務に携わっていたときに当然の前提としていた)。中国にしてみれば、最高指導者間の合意をも否定して顧みない日本であるならば、日中間には外交を営む前提そのものが成り立たず、そんな日本とはまともに付き合うこともできないということなのだ。私は、「中国の言うことは至極もっとも」と思うほかない。
外交において成立している合意(明示であるか暗黙であるかを問わない)を一方的にくつがえすことは許されない、ということは外交における「イロハ」の「イ」に属する。どうしてもその合意を認めたくない場合には、相手(ここでは中国)と外交交渉を行い、相手が合意するか、最悪の場合でも相手側に合意の終了(最悪の場合は破棄)を通報(もちろん相手側はこれに対して報復する権利が生じる)するかの手続きを経なければならない。民主党政権のやり口はそういう外交上の最低限の手続きをも無視した乱暴を極めたものなのだ。
第三の問題は、尖閣に日米安保が適用されると声高に言い、しかもアメリカをも巻き込まずには気が済まないという民主党政権のケンカ腰の姿勢である。ここには少なくとも3点の看過できない誤りがある。
一つは、法的な意味でいうこととその発言が政治的にどういう意味を持つかということはまったく別ものだということを民主党政権はまったく無視している(気づいてもいない?)ことだ。確かに日米安保条約第5条にいう「極東」には尖閣も含まれるから「安保は適用される」と法的には解釈できる。しかし、日中関係が険悪になってきたときにそれをこれ見よがしに言うということは、「決着は戦争でつけるぞ」とケンカを売るに等しい。日中軍事衝突というような物騒なことは、よほど好戦的で嫌中感情で頭に血が上っているごく一部の人々を除けば、大多数の日本人は考えてもいないことである。民主党政権は民意を無視して暴走しているとしか言いようがない。
もう一つは、日中間には「すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えない」(日中共同声明第6項後段。日中平和友好条約第1条第2項も同旨)という明確な合意が存在していることだ。「尖閣に安保が適用される」という言辞は日中関係の基本原則にもとる重大発言である。そういう基本認識も踏まえずに軽々に発言すること自体が民主党政権の政権担当資格を失わせる深刻なものなのだ。
今一つの問題は、民主党政権のアメリカ政府に対する無邪気かつ脳天気な信頼・確信ということだ。今回の事態の進展において明らかになったのは、「法的には安保が尖閣に適用される」というところまではアメリカ政府として日本政府にお付き合いする(タテマエ)が、尖閣が如きアメリカの死活的利害とは無縁の問題で米中軍事衝突に至ることは願い下げであり、とにかく日中間で穏便に収拾してもらわなければ困る(ホンネ)ということだった。ところが民主党政権は、アメリカ政府のタテマエとホンネの使い分けが明らかになってからも相変わらずアメリカ頼みの強硬姿勢を崩さないで、外交的に事態を収拾する可能性を自ら踏みつぶしているのだ。
以上から、今回の尖閣問題をめぐる日中関係の緊張激化の原因と責任はひとえに民主党政権にある、ということは理解されると思う。

2.尖閣問題の本質・現状

次に、尖閣をめぐる領土紛争の現状を理解するという意味で、尖閣領有権問題の本質的原因を明らかにしておきたい。

【条約の形式的効力】
 尖閣(及び竹島、北方4島)という領土問題がなぜ生まれたかを考え、理解する上では、第二次大戦で敗北した日本に対する処理方針を扱ったカイロ宣言(1943年12月)、ヤルタ協定(45年2月)及びポツダム宣言(45年7月)(以下「3条約」と略すことがある)、そしてサンフランシスコ対日平和条約(52年4月発効。以下「対日平和条約」)を抜きにしては語れない。そして、これらの条約(広義)に関しては、関係国それぞれにとっての形式的効力の問題と、条約内容に基づく実質的効力の問題という問題を考える必要がある。
形式的効力の問題とは、簡単に言えば次のことだ。
以上の4つの条約すべてに直接参加した国家(当事国)はアメリカだけだ。カイロ宣言に関しては米中英3国、ポツダム宣言に関してはこの3国と後で加わったソ連(当時)及びこれを受諾して無条件降伏した日本が当事国、秘密協定だったヤルタ協定については米英ソ、対日平和条約については主に米英日が当事国だ。
なぜこのことにこだわらなければいけないかというと、条約の法的効力は当事国だけに及び、非当事国には及ばないからだ。これが条約の形式的効力ということの意味である。これら条約の定める日本の領域に関する規定内容に整合性があれば問題は生じないのだが、アメリカがソ連及び中国を抜きにして条約作成を主導した対日平和条約と他の3条約との間では、後述するように、アメリカが前者に意図的に曖昧さを忍び込ませたために整合性がとれていない。そこにこそ、日本が「固有の領土」論で領有を主張し、領土問題を起こすことを可能にした根本原因がある。
具体的に言うと、日本の「領域」については対日平和条約第2条で決めており、日本はもっぱらこれを根拠にして自らの主張を行ってきた。他方で日本は、ヤルタ協定は米ソ間の秘密協定でしかも日本が当事国ではないからこれには縛られないとし、またカイロ宣言及びポツダム宣言については、これらが政治的宣言であって法的拘束力を持たないとして、やはりそれには縛られないという主張を行っている。
しかしこれらの主張は成り立たない。ヤルタ協定については後述するとして、カイロ宣言及びポツダム宣言についてまずいえば、両宣言が法的拘束力を持つことは世界的に承認されている。百歩譲ってそれ自身は政治的宣言だとする外務省の立論に立つとしても、日本は昭和天皇の終戦の詔書及び45年9月2日の降伏文書でポツダム宣言を受諾して降伏している。特に降伏文書ではポツダム宣言の「条項ヲ誠実ニ履行スルコト‥ヲ天皇、日本国政府及其ノ後継者ノ為ニ約ス」と明記している。いくら厚かましい外務省といえども、終戦詔書及び降伏文書まで法的拘束力がないとは言えないはずだ。それまで否定したら、日本の敗戦受諾という行為そのものが法的意味のないこととなり、それでは戦勝国(アメリカももちろん含む)が日本の敗戦を受け入れるはずはなかった。ということは最低限、両文書に定める事項は詔書及び降伏文書の法的受諾を通して法的拘束力を持ったということだ。外務省の主張が成り立ち得ないことが理解されるはずだ。
他方、中国及びソ連(今のロシア)にとっては、対日平和条約の非当事国だから、これに縛られるいわれはない。両国としては、自らが当事国であるカイロ宣言及びポツダム宣言(中国の場合)あるいはヤルタ協定(ソ連の場合)に基づいて権利を主張する。
ヤルタ協定は秘密協定だから、日本がそれに縛られるいわれはないのではないかという疑問は出るかもしれない。しかし、国際法上、秘密協定であるか否かは条約の形式的拘束力及び条約に基づいて生じる権利義務関係に影響を及ぼさない。ソ連(ロシア)はアメリカとの間で結んだ協定の対米法的拘束力特にロシアの同協定上の権利を主張するのは当然だ。当時のソ連がポツダム宣言に加わった一つの重要な理由は、第8項後段の「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」を介して、南千島占領を正当化するためである。ヤルタ協定の当事国であるアメリカとしてもこれを正面切って否定することはできない。確かにアメリカは、尖閣及び竹島の場合とは異なり、北方4島については日本の主張を支持してきたが、ロシアがヤルタ協定を盾に詰め寄ったら立ち往生することは間違いない。
ちなみに中国側報道(2011年4月11日付「中国青年報」)によれば、ロシア外務省は11年4月4日、ヤルタ協定に加え、対日平和条約及び国連憲章第107条をも根拠にして自らの南千島領有の正当性を主張する声明を発表したという。報道どおりだとすれば、ロシアが当事国ではない対日平和条約を根拠の一つに持ちだしたということには首をかしげざるを得ない。しかし、国連憲章第107条(「この憲章のいかなる規定も、第二次世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない」)を根拠とすることは、条約の形式的効力を確認するものとして有効である。
また条約の形式的効力を考えるときは、条約法条約(アメリカは批准していないが)の第30条(同一の事項に関する相前後する条約の適用)も忘れてはならない。ここでは、「条約の当事国のすべてが後の条約の当事国となっている場合‥、…条約は、後の条約と両立する限度においてのみ、適用する」と定める。この規定の反対解釈として、中国及びロシアが当事国ではない対日平和条約は両国には適用がないことが確認される。
確かに、対日平和条約第26条は、この条約に署名・批准しない国には「いかなる権利、権原又は利益も与えるものではない」と定めるが、同条約の非当事国である中国及びソ連(ロシア)にとってはなんの意味も持たないし、国連憲章及び条約法条約の上記規定に則しても、この規定が先行する3条約に基づく中国及びソ連(ロシア)の権利を消滅させるが如きはあり得ない。
念のためにつけ加えるが、日本に独立を奪われていた韓国は上記のいずれの条約の当事国でもないので、形式的効力にかかわる問題は生じない。

【条約の実質的効力(規定内容)】
条約の形式的効力についての以上の理解を踏まえた上で、条約がどのような権利義務関係を定めているかという実質的効力の問題に入る。
まず尖閣関連でいえば、カイロ宣言は、「満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スル」ことを定め、ポツダム宣言は、「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルベク」と定める。これに対して対日平和条約では、日本は「台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄」するとしている。中国政府はカイロ宣言を受けたポツダム宣言に基づき、日本が「盗取シタル一切ノ地域」に釣魚島が含まれるから中国に返還されるとする。これに対して日本政府は、対日平和条約で放棄した「台湾及び澎湖諸島」には、日本が無主先占で取得した、固有の領土である尖閣は含まれていないとする。ここに尖閣(釣魚島)の領有権に関する主張の対立が生ずるわけだ。
次に北方4島関連でいえば、ヤルタ協定は、「千島列島ハ「ソヴィエト」連邦ニ引渡サルベシ」と定める。対日平和条約では、日本は「千島列島…に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と定める。ロシアからすれば、ヤルタ協定でロシアに引き渡される「千島列島」には南千島諸島も含まれるということであり、日本政府は、対日平和条約で放棄した「千島列島」には日本の固有の領土である北方4島は含まれていないということで、やはりそれぞれが依拠する条約に基づいて主張が対立することになる。
このように、日本と中国及びロシアが依拠する条約が異なるので、それぞれの主張は平行線をたどり、決着がつかないということになる。しかしそれは「一見した平行線」ということであり、既に述べたように、日本がもっぱら対日平和条約に依拠して主張を展開し、カイロ宣言及びポツダム宣言を受諾したことにより生じる法的義務を否定することには明らかに無理がある。
外務省の立論は、既に述べたように、両宣言は政治的文書だから法的権利義務関係を生ぜしめないということであるのだが、それは成り立ち得ないことについても先述した。むしろ、条約の形式的効力で指摘したことを踏まえれば、日本としては、中国及びロシアとの関係では3国がともに当事国であるポツダム宣言に基づいて領土問題を考える義務があり、したがって日本の主張には無理があるということだ。

【ポツダム宣言第8項後段】
しかし、実質的効力にかかわるより決定的な規定がポツダム宣言第8項にある。それは同項後段が、「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等(注:連合国)ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と定めていることだ。つまり、日本の主権が及ぶ領域は、本州、北海道、九州及び四国のほかは、「吾等(注:連合国)ノ決定スル諸小島」に限定されるのだ。日本はポツダム宣言を受諾し、それを履行することを約束して投降を申し入れ、それを連合国が受け入れたのだから、中国及びロシアとの関係においては、この規定はもちろん日本に対して効力があり、日本としては抗うことはできない。
即ち、尖閣及び北方4島を日本の領有に帰せしめる「諸小島」に含めるかどうかは、もっぱら連合国の決定に委ねられるということであり、これら諸島が日本の「固有の領土」であったかどうかは関係ない。実際に、アメリカが対日平和条約の領土条項を決めるまでの同政府内部での検討に関する解禁された文書及び沖縄返還協定締結過程における同じく内部文書において、アメリカ政府自身が尖閣をどう扱うかについて試行錯誤したことが明らかにされている。その中でアメリカ政府が日本の「固有の領土」論に基づいて自らの立場を決定するということはなかった。
ちなみに、この規定は竹島(独島)の領土的帰属にも決定的な意味を持ちうる。というのは、連合国特に米中ロが韓国の独島に対する領有権の主張を認めれば、その時点で勝負ありということになるからだ。

【アメリカの去就】
もちろん、中国とロシアだけがポツダム宣言にいう連合国ではない。「吾等(注:連合国)」にはアメリカも当然含まれるから、アメリカが尖閣、竹島及び北方4島に関して如何なる立場を取るかによって事態は複雑化する。現在、日本のかかわる3つの領土問題が紛糾しているのは、優れてアメリカの態度が曖昧を極めているからにほかならない。
まず事実関係の確認から。アメリカ政府は、既に指摘したように、北方4島については日本の主張を支持してきた。他方、尖閣及び竹島については、いずれか一方の側の立場にも与せず、日中及び日韓が話し合って決めることを支持するという立場だ。
しかし、アメリカの本心はそれほど単純ではあり得ない。そもそも、カイロ宣言及びポツダム宣言作成時と対日平和条約作成時とにおけるアメリカの中国及びソ連に対する認識及び政策は180度違ったために、日本の領土に関する両宣言と対日平和条約との間の不整合をアメリカが意図的に作り出したということは公知の事実だ。
カイロ宣言及びポツダム宣言の時、米中は対日戦争の同盟国だった。ヤルタ協定の時も、ルーズベルトのアメリカとスターリンのソ連は対独戦争を共に戦っていたのであり、ルーズベルトは、対日戦争早期終結のためには、大西洋憲章で定めた領土不拡大原則を曲げてでも(つまり、千島列島のソ連への引き渡しに応じてでも)ソ連の対日参戦を必要とした。
しかし、対日平和条約の時は、米ソ関係はすでに決定的に悪化して冷戦に突入していたし、1949年に中国大陸に共産党政権が成立し、1950年には朝鮮戦争も勃発して、米中も厳しい敵対関係に入っていた。そもそも対日平和条約が日米安保条約とパッケージであったことが示すとおり、アメリカは日本を反ソ反共陣営に組み込み、日本をアメリカの目下の同盟国として育成するために、日本の独立回復を急いだのだ。したがって、領土問題についても、アメリカは3条約に基づく当事国としての約束をすんなり履行する気持ちはなく、それが対日平和条約第2条における意識的な曖昧な処理となったわけだ。
この点に関しては、当時のアメリカ政府内部の文件を丹念に検証した成果をもとにした原貴美恵『サンフランシスコ条約の盲点 -アジア太平洋地域の冷戦と「戦後未解決の諸問題」-』が大いに参考になる。そこでは、アメリカが徹頭徹尾パワー・ポリティクスの観点から領土問題を処理した経緯が明らかにされている。尖閣、竹島及び北方4島の帰属先を明示しない(日本の権利放棄だけを定める)、また、日本が放棄した領土の範囲についても明確な定義をしないという対日平和条約の規定ぶりは、アメリカの対ソ・対中をにらんだ戦略的・政策的考慮の結果であった(「固有の領土」論を掲げる日本の主張・立場が考慮されたのではない)ということだ。
そのアメリカは、尖閣には日米安保が適用されるが、竹島及び北方4島への適用は口にしない。同条約第5条は、「日本国の施政の下にある領域における(in the territories under the administration of Japan)、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動する」と定めている。その意味は、日本の施政下にある領域のみがアメリカの日本に提供する安全保障の対象であるということだ。アメリカに言わせれば、尖閣は日本の施政下にあるから第5条が適用されるが、竹島及び北方4島は日本の施政下にないから適用されないという理屈だろう。しかし、尖閣に関しては日中いずれの領土であるかについて「中立」を装いながら安保は適用されると言い、北方4島に関しては日本の領土だとしながら安保の適用については口を閉ざすというのは支離滅裂で、説得力に欠ける。
ちなみに、ロシアが日本への北方4島「返還」に応じない真意の少なくとも一つの重要な判断として、その軍事戦略的価値があることは公知の事実だ。ロシアが北方4島を日本に返還するということは、取りも直さず日米安保第5条が同地域に適用され、自衛隊更には米軍の進駐ということになる。ロシアがそのようなリスクを冒すことは、日本(及びアメリカ)からよほどの言質・見返りがないかぎりあり得ないことだ。
このように、アメリカが日本の領土問題で曖昧を極める立場に終始するのは、優れてアメリカにとっての国益は何かという戦略的考慮を基準にして行動しているからであって、そこには日本の「固有の領土」論に対する考慮は微塵もないことを知らなければならない。繰り返すが、そこにこそ日本の領土問題の複雑さの根本原因がある。中国は、尖閣問題に関する民主党政権の言動に直面して、この根本原因の所在を改めて直視することとなった。

【中国の出方】
 中国の釣魚島(尖閣)問題に関する立場・主張に関しては、紙幅がないので割愛する。この問題をめぐって日中関係が緊張する中で、中国においては政府諸機関及び各分野の学者を総動員しての検討が行われ、膨大な研究成果の発表及びそれに基づく政策提言が行われてきた。それらの中で私がもっとも注目したのは、8月21日付の新華社HPが掲載した、中国政策科学研究会国家安全政策委員会副秘書長の彭光謙少将に対する単独インタビュー記事(タイトルは、「釣魚島問題は人類社会の正義の力に対する日本の挑戦」)だった。
彭光謙は、釣魚島問題には三つの戦略的中身があるとして、「第二次世界大戦の反ファシズム戦争の正義を擁護するか否定するかという問題」、「現在の釣魚島をめぐる荒波の大きな背景には、アメリカの戦略の重心が東に移ったということがある(こと)」、そして「この問題は中国大陸の問題であるだけではなく、台湾問題と密接にかかわっているものであり、中国の国家的統一及び中華民族の復興という大事業の一部分」と指摘した。
 つまり、釣魚島問題を日中二国間の問題として収めるという従来の方針ではもはや済まなくなったのであり、「アメリカの戦略重心が東に移ったという大きな背景により、釣魚島問題はいよいよ複雑さを増し、問題は長期化、複雑化そして膠着化する可能性があり、短時日で解決はできず、我々としては長期闘争を行う準備をする必要がある」ということだ。したがって中国としては、「国際的な正義の力を呼び起こし、国際的な戦線を組織し、共に第二次大戦の勝利の果実を防衛すべきだ」という認識に到達する。
具体的には、「明年(2013)はカイロ宣言70周年を迎えるので、適当な時期に国際会議を開催し、日本の領土的帰属及び国際的地位の問題を含めた日本の戦後処理問題を改めて審議し、カイロ宣言やポツダム宣言などの重要法律文献の正確性と有効性を重ねて述べ、第二次大戦で残された問題を徹底的に解決するべきだ」という提案を行っている。対日平和条約そのものへの言及はないにせよ、ここでは、両宣言と対日平和条約の矛盾(即ち、日本の領土問題の原因を作り出したアメリカの対日政策そのもの)をまな板に乗せることによって、問題の徹底的かつ根本的な解決を目指すという考え方が鮮明に提起されている。
もちろん、彭光謙自身が「問題は長期化、複雑化そして膠着化する可能性があり、短時日で解決はできず」と述べているように、中国としても、独自の外交を志向するロシア及びアメリカの同盟国である韓国が簡単に中国のアプローチに応じるとは考えていない。しかし、アメリカの対アジア戦略及びその一環としての対日政策そのものを根底からあぶり出し、問い直さない限り、釣魚島の解決はあり得ないとする認識が、これからの中国の政策の根幹に座るだろうことは間違いない。アメリカは、日本の民主党政権の稚拙を極めた政策に安易に同調するあまり、中国という「寝た子」を起こすことになった。

【「固有の領土」論再考】
 日本の領土問題に関する私の結論は簡単だ。日本国内では「常識」化されている「固有の領土」論は、国際法・スタンダードとしてはなんらの説得力をも持ち合わせていない。つまり、中国も韓国も「固有の領土」論を展開してきている(まだ詳しく考察するに至っていないので印象論に過ぎないことをお断りするが、南シナ海における中越、中比間の島嶼主権をめぐる争いでも「固有の領土」論が闘わされているようだ)ので、私たちは、日本が「固有の領土」論に固執することがあたかも共通の土俵における有効な議論であるかの如き錯覚を抱いている。しかし、管見の限りでは、国際法において「固有の領土」という法的な概念が認められたことはない。それは優れて東アジアに固有の現象である。
考えてみれば(いや、実は改めて考えるまでもないのだが)、それも当然のことだ。欧州大陸においては国境線の変更は日常茶飯事であった。近くは、日本と同じ敗戦国であるドイツの東西の国境線の激しいまでの伸び縮みをみれば一目瞭然である。また、欧米列強が植民地獲得競争を行った結果、極めて人工的に設けられた境界線が今日の多くのアジア・アフリカ・中南米諸国の国境線を形作っている。そういう背景のもとでは「固有」の領土などという法的概念が唱えられる余地が存在しない。
なぜ東アジアにおいてのみ「固有の領土」論がまかり通るのかといえば、やはり各国(フィリピンはともかく)が国家として古い歴史をもっていることに由来する面は否定できないだろう。
それとの関連でいえば、主権・領土・人民(国民)から構成される近代国家の概念は西欧起源であり、中華世界における「国家」概念とはそもそもの沿革からして異なることも想起されるべきである。「修身斉家治国平天下」(孔子)におけるように、「国」と「家」がいわば同一線上で認識され、合体することの上に成り立つ「国家」という概念は東アジアならではのことである。西欧の近代国家概念は、公(その代表がstate)と私(その代表が個人であり、個人による最小の結合体としての家族familyである)の峻別及び対立の上に成り立っている。Stateに古来からの「国家」を当てたことによって、概念上の混乱が生まれたと言えるのだ。
「領土」という概念自体も優れて西欧起源の近代国際社会及び国際法の所産である。中世までの欧州世界においても、近代世界に無理矢理引き込まれるまでの東アジア世界におけると同じく、土地は優れて支配者の財産であり、それ以上のものではなかった。いわゆる30年戦争を経て作られたウェストファリア条約以後に成立した主権君主(後に国家)を成員とする国際社会のもとで、市民革命を経て成立した国民国家・ナショナリズムが領土に対するこだわりを産み出し、法概念にまで結実させたと言えるだろう。
そういう欧州起源の国際法上の基準を機械的に適用して、中国が自国の歴史的文献の記載に基づいて、釣魚島の発見、命名及び利用に加え、同島に対して長期的に管轄してきたとして領有権を主張すること(中国国務院弁公室「釣魚島は中国の固有の領土である」白書)に対して、長期的管轄に関する記載が国際法で要求する実効支配の要件・内容を満たしていないから証拠能力はないという趣旨の反論をする向きが日本国内に存在する。しかし、このような反論は二つの点で無理がある。
まず、近代国際法の要件どころか、国際法自体の存在すらなかった時代の中国の歴史的文件に近代国際法が要求する内容の記述がないというだけで斥けるのは、どう見てもおかしい。中国側の指摘する文件における記載が、今日的視点で解釈すれば、実効支配の要件を実質的に備えているかどうかを基準にして判断すべきだ。私は、中国側の指摘する文件の記載(明朝、清朝による長期的管轄)は今日的意味での実効支配に該当するとみなされて然るべきだと判断する。
また逆に、仮に国際法の要求する要件を機械的に当てはめることに固執するならば、日本が竹島及び北方4島に関して行ってきた、日本の歴史的文件の記載に基づいての「固有の領土」論も、国際法の要求する要件を具備していないのだから、同じくなり立たないはずだ。日本の行う主張にはその要件を当てはめず、中国の行う主張には当てはめなければならないとするのは明らかにダブル・スタンダードだ。
ただし、私自身の「固有の領土」論に関する以上の理解が正しいという前提に立てば、私は、日本のみならず中国(及び韓国)も「固有の領土」論はやめるべきだと言いたい。領土問題はただでさえ感情的なナショナリズムをかき立てやすい。そこに「固有」か否かという要素が付け加わると、ますます冷静な議論の余地が狭められるのがオチだ。中国(及び韓国)としては、あくまで今日的基準でいう先占及び実効支配に該当する行為が過去において取られていたかどうかを基準にして自らの主張を組み立て直すべきだろう。それは日本の竹島及び北方4島に関する主張についても同様であることは改めて言うまでもない。
なお、厳密に言えば、竹島及び北方4島に対する日本の主張(歴史的支配の経緯を重視する)と尖閣に対するそれ(国際法における「無主先占」論に基礎を置く)とは区別すべきだ。特に、尖閣について日本が「固有の領土」論として一くくりにするのは明らかに無理がある。

3.尖閣(領土)問題の展望:問題解決の可能性

 ナショナリズムに凝り固まった人はともかく、私たちの普通の感覚では、尖閣諸島のような小さな島嶼の領有権をめぐって日中がこのようにいがみ合うのには正直ついていけない、というのがホンネではないだろうか。少なくとも私はそうだ。また、中国(政府だけでなく人民も)がこのように怒る気持ちが分からないということだろう(日本人の中では、何に代えても尖閣を死守すべきだと心底考える人は圧倒的に少数ではないかと思う)。
しかし、尖閣問題を本気で解決したい(少なくとも尖閣問題が如きで日中がいがみ合うのはやめにしたい)と考える場合には、まずそのための前提として、中国の怒りの所在を正確に理解することが不可欠である。そのためには、私たちは他者感覚、とりわけ歴史感覚と国際感覚をフルに働かせる必要がある。

【歴史感覚を働かせよう】
 まず私たちは歴史感覚を働かせる必要がある。中国は19世紀に入ってから欧米列強の侵略戦争で半植民地化され、多くの領土を奪われた。明治維新を成し遂げた日本は、欧米列強にならって中国を支配しようとし、1894年の日清戦争以後1945年に至るまで中国に対する侵略戦争を行い、中国及び人民に筆舌に尽くせない被害を与えた。東アジア世界(中華世界)の頂点にあった中国は、欧米日が強権で支配する国際社会の最底辺で呻吟する地位にまで転落した。この民族的な屈辱をはね返して真の独立を回復し、奪われた領土を回収して国家を統一する願いが中国ナショナリズムの最大の原動力となり、数十年に及ぶ抗日闘争・戦争を闘う(戦う)上での支え(精神的支柱)になった。
 その中国においては、尖閣諸島は、歴史的にも、実効支配の点からも、また、中国内外の地図での記載によっても、昔から中国の領土であり、それが日清戦争の結果、台湾及びその付属島嶼の一部として日本に不当に奪われたと認識されている。第二次世界大戦で敗北した日本はポツダム宣言を受け入れて降伏した。中国は、同宣言により釣魚島は台湾の一部として中国に返還されたと考えている。ところが実際には、日本を占領したアメリカが尖閣諸島を支配し、沖縄返還協定で日本に「勝手にかつ不法に」引き渡してしまった、と中国は認識している。このような歴史的背景を理解することによってはじめて、中国がなぜ激しく怒っているかを理解することができる。

【国際感覚を働かせよう】
 国際感覚を働かせる必要があるというのは、中国では今回の問題が優れてアメリカがらみで捉えられているということだ。中国からすれば、ポツダム宣言作成に主動的役割を果たしたアメリカは、中国が日本に奪われた領土の対中返還を支持し、協力するべきだった。ところが、中国大陸に共産党政権が成立したことで、アメリカは対アジア政策を180度転換し、中国を敵視し、台湾の国民党政権を支え、ポツダム宣言(及びこれを体現する日本国憲法)に基づいて民主化・非武装化するべき日本をサンフランシスコ対日平和条約及び日米安保条約で対米従属国家として独立させた。そして沖縄返還協定で「不当に」尖閣諸島を日本に引き渡したということなのだ。
 確かに米中関係は、1972年のニクソン訪中から91年のソ連解体までの間、ソ連を主敵とすることで米中の戦略的思惑が一致していたために緊張が緩和したこともあった。しかしソ連解体後は、中国の急速な台頭に対してアメリカが警戒感を強め、米中関係は複雑化した。特にオバマ政権になってからのアメリカは、「アジア回帰」戦略のもと、中国の周辺諸国(日本、韓国、フィリピン、ベトナム、オーストラリア、インド)との軍事的結びつきを強化し、対中軍事包囲網を形成しようとしている、と中国は認識している。
 中国と日本、フィリピン、ベトナムとの間の島嶼領有権をめぐる争いが近年になって激しさを増してきたのはオバマ政権がこれら諸国の背後にあるからだ、と中国は確信している。アメリカは領土問題で「いずれの国の主張に対しても与しない」とする中立の姿勢を宣言しておきながら同時に、これら諸国との軍事関係を強化しているのだから、中国からすれば、アメリカの支持がなければ、これら諸国が中国に対して強硬な姿勢をとりうるはずがないと受けとめられるのだ。尖閣問題に即して言えば、アメリカが「日米安保は尖閣に適用がある」と度々発言することが、民主党政権の中国に対する上記の強気な姿勢を支えている、と中国は考える。このように尖閣問題をはじめとする東アジアの領土問題の国際的背景(アメリカの対中政策)に関する中国の認識の所在を理解することにより、中国が何故かくも怒っているのかが正確に理解できる。
 私は正直言って、中国がこれらの領土問題を「核心的利益」(日本の右翼的表現に変えれば「国益」)と位置付けることには強烈な違和感を覚えている。なぜならば、中国はこれまでに、ロシア、インド、ミャンマー、ベトナムとの間で国境線画定という形で領土問題を平和的に確定してきた実績を持っているからだ。
確かに過去の実績は陸上での国境線の画定であり、海洋権益がからむ島嶼問題とは同日に論じられないという中国側の反論はあるかもしれない。しかし、中国のホンネから言えば、アメリカがらみ(対中軍事包囲網の一環)という要素が解消すれば「話は別」ということになるのではないか。現実に中国は、日本との間では「棚上げ」を長らく主張し、支持してきたわけであるし、ベトナム、フィリピン等に対しても二国間での話し合いによる解決を主張している。中国がどのように国際関係を見ているかを私たちが国際感覚を働かせて理解することにより、中国の一見居丈高な姿勢を解きほぐす手がかり(アメリカ頼みの日本、フィリピン、ベトナムの対中対抗政策を改める)を見出すことは難しいことではないと思うのだ。
 最後に、私たちは尖閣問題についてどのように判断し、対処することが求められるのだろうか。展望及び問題解決の可能性ということで、いくつかのポイントを提起したい。

【「固有の領土」論への引導渡し】
 まず、尖閣問題を含むいわゆる領土問題は、前世紀的遺物と言うべき歴史的所産だということだ。それはナショナリズムと直結し、ナショナリズムの激発を呼び起こす。確かにナショナリズムは、中国を含む多くの発展途上国にあっては、今日もなお国家的統一を維持するために欠くことのできない役割を果たしている。また、「中央政府がない国際社会」という本質は21世紀においても基本的に存続するだろうから、ナショナリズムを呼び起こす土壌が早急になくなることは考えにくい。
しかし、私たちが主権者である日本においては、尖閣(竹島、北方4島)問題を理性的に位置付け、感情に押し流されないことが肝要であることは直ちに理解されるだろう。そういう意味で、感情むきだしの民主党政権(ひいては右傾化を強める永田町政治全般)及びマス・メディアの論調に引きずられないことが最低限の出発点となるべきである。
その上で、尖閣(竹島、北方4島)に関する日本政府の「固有の領土」論自体について冷静に吟味し直すべきだ。尖閣については、1880年代から90年代の日本政府の文献から判断すると、日本の主張は極めて説得力が乏しいと私は判断する。特に私は、1885年12月5日に山県有朋内務卿が、その下した結論(「国標建設の件は清国と島嶼帰属の交渉に関わり、双方に適切な時機があり、目下の情勢では見合わせるべきと思われる」)を三条実美太政大臣(つまり今でいう総理大臣)に内申しているという事実の重み(要するに、総理大臣にまで内申する必要がある政治的事柄だと判断していたということ)は大きいと判断する。つまり当時の支配者は、単純な無主先占の問題として捉えていたのではなく、明らかに「清国と島嶼帰属の交渉に関わ」る問題と認識していたことは明らかだと判断せざるを得ないのだ。
ちなみに、先に紹介した中国国務院の釣魚島に関する白書も、当時の日本政府の文献記載に基づいて、日本側の無主先占論が成立しないことを主張している。しかし、上記内申について触れていないのは明らかに見落としだと思う。
私は詳しく調べていないので軽々には言えないが、竹島についても、日本の朝鮮半島攻略の歴史と無縁と考えるのは無理がある感じだ。北方4島(実は千島列島全体)については、米ソ・ヤルタ協定の文言から見ても、ソ連が樺太千島交換条約で千島列島全体を日本領にすることを約束した歴史的法律的根拠(つまり日本の領土であること)にチャレンジする厚かましさはないことが理解される。既に見たように、ロシアの領有権主張はポツダム宣言(及び国連憲章)に根拠を置いており、日本がこれに対して「固有の領土」論を持ち出しても勝ち目はないことは先述したとおりだ。

【ポツダム宣言第8項に向きあう必要性】
 さらに、尖閣(竹島及び北方4島)に関してポツダム宣言第8項で処理方針が明確にされていることを踏まえるべきだ。既に指摘したとおり、そこでは「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とある。「吾等」とは第二次大戦で日本に勝利した連合国であり、具体的には米英中ソの4カ国である。つまり、日本の「固有の領土」であると否とにかかわらず、中国、韓国(朝鮮)、ロシアに属すると「吾等」が決定すれば、それで終わりということだ。
 これも既に指摘したことだが、外務省は、ポツダム宣言は連合国が出した一方的な政治文書で法的な拘束力はない、という国際的に通用するはずがない乱暴な主張を行っている。しかしこれまた既に指摘したとおり、昭和天皇が1945年8月14日に出した終戦詔書も、同年9月2日に署名した降伏文書もポツダム宣言受諾を明記している。降伏文書では同宣言の条項を誠実に履行するとまで約束した。外務省の主張は実に荒唐無稽であり、アメリカでさえこの主張を認めないだろう。こういう見苦しい悪あがきはしないことだ。
 私は、日本が「固有の領土」論に固執するのをやめ、潔くポツダム宣言にしたがって尖閣(竹島及び北方4島)に対する主張を取り下げること(そのことは、私たちの歴史認識を改め、右傾化を強める日本政治の流れを私たち主権者に取り戻すことなしにはあり得ないが)こそが、中国、韓国(朝鮮)、ロシアの対日不信・警戒を取り除き、日本の東アジアにおける「名誉ある地位」(日本国憲法前文)を確かなものとし、ひいては日本自身を含む東アジアの平和と安定に資するゆえんだと考える。

【国際司法裁判所付託の提起】
 「固有の領土」論は崩せないし、ポツダム宣言第8項を甘んじて受け入れるのはどうしても納得がいかないということであるならば、竹島だけではなく、尖閣及び北方4島についてもすべて、日本としては国際司法裁判所(ICJ)の判断に委ねるという態度表明を行うことは、政策論としては考えられる。ただし、アメリカが上記の「立場をとらない」とする政策を崩さないことが前提になる。アメリカが中国、韓国(朝鮮)、ロシアの立場に同意すれば、日本の「固有の領土」論には関係なく、尖閣、竹島、北方4島は、それぞれ釣魚島、独島及び南千島諸島として中国領、韓国(朝鮮)領、ロシア領として決着が下される運命にあることは既に述べた。
 ちなみにICJ付託が実現する可能性は、中韓露の関係諸国がすべて消極的であることからも極めて乏しく、限りなくゼロに近い。しかし少なくとも、私たち及び日本自身が狭隘なナショナリズムの呪縛から解き放たれるという意義はあるだろう。また、日本がこのように態度を「軟化」することは、中韓露の領土問題に対する姿勢を和らげる可能性はあり、そのことが東アジア情勢の安定化に資するという効果も期待できないわけではない。

【棚上げへの回帰は実現可能】
 以上は根本的な提起であり、日本の現状を前提にする限り、いずれも実現性は極めて低いことは私も認識する。そこで最後に、尖閣(釣魚島)問題に関して実現可能性のある提起を行っておく。私は、中国がいまもなお「棚上げ」合意の線に戻ることで矛先を収める用意があると判断している。したがって、民主党政権が筋の通らない主張(領土紛争の存在及び棚上げ合意の存在の否定)を改めれば、当面の事態収拾はなお可能だと考える。さらに現実的に考えれば、次の総選挙で民主党が敗れることはほぼ間違いないだろうから、政権交代を機会に次期政権がこの主張を取り下げることで、事態打開のチャンスはあると判断する。そのためにも私たちは、次の総選挙で主権者として、領土問題に限らず、日本の進路を誤らせない明確な意思表示と判断とを行い、日本政治の進路に誤りのない決定を行うことが不可欠である。

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