日中関係:反省と転換

2012.11.21

*社会民主党の月刊誌『月刊社会民主』の求めに応じて書いた文章を紹介します。尖閣問題で浮かび上がってきた日中関係の構造的問題点について考えたものです(11月21日記)。

 民主党政権の、稚拙を通り越した、愚かとしかいいようがない対中政策は中国政府及び人民の激怒を引き起こした。それは当然のことであったし、長年にわたって(外交実務に携わった20余年プラス大学の世界に身を置いて横目にせよ観察を続けた20年弱、合計40年弱)中国及び日中関係、更には中国とかかわり合う日本政治そのものを見つめ、かつ、それらについて基本的な認識を培ってきた私にとっては十分に想定範囲内のことだった。しかし、尖閣問題の尖鋭化を背景にした、中国の政府及びメディアの日本に対する批判及び論調を観察し、分析することを通じて、私が40年弱の間に培ってきた認識に重大な見落としがあったこと、しかもその見落としは極めて本質にかかわる問題であることを認識させられることになった。本誌から、「戦後の日中関係史、対中外交史の中での尖閣問題の位置付け」をテーマにして執筆の誘いがあったこの機会に、私のこれまでの基本認識を、私が見落としてきた重要なポイントを踏まえて再検証することにより、日本、中国及び日中関係について、読者に考える素材を提供したいと考える。

1. 世界政治の基本的構図

私が見落としていた重要なポイントとは、第一、第二次世界大戦終結後の世界政治あるいは国際関係の本質的性格のあり方をめぐって、大西洋憲章に集約される考え方・基本理念及び同憲章を柱として構築されるべき体制(以下「大西洋憲章体制」と呼ぶ)と、世界の覇者となったアメリカが積極的に推進した権力政治に基づく冷戦政策が体現した考え方・基本理念及びこれを具体化した体制(以下「冷戦体制」と呼ぶ)との対立があったし、その対立は今日に至るまで続いているということだ。第二、東アジアにおいて大西洋憲章・体制を具体化しようとしたのがポツダム宣言及びそれに基づいて構築されることが予定された体制(以下「ポツダム体制」と呼ぶ)であり、冷戦政策を具体化したのがサンフランシスコ対日平和条約・日米安保条約・日華平和条約の三本柱及びこの三本柱を基軸とした体制(これが所謂「サンフランシスコ体制」)であり、東アジアにおいても両者の対立が戦後一貫して続いて来たということだ。そして第三、21世紀の世界政治あるいは東アジアの国際関係のあり方は、この二つの考え方・基本理念・体制のいずれが他を圧倒するかによって決定されることになるということである。
世界政治及び東アジアのあり方をめぐるこの二つの考え方・基本理念・体制の対立という基本構図は、私にとってはいわば「コロンブスの卵」という形容がぴったりの「発見」であった。70歳を超えた今になってようやく自分の見落としについて発見するということは、ある意味「極めてお粗末」と言うほかない。しかし、「過ちを改むるに憚ることなかれ」とも言う。冷戦体制及びサンフランシスコ体制については改めて説明する必要はないだろう。しかし、大西洋憲章体制及びポツダム体制については、それらがともにこの文章で私が仮に命名したものであり、まずはその中身を明確にしておく必要があるだろう。
大西洋憲章体制が代表する考え方・基本理念は、国際政治を長く支配してきた権力政治の清算及び第二次大戦を経て普遍的価値として承認されるに至った人権・デモクラシーの国際的確立である。若干長きにわたるが、大西洋憲章に盛り込まれた考え方・基本理念を確認しておく。
同憲章は、米英両国が「世界ノ為一層良キ将来ヲ求メントスル」立場に基づき、第二次大戦後の世界の「希望ノ基礎ヲ成ス両国国策ノ共通原則ヲ公ニスル」(前文)とする。その具体的内容は、「領土的其ノ他ノ増大ヲ求メス」(第1項)、「関係国民ノ自由ニ表明セル希望ト一致セサル領土的変更ノ行ハルルコトヲ欲セス」(第2項)、「一切ノ国民カ…政体ヲ選択スルノ権利ヲ尊重」し、「主権及自治ヲ強奪セラレタル者ニ主権及自治カ返還セラルルコトヲ希望」する(第3項)、「一切ノ国カ…世界ノ通商及原料ノ均等条件ニ於ケル利用ヲ享有スルコトヲ促進スル」(第4項)、「一切ノ国ノ間ニ経済的分野ニ於テ完全ナル協力ヲ生セシメ」る(第5項)、「一切ノ国ノ一切ノ人類カ恐怖及欠乏ヨリ解放セラレ其ノ生ヲ全ウスルヲ得ルコトヲ確実ナラシムヘキ平和」を確立する(第6項)、「右平和ハ一切ノ人類ヲシテ…公ノ海洋ヲ航行スルコトヲ得シムヘシ」(第7項)、「世界ノ一切ノ国民ハ…強力ノ使用ヲ抛棄」し、「平和ヲ愛好スル国民ノ為ニ圧倒的軍備負担‥軽減…措置ヲ援助シ及助長」する(第8項)、という諸項から成る。権力政治の清算、人権・デモクラシーの国際的確立を目指すものであることは明らかである。これらの要素の多くは国連憲章に盛り込まれたことも附言しておきたい。
ちなみに、同憲章を作った米英首脳(ルーズベルトとチャーチル)の主観的意図や隠された狙いは別にあったかもしれないが、それを詮索する意味はない。ドイツ・ナチズム(及び間近に迫っていた日本軍国主義)という全体主義の脅威に対して、世界を支配するべき考え方・基本理念を客観的に明らかにした同憲章の画期的及び人類史的な意義はいささかも損なわれるものではない。
ポツダム宣言・体制が大西洋憲章・体制のアジア版または対日版であることは、同宣言の次の規定に明確である。即ち、日本の降伏を迫る上での「吾等ノ条件ハ左ノ如シ」(第5項)として示されたのは、「無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」(第6項)、「右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ…茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ」(第7項)、「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」(第10項)、「前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立」されるべきである(第12項)とする諸項だ。大西洋憲章の多くの内容が国連憲章に盛り込まれたように、ポツダム宣言の上記諸内容は日本国憲法に盛り込まれることになった。
尖閣問題でクローズアップされるのはもっぱら「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と定めるポツダム宣言の第8項である。もちろん、後述するように、尖閣問題(ひいては日本の領土問題全体)を考える上では同項は極めて重要である。しかし第8項の持つ意味は、ポツダム体制全体のなかで位置付けたときにはじめてその重要性を正確に捉えることができると今は確信する。「今は」と言うのは、正にこの点に私のこれまでの認識の落とし穴があったということでもある。また、尖閣問題を契機として中国が全面に押し出してきた主張も、尖閣問題をポツダム体制という枠組みにおいて捉えるべきことを提起していることは間違いない。
以下においては、ポツダム体制(日本国憲法)とサンフランシスコ体制(日米安保条約)の対立という基本構図を念頭において、日中関係をできるだけ簡潔に再検証することとする。

2. 日中関係規定要因に基づく再検証

 私は、外交実務経験のなかで暖めてきた日本外交の基本的特徴に関する理解を、「徹底した親米路線」及び「「過去の遺産」のくびき」と捉え、当時(1989年)の国際環境を踏まえつつ、日本外交の課題として「日米安保体制に代わるもの」、「アジアと日本」及び「世界の平和と安全のために」の三つの分野について論じたことがある(岩波新書『日本外交 反省と転換』)。私は、それから20余年を経た日本外交は、私が指摘した基本的特徴を余さず持ち続け、むしろ私の指摘した問題点がますます深刻さを露呈されつつある、と考えざるを得ない。  しかし、当時の私に欠けていたのは、ポツダム体制とサンフランシスコ体制の対立という基軸の存在及び支配という基本的構図に関する認識だった。この構図を踏まえるとき、私のこれまでの認識に如何なる修正・見直しが必要になるか。日中関係を規定する三大要素と言うべき歴史認識、日米関係(日米安保条約・体制)及び「一つの中国」(台湾問題)の3点にしぼって考える。尖閣問題はそのそれぞれにおいて占めるべき位置づけが与えられることになるだろう。

<歴史認識>
 私は日中彼我の歴史認識の隔たりの大きさには暗然となることが多い。中国には「歴史を鑑と為す」という認識がどっかり座っており、歴史から学ぶことによって将来に向けた行動に誤りなきを期することができると考える。これに対して日本では、過去・わだかまり・こだわりなどを「水に流す」ことが善しとされ、歴史に学び、自らを律する糧として歴史を重視する発想はきわめて乏しい。
 日中国交正常化を実現する上での難関の一つは、日本軍国主義による中国侵略の歴史について、日中双方が納得し、受け入れられる総括を行うことができるかどうかという点にあった。既に述べたことから分かるように、サンフランシスコ体制は、日本軍国主義の過去を不問に付し、アメリカの冷戦政策・体制に日本を組み入れることで成立したアジア版冷戦体制である。日中国交正常化交渉に臨んだ田中・自民党政権にとっても、サンフランシスコ体制堅持は当然の前提であり、対中戦争責任問題に踏み込むことは是非とも避けたく、できるだけことなかれで処理するという考えだった。
 サンフランシスコ体制そのものを承認していない中国は、ニクソン訪中で米中関係が急展開し、かつ、田中政権の登場で日中国交正常化の現実的可能性が急遽浮上するまでは、日本軍国主義の対中侵略責任をハッキリさせることは当然と考えていた。日本の戦争責任を明らかにすることは、東アジアを支配するサンフランシスコ体制の正統性を突き崩す上でも重要だと考えられていた。
 しかし、毛沢東・周恩来指導部は、米中関係改善を背景に、対外関係においてソ連を主要矛盾、アメリカを副次的矛盾とみなす判断を行った。この判断の下においては、戦後一貫して主要矛盾と位置付けられてきたサンフランシスコ体制も副次的矛盾とみなされることになる。そのため、日中国交正常化交渉においては、日本側が日中共同声明の前文において、「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と述べるに留めることに、中国側は応じたのだった。
 しかし、その文言を如何に受けとめるのかという点については日中の歴史認識の違いが当初から存在し、その違いが今日に至るまで日中関係に深刻な影を落とし続けてきた。つまり、「水に流す」という意識の日本側にとっては、「これで一件落着、これからは白紙状態で出直し」を意味した。しかし「歴史を以て鑑と為す」中国側からすれば、「責任・反省をこれからに活かす」日本でなければならないわけだ。日中関係正常化後、歴史教科書、靖国、南京大虐殺、強制連行、「従軍慰安婦」、毒ガス等々の問題が頻発してきたが、その根っこにあるのはすべてこの歴史認識の違いである。
 しかし、本年の尖閣問題の先鋭化は、中国側をしてもっと根本的な問題の存在への指摘に向かわせた。つまり尖閣問題について「日中間に領土紛争は存在しない」、「日中間に棚上げ合意は存在しない」と主張する民主党政権は、日本が「固有の領土」論を持ち出す空間を提供したサンフランシスコ体制に依拠しているということだ。したがって、後述する日米安保体制の主要矛盾化とあいまって、日中国交正常化時には副次的矛盾と位置付けられていたサンフランシスコ体制が今や再び主要矛盾として提起されることになった。
 具体的には、中国は釣魚島に対する領土主権の根拠として、従来は中国からする「固有の領土」論を展開してきたのだが、今はこれに加え、カイロ宣言及びポツダム宣言なかんずくポツダム宣言第8項に基づいて、釣魚島は台湾の付属島嶼として中国に返還された決着済みの問題という主張を押し出している(これに対して日本政府は無主先占論に基づく「固有の領土」論を主張し、日清戦争とは無関係だという議論で対抗している)。しかも、中国側からすれば、この中国の主張に抵抗する日本は同時に憲法改正、軍事強化に向けて動いており、ポツダム宣言が予定した戦後国際秩序に挑戦し、ポツダム宣言が禁じた日本の軍国主義復活をめざしていると糾弾される。私のこれまでの議論を踏まえれば、中国の釣魚島にかかわる主張は取りも直さず、戦後の東アジアの国際秩序を支配してきたサンフランシスコ体制に代えてポツダム体制の実現をめざす闘いという性格を色濃く帯びることになっている。

<日米安保条約・体制>
 中国は、サンフランシスコ対日平和条約交渉に参加することをアメリカによって阻まれ、同条約成立に際してはこれを「不法無効」とする周恩来外交部長声明を発表した。また、対日平和条約とパッケージだった(日本の独立回復は日米安保条約によってアメリカの同盟国となることが条件だった)、反ソ反共を旨とする日米安保条約にも一貫して反対してきた。日華平和条約に至っては、中国敵視政策の最たるものとみなしてきた。要するに中国は、サンフランシスコ体制そのものを否定し、これに真っ向から挑戦してきた。日米安保条約・体制を前提とした1971年の沖縄返還協定に際しては、尖閣の施政権がアメリカから日本に「返還」されることに対して、これを「不法」とする外交部声明を出した。要するに、日米安保条約・体制を基軸とする日米関係及び同関係を中心に据えるサンフランシスコ体制そのものを、中国は長年にわたり、中国を敵視するものとみなし、反対し続けてきたのだ。
 しかし中国は、日中国交正常化交渉に臨むに当たっては、既に述べたように、ソ連を主要矛盾とする立場から、サンフランシスコ体制特に日米安保条約・体制については表だって取り上げない姿勢・政策を採用し、これによって国交正常化実現を可能にする条件整備を行った。中国が日米安保条約反対を譲らないことが分かっていたら、田中訪中はそもそもあり得なかった。この点では、確かに中国は日本に対して大きな譲歩を行ったように見える。
そして日米安保問題は、当時の日本政治における保革の間のもっとも尖鋭な対決点であったから、中国のこの方針の「大転換」は日米安保反対を掲げていた革新陣営にとっては大きな思想的な衝撃であり、政治的な打撃であった。私自身、日中国交正常化実現のためにはこの姿勢・政策はやむを得なかったにせよ、その行動はあまりにも赤裸々に国家的考慮優先に走ったものという批判を免れないし、真の日中平和友好関係を展望する上で、日米安保体制の存在は障碍要因であり続けると考えてきた。
 しかし、尖閣問題の先鋭化を背景とした最近の中国側の論調を観察することにより、中国は無原則的な譲歩を行ったのではないかという以上の判断を見直す必要があると認識させられることになった。確かに中国は、ソ連を主要矛盾、サンフランシスコ体制・日米安保条約を副次的矛盾と規定した。しかし、副次的にせよ矛盾であるという中国の認識に変化があったわけではなく、日中国交正常化実現の大枠のもとで、この矛盾にかかわっても二つの成果を達成した、と中国は認識しているということだ。具体的には、台湾問題(後述)と並んで尖閣問題に関してサンフランシスコ体制・日米安保条約に風穴を開けることに成功した、という認識を持っているのだ。
 即ち、日中首脳会談において、釣魚島の主権帰属問題に関し、日本側に紛争の存在を承認させ、かつ、同問題を後々解決するという意味において棚上げにすることについて共通認識と了解を実現したことは、尖閣問題に関してサンフランシスコ体制に対する異議申し立てに日本側が応じたことを意味するものと認識されている。日中共同声明は正にそういう棚上げ合意に立脚しているのであり、「1943年のカイロ宣言、1945年のポツダム宣言及び1972年の中日共同声明はすべて、中国が釣魚島に対する主権の要求を放棄したことはないことを明らかにしている」(10月17日付人民日報所掲の金采薇「主権の要求は資源と無関係」)とされているのだ。
 ソ連が崩壊した後の国際情勢に関して、中国は、東アジアにおいては日米安保条約・体制を中軸とする冷戦体制・サンフランシスコ体制が引き続き存在していると認識され、旧ソ連に代わって中国が標的に据えられることによって、サンフランシスコ体制・日米安保体制は再び主要矛盾として位置付けられるに至っている、と認識している。そういう認識のもとで、尖閣問題の先鋭化を図る民主党政権ひいては右傾化を強める日本政治を捉えているのだ。したがって、尖閣問題に関して中国が安易に妥協する余地はあり得ず、中国としては、東アジアの国際関係をポツダム宣言に基づいて作り直す(私流にいえば、サンフランシスコ体制に代えてポツダム体制を中心に据える)長期的闘いの一環として、尖閣問題について長期戦を闘う構えに入っているのである。

<「一つの中国」(台湾問題)>
 国交正常化交渉において、日本にとって日米安保条約・体制が譲れない一線であったように、中国にとっては「一つの中国」原則は絶対に譲れない一線であった。そして、この問題については日本が中国側の主張を受け入れて、国交正常化が実現した(日中共同声明第2項及び第3項)。しかし、第3項の「日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場(台湾は中国の不可分の一部であるというもの)を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」という表現に固執した日本側の意図は、アメリカの政策を損なわないようにすること、つまり日米安保条約の適用範囲に台湾を含めておくことを確保することにあった。
 つまり、ポツダム宣言第8項は、「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク」(傍点は浅井)とあり、引用されたカイロ宣言は「台湾及膨湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還」することを定めている。日本側としては、台湾が中国に返還されるべきだ、ということまではコミットしたが、「返還された」ということまではコミットしていないということだ。つまり、台湾は中国にまだ返還されていない状況だから、アメリカが日米安保条約に基づいて台湾海峡有事に出動する場合には、日本としてこれを支持し、協力することは中国に対する主権侵害、内政干渉には当たらない、という理屈づけが行えるということだ。
 中国側がこの日本側提案に応じた理由は必ずしも明らかではない。しかし、米中関係が劇的に改善し、日中国交正常化が実現する状況のもとで、当時の中国が台湾問題の先行きを楽観した(つまり、米中の支持がないもとでは、台湾が中国に復帰するのは時間の問題と考えた)可能性は大きい。だが、その後もアメリカ及び日本による台湾との関係は実質的に維持され、むしろ発展した。中国が大国化の歩みを加速している状況のもとで、台湾を中国本土から引き離し、更には中国牽制材料として確保しておきたいというアメリカ(及び日本)の軍事的・戦略的意図はますます強まっている。そのため、中国の国家統一方針に対して、米日が立ちはだかるという構図が近い将来に解消することは考えにくい。
 他方、尖閣問題の先鋭化は、ポツダム宣言第8項に新たな意味を加えることになっていることについても指摘しておく必要がある。既に指摘したとおり、日中共同声明第8項の上記規定ぶりを主張したのは日本側だった。その際の狙いはもっぱら台湾に対する日米安保条約の適用を確保することにあった。しかし、日本政府が自ら第8項の立場を堅持すると約束したことは、第8項の「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」という規定にもそのまま当てはまるわけだ。つまり、尖閣(あるいは竹島、北方4島)が日本の固有の領土であるか否かにかかわりなく、これら当初の領土的帰属を決定するのは「吾等」即ち連合国(さらに限定すれば、ポツダム宣言を作った米英中及び後で参加したソ連(ロシア))であるということだ。台湾問題はこういう形で尖閣問題と関連しあっていることにも留意しておきたい。

結びに代えて

 1972年の国交正常化以後の日中関係は、1972年の日中共同声明によって規律されてきた。しかし、歴史認識、日米安保条約・体制、台湾問題というもっとも基本的な部分において同床異夢あるいは呉越同舟が潜んでおり、そのことが日中関係の安定的な発展を阻害してきた。いま顕在化し、先鋭化している尖閣問題はそういう要素に起因していることは否定するべくもない。
しかし、それだけではない。中国が激怒したのは、野田政権が「領土紛争は存在しない」「棚上げ合意はない」として、1972年及び1978年に日中の最高レベルで達成された共通認識及び了解の存在そのものまでも否定し去り、「国有化」という一方的行動を強行したことにある。日中最高レベルの共通認識・了解をも否定するような国家・政権とはまともに付き合うこともできないではないか、ということだ。しかも、この最高レベルの了解を作った当の自民党が、いまや野党として、民主党政権を上廻るような無責任な言辞に徹しているのであるから、中国としては、今後の日中関係に対していやが上にも警戒感を高めずには済まないということになっている。
 私は決して中国の肩を持つつもりはないが、中国の懸念・警戒には十分理由があると考える。ましてや、日中が再び干戈を交えるというシナリオはもはやあり得ない(その累の及ぶところは日中両国に留まり得ず、東アジアひいては世界の壊滅的被害に直結する)し、絶対にあってはならないことだ。私たちがこの最低限の常識を踏まえるだけでも、現在の日本の政治状況を食い止め、右傾化傾向を逆転させることによって、日中関係を回復の軌道に戻すことが不可欠であることが理解されるはずである。
 私たち主権者としてはさらに、歴史認識を正し、日米安保条約・体制に終止符を打ち、掛け値なしに「一つの中国」にコミットしなければならない。つまり、サンフランシスコ体制に引導を渡し、ポツダム体制を東アジアに構築しなければならない。そうしてのみ、日本は東アジア(ひいては世界)における市民権を確立することができ、21世紀の国際社会において積極的な役割を担うことができるのである。そのためには、日米安保条約を終了させ、日本国憲法を生かし切る国に生まれ変わらせることが前提になる。私たち主権者の決意と行動が問われているのだ。

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