尖閣「国有化」後の中国の対日観(10)

2012.10.24

*10月20日から23日にかけての中国メディアの対日論調から、今回は3つの文章を紹介します。一つは22日付の人民日報所掲の鐘声「日本は信頼に背き義を捨てた深刻な結果を引き受けなければならない」、2番目は同日付の中国新聞社HPが掲載した雑誌『瞭望』ニュース週刊をソースとする霍建崗「野田政権の敗着」、そして20日付環球時報社評「中国海軍が出てきた 日本、ヴェトナム、フィリピンよ、適切に対応するように」です。
 鐘声の文章は、日中指導者間で達成された棚上げ合意を否定する立場を崩そうとしない民主党政権に対して警告を発するものですが、特に私が強調を附した最後のくだりに注意していただきたいと思います。鐘声は、民主党政権の行為は「双方が達成した共通認識を完全に葬り去り、釣魚島問題の現状を変更した」と断じ、日本側は「釣魚島問題に関する新しい共通認識を中国側と達成しなければならず、そうすることによってのみ、中日関係は健全に発展する軌道上に戻ることが可能になる」と指摘しているのです。つまり、棚上げ合意は過去のものとされてしまった以上、新しい共通認識に基づく日中関係回復が必要になっていると指摘していると受けとめられます。
日本側が棚上げ合意の線に戻るならば、中国側としては矛先を収める用意があることを強く示唆してきた最近の立場に変化が生まれのかどうかは、鐘声の文章だけから判断するのは、私にはなおためらわれますが、そういうニュアンスがこの文章で初めて出て来たことは注目する必要があると思います。
 霍建崗(いかなる人物であるかは紹介がないので分かりません)の文章は、日本外交の「持病の一つ」として、「自らの願望に基づいて相手側のことを想像するということ」を指摘し、10月10日付の共同通信が、日本政府が妥協案を検討していると報道した記事(私はこの記事に関する新華社の報道ぶりについて、このコラム「尖閣「国有化」後の中国の対日論調(6)」で紹介しました。ちなみに、中国側が報道した共同の記事の原文については、そのときには確認が取れていなかったのですが、その後原文に接することができました。新華社が紹介した共同記事はおおむね忠実にその内容を反映していました。)について、「根本的に言って、これは「妥協」ではなく、側面から中国を攻撃しようとする悪辣な敗着」と断じています。そして、こういうやり口を「日本外交の持病」と捉えているのです。
「自らの願望に基づいて相手側のことを想像するということ」は、私流にいえば、天動説的国際観、他者感覚の欠如ということで、霍建崗は良く日本外交を捉えているな、と私は妙に感心しました。その典型的な事例として太平洋戦争における対米開戦を挙げているのは説得力がありますし、今回の尖閣問題における民主党政権下の日本外交もそういう事例であるという指摘には、私も同意するほかありません。
もう一点、本質的なことではないのですが、日本側の尖閣問題に関する棚上げ合意否定の立場が1990年代後期から始まっているという指摘は、前のコラムでも紹介したことがあります。1990年代後期にどういうことがあったのか、私にはつまびらかではないのですが、中国側では広く共有されている認識であることが窺われます。
3番目の環球時報社評「中国海軍が出てきた 日本、ヴェトナム、フィリピンよ、適切に対応するように」は、大国意識(そのこと自体は悪いことではなく、「大国にはそれに伴う国際的な責任と義務を伴う」という意識であれば、私は必要なことだと考えます。むしろ、日本人には、そういう意味の大国意識が欠落していることに問題があると考えています)とは異なる大国主義(大国としての力を誇示して相手を威圧する発想)の臭いが表れていて、私としては「そこまで言うか」という気持ちになったというのが正直なところです。
しかし、敢えてこの社説を紹介するのは、中国側の日本(というより民主党政権)に対する怒りのすさまじさを私たちは理解し、認識する必要があると思うからです。また、この社説が日本との問題をヴェトナム及びフィリピンとの問題と同列視していることがはっきり分かる点でも、とかく日中問題という視点でしか物事を理解しない私たちの視野の狭さとは異なる、中国側の「複眼的」アプローチを理解する上でも参考になると思います。
もう一つ重要なのは、中国のみならずアメリカも大戦争を望んでいないと「確信するようになっている」と指摘していることです。私の想像では、パネッタ訪中などの機会を通じて米中間の意思疎通が行われた結果を踏まえたものだと思われます。つまり、パネッタ訪中まではアメリカの出方に確信を持てなかった中国ですが、米中接触を通じて、アメリカが日越比のために中国と本格的に事を構える意志はないと確信できるようになっていることが窺えるのです。「西太平洋でいったん戦争が起これば、「意地の張り合いは格別なものとなる」可能性がもっとも大きく、そうなったときに小国が割を食う確率はもっとも高い」という中国(及びアメリカ)の認識は正しく、私たちも空虚な「中国脅威論」に惑わされず、不測の事態を日本(民主党政権ひいては保守政治)が引き起こすことが絶対にないよう、主権者としての自覚と行動を心掛けるべきだと確信します(10月24日記)。

<鐘声「日本は信頼に背き義を捨てた深刻な結果を引き受けなければならない」>

 1972年の中日国交正常化及び1978年の平和友好条約締結過程において、両国の指導者は、大局に着眼し、「釣魚島問題は置いておいて後の解決を待つ」ことについて重要な了解と共通認識を達成し、これによって中日国交正常化のための重大な障碍を掃き清め、中日関係及び東アジアの平和、発展及び協力に新紀元を切り拓いた。ここで特に強調して指摘する必要があるのは、1972年に署名した中日共同声明において、日本政府は明確に「ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」こと、即ち「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラル」べきことを約束したことである。カイロ宣言の条項とは何かに関しては、日本が中国から盗取したすべての領土を返還すべきであるということについては誰もが知っていることだ。
 …史実は否認できようはずはなく、真相は消し去ることはできない。日本政府は「島購入」の茶番劇を作り出し、中日双方が釣魚島問題で達成した共通了解を帳消しにしようと妄想したが、結果は正反対で、日本側の恥知らずな否認に対して証拠をあげて批判する大波が日本内外で巻き起こったわけで、正に石を持ち上げて自らの足を打つことになったと言える。ますます大量に明らかになって来た強力な事実を前にして、日本政府のずるい言い訳がどれほど無力であり、日本外相の欧州での遊説がどれほど滑稽で笑うべきであるかということであり、彼が往訪した国々で受けた冷遇とばつの悪さということもまったく怪しむに足りない。
 中日国交正常化後の40年来、日本側は釣魚島問題で時に小細工を弄し、中国政府は幾度も日本が「火遊び」しないように戒めてきた。同時に、中日両国の友好協力関係を守るという立場から、中国側は一貫して双方が達成した共通認識を守り、大きな我慢をしてきた。ところが日本側はひたすら自分の意見を押し通し、両国の共通認識からますます離れていった。本年になってから、日本の釣魚島問題における茶番劇は絶えることがなく、「命名」、「上陸」、「視察」、「慰霊」など一連の行動をとり、9月には釣魚島「国有化」というプロセスの完成を宣言した。これ以上忍耐することができようか。このような背景のもと、中国政府は民意に従い、一連の有力な措置を断固採用し、中国の釣魚島の領土主権を守り広げ、日本側の挑発行動に反撃した。これは完全に正当かつ合法である。
 指摘しなければならないのは、日本側の不法な「島購入」行為は、双方が達成した共通認識を完全に葬り去り、釣魚島問題の現状を変更したということであり、釣魚島情勢はもはや過去には戻ることができなくなったということである。日本側は、情勢をはっきり見分け、現実を直視し、深刻に反省し、誤りを正し、釣魚島問題に関する新しい共通認識を中国側と達成しなければならず、そうすることによってのみ、中日関係は健全に発展する軌道上に戻ることが可能になる。我々は日本側に対して厳粛に申し渡す。幻想を抱き及び僥倖に頼り、いい加減にお茶を濁し、ごまかしてその場を過ごすことがあってはならない。中国政府及び人民の国家の領土主権を守る意志と決心は確固としたものであり、いかなる力といえどもこれを動揺させることはできない。

<霍建崗「野田政権の敗着」>

 日本外交の持病の一つは、自らの願望に基づいて相手側のことを想像するということであり、往々にして「壁にぶち当たらないと向きを変えず」、どの道も通り抜けられないということになってはじめて幻想を放棄し、現実を受け入れる。(中略)
 今はしばらく「日本が妥協案を提出することを検討している」という情報源が確かだったかどうかは問わないとして、仮に日本政府筋の意思だったとしても、「妥協」とは言いがたいものだった。本当に妥協する意思があるのであれば、釣魚島に関して主権紛争があることを承認し、その後で交渉という方法を通じて紛争を解き、解決するべきなのだ。いわゆる「妥協案」を詳細に検討すれば、その誤った立場はまったく変わっておらず、完全に自己矛盾な文字の遊びであり、釣魚島問題を必ずしも理解していない国際世論を弄んだ「こざかしさ」に過ぎない。このようなやり口は、本質において日本が国際場裡で行っているいわゆる「宣伝戦」と表裏一体であり、その目的とすることは、外界に対して「問題を解決する誠意がある」ことを顕示し、同時に中国の「道理がない」ことを攻撃し、国際的な「援軍」を勝ち取ろうとすること以外にないのだ。したがって、根本的に言って、これは「妥協」ではなく、側面から中国を攻撃しようとする悪辣な敗着なのだ。…
 釣魚島が中日関係における核心的な難点になったのは、実際上は、日本が理性的、現実的かつ弾力ある政策及び立場を放棄し、ますます強硬かつ硬直的になって来たからである。1990年代後期に日本政府は対外的に声高に紛争を否認し、共通認識を否認することを開始し、2010年の漁船衝突事件及び今回の釣魚島紛争を醸成してきた。
 現在見るところ、釣魚島問題で日本政府が妥協する意思は示しておらず、逆に不断に「長期戦」の準備を行っているのであって、その重要な表れは、ありとあらゆる機会を利用してアメリカの太ももにしがみつき、アメリカが紛争において(日本を)支持することを利用して優勢的な立場を獲得しようとしていることだ。…
 日本外交の持病の一つは、自らの願望に基づいて相手側のことを想像することを好むということだ。第二次大戦で太平洋戦争を引き起こしたのは、日本がアメリカに勝ちたいと思うと同時に勝てると思ったからだったし、冷戦後に中国脅威論を鼓吹するのも中国が脅威だと思ったからだった。今米欧に対して宣伝戦を展開するのも、米欧が日本側の立場を支持すると希望し、かつ、そう思うからなのだ。中国側は、中日関係の大局から出発して、日本側が着席して外交交渉を通じて紛争を解決することを希望しているのだが、日本側は一貫して聞く耳を持たず、中国側のウィン・ウィンの提案を顧みず、ひたすら「一人勝ち」することを考えている。日本が「一人勝ち」することは不可能だと認識した時に、はじめて場を収めることを考えることができるのだろう。
 中国は、日本側に幻想を徹底的に捨てさせなければならない。この目的を達成するためには、一方では、一貫して厳正な立場を堅持して、日本側をして隙に乗じさせないようにするべきだ。同時に、中国の釣魚島主権に関する歴史的根拠と法理的な立場及び日本が中国領土を無理矢理占領した歴史を国際的に宣伝し、中国側が以前から交渉で紛争を解決することを主張してきたことを強調し、国際世論が中国側の立場は合理的で根拠があることを理解することにより、日本側を四面楚歌にし、最終的に着席して釣魚島紛争を解決するようにさせるべきだ。

<環球時報社評「中国海軍が出てきた 日本、ヴェトナム、フィリピンよ、適切に対応するように」>

 中国海軍東海艦隊が…(10月)19日に海上演習‥を行った。日本世論は、中国側が声高に‥演習を行ったことに驚き、中国がこのようなことをしたのは釣魚島情勢にかかわるものだと認識している。
 日本人がこのように推測することに我々は反対しない。中国側は、この演習を通じて、衝突が発生した時には海軍を敢えて使用すると対外的に示した。このようなメッセージは非常に重要で、中国がいかなる状況の下でも「目先の安逸を貪る」という錯覚を外部が持つのを修正することに役立つ。…海上での対峙が‥小規模の戦争を引き起こす可能性は増しており、中国はひたすら経済建設に忙しいし、海上で筋肉をひけらかす気持ちはないのだが、樹木静かならんと欲すれども風止ます、だ。
 今回の‥演習は「非戦闘的」なものだが、海軍を引っ張り出したという姿勢のなかに豊富に込められたシグナルは、日本ひいてはフィリピン、ヴェトナムなどをして詳細に研究させるに足るものだ。彼らは間違いなくもう少し敏感であるべきで、過去における彼らの中国に対する認識は、あまりに外部の伝聞と想像とに頼りすぎだった。
 中国は周辺の摩擦に対しては一貫して抑制的だったし、今後もそうだ。しかしこの抑制は、歴史的文化的要因を除けば、主として、中国人の戦略的な志は民族復興及び国家台頭により多くの力点が置かれ、周辺の小国と過度にかかわりを持って注意を分散させるのは「あまり価値がない」と考えてきたからだ。しかしこのことは、今日の中国が相変わらず日本を「恐れている」とか、ましてやヴェトナム、フィリピンを「恐れている」ことを断じて意味するものではない。
 周辺と衝突を引き起こすことについて、中国人はむしろ「面倒」を嫌がっているということなのだ。もしも日本あるいはフィリピン、ヴェトナムと衝突したら、中国はそれで「終わりだ」と心配するような中国人は今ではごく少数だろう。中国社会の主流的な本当の態度としては、面倒はないに越したことはないが、面倒の方が向こうからやって来て避けられないというのであれば、その面倒なことをしてやるかということだ。我々は、このような面倒はたいしたことではないと信じている。
 今回の連合演習では海軍が出動したが、今後の演習ではさらにロケット部隊も引っ張り出して、演習の抑止力及びその範囲を増強するだろう。…
 つまるところ、中国の近年における様々な挑発に対する反応は、いかなる大国も示すところの「条件反射」なのだ。…これらの国々は中国を挑発することをたいしたことではないと思っているのではないか。中国は一度本気で怒って見せて、「一人を血祭りにあげて他の見せしめにする」ことが必要なのではないか、と‥考える中国人はますます増えており、中国の政策決定に対する圧力を次第に形成している。この「中国を挑発する」悪習慣を持つ国々は、この点をはっきり認識してほしいものだ。
 中国人は、アジア太平洋では大戦争は起こせないとますます確信している。なぜならば、中国にはそういう願望はないし、我々はアメリカもそうしたいとは思っていないと確信するようになっているからだ。西太平洋でいったん戦争が起これば、「意地の張り合いは格別なものとなる」可能性がもっとも大きく、そうなったときに小国が割を食う確率はもっとも高い。
 この地域でもっとも強い中国が「紛争棚上げ」についてもっとも力説し、フィリピン、ヴェトナム及び日本がかえって好戦的であるというのは、実に不正常なことだ。日本は自分がたいしたものだと考えてはならないのであって、日本は歴史的に中国の前では小国であったし、今後においても中国に対しては「もう一つのヴェトナム」あるいは「もう一つのフィリピン」なのだ。日本としては、自重するか、自らその恥ずかしめを甘受するかのどちらかなのだ。

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