尖閣問題に関する志位・共産党委員長発言に対する疑問

2012.10.07

*10月日付の『しんぶん赤旗』は、同月4日に志位和夫共産党委員長が日本外国特派員協会で行った講演と質疑を紹介しました。その内容は、いくつかの重要な点で私としては重大な疑問を覚えざるを得ないものです。また、志位委員長がこれだけ詳しく話しているのに取り上げていない問題で、やはり極めて重要だと思われる問題もあります。
 私は、それらの問題に関して私自身の判断を示しておきたいと思います。
 私があえてこの疑問を提起する所以は、尖閣問題をめぐる日本共産党の歴史認識、さらには日中関係に臨む姿勢に対して本質的に納得できないものを感じるからです。私は、日中関係の重要性を認識する点では人後に落ちないつもりですが、そのためになによりも重要なことは正確な歴史認識を持つことにあると思いますし、日中関係を全局的に位置づける必要性を痛感するのです。その点で今回の志位委員長の講演・質疑における発言には重大な危惧感を覚えざるを得ないのです。
 ちなみに、私自身の領土問題に関する基本的認識は、これまでにも述べてきましたように、領土問題は基本的に前世紀までの国際権力政治のいわば遺物であり、国家を基本単位とする国際関係は21世紀においても基本的に維持されるだろうから、無視するわけにいかないことは事実として認めなければならないが、21世紀の国際環境(普遍的価値の確立、国際的相互依存の不可逆的進行、緊急な対応を迫られている地球的規模の諸問題の存在、核兵器の登場による権力政治の基盤そのものの崩壊を前にして、アメリカ的権力政治並びに国家及びナショナリズムの狭隘な自己主張を押さえ込むことこそが必要となっている環境)のもとで、領土問題にも理性的に対応する必要があるということです。
 私の以下の問題提起に対して、志位委員長あるいは日本共産党からの誠意ある回答・反応が寄せられることを期待します(10月7日記)。

1.尖閣問題をめぐる日本共産党の歴史認識

 私は、日本の三つの領土問題(尖閣、竹島、北方4島)に関しては、日本が無条件降伏するに当たって受諾したポツダム宣言によって基本的に決着がつけられていると認識します。コラムでも指摘してきましたように、ポツダム宣言では、日本の領土について、本州、北海道、九州及び四国のほかは、「吾等が(連合国)が決定する諸小島」に限るとしています。日本がいくら「固有の領土」論で抵抗しても意味がないのです。もちろん現実には、アメリカも当事国であり、そのアメリカが態度を明らかにしないという政策をとってきているし、また、ポツダム宣言とは異なる政策意図に基づいて対日平和条約を作ったこともあり、物事がすんなり決着しないのですが、「固有の領土」論がポツダム宣言に対して顔色ないのは間違いないことです。
 私が日本共産党の歴史認識について納得できないのは、これも前に書いたことがあるのですが、そして今回の志位委員長の発言に接して改めて感じたことなのですが、日本共産党はポツダム宣言(及び対日平和条約)についてどういう基本認識を持っているのかが見えないということです。具体的には、ポツダム宣言の上記規定についてどのように解釈しているのか、この規定があるにもかかわらず「固有の領土」論をなお展開しようとするのはどう意図・目的があってのことなのか、について納得できる説明がないということです。
 この問題は単なる条約の効力という問題であるに留まらず、戦後日本の出発点を何処におくのかという基本問題にかかわっています。私は、ポツダム宣言-日本国憲法に全面的にコミットしています。これに対抗するのがいうまでもなく対日平和条約-日米安保条約です。率直に言って、近年の日本共産党の領土問題に関する発言を見てくるなかで、この基本問題に関する同党の立場が見えないのです。今回の志位委員長の発言においてもまったく欠落しているのがこの問題に関する問題意識の所在ということです。

2.「棚上げ」という外交的知恵の大局的位置づけ<

 今回の志位委員長の発言で、次に私が引っかかったのは、尖閣問題に関するいわゆる「棚上げ」に関する部分でした。これは、以上1.の問題と比較すると極めて些細な次元に属すると考えられるかもしれませんが、私は、志位委員長の発言は外交のあり方という観点から重要な問題点を含んでいると思うのです。
 志位委員長は、国交正常化及び日中平和友好条約締結の際の問題点の一つとして「棚上げ」を取り上げ、次のように述べました。

 本来ならば、国交正常化、平和条約締結というさいに、日本政府は、尖閣諸島の領有の正当性について、理をつくして説く外交交渉をおこなうべきでした。とくに「日清戦争に乗じて奪った」という中国側の主張は、歴史認識の根幹にかかわる問題であり、「棚上げ」の態度をとらず、事実と道理に立って反論するべきでした。「棚上げ」という対応は、だらしのない外交態度だといわなければなりません。

 常日頃は事実関係をきっちり踏まえて議論を進める党として、私はそれなりの敬意をもって接してきたつもりです。しかし、以上の発言の後段については目を疑いました。「日清戦争に乗じて奪った」という中国側の主張は、国交正常化交渉の時も平和友好条約交渉の時も、中国側から提起されたことはありません。そういう単純を極めた事実誤認があります。事実関係として確認しておくべきは、尖閣を日本が「窃取」したという中国側の議論は、少なくとも公の論調としては、石原都知事の「購入」発言、野田首相「国有化」発言を受けて出て来たものです。
 また、そういう中国側の主張は「歴史認識の根幹にかかわる問題」と志位委員長は主張しますが、上記1.及び下記3.を見ていただけば分かるように、このように決めつける志位委員長の歴史認識こそ、私には重大な問題があると考えざるを得ません。
 そして「棚上げ」そのものに即していえば、なぜ中国側が両交渉に際して「理をつくして説く外交交渉」(志位委員長)に入ろうとしなかったかと言えば、日中関係の大局(国交正常化実現及び長期の日中関係の基礎作り)を重視したからです。つまり、尖閣問題で泥沼の交渉に入り込むと、国交正常化も実現せず、日中友好関係の基礎作りもできなくなると判断したからなのです。
 ちなみに、田中首相の名誉のために附言すれば(私にはそうする義理はありませんが、歴史に対しては謙虚でなければならないという問題意識からです)、田中首相はこの問題を持ち出しはしたのです。しかし、周恩来の大局重視論に納得して、またいずれ話そうと応じたのでした。ですから、決して闇雲に「臭いものに蓋をした」分けではありません。1978年に福田首相、園田外相がどう考えていたのかについては私には分かりませんが、志位委員長が言うように、「日清戦争に乗じて奪った」という中国側の主張があったにもかかわらず黙って引き下がったというようなことは断じてなかった、ということは言えます。なぜならば、すでに述べたように、このような議論は、日本側の行動に堪忍袋の緒を切らした中国においてはじめて出てきたものだからです。
 この際ですから、日本共産党にあえて一言つけ加えたいと思います。外交というのは、道理ということも大切ですが、大局を掴んだ判断ということも同じように大切だということです。もし尖閣問題に拘泥していたら日中国交正常化は実現しなかったでしょう。志位委員長は、それはそれで結構だ、と言うのでしょうか。仮にそうであるとしたら、私としては、大いに失望しつつ引き下がるほかないのですが。

3.中国側の主張に正当性がないとする志位委員長の主張

 志位委員長は三つのポイントを挙げて中国側の主張に根拠がないとしています。その3点について検討します。

<中国の「固有の領土」論は成り立たない>

 志位委員長は次のように述べています。

 中国側は、中国が国家として領有を主張していたことを証明する記録も、中国が実効支配を及ぼしていたことを証明する記録も示し得ていません。

 「無主先占」の法理が尖閣諸島(釣魚島)の領有における決め手であるという点については、日中間で認識の違いはありません。この点で日中間の齟齬はないことをまず確認します。
 その上でのことですが、確かに中国側が先占に関して証拠として示す14世紀以後の中国側の文献の記載ぶりは、「領有主張」「実効支配」(志位委員長)を直接証明するような記述にはなっていません。しかし、そもそも領土概念そのものが西欧国際法起源であって、中華世界のイメージの当時の中国にとっては、極端に言えば、アヘン戦争以前はあずかり知らぬ事であったし、「無主先占」の法理が発展し、確立したのは、欧州諸国による植民地獲得競争を背景とした近代国際法の成立過程とは無縁でありません。したがって、「領土」概念、「無主先占」原理を知るよしもない14~18世紀の中国の古文書に近代国際法を意識した書きぶりの「記録」がないのは当たり前です。近代国際法を意識もしていなかった時代に書かれた古文書の「証拠能力」に関しては、志位委員長のように「ふさわしい書き方がない」という形式的理由で斥けるのはフェアではないと思います。やはり、中国側が依拠しているように、当時の古文書に記載されていたことが近代国際法の「無主先占」に当たる内容を備えていたかどうかを判断することが必要でしょう。
 そういう観点にたって、2012年9月(25日)に国務院新聞弁公室が発表した白書「釣魚島は中国の固有の領土」(以下「白書」)は、近代国際法の求める要件に即して「中国がもっとも早く発見し、命名し、利用したこと」「長期にわたって管轄を実行したこと」に相応する史的事実を指摘しています。中国が釣魚島を最初に発見し命名したことについては志位委員長も異論はないと思うのですが、志位委員長が「先占」について国際法上必要とされている条件として上げた「領有の意志」と「実効支配」に関して言えば、まず「領有の意志」に関しては、白書は、「(釣魚島付属島嶼の)赤尾嶼は中国に属し、久米島は琉球に属し、その「分界線」が赤尾嶼と久米島の間の黒水溝(現在の衡縄海槽)であった」ことを多くの歴史的記述を具体的に挙げた上で示しています。このように、沖縄に属する島嶼と明確に区別して釣魚島を扱っているということは、今日的にいえば「領有の意志」が前提としてあることを示していると理解するべきではないでしょうか。
 また「実効支配」に関して言えば、明朝初期の1561年には、釣魚島諸島を明朝の海防範囲内に収めたことを、これまた二つの資料に基づいて指摘し、それは清朝にも受け継がれて、1871年に刊印された記録にも「海防要衝」に入れられ、現在の台湾省宜蘭県に該当する行政機関に属した、と指摘しています。海防範囲に収めることは、今日的「実効支配」の概念で理解しても「実効支配」に該当するものだと思います。
 ところが志位委員長は、この点に関して質疑の中で、相変わらず近現代国際法基準にこだわって、次のように述べています。

 中国側が、明代あるいは清代に、尖閣諸島の存在を知っていて、名前をつけていたということは事実です。しかし、これらは、領有権の権原の最初の一歩であっても、十分とは決していえません。国家による領有権が確立したというためには、その地域を実効支配していたいということが証明されなければなりません。中国側には、たくさんの記録がありますが、実効支配を証明する記録は一つも示されていません。

 私は、近代国際法の存在すら知らなかった中国に、実効支配に関する近代国際法上の規格(?) を満たした記述を行うべきだ、それがない以上、「証明する記録は一つも示されていません」と断言する志位委員長の議論には素直についていけません。

<中国は、1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に抗議しなかった>

 志位委員長は次のように述べています。

 中国側の主張の最大の問題点は、中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないことにあります。相手国による占有の事実を知りながら、これに抗議など反対の意思表示をしなかった場合には、相手国の領有を黙認したとみなされることは、国際的に確立している法理です。中国側は、この最大の問題点に対して、有効な反論をなしえていません。

 志位委員長は、「相手国による占有の事実を知りながら、これに抗議など反対の意思表示をしなかった場合」には無主先占が成立するという論理です(その論理そのものについてはさらに詳細な検討が必要だとは思いますが、ここでは立ち入りません)。しかし質疑の中で、「下関条約に尖閣諸島が全然触れられなかったもう一つの理由として、政府が尖閣諸島を編入したという事実を隠していたからといわれていますが」と問われた志位委員長は、「国際法の通説では、こうした領有の宣言は、関係国に通告されていなくても、領有意思が表明されていれば十分であるとされています」としか答えておらず、下関条約締結当時に清政府(中国政府)は日本政府が尖閣の領土編入をしたという事実自体を知らなかった可能性に触れていません。しかし、このような回答は質問に正面から答えたものとは言えず、誠実な対応とは言えないと思います。
 この点について白書は、「日本政府筋の文献には、日本が1885年に釣魚島の調査を開始してから1895年に正式に窃取するまで、一貫して秘密裏に進め、未だ公に発表したことがないことを明確に示しており、したがって、その釣魚島の主権に関する主張が国際法の規定する効力を備えていないことは明らかだ」と指摘しています。
 日本による尖閣編入を知るよしもなかった清政府としては、下関条約で日本に割譲することを強いられた台湾及び付属島嶼に釣魚島が含まれると理解していたとしても当然で、釣魚島についてだけ「抗議など反対の意思表示」するなどということはありえないでしょう。ですから、「1895年から」「異議も抗議もおこなっていない」、したがって「そのことは中国側が、尖閣諸島について、自国の領土だと認識していなかったことを示す」、「下関条約で割譲された「台湾の付属島嶼」のなかには、尖閣諸島が含まれないということは、日中双方が一致して認めるところだった」という志位委員長の主張は明らかにおかしいと思います。
 私も中国政府がいつの時点で日本による尖閣の領土編入という事実を知るに至ったのかについてはそれなりに関心があります。しかし、1895年以後の中国は、日本以下の海外列強に半植民地化される一方、国内的にも軍閥割拠、国共内戦など混乱が続いたわけで、恐らく尖閣問題に目が向くどころではなかったというのが実際だったでしょう。しかも、このような動乱状況に対しては日本の中国侵略戦争に大きな責任があることは、日本共産党も認めるところだと思います。
 そうであるとすれば、カイロ宣言(1943年)及びポツダム宣言(1945年)当時に、蒋介石以下の中華民国政権が日本から返還されるべき台湾及び付属島嶼のなかに、日本が1895年に領土に編入していたとする釣魚島は含まれないことになる、などと考える余地もなかったと見るのが自然です。そして1951年の対日平和条約交渉は中国を外して行われたのであり、これに対して中国政府が、中国の参加なくして締結される条約は不法無効と宣言したのですが、この時点においても中国が台湾の付属島嶼として釣魚島を理解していたことはほぼ間違いないことだと思います。このように見てきますと、志位委員長が「中国側の主張の最大の問題点」とする点についても、私は、志位委員長の指摘は極めて疑問と言わざるを得ないのではないかと判断するのです。

<日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾割譲とは無関係な正当な行為>

 志位委員長は次のように述べています。

 尖閣諸島に関する中国側の主張の中心点は、1894年から1895年の日清戦争に乗じて、日本が不当に奪ったものだというところにあります。…
 しかし、日清戦争の講和条約-下関条約とそれに関するすべての交渉記録を見ても、尖閣諸島は、日本が戦争に不当に奪取した中国の領域-「台湾とその付属島嶼」および「澎湖列島」に入っていません。…日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格のまったく異なる、正当な行為であります。

 また、「日本政府のなかに尖閣諸島は中国のものとみなされるかもしれないという考えがあったということではないでしょうか」という質問に対して、志位委員長は次のように答えました。

 内務省…は領有を宣言して差しつかえないというものでしたが、外務省…の意見は見送ろうというものでした。
 当時の日本政府がこうした対応をとったのは、日本側が、尖閣諸島を中国の領土だと認識していたからではありません。そういう記録が書いてあるわけではありません。当時の清国は、日本から見れば巨大な帝国でした。そういうもとで、尖閣諸島の領有を宣言すれば、清国を刺激しかねず、得策ではないという外交上の配慮から、この時点では見送られたというのが事実だと考えます。

 志位委員長の以上の二つの発言も、率直に言って、私には納得できません。私がすでにコラム「尖閣「無主先占」論と外務省編纂文書」で紹介した昨年(2011年)1月14日付の人民日報HP日本語版記事は、外務省『日本外交文書』及び内務省『公文別録』に記載されている内容を詳しく紹介しています(私自身は閲覧ソフトの関係で実物を見ていないのですが)。確かに志位委員長が指摘するように、「日本側が、尖閣諸島を中国の領土だと認識していた」とか、「そういう記録が書いてある」というわけではありませんが、特に内務省の『公文別録』には、内務卿・山県有朋の言として「国標建設の件は清国と島嶼帰属の交渉に関わり、双方に適切な時機があり、目下の情勢では見合わせるべきと思われる」(強調は浅井)という記述があるのは重要だと思います。志位委員長は「尖閣諸島の領有を宣言すれば、清国を刺激しかねず、得策ではないという外交上の配慮」だと片づけていますが、同委員長が「清国を刺激」する可能性を認識しているということは、単なる「外交上の配慮」では片づけられない問題が含まれているという山県有朋の当時の認識に含まれる事の重大性を認めるからこそではないでしょうか。
 したがって、1895年1月に日本政府が尖閣を領土に編入したのは、日清戦争での日本の勝利が確実になった状況ができたこととは無縁とは到底考えられません。しかも、日本政府は賑々しく編入を公にするのは避けたのですから、今日的に見れば、日本が「火事場泥棒を働いた」と中国側がみなしても不自然ではないでしょう。このように見てきますと、「日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格のまったく異なる、正当な行為であります」と言う志位委員長の主張の方が無理があると思います。

RSS