尖閣に関する日本の「無主先占」の主張への疑問

2012.09.22

*9月17日付の中国新聞社HPによりますと、同日付の『新京報』(北京市党委員会宣伝部主管の北京市で最大の発行部数の日刊紙)は、北京師範大学法学院法学博士の趙英軍が日本の国立公文書館で探し出した2文献に基づき、日本政府が尖閣諸島を無主先占したとする主張は根拠がないとする記事(中央テレビ局の報道に基づくものと断っています)を掲載しました。私も以前にこのコラムで、中国側文献で同旨の指摘があったことを紹介したことがあります(2010年の「日中関係への視点(5) -尖閣問題に関する中国の立場-」での鐘厳論文)が、今回紹介されているのは鐘厳論文において紹介されているものとは別の文献であること、しかも、鐘厳論文では出典が明示されていなかったのですが、今回は国立公文書館で直接探しだしたものとして紹介されていることの2点において、注目する価値があると思います。少なくとも日本政府としては、こういう文献の存在について検証し、それでもなお「無主先占」の主張がなし得るかどうかについて立場を明らかにする責任・義務があるはずです。そういう問題意識から、この記事の概要を紹介しておきます。
また、私が書いたコラムに関して、日本共産党の立場に疑問があるとする方からご質問をいただきました。その方にメールでお答えした内容も合わせ紹介します(9月22日記)。

<「無主先占」を否定する日本側公式文書の存在>

 北京師範大学法学院法学博士の趙英軍が日本の国立公文書館で探し出した2文献に基づき、日本政府が尖閣諸島を無主先占したとする主張は根拠がないとする新京報の記事の概要は次のとおりです。

 最近、長年にわたって釣魚島研究を行っている北京師範大学法学研究所法学博士の趙英軍は、日本政府の公文書を明らかにし、次の歴史的真相を暴露した。即ち、1895年に日本政府が釣魚島に標識を設置することを決裁したときには、釣魚島が中国のものであることを明々白々に知っていたということだ。…
 1885年9月26日の第315号文献は、当時の沖縄県令が内務廳伯爵に当てたものだが、釣魚島に関して次の記述がある。「当該島嶼は、以前報告した大東島とは地勢が異なり、恐らく、中山伝言録に記載がある釣魚台、黃尾嶼、赤尾嶼等と同一島嶼に属し、すでに清国冊封の元中山王派遣船が知悉したのみならず、それぞれ命名しかつ航路標識にした、と見られる。」
 1885年11月21日の文献においても以下の記載がある。「最近、我が政府が台湾付近の清国領島嶼を占拠するとの報道が新聞で盛んに行われており、新政府の注意を引き起こすことになっている。この時に慌ただしくかつ公然と国標を建てると、恐らく容易に清国の邪推を招くので、当面は港湾の形状に関する実地調査及び開発できる土地物産の可能性につき詳細な報告を行うこととし、国標建立に関しては他日の機会を待つべし。」
 趙英軍は次のように述べた。「日本の公文書から浮かび上がることとして、第一、日本は1895年1月14日前に、釣魚島に関して中国の大量な歴史文献に記載があることについて認識していた。第二、単純な歴史的記載に留まらず、これらの記載が反映する事実は、当時の清国が釣魚島に対して主権を有していたことを日本も承認していたということであり、そうでなければ、日本が清国の猜疑を招くことを恐れて秘密の調査を行うということはあり得なかった.その後、1885年から1895年までの約10年間の間そのままにしておかれたのだ。」
 甲午戦争(日清戦争)で、日本はついに機会が到来した。1894年12月27日、内務大臣は秘密文献で外務大臣に対して釣魚島に国標を建立することを再度提案し、「今昔の状況はすでに同じではなく、内閣の会議で審議することを提案できる」と述べた。趙英軍は次のように解釈する。「今昔の状況は同じではないということは、実際上もっとも根本的な問題を説明している。即ち、釣魚島が無主地だからではなく、当時の中国がすでに抗議し、反対する力がないので、日本は釣魚島をいわゆる領土に編入したのであり、実際は釣魚島を強奪したのだ。したがって、釣魚島が無主地であったという日本の主張は根本的に根拠がない。そして、無主地という主張が成り立たなければ、日本の釣魚島占領は国際法上不法である。」

<日本共産党の見解に関する質問と私の答え>

日本共産党は「中国側は現在、尖閣諸島の領有権を主張しています。しかし、最大の問題点は、中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないことです。」と主張しています。

質問1.「日本が1895年に日本領に編入した」ことを中国側(清国、台湾を含め)が知ったのはいつの時点なのでしょうか?当時の官報とか、新聞とかで公表されたのでしょうか?あるいは、中国(清国)に対して「通告」したのでしょうか?それとも、何らかの方法で知り得たと考えられるのでしょうか?」

(答え)
(1)1895年1月の編入に際して日本政府が行ったことにつきましては、外務省の基本見解(1972年)は次のように述べています。
「尖閣諸島は、1885 年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないこと を慎重確認の上、1895 年1 月14 日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。」
(2)外務省の尖閣問題Q&A(2010 年)は、次のように述べています。
「尖閣諸島は,1885 年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で,1895 年1 月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って,正式に日本の領土に編入しました。」
(3)9月21日付の中国の新聞・人民日報は、「日本の「先占」は実際には盗み取ったもの」とする文章を掲載し、その中で次のように述べています。

 「「先占」を実行するには、主権宣言を行う必要があるが、日本側は心がやましいので遅々としてこれを行うことができず、ひどいことに、釣魚島を沖縄県の 「管轄」に入れる内閣の決議も秘密に行った。これは、日本が大東島を先取したときに公告を出して主権を宣明したやり方と大いに異なるものである。このことから、日本側は釣魚島を窃取することに対して隠し立てしようとしていた…ことが分かる。
 実際上、日本が釣魚島を占拠したことは、国内においても長らく「秘密」状態に置かれた。1939年に日本地理学会が出版した『大日本府県別地図及び地名大鑑』においては、沖縄の大小島嶼、郷村、市町街道及びその名称などすべて載っているが、釣魚島はなく、日本人の名称である「尖閣諸島」もない。」

 以上の日本側の2つの記述からしますと、ご質問にあるような措置を日本政府が取ったようには見受けられません。また、中国・人民日報の記述からは、日本はこそこそとやったのであって、中国側としては知るよしもなかったことが窺われます。
 ただし、国際法上、無主先占による領有に関していかなる行為が必要かに関しては、「領有の意思は通常、当該地域を自国領土に編入することの宣言や、他国への通告によって表示される。しかし、通説によれば、宣言や通告は、領有意思を示すための絶対的な要件ではない。具体的な国家活動や関連事実から、その意思が推定されるからである」(出所:国立国会図書館『調査と情報』第565号に掲載の濱川今日子「尖閣諸島の領有をめぐる論点」)とされているようです。したがって、日本政府の当時の行為が中国側 に対して隠れて行われたとしても、それだけで先占による取得が無効・不法ということには必ずしもならないのでしょう。
 むしろ問題なのは、上で紹介した趙英軍の日本側公文書に明確に述べられているように、日本側は尖閣諸島が中国のものであるということを認識していながら、日清戦争の「どさくさ」に乗じて日本領に組み込んだという点です。これでは「無主先占」ではあり得ないからです。また、そうであるからこそコソコソやったのではないか、とも考えられるわけで、こうなると、中国側の指摘には説得力が出てきます(大東島と尖閣との扱いの違いを中国側が指摘するのは、そういう趣旨でしょう)。

質問2.「日本共産党は「中国側は現在、尖閣諸島の領有権を主張しています。しかし、最大の問題点は、中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないことです。」と主張しています。」「もしも、1970年頃までそのことを知らなかったのあれば、それ以前に「異議や抗議」などできないように思うのですが、どうもよく分かりません。」

(答え)
「75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていない」という共産党の指摘は、幾つかの事実から間違いであると考えます。
1.上記の通り、日本政府が尖閣諸島を日本領に編入したことについては当時の中国は知るよしもなかったのですから、台湾その他を割譲させられた際には、釣魚島も含まれると理解したとしても当然でしょう。下関条約で割譲される台湾及び付属島嶼には、その前に日本領にした尖閣諸島は含まれないとする日本側の立場については、中国側は知るよしもないわけです。
2.1951年にサンフランシスコ対日平和条約がアメリカ主導で作られますが、アメリカは中国を会議に招きませんでした。これに対して中国政府は、中国を招かないで作られる条約は不法・無効であると異議申し立てをしています。この際、釣魚島そのものを名指しで言及したわけではありませんが、条約における日本の領土に関する決定をも受け入れない趣旨であることは明らかですから、中国はこの時点で根本的異議申し立てを行っているのです。
3.中国はまた、1971年の沖縄返還協定に際しても同様な異議申し立てを行っています。
4.本年になってからの中国側論調で強調されるようになっているのは、戦後の国際秩序の土台となり、敗戦・日本の処遇(領土の範囲を含む)を定める国際法は米中がともに当事国であるカイロ宣言及びポツダム宣言であり、アメリカが中国を排除して作った対日平和条約ではないという主張です。特に日本の領土に関しては、ポツダム宣言で本州、北海道、九州及び四国のほかは「吾等が決定する諸小島」に限るとしていることを、中国は声を大にして指摘しています。

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