尖閣問題の「棚上げ」合意(中国側資料-2-)

2012.09.22

*9月21日付の『解放日報』は、上海国際問題研究院アジア太平洋研究センター副主任の廉徳瑰の文章を掲載し、尖閣問題の「棚上げ」合意に関する中国側資料に基づく事実関係を紹介しています。すでにこの問題についての中国側資料については先のコラムでも紹介しましたが、内容が異なりますので、紹介しておきます(9月22日記)。

 …釣魚島問題にかかわる「紛争棚上げ」の黙契は、当時の誠実な信頼の上に成り立ったものだ。
 第一に、「紛争棚上げ」は国交正常化の道を切り開いた。1972年7月28日、田中角栄の「密使」である公明党委員長の竹入義勝が訪中し、周恩来に対して…釣魚島問題についての中国側の意見を求めた。周恩来は、釣魚島問題は話さなくていい。国交正常化と比較すれば、これは小さな問題であり、中日関係に影響を及ぼさない、と述べた。…9月27日に訪中した田中は周恩来に、「尖閣列島はどうしようか。多くの人がこの問題を私に提起している」と訊ねた。周恩来は、「この問題は、今回はあなたと話さない」と述べた。田中はそれで安心した。29日に中日共同声明が発表され国交が正常化されたが、その中では釣魚島問題は提起されなかった。
 次に、「紛争棚上げ」は双方の指導者の間の黙契である。当時、日本側指導者が周恩来に対して「紛争棚上げ」を提案したのは納得ずくのものであり、しかも積極的で明確な返事だった。例えば、1972年9月30日に大平正芳は朝日新聞のインタビューを受けたとき、「今回の中国との交渉では尖閣列島問題は話さず、中心は国交正常化だった」と述べた。11月6日、大平正芳は衆議院予算委員会において、将来平和友好条約を締結する際に領土問題を話し合うかについて答弁して、「後ろ向きの問題はすでに終わった。平和友好条約は前向きの問題である」と述べた。ここからは、田中及び大平がこういうふうに答えることによって、日本の多くの人々の関心に答え、「紛争棚上げ」が中日両国指導者の間の黙契であることを証明していることが分かる。
 第三、「紛争棚上げ」の共通認識は平和友好条約交渉の過程でも貫かれた。1974年10月3日、鄧小平は日本からの訪問者に対して、「据えての障害を克服して速やかに(条約の)交渉を進めたく、釣魚島問題は棚上げが一番いい」と述べた。…1978年3月10日、園田直外相は参議院で発言して、「平和条約は廖オ問題を含まず、したがって双方は尖閣列島問題は話し合わない。この問題は日本国民にとって非常に重要だが、現在はこの問題を提起することは良策ではない」と述べた。4月20日、自民党幹事長だった大平正芳は、中日間に密約は存在しないかと訊ねられて、「尖閣列島問題に関しては、日中共同声明の軌道に戻るべきである」と答えた。その後、大平の政治秘書である伊藤昌哉は回顧録でこのことを提起し、大平の発言の中の「日中共同声明」という文言に特別に「尖閣列島棚上げ」を注で加えた。筆者は、これは大平が両国間に紛争棚上げに関する約束が存在することを暗示したものであると考える。だからこそその後の1978年10月25日の鄧小平の有名な談話があるのだ。
 しかるに、1996年、日本の右翼が島に上陸して灯台を建てた際、当時駐日大使だった徐敦信が抗議し、日本側が「紛争棚上げ」の共通認識に違反していると指摘したことに対して、日本の林貞行外務次官はこれを否定した。しかし日本側は事態が拡大することを望まず、林貞行は、「日中関係に影響を与えないため、日本政府は右翼団体が島に灯台を建てることを許可しない方針を決定したし、この方針を中国に通報する」とも述べた。ここからも、当時の日本が「紛争棚上げ」についてはやはり黙認していたことが分かる。
 国交正常化40年来、両国は基本的に「紛争棚上げ」の黙契のもとで安定と平和を維持してきた。しかし、2010年以後、日本は信義を裏切り、「紛争棚上げ」の共通認識及び黙契の存在を公然と否定するだけでなく、これは中国指導者の一方的な提案であるなどと言いふらし、逮捕、勾留延長、命名、買い上げ、国有化ひいては関連施設建設などの現状改編を通じて、いわゆる実際支配を強化しようと図っている。日本側の行為は、中日関係の大局を破壊するだけでなく、同義的にも「国としての品格」を失っている。
 「言った異常は必ず実行し、行う以上は断固としてやる」、「信用はすべての事柄のもとである」。これは、両国のかつての政治家の間の厳粛なコミットであるが、言在日本の政客によって勝手に足蹴にされているということは、日中関係における悲哀である。

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