尖閣問題の「棚上げ」合意(中国側資料)

2012.09.19

*9月17日付の中国新聞社HPが掲載した雑誌『瞭望』の新聞週刊「日本は何をもって国際社会の信頼を得るのか」(高洪署名文章)は、「中日間の釣魚島主権紛争の問題の由来は久しい。この問題に関しては、日本が中国の信頼を得、国際社会の信頼を得ることができるのかという問題もある」という観点から、尖閣「棚上げ」に関する日中間の黙契の歴史について、詳細に紹介しています。ほぼ間違いなく、中国外交部の文献に基づいて書かれたものと思われます。資料的価値があるだけでなく、中国側としては、これだけの歴史的蓄積がある「懸案とする」「棚上げ」合意を民主党政権(及び自民党総裁選の5候補すべて)がいささかも顧みないことに対して、「日本は国際的信用があるのか否か、我々はこのような国家と外交的往来を行うときに本当に信用がおける相手なのか、これもまた問題になる」という重大な問題提起を行わざるを得ない状況になっていることは極めて深刻な事態だと思いますので、その内容を紹介しておきたいと思います。
なお、この文章によると、1996年以後に日本外務省が「棚上げ」合意を無視する行動に出るようになったという中国側認識が示されていますが、私の実務経験(1983-85年に中国課長を担当)に即して言いますと、日中間の棚上げ合意の存在は省内的に当時も共有されていたというのが私の理解です(9月19日記)。

<中日国交樹立において達成された黙契の共通認識>

 1972年9月27日、周恩来首相と田中角栄首相は、中日国交正常化実現のために行った第3回少人数会談の中で、以下のような対話を行った。田中は、この機会に尖閣諸島に関する中国側の態度を聞きたいと述べた。周首相は、この問題について今回は述べようと思わない、話してもメリットはないと述べた。田中は続けて、私が北京に来た以上、この問題について提起しないと、帰国してから困難に見舞われるので、今ちょっと提起しておくと彼らに対して対応できることになる、と述べた。その後田中は、分かった、この問題はさらに話す必要はない、またの機会にしよう、とも述べた。周首相は、よかろう、またの機会にしよう、今回は、両国関係の正常化問題のような大きな基本問題をまず解決する、他の問題は大きくないということではなく、当面緊迫しているのは両国関係正常化問題であり、幾つかの問題は時間が経るのを待って再度話すことにする、と述べた。以上は、両国指導者の当時の対話の元々の記録である。
 両国指導者の話し合いの過程から、我々は、双方がこの問題について似通った認識と主張を持っていたことを見ることができる。日本側からすると、田中訪中の前においては、日本の政界は釣魚島の主権紛争が両国関係において横たわる重大問題と認識しており、すでにこの種の意見が一種の雰囲気となっていたのであり、そうでないと、田中が「この問題を提起しないと帰国してから困難に見舞われる」と言うはずがなかった。そして田中が言う「彼ら」とは、田中首相としても考慮せざるを得ない存在であり、明らかに強大な政治勢力であった。…中国側からすると、周首相は両国国交樹立という大方針を優先的に考慮したからこそ、この問題についてはしばらく話さないと主張したのであり、田中の「またの機会に話そう」という提起に同意したのであって、しかも、他の問題は大きくないということではないと明確に指摘し、ただ当面の緊迫した問題は両国関係の正常化で、問題によっては時間が来たら話そうということだったのだ。非常に明らかなことは、釣魚島の主権帰属に関する意見の違いは、国交樹立の外にあるもう一つの大きな問題であったが、国交樹立の進展を妨げることを避けるために、双方の指導者がこの問題でもつれることはしないと約束したということだ。ということは、国交樹立交渉のカギとなるときに、両国首相は、釣魚島主権紛争を暫時回避するという、大局に心配りした黙契を行ったということである。これは、中日両国が釣魚島紛争問題で黙契が存在したことの始まりとみることができる。
 日中国交正常化以後、釣魚島問題は、領土、主権及び漁業資源利用にかかわるものとして、常に各レベルの指導者及び外交官が対処し、協議する重大問題となった。特に、中日平和友好条約締結のための交渉において、上は最高指導者から下は両国外交官までの間でこのことにかかわる大量の口上書及び外交折衝が残された。1974年11月14日、韓念龍外交部長が訪日して、東郷文彦外務次官と会談したとき、釣魚島などの問題に関して1971年12月30日に中国外交部が発表した声明を繰り返し述べ、我が国の立場を次のように繰り返し表明した。即ち、この問題について双方の認識が異なることに鑑み、中国側は、この問題をそのままにし、懸案として、平和友好条約の中では解決しないでおくことを提案した。これに対して東郷次官は、結論としては条約の中で尖閣問題を扱わないことに賛成する、しかし「懸案とする」という表現方法は、日本がソ連との間で行う交渉に対して微妙な影響を生む可能性があり、日本としては、ソ連に領土問題で「懸案とする」という口実を与えたくないと述べた。以上から分かるように、当時、双方は「棚上げ」という俗的表現のいわゆる「懸案とする」こと自身には大きな疑義はなく、ただ日本側としては、ソ連が「懸案とする」方式を利用して北方4島返還交渉を棚上げすることを警戒していたということだったのであって、当時の両国の外交関係者にとっては、釣魚島紛争は暫定的に棚上げにする問題であることははっきりしていたし、日本の様々なレベルの外交官が中国側と話すときに、両国指導者が「棚上げ」に同意しているという基本的事実に常に言及していた。
  両国外交史においては、1978年4月14日に、日本の堂の脇光朗公使が中国外交部の王暁雲副局長に会見を求め、中国漁船が釣魚島付近で操業したことについて申し入れを行ったことが記録されている。王暁雲が中国側の立場を述べた後、堂の脇は、我々は双方の尖閣列島帰属問題に関する見解は異なっており、両国指導者がすでに「懸案とする」ことで同意しており日本政府の立場にも変化はないが、現実問題として、奥野中国漁船が日本の領海を侵犯しているので話し合いを行う必要がある、と述べた。
 1978年4月27日、全国人民代表大会常務委員会の廖承志副委員長は、宇都宮徳馬ほか多数の国会議員と会見したときにも中国漁船が釣魚島付近で操業する問題に言及した。廖承志は、釣魚島は中国の領土であるが、中国政府はこの問題を「懸案にする」ことを主張しており、将来の解決に委ねると述べた。宇都宮はこれに答えて、日本は中国漁船が日本の領海を侵犯したことを提起し、撤退して再度侵犯することがないように要求したのだが、この主張は一方的すぎる、なぜならば、双方がすでに「懸案にする」ことに同意したということは、問題が懸案として未解決であるということであり、まずはこの大問題を先に解決した上でこの(漁業)問題を解決するべきだからだ、と述べた。
 以上の史料は、様々な側面から中日両国の間で存在する釣魚島主権紛争の歴史的な元の姿を復元したものであり、多くの状況のもとで、日本側が主動的にかつ明確に指導者たちが「懸案にする」ことに同意した事実を指摘しているのだ。
 鄧小平副総理が訪日期間中に釣魚島に関して行った有名な論断は、両国の世論界及び公衆の熟知する事実である。1978年10月25日、鄧小平副総理の一行は、求めに応じて官邸に赴き、福田赳夫首相と第2回会談を行った。会談において鄧小平は、あれこれの問題はあり、あなた方の言う尖閣列島、つまり我々の言うところの釣魚島だが、会談で議論しなくてもよい、私は園田外相と話し合ったことがあるのだが、我々の世代は十分に聡明ではなく、問題解決の合理的な方法を考えつかない、我々の次の世代はもっと聡明で、大局を重視している、と述べた。その日の午後、鄧小平副総理は日本記者クラブで質問に答えた際に再び言及して次のように述べた。尖閣列島、我々の言う釣魚島、については名称も異なり、双方は違いがあることは確かだ。国交正常化を実現したときに双方は、この問題には触れないことを約束した。今回中日平和友好条約を議論するときも、我々はやはり触れないことを約束した。中国人の智恵ではこのような方法しか思いつかない。なぜならば、いったん触れるとなるとよく分からないことになってしまうからだ。この問題に借りてごたごたを企み、中日関係の発展を阻害しようと企むものもいるが、我々としては、話がまとまらないのであれば避けるというのが賢明だと思う。彼はさらに、このような問題は置いておいても大丈夫だ、十年間置いておいてもなんでもない、我々の世代はあまり知恵が足りないので、この問題で話をまとめることができない、しかし次の世代は我々より聡明なので、みんなが受け入れられる良い方法を探し出してこの問題を解決するだろう、と述べた。…

<1996年以後の日本側態度の突然の変化>

 ところが1696年に国連海洋法条約が発効して以後、日本の外務省の態度が突然に変化し、中国側と黙契を交わしたことを承認しなくなり、中国外交当局と何度も外交交渉をすることとなった。1996年7月30日、中国の唐家璇外務次官は、佐藤嘉泰大使と会見したとき、釣魚島及びその島嶼は古来より中国の領土であり、中国側は一貫して協議及び対話を通じてこの問題を解決することを主張してきた、中日はかつて国交正常化及び平和友好条約締結の際、この問題については将来の解決に委ねることに一致して同意した、と強調した。
 同年11月、江沢民主席が橋本龍太郎首相とマニラで会見したとき、我が国の釣魚島に関する原則的立場を述べ、この問題は新しい問題ではなく、過去から長期にわたって存在すると指摘した。江沢民は、早くも国交正常化実現の際の会談の過程においても、周恩来首相と田中首相は両国関係の大局から出発して、この問題については将来の解決に委ねることに同意したのであり、実践が証明するように、この高度な政治決断及び重要な共通の認識が両国関係の発展に積極的な役割を果たした、と述べた。
 仮に外交史料は両国関係に関する書面での記述に過ぎないとするのであれば、双方が対処した釣魚島問題に対する実際の行動から、両国間には釣魚島の主権紛争が存在するという結論を引き出すことが完全に可能である。
 中国は一貫して釣魚島問題で「主権は中国にあるが、紛争を棚上げし、共同開発する」ことを主張してきたのに対して、日本側は、この問題が両国関係に大きな障害とならないようにするため、数十年間上陸しようとする右翼分子更には国会議員を取り締まってきた。…また、日本の海上保安庁の尖閣列島管轄に関する出動原則の中にも (取り締まるための) 具体的な規定が明確にある。…

<矛盾した勝手な行動は国際社会の信頼を失う>

 日本社会において多くの賢明な人々は、日本政府が頑なに釣魚島主権紛争を承認しないことは事実に反する、賢明でないやり方だと認識している。1996年以来紛争が存在することを承認しないとする日本の見解に対しては、最近になって、ますます多くの外務省を退任した高官や著名な学者が疑義を提起し、非難するようになっている。…
 無数の事実が物語るように、日本が発展しようとするのならば、自ら努力して向上し、自尊心を回復しなければならないが、その基本的な前提は、国際社会及び近隣諸国の信頼を得ることであって、外交過程の中で矛盾した勝手な行動をすることではない。なぜならば、国際的信用を失った外交は成功を勝ち取ることはできないからだ。

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