尖閣「国有化」後の中国の対日観(2)

2012.09.14

*9月14日付の人民日報は、重要な対外問題について執筆している鐘声と華益文の文章を一気に載せました。ポツダム宣言(第8項)に基づいて日本の「固有の領土」論に引導を渡すという中国側の立場が明確に打ち出されていることが特徴です。
 また、13日付の環球時報は三日連続となるのですが、さらに日本に対する中国人の鬱積した気持ちを爆発させる内容の社評を掲げました。中国側の日本に対する怒りの激しさが否応なしに伝わって来ます。前回の2つの同紙社説と合わせて読んでください(9月14日紀)。

<9月14日付人民日報・鐘声「日本は理性を回復しなければならない」>

 日本は一体日中関係を何処へ引っ張っていくつもりなのか。日本は、その悪辣な行動について代価を引き受ける準備をしたのか。…
 釣魚島は中国の固有の領土であり、中国政府が領土主権を守るために必要な措置を取る正義の行いは、必ずや国際社会の理解と支持を得るであろうし、必ずや中国の地位と威望を高めるだろう。長期にわたり、中国は周辺地域との善隣友好の外交政策を行ってきた。中国は、自らの平和的発展をもって地域の発展を促進し、地域の平和と安定を守り、地域の繁栄を促す重要な建設的な力となっている。中国の良好な国際的イメージは、口から出任せの他人の批評によっては変えることができないものだ。
 半世紀以上前、日本軍国主義が発動した侵略戦争はアジア人民に深刻な災難を与えた。ところが今日に至るまで、日本は誤った歴史観を固守し、侵略の歴史を美化するばかりか、歴史的罪責をひっくり返そうとすらしようとしている。アジア各国は、日本というかつての侵略戦争の発動者に対して常に十分に警戒している。近年になって、日本は、「動的防衛」軍事戦略を打ち出し、防衛庁を防衛省に格上げし、様々な口実を用いて軍備を拡充し、頻繁に地域の緊張した情勢を作り出している。日本の釣魚島問題における悪辣な行動は、世界の反ファシズム戦争の勝利の成果及びこの成果の上に打ち立てられた戦後国際秩序に対する公然たる蔑視であり、挑戦である。
 深刻に中国の領土主権を侵し、13億の中国人民の感情を深刻に損ない、中国の国際イメージを傷つけ汚しておきながら、日本は相も変わらずひたすら我を張り続けている。日本は一体中日関係を何処へ引っ張っていくつもりなのか。日本は、その悪辣な行動にて代価を引き受ける準備をしたのか。
 国家の命運と人民の福祉を点棒にして冒険的なばくちをしたために、日本は大損をしたことがあるのだ。日本は理性を回復しなければならない。

<9月14日付人民日報・華益文「日本の島を盗み取る行動は侵略にほかならない」>

 21世紀の日本は、相変わらず相当程度において19世紀及び20世紀に生きている。
 19世紀の日本は、明治維新を経て、国力は大いに増加したが、野心が膨らんで対外植民戦争を選択し、周辺国家の人民に巨大な災難を与え、残された災いは今日もなおアジア人民に害を及ぼしている。20世紀の日本は、ファシズム戦争を起こして敗れたが、アメリカは、冷戦の必要から日本で生き残った右翼勢力を利用、放任し、ポツダム宣言に定めた軍国主義を徹底的に根こそぎする規定はしっかりと執行されず、日本の極端な民族主義は虫の息をつなぎ、次第に日本の国内政治及び戦略的思想の中に滲透して行った。
 釣魚島問題は、このような過程の中で作り上げられたものである。即ち、日本は甲午戦争(注:日清戦争)を通じて釣魚島及び付属島嶼を不法に窃取し、清政府に不平等な馬関条約(注:下関条約)を無理矢理締結させた。第二次大戦終結前のポツダム宣言第8項は、「カイロ宣言の条項は履行されなければならず、日本の府県は、本州、北海道、九州、四国及び吾らが決定するその他の小島に限らなければならない」と定めている。この宣言の意味するところは非常に明確であり、敗戦国である日本の領土の範囲は戦勝国が確定するのであり、日本が広げたり云々することはできないのだ。第二次大戦が終わった後、カイロ宣言及びポツダム宣言に基づき、中国は、日本が侵略占領した台湾などの領土を回復し、釣魚島及び付属島嶼は国際法上すでに中国に返還された。ところが、20世紀の50年代及び70年代に、日本とアメリカはそれぞれ対日平和条約及び沖縄返還協定を通し、自分たちの私利のために中国の領土である釣魚島を勝手に取り引きしたのだ。
 以上の歴史的経緯から分かるとおり、日本が釣魚島を窃取した過程は侵略行為であって国際法違反であり、国際的不法行為に属する。「不法行為は合法的権利を生ぜしめない」ということは基本的な国際法上の原則だ。日本政府は、歴史的事実及び国際法をねじ曲げ、厚かましくも「釣魚島は日本の固有の領土だ」と内外に言いふらし、中日間に解決すべき領土紛争が存在することを否認し、いかにももっともらしく釣魚島に対する「実際の支配権」及び「管轄権」を行使し始めた。…
 日本のこのような行動は極めて悪辣であり、極めて誤っているのみならず、極めて危険だ。日本が釣魚島問題で行っている行為は、世界の反ファシズム戦争の勝利の成果を否定するに等しく、カイロ宣言及びポツダム宣言が明確にした原則及び体現した精神をひっくり返し、戦後の国際秩序に深刻に挑戦するものだ。
 我々は、日本政府及び世界に対して以下のことを明確にする。今後、日本が釣魚島問題にかかわって取る一切の行為は、「釣魚島の主権は日本に属する」という強盗の理屈によるもので、釣魚島に対するいわゆる「実際支配」の保持及び強化を目的とするものである限り、日本が取るいかなる措置もすべて、対中侵略の歴史を繰り返すものであり、中国の領土主権に対する侵犯を構成し、中国の固有の領土に対する侵略行為にほかならず、必ずや中国の断固たる反撃に逢うだろう。
 歴史をもって戒めとし、善隣友好で、協力を選択するのか、過去にしがみつき、災いを隣人に押しつけ、対決を選択するのか。日本は選択するべきである。

<9月13日付環球時報社評「中国と対抗することは、日本の21世紀最大のし損じである」>

 釣魚島紛争は中日を対抗へと押しやっており、日本は、誤った時間及び地点で誤った相手を選択した。中国の近代における恥辱において、日本がもたらした傷がもっとも深い。中国人にとって雪辱の対象を探すとしたら、日本はこれ以上ない相手だ。
 何代にもわたって中国人は、心の奥底にしまった対日不満感情を抑制し、20世紀の80年代における短い友好黄金期には、両国関係に一定の治療作用を起こした。しかしそれは徹底したものではなかった。日本が靖国神社、教科書などの根深いもめ事をしでかした後、中日関係の冷却化はすでに定まっていた。
 釣魚島の衝突は、中日関係悪化の新たなターニング・ポイントだ。日本人はあるいは自分たちの同島「防衛」の決心は非常に固いものだと信じているかもしれないが、中国人の同島防衛の立場はさらに固いものであることを同時に考えるべきである。なぜならば、彼らと同島を争っているのは「宿敵」であり、日本は中国人に対してあまりに多くの血債を負っており、日本に対して領土の譲歩を行ったことは、中国人にとっては二重の恥辱だからだ。釣魚島紛争がエスカレートすることは、中日関係の大方向をねじ曲げ、両国を危険な対抗に向かわせることになる。
 もしも中日対抗が徐々に形成されれば、日本は必ずや21世紀最大の戦略的し損じをすることになる。現在における中日の力量はすでに完全に20世紀の状況ではなく、中国と対抗することは、日本の右翼の極端な信条には合致するだろうが、日本という国家全体からすれば堪えきれない重さとなる。
 日本がアジアをリードした時代は二度と戻らない。日本は、1世紀以上前には明治維新に依拠した先発という優位性により一度は東アジアを主宰した。そのような歴史的偶然性は、中国が覚醒した後のアジア太平洋情勢によってすでに消し去られた。中日の相対的位置は、歴史の本来の姿に徐々に戻りつつある。
 日本は、東アジアにおいて友だちはおらず、この地域で直面する地政学的困難は中国よりも少なくない。日米同盟が提供する保護の傘は「お高くとまっている」もので、日本の周辺外交上の難題を解決できず、周りのロシア、韓国、朝鮮のいずれでも、その気になりさえすれば日本を足蹴にすることができる。
 中国は、過去においてもっとも自己抑制した日本の隣国であり、中国側から日本に対して面倒を起こしたことは一つとしてなく、中日間のすべての政治的衝突は日本が引き起こしたものだ。日本は有頂天になって、日本が何をやろうとも、中国はずっと自分を抑え続けると考えているようだ。
 釣魚島の衝突は、中国人の堪忍袋の緒を切らせるものだ。釣魚島問題は、我々をして日本の対外政治の汚さを見届けさせ、いかなる友好的な態度も日本側の同様の友好をお返しでもたらすことはないことを確信させた。日本は、過去において我々に血債を負っているだけでなく、いささかの後悔もなく、またもや我々の傷口に塩をまき散らそうとしている。しかもこれが正に落ちぶれつつある日本でありながら、古い時代の傲慢さをもってさらに我々中国のほっぺたをひっぱたこうというのだ。
よかろう。我々も手を挙げて日本の横面を張ってやろう。このびんたは、多くの中国人の心の中で長い間秘かにこだましていたものだ。
 釣魚島は決して単純な領土紛争ではない。もしも中日双方が成り行き任せにするのであれば、中日が21世紀において各々の実力を賭ける新対決へと導き、ひいては両国の歴史上の怨念を全面的に清算するものとなる。中日の力関係における差の広がりは続いており、中国が21世紀におけるこの対決で敗れることはあり得ない。中国の経済総合力、不断に発展する軍事力及び核大国としての地位からいって、我々が敗れることは許されない。
 中国は平和を愛惜しており、とりわけ戦略的な発展のチャンスを愛惜している。しかし中国人は、周りの様々な挑戦の中で、挑戦者に対して断固として反撃することは、平和という大環境を保持するためには必要な厳格さであるということを徐々に認識してきた。中国人がよくいう言葉に「鶏を殺して猿を戒める」というのがある。「猿」が誰であるかはともかくとして、日本が自ら進んで「鶏」になるというのならば、中国人としては間違いなく極めて愉快なことである。

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