領土問題を考える視点

2012.09.12

*野田政権が尖閣国有化を決定した(9月10日)ことに対する中国側の反応は、当然のことながら極めて厳しいものです。中国外交部は即日、「釣魚島問題における日本の立場は、世界反ファシズム戦争の勝利の成果に対する公然たる否定であり、戦後の国際秩序に対する重大な挑戦である」とする長文の声明を発表しました。声明は、「中日両国及び両国民は友好的に付き合うほかなく、敵対するわけにはいかない」と指摘しつつ、「しかし、中日関係の健全で安定した発展には、日本側が中国側と向き合って前進し、共に努力することが必要だ」と強調し、「交渉による係争解決のレールに戻るよう厳しく促す」と述べています。そして最後の文章を「日本が独断専行に走るならば、それによって生じる一切の深刻な結果は日本側が負うほかない」という警告で締めくくっています。
 また9月11日付の人民日報は、「中国の釣魚島をどうして他人が勝手に「売買」することを許せようか」と題する国紀平署名の長文の文章を掲げ、「一 釣魚島は古来中国の固有の領土だ」「二 日本が中国の釣魚島を窃取したのは不法かつ無効だ」「三 中国は釣魚島の主権を守るために日本と断固とした闘争を展開してきた」「四 日本が釣魚島を盗み取ろうとするいかなる企みも失敗に終わる」と論じています。
 国紀平の文章の中で私が特に注目したのは、日本の不法を指摘(上記二)する中で、ポツダム宣言の「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等(注:連合国)ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」を引用し、日本がこれを受け入れて無条件降伏したことによって、「台湾の付属島嶼として、釣魚島は台湾と共に中国に返還された」と論じていること、そして結論(上記四)の中で、「日本が釣魚島問題で誤った行動を取っている根っこにあるものは、日本の一部勢力が軍国主義の侵略という罪責に関する正確な認識及び深刻な反省を欠いていることにあり、そのことの本質は、カイロ宣言及びポツダム宣言などの国際法文献が確定した戦後の日本に対する処遇及びアジア太平洋地域の秩序に対する蔑視及びくつがえしであり、世界の反ファシズム戦争の勝利の結果に対する否定及び挑戦である」としていることです。
 私が今回紹介する文章は、中国外交部声明及び人民日報の署名文章が発表される一日前に、一メディアの依頼に応じて書き上げたものですが、文中で紹介している中国政策科学研究会国家安全政策委員会副秘書長の彭光謙少将の発言が、これまで私が温めてきた日本の領土問題に関する考えと軌を一にすることが多かったことも、一つの刺激になっているのです。彭少将の肩書からして、彼の発言は個人的なものではあり得ず、中国側の基本的認識を反映していると判断したのですが、今回の中国外交部声明及び人民日報署名文章は、そういう私の判断が図星であったことを確認させるものでした。
 なお、同日付の人民解放軍機関紙『解放軍報』も、「日本政府が火遊びしないように警告する」と題する楊希雨書名の文章を発表していますが、ここでもカイロ宣言及びポツダム宣言に関して次のように述べています。
 「この二つの文献は戦後の世界秩序の重要な基礎を構成すると共に、敗戦国日本を処置することに関する基本的なアレンジの枠組みを確立した。この二つの文献は、日本が不法に侵略して占領した他国の領土を返還すべきこと、戦後日本の領土の範囲は、本州、四国、北海道、九州の四つの本島と中米英の戦勝国が定める周辺の島嶼だけを含む旨を明確に定めた。
 しかし、アメリカは公然と国連憲章及び信託統治問題に関する決議を踏みにじり、1972年の沖縄返還協定で釣魚島を琉球群島と共に勝手に日本に引き渡した。しかしながらアメリカは畢竟するに理屈が通らないわけで、…日米安保条約が釣魚島に適用されると何度も表明した国務省スポークスマンでさえ、(釣魚島の主権が日本に属さないということを)否認できないのだ。」
 長い前置きになりました。私は、以下の文章で、私たちが日本の領土問題に関して備えるべき視点を提供することを意図しました。しかし私が指摘した視点の多くは、尖閣問題に関する中国側の認識及び今後の出方を考える上でもそれなりの判断材料を提供しているのではないかと思います(9月12日記)。

 率直に言って、私は領土問題には醒めている、と言うより、もともと関心が乏しかった。私が日中外交実務に携わっていた1980年代前半にももちろん尖閣(釣魚島)問題はあった。しかし、日中間に「棚上げ」という共通の了解があったこともあり、私がなんとかしたいと考えたのは、東シナ海(東海)の日中共同開発を起動させ、潜在的な紛争要因を日中関係の安定的発展に資する積極要因に変えたいということだった(具体化までは至らなかったが)。私は、今日でもこの考え方は正しいと思っている。
 しかし、2010年のいわゆる中国漁船衝突事件を直接の引き金にして、民主党政権が「領土問題は存在しない」(当時の前原外相発言)と言い放ち、「棚上げ」という日中間の了解を無視・否定して中国側の神経を逆なでし、尖閣問題は再び紛争化させられた。石原都知事の購入発言及び野田首相の国有化発言はその延長線上にあり、中国官民の激怒を招き、事態はさらに深刻化した。しかも、米政府関係者の累次にわたる「日米安保の尖閣への適用」発言及び(明らかにこれに力を得た)野田首相の自衛隊出動発言を受けて、中国側メディアでは軍事衝突という不測かつ最悪の事態への言及がなされるまでになっている。こうなると私としては、もはや「関心がない」傍観者を決め込むわけにはいかない。日本の「領土問題」を考える視点を提供することは、外交問題を生業としてきた私のささやかな責任だと考える。

<視点①:日本外交のあり方>
 最初に日本外交のあり方から。日本政府は、竹島を「歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土」(外務省HP)とし、尖閣については「無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に…正式にわが国の領土に編入」(同)としており、日本の領土とする立論は、竹島と尖閣で微妙に異なる。しかし、中国漁船衝突事件が起きた際に前原外相(当時)は、尖閣を「固有の領土」と明言した上で「東シナ海には領土問題は存在しない」と述べた(例えば2010年10月15日の記者会見)ように、日本政府は一貫して尖閣、竹島、北方4島を「固有の領土」と括ってきた。そうである以上、国際司法裁判所(ICJ)に付託するかどうかについても整合性ある外交があって当然だ。竹島についてはICJに付託して「問題の平和的手段による解決を図る」ことを韓国政府に提案し、尖閣についてはICJ付託について黙して語らない民主党政権の外交のあり方は、自らの説得力をおとしめている。
 もちろん、反論はあり得る。日本が実効支配しているのに自分からICJ付託を言いだすバカはいないということだろう。また中国政府も、領土問題は当事国の2国間交渉で解決する立場であり、ICJ付託を日本政府に提案したことはない。
しかし、日本が本気で竹島問題の解決をICJ付託で図るというのであれば、尖閣及び北方4島についても、ICJ付託の用意があることをあらかじめ公表するべきだ(もちろん、いずれを相手にしたICJ訴訟であれ、いかなる判決結果にも従う潔さを政府も国民も持たなければならない)。尖閣については「領土問題は存在しない」と言い張っておいて、韓国に対してだけICJ付託を提案しても、「ためにするもの」として一蹴されてしまうだけだ(現実にもそうなった)。相手に応じて手練手管を変えるという短視眼、場当たりの日本外交のあり方は国際的に通用しないことを、政府も国民もいい加減知るべきである。

<視点②:条約の形式的効力>
以上は、韓国に対してのみICJ付託を提案した日本外交の問題について、外交のあり方を考える材料として取り上げたのだが、本質的に考えるべきは、領土問題に関する日本の「固有の領土」論はそもそも国際的に通用するかという問題だ。
 尖閣、竹島、北方4島という領土問題を考える上では、第二次大戦で敗北した日本に対する処理方針を扱ったカイロ宣言(1943年12月)、ヤルタ協定(1945年2月)及びポツダム宣言(1945年7月)(以下「3条約」と略すことがある。)、そしてサンフランシスコ対日平和条約(1952年4月発効)を抜きにしては語れない。そして、これらの条約(広義)に関しては、関係国それぞれにとっての形式的効力の問題と、条約内容に基づく実質的効力の問題とを考える必要がある。
形式的効力の問題とは、簡単に言えば次のことだ。
4条約すべての当事国はアメリカだけだ。カイロ宣言及びポツダム宣言に関しては米中英3国及びポツダム宣言を受諾して無条件降伏した日本が当事国、秘密協定だったヤルタ協定については米英ソ(ロシア)、対日平和条約については主に米英日が当事国だ。
なぜこのことにこだわらなければいけないか。条約の法的効力は当事国だけに及び、非当事国には及ばないからだ。これら条約の定める日本の領域に関する規定内容が整合性あれば問題は生じないが、アメリカがソ連及び中国を抜きにして条約作成を主導した対日平和条約と他の3条約との間では、後述するように、アメリカが前者に意図的に曖昧さを忍び込ませたために整合性がとれていない。そこにこそ、日本の領土問題が起こった根本原因がある。
具体的に言うと、日本の「領域」については対日平和条約第2条で決めており、日本はもっぱらこれを根拠にして自らの主張を行ってきた(日本が当事国ではないヤルタ協定はもちろん、カイロ宣言及びポツダム宣言をも無視する)。しかし、中国もソ連(今のロシア)も対日平和条約の非当事国だから、これには縛られるいわれはない。両国としては、自らが当事国である カイロ宣言及びポツダム宣言(中国の場合)あるいはヤルタ協定(ソ連の場合)に基づいて権利を主張する。
中国側報道(2011年4月11日付『中国青年報』)によれば、ロシア外務省は2011年4月4日、ヤルタ協定に加え、対日平和条約及び国連憲章第107条をも根拠にして自らの権利の正当性を主張する声明を発表したという。ロシアが当事国ではない対日平和条約を根拠の一つに持ちだしたということには首をかしげざるを得ない。しかし、国連憲章第107条(「この憲章のいかなる規定も、第二次世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であつた国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない」)を根拠とすることは、条約の形式的効力を確認するものとして有効である。
また条約の形式的効力を考えるときは、条約法条約(アメリカは批准していないが)の第30条(同一の事項に関する相前後する条約の適用)も忘れてはならない。ここでは、「条約の当事国のすべてが後の条約の当事国となつている場合において、第五十九条の規定による条約の終了又は運用停止がされていないときは、条約は、後の条約と両立する限度においてのみ、適用する」と定める。この規定の反対解釈として、中国及びロシアが当事国ではない対日平和条約は両国には適用がないことが確認されるわけだ。
確かに、対日平和条約第26条は、この条約に署名・批准しない国には「いかなる権利、権原又は利益も与えるものではない」と定めるが、同条約の非当事国である中国及びソ連(ロシア)にとってはなんの意味も持たないし、国連憲章及び条約法条約の上記規定に則しても、この規定が先行する3条約に基づく中国及びソ連(ロシア)の権利を消滅させるが如きはあり得ない。
ちなみに、日本に独立を奪われていた韓国は上記のいずれの条約の当事国でもないので、形式的効力にかかわる問題は生じない。

<視点③:条約の実質的効力(規定内容)>
形式的効力についての以上の理解を踏まえた上で、実質的効力の問題に入る。まず尖閣関連でいえば、カイロ宣言は、「満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スル」ことを定め、ポツダム宣言は、カイロ宣言のこの規定を履行すべきことを定める。これに対して対日平和条約では、日本は「台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄」するとしている。中国政府はカイロ宣言に基づき、日本が「盗取シタル一切ノ地域」に釣魚島が含まれるから中国に返還されるとする。これに対して日本政府は、対日平和条約で放棄した「台湾及び澎湖諸島」には、日本が無主先占で取得した、固有の領土である尖閣は含まれていないとする。ここに尖閣(釣魚島)の領有権に関する主張の対立が生ずるわけだ。
次に北方4島関連でいえば、ヤルタ協定は、「千島列島ハ「ソヴィエト」連邦ニ引渡サルヘシ」と定める。対日平和条約では、日本は「千島列島…に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と定める。ロシアからすれば、ヤルタ協定でロシアに引き渡される「千島列島」には南千島諸島も含まれるということであり、日本政府は、対日平和条約で放棄した「千島列島」には日本の固有の領土である北方4島は含まれていないということで、やはりそれぞれが依拠する条約に基づいて主張が対立することになる。
このように、日本と中国及びロシアが依拠する条約が異なるので、それぞれの主張は平行線をたどり、決着がつかないということになる。

<視点④:ポツダム宣言>
しかし実は、実質的効力にかかわるより決定的な規定がポツダム宣言にある。それは、「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等(注:連合国)ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」と定めていることだ。つまり、日本の主権が及ぶ領域は、本州、北海道、九州及び四国のほかは、「吾等(注:連合国)ノ決定スル諸小島」に限定されるのだ。日本はポツダム宣言を受諾して投降したのだから、中国及びロシアとの関係においては、この規定はもちろん日本に対して効力があり、日本としては抗うことはできない。
即ち、尖閣及び北方4島を日本の領有に帰せしめる「諸小島」に含めるかどうかは、もっぱら連合国の決定に委ねられるということであり、これら諸島が日本の「固有の領土」であったかどうかは関係ない。ちなみに、この規定は竹島の領土的帰属にも決定的な意味を持ちうる。というのは、連合国が韓国の領有権の主張を認めれば、その時点で勝負ありということになるからだ。

<視点⑤:アメリカの去就>
もちろん、中国とロシアだけがポツダム宣言にいう連合国ではない。「吾等(注:連合国)」にはアメリカも当然含まれるから、アメリカが尖閣、竹島及び北方4島に関して如何なる立場を取るかによって事態は複雑化する。現在、日本の領土問題が紛糾しているのは、優れてアメリカの態度が曖昧を極めているからにほかならない。
まず事実関係の確認から。アメリカ政府は、北方4島については日本の主張を支持してきた。他方、尖閣及び竹島については、いずれか一方の側の立場にも与せず、日中及び日韓が話し合って決めることを支持するという立場だ。
しかし、アメリカの本心はそれほど単純ではあり得ない。そもそも、カイロ宣言及びポツダム宣言作成時と対日平和条約作成時とにおけるアメリカの中国及びソ連に対する認識及び政策は180度違ったために、日本の領土に関する両宣言と対日平和条約との間の不整合をアメリカが意図的に作り出したのだ。
カイロ宣言及びポツダム宣言の時、米中は対日戦争の同盟国だった。ヤルタ協定の時も、ルーズベルトのアメリカとスターリンのソ連は対独戦争を共に戦っていた同盟国であり、ルーズベルトは、対日戦争早期終結のためには、領土不拡大原則を曲げてでも(つまり、千島列島のソ連への引き渡しに応じてでも)ソ連の対日参戦を必要としていた。
しかし、対日平和条約の時は、米ソ関係はすでに決定的に悪化して冷戦に突入していたし、1949年に中国大陸に共産党政権が成立し、1950年には朝鮮戦争も勃発して、米中も厳しい敵対関係に入っていた。そもそも対日平和条約が日米安保条約とパッケージであったことが示すとおり、アメリカは日本を反ソ反共陣営に組み込むために、日本の独立回復を急いだのだ。したがって、領土問題についても、3条約に基づく当事国としての約束をすんなり履行する気持ちはなく、それが対日平和条約第2条における曖昧な処理となったわけだ。
この点に関しては、当時のアメリカ政府内部の文献を丹念に検証した成果をもとにした原貴美恵『サンフランシスコ条約の盲点 -アジア太平洋地域の冷戦と「戦後未解決の諸問題」-』が大いに参考になる。そこでは、アメリカが徹頭徹尾パワー・ポリティクスの観点から領土問題を処理した経緯が明らかにされている。尖閣、竹島及び北方4島の帰属先を明示しない(日本の権利放棄だけを定める)、また、日本が放棄した領土の範囲についても明確な定義をしないという対日平和条約の規定ぶりは、アメリカの対ソ・対中をにらんだ戦略的・政策的考慮の結果であった(今や「固有の領土」論となった日本の主張・立場が考慮されたのではない)ということだ。
そのアメリカは、尖閣には日米安保が適用されるが、竹島及び北方4島への適用は口にしない。同条約第5条は、「日本国の施政の下にある領域における(in the territories under the administration of Japan)、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動する」と定めている。その意味は、日本の施政下にある領域のみがアメリカの日本に提供する安全保障の対象であるということだ。アメリカに言わせれば、尖閣は日本の施政下にあるから第5条が適用されるが、竹島及び北方4島は日本の施政下にないから適用を口にしないという理屈だろう。しかし、日中いずれの領土であるかについては「中立」を装いながら安保は適用されると言いながら、日本の領土だとしながら安保の適用については口を閉ざすというのはあまりにもおかしい。
ちなみに、ロシアが日本への北方4島「返還」に応じない真意の少なくとも一つの重要な判断として、その軍事戦略的価値があることは公知の事実だ。ロシアが北方4島を日本に返還するということは、取りも直さず日米安保第5条の同地域への適用を認めることになるから、ロシアがそのようなリスクを冒すことは、日本(及びアメリカ)からよほどの言質・見返りがないかぎりあり得ないことだ。
このように、アメリカが日本の領土問題で曖昧を極める立場に終始するのは、優れてアメリカにとっての国益は何かということを基準にして行動しているからであって、そこには日本の「固有の領土」論に対する考慮は微塵もないことを知らなければならない。繰り返すが、そこにこそ日本の領土問題の複雑さの根本原因がある。中国は、尖閣問題に関する民主党政権の言動に直面して、この根本原因の所在を直視することとなった。

<視点⑥:中国の出方>
 中国の釣魚島(尖閣)問題に関する立場に関しては、私は自分のHPの「コラム」欄で詳しく紹介してきた。紙幅がないので繰り返さない。私がもっとも注目したのは、8月21日付の新華社HPが掲載した、中国政策科学研究会国家安全政策委員会副秘書長の彭光謙少将に対する単独インタビュー(タイトルは、「釣魚島問題は人類社会の正義の力に対する日本の挑戦」)記事だ。彼は、釣魚島問題には三つの戦略的中身があるとして、「第二次世界大戦の反ファシズム戦争の正義を擁護するか否定するかという問題」、「現在の釣魚島の波風の大きな背景には、アメリカの戦略の重心が東に移ったということがある(こと)」、そして「この問題は中国大陸の問題であるだけではなく、台湾問題と密接にかかわっているものであり、中国の国家的統一及び中華民族の復興という大事業の一部分」と指摘した。
 つまり、釣魚島問題はもはや日中二国間の問題として収めるわけにはいかないのであって、「アメリカの戦略重心が東に移ったという大きな背景により、釣魚島問題はいよいよ複雑さを増し、問題は長期化、複雑化そして膠着化する可能性があり、短時日で解決はできず、我々としては長期闘争を行う準備をする必要がある」ということだ。したがって中国としては、「国際的な正義の力を呼び起こし、国際的な戦線を組織し、共に第二次大戦の勝利の果実を防衛すべきだ」という認識に到達する。
具体的には、「明年はカイロ宣言70周年を迎えるので、適当な時期に国際会議を開催し、日本の領土的帰属及び国際的地位の問題を含めた日本の戦後処理問題を改めて審議し、カイロ宣言やポツダム宣言などの重要法律文献の正確性と有効性を重ねて述べ、第二次大戦で残された問題を徹底的に解決するべきだ」という提案を行っている。対日平和条約そのものへの言及はないにせよ、ここでは、両宣言と対日平和条約の矛盾(即ち、日本の領土問題の原因を作り出したアメリカの対日政策そのもの)をまな板に乗せることによって、問題の徹底的かつ根本的な解決を目指すという考え方が鮮明に提起されているのだ。
もちろん、彭少将自身が「問題は長期化、複雑化そして膠着化する可能性があり、短時日で解決はできず」と述べているように、中国としても、独自の外交を志向するロシア及びアメリカの同盟国である韓国が簡単に中国のアプローチに応じるとは考えていないだろう。しかし、アメリカの対アジア戦略及びその一環としての対日政策そのものを根底からあぶり出し、問い直さない限り、釣魚島の解決はあり得ないとする認識が、これからの中国の政策の根幹に座るだろう。アメリカは、日本の民主党政権の稚拙を極めた政策に安易に同調するあまり、中国という「寝た子」を起こすことになった。

<視点⑦:「固有の領土」論再考>
 日本の領土問題に関する私の結論は簡単だ。日本国内では「常識」化されている「固有の領土」論は、国際的スタンダードとしては実はなんらの説得力をも持ち合わせていない。アメリカを含む関係当事国がポツダム宣言に立ち返ることによって、日本の主張は簡単に却下されることが運命づけられている。
日本国の主権者である私たちとしては、対米追随を旨としてきた戦後保守政治に引きずられ、思考停止のままに甘んじているのはいい加減卒業するべきだ。そして、21世紀の国際環境のもとで、いわば20世紀的国際権力政治の歴史的遺物にほかならない領土問題を如何に位置づけ、対処することが求められているかという視点を速やかに我がものにすることが肝要である。
 21世紀の国際環境を特徴づけるのは、①人間の尊厳・人権・デモクラシーという普遍的価値の国際的確立、②国際的相互依存の不可逆的進行、③地球的規模の諸問題が待ったなしの全人類的取り組みを要求していること、そして④核兵器の登場によって戦争そのものが「政治の延長・手段」としての存在理由を失い、戦争違法化が世の流れになっていること、などである。これらの前では、いわゆる領土問題はあまりにも小さい。
 もちろん、少なくとも21世紀においても、「無政府的な国際社会」(主権国家を基本的成員とし、統一的中央政府がない国際社会)という基本的な構図が維持されることは認識しなければならない。したがって、領土問題という前世紀の残り火はくすぶり続けるだろう。私たちに求められるのは、21世紀的視野のもとで、如何にして残り火が勢いを盛り返すことを未然に防止し、人類全体の平和と繁栄に資する方向での解決に導いていくかという健全な常識感覚である。日本国憲法という全人類的遺産を我がものにしているという強運を持つ私たちの国際的な責任はこの上なく重い。今や無残を極める戦後保守政治に最終的引導を渡し、日本の政治を私たちの手に回復し、近隣アジア諸国の信頼を勝ち取る内政外交を営む日本にしたいと切実に思う。

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