国交正常化40年の日中関係

2012.08.29

*歴史教育者協議会に寄稿した文章を紹介します。同会が発行している『歴史地理教育』9月号の「特集・日中国交回復40年」に掲載されています(8月29日)。

はじめに:対等平等な国家関係を知らない日中関係

そもそも日中関係は、双方が相手をどのように位置づけるか、どのように認識するかというもっとも根本的な点で曖昧なまま推移してきた、非常にやっかいな2国間関係だった。つまり、日本も中国も、相手を対等かつ平等な存在として認め合うという、現代の国際関係の大原則に基づく関係を営んだことがない。このことが日中関係の根幹にある問題点である。
日中両国が位置する東アジアの歴史的な国際関係は、西欧的にいう国家同士が相互に横並びで相対するという横の関係ではなく、中華帝国が頂点に君臨して、その周辺にもろもろの国家が下位に位置する構図だった。頂点に立つ中国からすると、日本は東夷、要するに下位に位置する野蛮な存在であり、中国にとって対等な存在ではあり得なかった。
日本から中国を見る場合も、概して言えば、中華世界の一員として中国を一目も二目も置く存在と見なしてきた。総じていえば、日本は明治維新に至るまでは、とにかく中国を格上の存在と見なしてきたと言える。
日本側の対中国認識における変化のきっかけとなったのは、清帝国がアヘン戦争によって西洋列強に蹂躙されたことを目の当たりにしたことである。それまで畏敬の対象であった中華帝国がもろくも西洋列強によって打ち破られる事態に直面して、 切実な危機感を抱いた薩長主体の指導者たちが明治維新を断行した。
日本の機敏な近代化の動きと比較したとき、清朝・中国の立ち遅れは否めず、その結果が1894-95年の日清戦争における日本の勝利となった。それ以後、日本は、中国に対して軽蔑感を持って接するようになった。つまり、上下関係が逆転した。こうして、1945年に至るまで、日中間には対等かつ平等な国家関係は成立しなかった。
1945年に日本が敗戦したことによって、はじめて日中関係にいわゆる欧米的な意味での国際関係、つまり横並びの関係としての国家関係が成立する条件が生まれた。しかしその条件は生かされなかった。中国には内戦を経て共産党政権ができる。共産党政権の中国を敵視したアメリカは、アジア太平洋における反共の砦として日本を再建する政策を採用した。その結果が1952年のサンフランシスコ平和条約であり、それとパッケージであった日米安保条約、台湾に逃れた蒋介石政権との間の日華平和条約であった。これによっていわゆるサンフランシスコ体制が出来上がった。その結果、日中関係は、横並びの国家関係ができるどころではなく、伝統的な上下関係ともほど遠い敵対関係として1972年まで固定化されてしまうことになった。したがって、この期間においても、日中双方が相手国に対して、国家として対等平等な存在という正確なイメージを形成する客観的な条件が存在しなかった。
1972年に日中両国は国交正常化を成し遂げるのだが、それもきわめて他力本願だった。つまり、その前にニクソン訪中があって、米中がソ連をにらんだ戦略的和解を実現する。つまり、アメリカの対中政策の激変という条件ができたもとではじめて、日本も台湾と断交し、中国と外交関係を樹立する道に進んだ。日中国交正常化を可能にした最大の要因は、米中それぞれの国際戦略の変化ということであり、日中両国が互いに対等平等な主権国家であることを認識して、本来あるべき国家関係のあり方を目指した結果ではなかった。
米中の戦略転換により可能となった日中国交正常化だったから、その後の日中関係には常にアメリカの影がつきまとうことになった。つまり日本からすると、日米安保体制あるいは日米軍事同盟を前提とした条件の下でのみ日中関係は存在する、ということであり、サンフランシスコ体制を前提とした日中関係だった。

1 日中国交正常化に内在した問題点

1972年に日中共同声明によって、日本と中国は国交を回復・正常化した。しかし、共同声明はいくつかの重大な問題について解決を先送りにしたもので、対等平等な日中関係を構築する基盤・条件を提供し得なかった。歴史認識、戦争責任にかかわる戦後補償問題なども忘れてはならないが、最大のものは台湾問題・日米安保条約の存在である。
日米安保条約の適用範囲は第6条によって極東となっており、その極東には台湾も含まれる。万一中国が台湾を武力解放する行動に出る時には、アメリカは台湾の側に立って、中国と軍事対決するという政策上の選択肢を堅持しているが、そういう軍事力行使を可能にするためには、日本の全面的支援・協力が必要である。つまり、日本列島がアメリカの出撃・兵站基地として機能しなければ、アメリカは中国との戦争を行う能力、つまり継戦能力は持ち得ない。日米安保条約に極東条項(第6条)が入ったのは、正に台湾有事に備えるためでもあった。
なお、1997年の新ガイドライン作成以来、アメリカは日米安保関係を正真正銘の軍事同盟に変質・強化させる政策を推し進めてきたし、日本も、特に小泉政権以後は積極的に呼応してきた。そこでは常に台湾有事が意識されてきた(民主党政権による新防衛計画大綱は、「動的防衛力」構想を打ち出し、中国をにらんだ南西諸島への戦力シフトを進めている。)。
アメリカが台湾有事に際して中国との戦争に踏み切ることができるためには、もう一つクリアしなければならない問題がある。それは、アメリカが軍事介入することが国際法的に正当だ(少なくとも違法であると指弾されない)と主張できる根拠作りである。なぜならば、中国は台湾が中国の領土の一部であるという立場を堅持しているから、それに対抗して軍事介入が内政干渉には当たらないと主張するための法的根拠が必要なわけだ。日本としても事情は同じで、台湾有事になったときに、アメリカの軍事作戦に全面的に協力することを正当化するためには、やはり、中国の台湾に対する領有権・主権の主張を認めるわけにはいかない。そういう法的根拠として編み出されたのが「台湾の領土的帰属未決論」だった。
日本に関して言えば、日中共同声明において日本政府は、台湾問題に関して、「ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」(第3項)と表明した。つまり、ポツダム宣言第8項で引用されているカイロ宣言が述べている「台湾は中国に返還されるべきである」ということまではコミットした。しかし、「返還されるべきである」ということは、裏を返せば、「今は返還されていない」ということだ。さらにいうと、返還されていない状況だから、今の時点で台湾がどこの国家のものかは決まっていないという理屈になる。

2 日中関係の現在と展望

40年を経た日中関係は、「政冷経熱」という形容がぴったりだ。しかし、経済的日中相互依存関係の高まりが他のすべての政治的不安定要因を洗い流してしまうという展望は描けない。しかも、1972年当時は表面化しなかった尖閣諸島の領土問題が浮上することによって、日中関係にはさらに複雑な要素が持ち込まれた。尖閣領有権問題は台湾問題とも直結しており、さらに日本と中国のナショナリズム感情がからむだけに、この問題は、日中関係そのものを危うくする破壊的エネルギーを秘めている。ここでは尖閣問題に深く立ち入る余裕はないが、台湾問題にかかわる次の点だけは確認しておきたい。
日本側が「尖閣は日本の固有の領土」とする主張の根拠は、1895年1月に無主先占で日本の領土に編入したとすることにある。したがって、その後の下関条約において中国から割譲させた台湾の中には尖閣諸島は含まれないということだ。また、敗戦日本の領土について定めたサンフランシスコ平和条約は、日本の固有の領土である尖閣の法的地位には何らの影響も及ぼさなかった、とする。
しかし、中国側は、釣魚島(尖閣)はもともと中国領だから、日本が無主先占を主張すること自体が不当であり、釣魚島(尖閣)が台湾の行政区分に属していた以上、下関条約で割譲を強いられた台湾の中に含まれる、と主張する。また中国側は、1952年のサンフランシスコ平和条約に関しては、アメリカ、イギリスは、条約交渉の国際会議から中国を排除したとして、条約そのものが「不法、無効」とする声明を出したことを指摘する。つまり、中国としては、敗戦した日本に関する戦後処理の仕方全般に関して異議申し立てを行っており、時効を中断させている、日本側の主張は当たらない、というわけだ。
ごく簡単に素描したことからも明らかなように、日本の「尖閣は日本の固有の領土」とする主張が自明で論争の余地がないかどうか自体がハッキリしない。そのことは、アメリカが日本の主張に与せず、日中両国間で話し合って決めるべきことという立場を維持していることからも明らかだ(サンフランシスコ平和条約の交渉過程では、アメリカが現在の日本の立論そのものを突き崩す方向での処理を考えたことがあることも明らかにされている。)。
すでに述べたように、日中関係が未だかつてノーマルな国家関係を営んだことがないこと、台湾問題・対中軍事対決を念頭においた日米安保体制という時限爆弾を抱え込んだままの関係であることを考えるとき、ナショナリズムを激発しやすい領土問題である尖閣の処理を誤ると、事態収拾が非常に難しくなり、破局をもたらす導火線にすらなりかねないことを真剣に考えなければならない。
しかも日中両国の国内情勢は、この40年間の間にますます多くの深刻な不安定要因を抱え込むに至っている。 中国が改革開放政策を始めてからの30年間の成果の面を強調すればキリがないが、問題点を指摘しようとすれば、これまたいくらでも挙げられる。そのため、多くの国民の鬱積する不満はなんらかのきっかけによって容易に爆発する。そういう時に、日本がことさらに尖閣問題でことを荒立てると、中国国内の諸々の不満が狭隘な排外的ナショナリズムの激発として噴出しかねない。
日本も同様で、特に湾岸危機・戦争そしてバブル崩壊後は、日本社会の隅々にまで矛盾が蓄積されている。しかも政治は混迷の度を深める一方で、将来に向けた展望・指針を示すことができない。その結果、もともと戦後日本の保守政治は、戦前の軍国主義と思想的・組織的・人脈的に連続性が顕著だったが、付和雷同するポピュリズムの高まりを利用した政治の右傾化の危険性はますます増している。尖閣問題が格好の材料として利用されやすいことは、石原慎太郎東京都知事の言動が示すとおりである。
しかも日米軍事関係は、1972年の日中国交正常化当時の日米安保条約のレベルではない。今や周辺事態法から武力攻撃事態対処法に至るいわゆる有事法制、国民保護法・計画を完全に整備しており、いつでも日本が国をあげてアメリカの対中戦争に対して全面的な協力ができる体制が出来あがってしまっている。だからこそ、私たちとしては、尖閣問題で日中関係を収拾のつかない状況に追い込んではならないのだ。
最後に、平和友好の日中関係を展望する上で避けて通れない課題として、2つの問題を指摘しておきたい。
一つは、台湾の領土的帰属未決定論を清算する緊要性である。これは実は本当に簡単なことなのだ。要するに、台湾の領土的な帰属は未決定というフィクションに日本がしがみつくことをやめさえすれば、それで万事が解決する。これは、煩瑣な法的手続きを必要とせず、政府の決断ですぐできることだ。
ちなみに、日本が、「台湾は中国の領土」と認めれば、アメリカがこの法的フィクションにしがみつく正当性は失われ、台湾有事に軍事介入する法的根拠を失う。そうすることにより、日本も中国と戦争する可能性を未然に防止できることになるのだ。
もう一つの課題は日米軍事同盟を清算することだ。これこそがアジア太平洋の平和と安定の要諦だ。日本国内では今や、「アメリカの軍事プレゼンスが必要不可欠」という議論が横行する状況がある。しかし、すでに述べたように、日本列島がアメリカの出撃・兵站基地にならなければ、アメリカは中国(ひいてはアジア太平洋地域)に対して戦争を仕掛けることは不可能になる。したがって、日米軍事同盟を清算すれば、日中関係の火種は解消され、アジア太平洋における火の元も消えるのだ。
日米軍事同盟の法的根拠は、今日もなお日米安保条約だ。条約は、日本側の対米通告により、1年で終了することができる(第10条)。これまた煩瑣な法的手続きを必要としない。我々主権者である国民が民主的手続きを経て選出する国会及び政府を通じて明確な意思決定を行えば、いつでも実現できるのだ。日中関係の将来及びアジア太平洋の平和と安定は、優れて私たち主権者の意思決定にかかっている。

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