第三アーミテージ報告

2012.08.26

*2000年10月(11日)、2007年2月(16日)に続いて2012年8月(15日)に3回目のいわゆるアーミテージ報告(原題「日米同盟 アジア安定の錨となる」"The U.S.-Japan Alliance Anchoring Stability in Asia")が発表されました。3回の報告の内容を比較対照しつ、今回の報告の特徴点、問題点を検討します。なお3回の報告を、以下ではそれぞれ「第一報告」「第二報告」「第三報告」と呼び表します(8月26日記)。

1.アメリカの対日・アジア政策における問題意識の変遷

3つの報告の目次は以下のとおりですが、そこからだけでもそれぞれの執筆時点における報告の問題意識の所在及び重視する政策的力点の違いがうかがえます。

<第一報告「アメリカと日本:成熟したパートナーシップに向けて」>

目次:①本報告書について、②冷戦後の漂流、③政治、④安全保障、⑤沖縄、⑥情報活動、⑦経済関係、⑧外交、⑨結論

第一報告が執筆された国際政治軍事的背景としては、次のような状況がありました。米ソ冷戦が終結して、ソ連に代わる敵を「見失った」アメリカは、アメリカの牢固たる国際観である国際権力政治(「力による平和」観)に基づく軍事戦略を正当化する根拠・材料(新たな敵)を見いだせませんでした。それは客観的に言えば、アメリカが国際権力政治観を根本的に見直すチャンスであったはずですが、そのような問題意識はアメリカには無縁でした。
実際に起こったのは、イラクのクウェート侵攻に対するブッシュ(父)政権による多国籍軍方式の湾岸戦争(1991年)、ソマリア内戦に対する国連主導の軍事介入に対するクリントン政権の積極的関与及びその失敗、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の「核疑惑」をめぐる対朝鮮軍事行動の検討と最終的回避(1993-4年)など、ブッシュ(父)及びクリントン両政権はなかば惰性的に冷戦時代の思考を延長して、軍事力を大上段に振りかざす政策を続けたのですが、方向性の喪失感は否めないものがありました。そうしたアメリカの軍事戦略の漂流状態を改め、これに国際権力政治に立脚した方向性を与えることを意図してクリントン政権入りしたジョセフ・ナイは、その重要な一環として、対アジア政策を立案し、いわゆるナイ・イニシアティヴによって日米軍事同盟の再編強化の処方箋書きを主導したのです。
日本では、自民党政治の下で、特に1960年以後、安保・防衛をアメリカに委ね、自らは経済的回復・成長・繁栄を追求する「一国平和主義」の政策路線が行われました。1950年代には広く国民的に意識されていた、「力によらない平和」観の平和憲法と「力による平和」観の日米安保は両立しないという見方(その二つのいずれを取るかをめぐって争われたのが60年安保闘争)は、60年代から70年代にかけての自民党政治が日本経済の急速な成長をもたした(国民生活も改善し、国民の間に「中流意識」が浸透した)ことを背景に、「安保も憲法も」という曖昧を極める平和・安全保障観に席を譲ることになりました。
確かに中曽根政権(1982-87年)は、レーガン政権と緊密に協力して、「日米運命共同体」を声明し、「日本の不沈空母化」を発言(ともに1983年)することに象徴されるように、対米軍事協力政策を推進しました。しかし、その後の竹下(1987-89年)、宇野(1989年)、海部(1989-91年)、宮沢(1991-93年)と続いた政権はいずれも短命であったこともあり、惰性的な安保・外交政策に終始しました。この間、それまで「護憲派」の有力な一翼を担ってきた政治勢力(社会党、総評)に対する猛烈な工作が行われ(1980年の社公合意及び89年の総評の連合への合流・解散)、そういう潮流の中で、国民の曖昧を極める平和・安全保障観はさらに助長されました。
湾岸危機・戦争(1990-91年)に際しては、日本国内では、戦争への協力・参加を求めるアメリカの厳しい圧力の下でいわゆる軍事的国際貢献をめぐる議論が行われました。この時点では、対外軍事行動に自衛隊が参加することに対する多くの国民の抵抗感がまだ強かったこともあり、自民党政権は戦費負担でとりあえずお茶を濁しました。しかし、もともと平和憲法を目の敵にしていた自民党政権は、アメリカの「カネだけではなく血も流せ」という圧力を利用して、戦争協力に抵抗する国民感情を「一国平和主義」とするレッテル貼りを行って、PKO派遣を皮切りに自衛隊の海外派兵への道筋をつける布石を行っていくようになりました。既成事実に「弱い」国民の多くは、このような保守勢力による攻勢に対してもはや効果的な抵抗を行う判断力もエネルギーも持っていませんでした。
こうして1996年にはクリントン・橋本「日米安保共同宣言」が発出され、それを受けて「各種対米支援」、「予防措置」(平時)、「拡大防止措置」(周辺有事)、「対日攻撃対処」(対日攻撃)に関する日米事務レベルの検討作業が進められることになったのです。しかし、その後のフォローアップは、第一報告の作成者たちにとっては満足のいくものではありませんでした。
即ち、バブル経済が吹きとんだ日本政治の混迷及びクリントン政権の対日政策への一貫性のない取り組みにより、日米軍事同盟を強化するという課題が置き去りにされてしまったというのが、第一報告作成者たちの判断でした。第一報告の目次にある「冷戦後の漂流」とは直接的には、1990年代の日米関係が「進路は一定せず、焦点と一貫性を見失っている」(第一報告)状況を指しています。しかし、報告は述べていませんが、実はすでに述べたように、1990年代のアメリカ自身が冷戦後の国際権力政治における自らの立ち位置を見失っていたわけで、「冷戦後の漂流」とは、客観的にアメリカ自身をも形容するものでした。
 したがって第一報告は、2001年に登場するアメリカの新政権を念頭に、冷戦後の漂流を払拭し、国際権力政治に基づくアメリカの世界特にアジア支配の戦略の方向性を明らかにするとともに、その中での日米同盟のあり方についての方向性を示すことを意図したものでした。

<第二報告「日米同盟 2020年に向けてアジアを正しい方向に持っていく」>

目次:①はじめに、②2020年までのアジア(中国、インド、朝鮮半島、韓国との相違点管理、東南アジア、オーストラリア、ロシア、台湾、地域統合)、③アメリカと日本:見本による指導、④アメリカと日本:同盟を正すこと(経済、安全保障)、⑤アメリカには何が求められるか、⑥勧告:2020年へのアジェンダ(対日勧告、米日同盟への勧告、地域政治への勧告、世界政治への勧告)、⑦結論、⑧補足:安全保障及び軍事的協力

 第二報告が発表された2007年は、ブッシュ(子)政権の2期目も後半に入り、第一報告が予想もしなかった2001年9月11日のいわゆる9.11事件を受けて、同政権が推し進めた対テロ戦争の破綻が誰の眼にも明らかになって来た時期に当たります。アーミテージはブッシュ政権下で国務副長官を務めました(2001年~2005年1月)が、2009年に登場する新政権を念頭に、対テロ戦略の泥沼に陥っていたアメリカの一国主義の性格が濃厚だった対外戦略を多国間協力を重視するものに見直し、よりバランスのある対外戦略を構築し直すという意図で第二報告をまとめました。その意図を端的に示すのが「2020年までのアジア」であり、「2020年へのアジェンダ」という目次です。
 ブッシュ(子)政権は対テロ戦争に没頭したのですが、その政策に世界の中でももっとも積極的に協力的な立場を取ったのが日本の小泉政権でした。そのため、ブッシュ・小泉の下で日米軍事同盟は、アメリカにとってもっとも望ましい方向に向けて大きく「前進」しました。第二報告は、小泉政権を手放しで評価し、日米軍事同盟をアメリカの対アジア政策の中心に据えて2020年までのアメリカの対アジア戦略を描き出したのです。

<第三報告「日米同盟 アジアの安定の錨となる」>

目次:①はじめに、②エネルギー安全保障、③経済及び貿易、④隣国との関係、⑤新しい安全保障戦略に向けて、⑥結論、⑦勧告

 第三報告もまた、第一及び第二報告と同じく、2012年秋に大統領選挙が行われるのに先立って、新政権の下での日米同盟を基軸としたアメリカの対アジア戦略のデザインを示すということを意図しています。しかし、第三報告の最大の問題意識は、2009年の民主党政権登場以後「日米同盟関係が漂流」してきたという危機感であり、そのことによって「世界でもっとも重要なこの同盟の健全さと繁栄とが脅かされている」事態をなんとかしなければならないという切迫感でもあります。第一報告と同じく「漂流」という形容が第三報告でも冒頭に出ているのです。
 しかし、第一報告の時は、日米双方が漂流状態にあることを食い止めて方向性を取り戻させることに主眼がありました。第二報告の時は、アメリカのブッシュ政権の対テロ戦争へののめり込みを是正することに主眼がありました。第三報告では、アメリカから見て完全に漂流状態の日本にカツを入れることに主眼が置かれています。
 こういう力点変化の背景にあるもっとも重要な要素は、報告作成者たちの対中認識の変化です。即ち、第一報告が書かれた時点では、改革開放政策に本格的に乗り出した中国はまだ基本的に未知数としてしか扱われていませんでした。しかし、第二報告が書かれた2007年には、改革開放政策が軌道に乗った中国はもはや押しも押されもせぬ大国への歩みが明らかになっていました。そういう中国に関して、第二報告は大きなスペースを割いて分析するとともに、その将来性に関しては期待と警戒を織り交ぜていました。ところが第三報告は、第二報告に示されていた慎重な対中期待感は跡形もなく、中国が抱える内政上の不安定要因を強調して、日米が協力して立ち向かう必要を強調するものになっているのです。
 率直に言えば、2007年当時は、日本の対米協力に大いに満足し、中国に対しても硬軟両様の対応を考える余裕のあったアメリカですが、2012年の今回は、台頭する中国に対する全面的な警戒感が根底に座っています(オバマ政権のアジア回帰戦略の標的は、かつての米ソ冷戦当時におけるアメリカの標的がソ連であったように、今や中国なのです)。しかし、朝鮮戦争及びヴェトナム戦争当時とは異なり、もはや単独ででは中国を押さえ込む軍事力をアジアに展開しえないアメリカとしては、日本(及び韓国さらにはオーストラリア、インドなど)の全面的な協力が必要なのです。ところがまさにその時に、2009年に登場した民主党政権の下での日本政治が漂流してしまっているということでした。そのような危機感に基づいて書かれているのが「④隣国との関係、⑤新しい安全保障戦略に向けて」です。目次にあるように最初に「①エネルギー安全保障、②経済及び貿易」が置かれているのは、日本をアメリカの戦略につなぎ止めるためには、アメリカとして日本に精一杯の大盤振る舞いをしなければならない、という意図によるものです。皮肉な見方をすれば、アメリカにとっては、中国と対抗するために、日本の果たすべき役割・比重がそれだけ重くなっていることを示しています。
 しかし、私がコラムで取り上げてきていますように、このようなアメリカの対中対決政策(繰り返しますが、それがオバマ政権の「アジア回帰」戦略の中心に座っています)が民主党政権の危険を極める対中対決政策を促し、加速させてもいるわけですから、第三報告はまったく危険きわまりない代物と言わなければならないでしょう。

2.第三報告の主要な内容

 第三報告の内容には取り上げるべき点が数多くあるのですが、ここでは、第一報告及び第二報告との比較を心掛けつつ、主要点にしぼって解説しておきたいと思います。

<むきだしになった対中警戒認識>

 すでに述べましたように、第三報告における国際情勢認識における最大の特徴は、中国をアジア太平洋における最大の脅威(正確に言えば、「挑戦」と形容しており、「脅威」という言葉は慎重に避けています)とみなしていることであり、アメリカの対アジア戦略を対中対決・軍事包囲網形成戦略として営むことを全篇を通じて提案していることです。このことは、第二報告において示されていた、期待と警戒が入り交じった対中認識、したがって、軍事的に対決する事態への備えの必要を説くと同時に中国を積極的に国際関係に関与させる可能性を設けておく必要性をも説いていた戦略的アプローチとはかけ離れています。第三報告はオバマ政権の対中政策そのものには明示的に言及していませんが、その内容は明らかに同政権の取っている対中政策を是認し、さらに推し進める立場に立っています。
そのことを端的に裏書きしているのは、第三報告の次の記述です。

日米同盟の対中戦略は関与と(軍事的)備えとのブレンドだった。…中国の増大する軍事力及び政治的自己主張に対する同盟の(そうした)備えの大部分は、…中国が高い経済成長を続け、防衛能力・支出を相当に増大させるという想定に立ったものだった。
 (しかし)この想定はもはや確実ではなくなった。…今後の年月において、中国の指導者は、エネルギー的制約、災難的な環境悪化、大変な人口的諸現実、人民間及び省間の拡大する所得不平等、新疆及びチベットにおける反抗的な少数民族、及び慢性的な官僚の腐敗という少なくとも6つの心配のタネに取り組まなければならない。経済的成功に伴い、この不安定(要因)のリストには、…「中所得の罠」に取り組むという不安定(要因)が加わる。これらの挑戦のどれ一つでも中国の経済成長の軌道を脱線させ、社会的安定を脅かす可能性がある。…
中国が深刻に躓くようなことがあれば、(日米)同盟にとっては…正に質の異なる挑戦に直面することになりかねない。平和で繁栄する中国は我々に多くを裨益させてくれる。しかし、深刻な国内的亀裂に直面する中国の指導者は、ナショナリズムに訴え、おそらくは対外的脅威(現実のものか想像上のものかはともかく)を利用して統一を組み立て直そうとするかもしれない。…
あるいはまた、中国の将来の主席は、温家宝首相が唱えたような新しい一連の政治改革を採用するかもしれない。(しかし)一つだけ確かなことは、(日米)同盟としては、中国の軌道の変化及び様々な将来的可能性に対して対応できる能力と政策を展開しなければならないということだ。高い経済成長と静的な政治的権威は、今後の中国の新しい指導者が予期しているものではなく、我々としては彼らがいかなる判断を行うかについて十分な備えを行うべきだ。

正確を期して言えば、第二報告にも以上の記述に含まれている諸要素に関する言及はあるのです。しかし、決定的に異なるのは、第二報告が硬軟両様の対応の必要性を導く対中認識を示していたのに対して、第三報告は明らかに軍事的備えを行う必要性を導くための対中認識を強調していることです。
 以上との関連で指摘しておく必要があるのは、第二報告では、「2020年までのアジア」ということで、中国については特に詳しく扱ったのは事実ですが、インド、朝鮮半島、韓国との相違点管理、東南アジア、オーストラリア、ロシア、台湾、地域統合という他の要素にも記述を行って、一定のバランスを保った情勢認識を示した上で、政策提言を行っていました。ところが第三報告では、情勢認識の項目すら設けられていないのです。
これは、アメリカ(及び日米同盟)にとってのインド、韓国、東南アジア諸国、オーストラリアとの関係が、第二報告執筆時点ではかなり不確定要素を含んでいたのに対して、第三報告執筆時点では、アメリカに有利に(したがって中国にとっては不利に)展開してきたという判断が背景にあると思います。このコラムで紹介しましたように、中国側は、「米日+1」方式に対する警戒感をあらわにしていますが、それは決して中国の被害妄想でもなんでもなく、事実認識としては米中双方がそのように判断していることを示しています。

<朝鮮半島:韓国及び米日韓関係の重視>

 第三報告は、「近隣諸国との関係」という項目において、中国を取り上げる前に「強固な米日韓関係」を筆頭に持ってきています。これは、第二報告では「朝鮮半島、韓国との相違点管理」という項目が取り扱われていたことと比べても、際立った対照をなしています。第二報告執筆の時点では、朝鮮に対してアメリカとは一線を画す政策をとっていた金大中及び盧武鉉両政権の韓国とブッシュ(子)政権のアメリカとの間では意思疎通が円滑さを欠いていました。しかし、オバマ大統領と李明博大統領は対朝鮮政策において緊密に協力して朝鮮と対決する政策を推進してきましたし、その韓国は経済的躍進と米韓貿易自由協定(FTA)によって、アメリカにとって極めて重要な同盟国の地位を確かなものにしてきました。第三報告は次のように述べています。

 日米同盟及び地域の安定と繁栄にとって絶対的に重要なのは強固な米日韓関係だ。アジアにおける三つの民主的同盟国は、共通の価値観と戦略的利害を共有している。米日韓は、この基礎の上に、北朝鮮の核兵器追求を共同で抑止し、中国の再台頭に対応するのにベストな地域環境を形成するべく、それぞれの外交的資産をプールするべきだ。

   第三報告は日韓関係における「敏感な歴史問題」についても言及しています。

 アメリカ政府は敏感な歴史問題で判断を下すという立場にはない。しかし、アメリカは、緊張を分散させ、両同盟国の関心を核心的な国家安全保障上の利益及び将来に向けさせるために、最大限の外交的な努力を行わなければならない。日米同盟がその可能性をフルに実現するためには、日本が対韓関係を複雑にしている歴史問題に立ち向かうことが不可欠だ。我々は、これらの問題の感情的及び国内政治的なダイナミズムの複雑さを理解しているが、個人の補償の訴えを認めるべきだとする韓国最高裁の最近の決定の如き政治的行為、あるいは慰安婦の碑を建てないようにとアメリカの地方当局に働きかけた日本政府の努力などは、韓日の指導者及び両国の公民の関心を、彼らが共有し、我がものにすべきより大きな戦略的に優先度の高い項目からそらすものである。
 ソウルと東京は、両国の結びつきを現実政治のレンズを通して再検証すべきだ。歴史的な憎しみは、いずれの国にとっても戦略的な脅威ではない。両民主国は、両国関係における経済的、政治的、安全保障上の資産を前提にすれば、これらの問題のために戦争に訴えることはない。しかし、北朝鮮の好戦性及び増大する中国の軍事力・能力及び自己主張こそは、両国に対する正真正銘の戦略的挑戦である。…両同盟国は、根深い歴史的な食い違いを甦らせて、国内政治上の目的のためにナショナリズムの感情を利用する誘惑に抵抗するべきだ。米日韓は、歴史問題を扱う非公式なトラック2の努力を拡大するべきだ。すでにそういうフォーラムは存在しているが、その参加者は、歴史問題にかかわる共通の規範、原則及び相互作用に関するコンセンサス文書を積極的に作成し、それぞれの政府に対してアイデアを持っていくべきだ。

 第二報告においても、歴史問題を取り上げていました。そこでは、「北東アジアでは歴史はまだ終わっていない。実際、日本、中国、韓国の国内政治では、過去が今も未解決の問題であり続けている」とした上で、「我々は、日本が民主国家として自らの過去の問題に取り組み、近隣諸国と協力的な未来を形作る能力を持っていると確信している。しかしその未来は、過去と客観的に向きあうという点で、双方向のものでなければならない」と述べていました。それは明らかに、日本側に対してその歴史認識を正すことを求める内容でした。
 それに対して第三報告は、一応は日本に対して歴史問題に立ち向かうことを求めていますが、その力点は、日韓両国が朝鮮及び中国という「戦略的挑戦」を直視することを最優先することを求める点にあります。歴史問題についてはそれを非公式に取り扱うトラック2を用意するべきだとしているのです。要するに、「臭いものに蓋」づくりをするという発想です。このような立場は、明らかに第二報告から後退しています。
ちなみに、このような扱いは、アメリカが歴史問題の重要性について正確な認識を欠いていることを表しています。建国後日の浅いアメリカには、どうも歴史問題を正確に位置づける視点が乏しいと思われます。そのことは、ヴェトナム戦争から何も学ばず、中東初の国際的なテロリズムの挑戦がアメリカのイスラエル偏重の対中東政策に淵源があることに対してもまったく反省がないことにも端的に反映しています。
 朝鮮半島情勢にかかわるポイントとしては、このほかに朝鮮に関する第二報告と第三報告の認識の違い及び6者協議の位置づけという問題があります。第三報告の対朝鮮認識に関する記述は、「北朝鮮の好戦性」という一言で片づけられています。第二報告ではもう少し丁寧な扱い(ただし、もちろん好意的ではありません)がなされていました。しかし、より注目すべきは6者協議の扱いの違いです。
 第二報告では、2005年9月19日の共同声明について「道理のある提案を盛り込んでいる」と評価しましたし、「6カ国協議プロセスが、北朝鮮の核兵器開発を封じ込める、あるいは凍結するだけにでも役立つなら、価値あるものになる」、「6カ国協議そのものが革新的枠組みを導入したものであり、朝鮮半島において変化に対応し、北東アジアの将来における安全を増進する重要なものであると証明されるかもしれない」というプラス面が指摘されていました。
しかし第三報告では、朝鮮の人権問題とのかかわりで取り上げられたに過ぎず、その記述も、「半島の非核化に関する6者協議は実質的に止まっており、ソウル及び他の関係国と緊密に協調した、人道問題に焦点を当てたアジェンダが、平壌の新指導部が北朝鮮の将来を描く戦略的環境を形作り直す機会を同盟諸国に提供するだろう」となっています。断言はできませんが、印象的には、第三報告としては、アメリカが6者協議の枠組みにもはや期待を寄せず、むしろ、人道問題に焦点を置いた新しい枠組みを模索することに力点移行することを示唆している可能性があります。そうであるとすれば、対中対決姿勢を強めるアメリカは、中国が主導してきた6者協議の枠組みに対しても今後はすんなりと協調するかどうかを見守らなければならなくなる可能性がありそうです。

<日米軍事同盟の変質強化と日本の軍事的役割>

 第三報告における一大特徴は、ブッシュ(子)・小泉両政権下で本格的に開始された日米軍事同盟の変質強化をさらに促進させるための方向性を極めて具体的に述べていることだと思います。項目としては、地域的安全保障への関与、戦略としてのインターオペラビリティ促進、軍事面での技術協力及び共同R&D、サイバー・セキュリティ、拡大抑止、普天間、集団的自衛権の禁止、平和維持活動の8項目が挙げられています。以下においては、私が特に注目した諸点について取り上げます。
 地域的安全保障への関与に関しての記述は少ないのですが、日本の役割について述べた部分と、日米の戦略協議のこれまでの成果を要約しつつ今後の方向性を提起した部分が要注目だと思います。まず、日本の役割について第三報告は、「日本は、共通の価値を超えて共通の利益及び目標に向かって、地域のパートナーとの結びつきの基礎を強めてきた。日本は、平和で法的な海洋環境を促進するため、妨害のない海洋貿易を確保するため、そして全般的な経済的及び安全保障上の安寧を促進するために、地域のパートナーとの協力を引き続き進めるべきだ」と注文しています。このくだりは、中国が強い関心を寄せる「日米+1」方式の成功をこの報告も高く評価しつつ、中国海軍の外洋進出に対抗するために、日本がさらなる役割を担うことを求めているものだと思います。民主党政権下で打ち出された「動的防衛力」の対中対抗を本質とする役割を示したものとも言えるでしょう。
 日米の戦略協議の成果及び今後の方向性に関する記述も極めて含蓄あるものでした。そのくだりは次のとおりです。

 安全保障環境は大きく変わったが、それに対応する我々の戦略内容も大きく変わってきた。最後の役割、任務及び能力(RMC)レビューが完成した時、日本の防衛戦略は主に南北に拡大した。1980年代のレビューは地域的範囲を拡大し、東アジアにおける同盟の能力を高めた。1990年代のレビューは、日本の新しい防衛協力の分野に関する機能を明確にした。今日においては、関心分野はさらに南方にそして中東にまで達する西方に大幅に拡大している。我々は、その戦略を十分に再定義し、その実施に関する方法及び手段について協調するべきだ。新たなレビューにおいては、より広い地理的範囲を含むべきであり、また、我々の軍事、政治及び経済の国力を包括する組み合わせを含ませるべきである。

 正直に白状しますが、私にはRMC(Roles, Missions, and Capabilities) reviewsという用語にははじめてお目にかかったという感じで、一体何を指すのかが分かりませんでした。検索してみたところ、2005年10月29日に日米安全保障協議委員会(2+2)で採択された「日米同盟:未来のための変革と再編」(当時「中間報告」と政府・外務省が喧伝した例の代物です)の第2項が「役割・任務・能力」という見出しであり、英語版本文のタイトルが正にRMCでした。
 「RMCレビュー」という表現は、第一報告でも第二報告でも使われていません。しかし、以上に紹介した文章による限り、アメリカ側としては、1980年代(レーガン・中曽根時代)から今日に至るまで一貫して、日米同盟の役割・任務・能力という問題意識の下で日本側にアプローチしてきたことが分かります。ということは、日本側においても、少なくとも外務省及び防衛省はそういうアメリカ側の戦略的アプローチを知悉しつつ対応してきたということだと思います。正に、日米同盟の変質強化は1980年代からアメリカ主導のもとに着々と進められてきたのであり、現在及び将来に向けてさらに促進されようとしているということです。
 もっとも、すでに紹介しましたように、第一報告では1990年代の日米関係が「漂流」していたと性格づけていたわけですから、上記の部分の評価とは出入りがあることも事実です。とは言え、過去30年の日米軍事関係は確実に変質強化の歩みを取らされてきたことは間違いないでしょう。知らぬは国民ばかり、なのです。
 次の「戦略としてのインターオペラビリティ促進」という項目においても次のような記述があります。

 …新たな役割及び任務レビューにおいては、日本の責任の範囲を拡げ、…地域紛争にアメリカとともに防衛に当たることを含ませるべきだ。もっとも直截的な挑戦は日本の直近的周囲にある。東シナ海のほとんど及び南シナ海のほとんどすべてに対する攻撃的主張並びに中国軍の活動テンポの劇的な増加…は、日本-台湾-フィリピンを結ぶ「第一島嶼チェーン」…に対してより大きな戦略的影響を主張しようとする北京の意図を明らかにしている。この…挑戦に対して、アメリカは、空海戦闘(Air Sea Battle)及び共同作戦アクセス概念(Joint Operational Access Concept即ち JOAC)という新しい作戦上のコンセプトについて検討を始めている。日本は、これらのコンセプトに対応する「動的防衛力」について検討を始めた。…この課題は、両国のRMC対話において核となる…べきである。

 ここではさらに、「「日本防衛」と地域的安全保障との間の境界は薄い」とし、「日本は、国家防衛のために攻撃的な責任を必要としている」、「両同盟国は、日本の領域をはるかに越える…能力と作戦を必要としている」という記述もあります。日米の対中対抗軍事戦略が止めどもない勢いで突き進められようとしていることが分かると思います。前のコラムで紹介した中国の日米軍事同盟に対する懸念と警戒が決して杞憂でもなければ、誇大妄想でもないことが分かります。
このように対中攻撃的日米軍事同盟の実現をめざすアメリカにとって最大の障害と見なされているのが日本側の集団的自衛権禁止という「制約」です。この点に関する第三報告の記述は次のとおりです。

3.11の三重の危機(大震災、津波及び福島第一原発)及びトモダチ作戦は、米軍及び自衛隊の展開について興味ある皮肉を示した。3.11は外部からの脅威に対する防衛という事柄ではなかったので、自衛隊と米軍は集団的自衛権の禁止に留意しないで行動した。両国の軍隊は、軍民の組織が災害の対応・救援を行うカギだった仙台空港が機能するように活動した。これらの努力により、北東アジアにおける回復のための条件が作り出された。トモダチ作戦時における(憲法)第9条の緩やかな解釈に加え、日米は、他の国々の協力の下、アデン湾における海賊との戦いも行っている。日本は、インド洋における対海賊作戦に参加することを可能にするべく法的問題を再解釈した。しかし、皮肉なことは、日本の利益を守る上でもっとも厳しい条件があるために、両軍は集団的に日本を防衛することを法的に妨げられている。
この皮肉は、日本が集団的自衛権を禁止していることを変更することで完全に解決できる。政策の変更は、統一的指揮も、より攻撃的な日本になることも、あるいは日本の平和憲法を変更することをも必要としない。集団的自衛権の禁止が同盟にとっての障碍である。(日本が)平時、緊張、危機及び戦争の安全保障の全局面を通じて両軍が完全な協力下で対応することを責任をもって許可することが必要だ。

集団的自衛権の禁止が日米軍事同盟の協力関係を制約しているという認識は第一報告でも示されていました。これに対して第二報告では、対日勧告において、日本が「憲法問題を解決」することが望ましいとする立場を示していました。第三報告では、集団的自衛権禁止を「時代錯誤の制約」と冒頭部分で決めつけるとともに、東日本大震災を受けたトモダチ作戦は、アデン湾及びインド洋での対海賊作戦とともに、憲法第9条を底なしに空洞化させるものであったとして高く評価しています。しかも、トモダチ作戦の「成功」に味を占めたアメリカ側は、もはや憲法そのものを改定しなくても、集団的自衛権を「合憲」とする日本側の「政策変更」ですべての事態(対中戦争を含む!)に対処可能だと認識するに至っているというわけです。ここまで開けっぴろげに言われると、もはや寒々とした虚無感にすら襲われます(ただし、はかない抵抗感を無理矢理絞り出していうならば、アメリカの対日要求とあくまで「自主憲法」を作りたい日本の改憲勢力との矛盾はここで出てくる可能性があります)。

<尖閣問題>

 個別問題として、尖閣問題に関する三つの報告の記述について簡単に紹介します。第一報告では、「アメリカは、尖閣諸島を含む日本の行政支配下の領域の防衛に対するコミットメントを再確認すべきである」と述べていました。第二報告では、「米国は、日本とその施政下にある地域を防衛する」と記述しています。第三報告では、尖閣及び南シナ海に対する中国の「核心的利益」とする位置づけに対して警戒感を示すとともに、すでに紹介したように、中国の東シナ海及び南シナ海への軍事的進出に如何に対抗するかを議論することが今後の日米安全保障協議における最大のテーマの一つだという考え方が示されました。三つの報告に共通しているのは、アメリカが尖閣防衛に軍事的にコミットすることを当然視する姿勢です。そういう報告の一貫した認識からすれば、オバマ政権が尖閣への日米安保条約の適用を繰り返し明らかにしていることは、いわば「当然のこと」でしょう。

<国際関係における日本のあり方>

 最後に、第三報告で私が個人的に興味深かったのは、条件次第では日本が一流国家としてやっていけるという認識を表明していたことでした。私もかつて『大国日本の選択』という本を世に問うたことがあります。私にとっての問題意識は、日本が大国であるというのは事実認識の次元に属する問題であって、価値判断の問題ではありません。要は、「いかなる内容の大国になるのか」が問題でなければなりません。
 ところが第三報告は、軍事面で「日本がアメリカと肩を並べてともに進むこと」、具体的には「アジア太平洋地域における安定した戦略的バランスに対して海洋的な要となること」が一流大国としてとどまる資格要件だとしているのです。それは、国際権力政治を当然の前提とした上で、その中で日本が軍事的に振る舞うかどうか、という基準設定です。
 しかし、私は、アメリカの「力による平和」観に対して「力によらない平和」観を体現した平和憲法に基づく対外政策を実行する大国日本を展望しています。アメリカの求める大国日本は、所詮はアメリカの傭兵に過ぎず、使い捨てのコマに終わることが運命づけられています。私たち主権者がそういう自覚を持つことができるかどうか、そして行動することができるかどうかに、日本の将来のすべてがかかっていると思います。

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