全障研広島大会(準備委員長挨拶文)

2012.07.07

私は、8月に広島で開催される全国障害者問題研究会(全障研)大会の準備委員長というお飾りの仕事を務めていますが、準備委員長としての問題意識を書くようにと言われて準備したのが、ここに掲載する文章です。
私は外務省に勤めていた時代からずっと、日本における様々な国民的な運動、闘いが強力な政治力として力を発揮しえないできた一つの大きな原因は、中央権力による様々な攪乱工作、特に内部分断工作によって、運動エネルギーが分散させられ、有効な政治力として結集することを妨げられてしまうことにあるのではないか、という仮設的理解を暖めてきました。
私たちが、主権者として、政治の主人公として、この国の進路を決めるようにするには、なんとしてでも様々な運動エネルギーを結集させなければならないと思います。もちろん、強力な接点を持たない様々なエネルギーを無理矢理一緒にしようとしても成功するわけはありませんが、人間の尊厳を奪われ、否定される立場の人々が横の連帯意識を強め、お互いに支援し合うようになれば、日本の政治を変えることは決して不可能ではないと思います。そういう意味を込めて書いたものとして一読願えればと思います(7月7日記)。(

 全国障害者問題研究会第46回全国大会(広島)の意義につきましては、常任全国委員会の基調報告(案)が発表され、その中で詳しく解明していますので、私は広島大会の準備委員長としての立場から、今回の大会が直面する、人間の尊厳に直結する三つの課題として、私自身の問題意識を述べたいと思います。

1.「応益負担」問題の根幹:利潤追求・市場至上主義の新自由主義

 民主党政権は、私たちとの「基本合意」を反故にして、「現行障害者自立支援法を延命するものでしかない法を新法と偽って」「自立支援法を作った自民党・公明党と一体となって、障害者総合支援法(略称)を強引に成立」(基調報告(案))させましたが、その強引さは何故でしょうか。それは、障害者施策において応益負担の撤回に応じることは、政財官が一体となって推し進めてきた利潤追求・市場至上主義の新自由主義の根幹を突き崩すことにつながることを警戒しているからです。
 米ソ冷戦で「勝利」が転がり込んだアメリカは、行き詰まっていた資本主義の建て直しを、資本主義の中でももっとも露骨に利潤追求・市場メカニズムを徹底させる新自由主義を採用することで打開しようとしてきました。その毒牙は、農業の「自由化」、金融・資本市場の「自由化」、労働市場の「自由化」を推し進め、最終的に医療・保険・福祉分野の「市場化」と「自由化」を押しつけるまでになりました。日本では、医療・保険・福祉分野の「市場化」と「自由化」が「応益負担」制度でした。そしてその仕上げとして標的にされたのが障害者自立支援法だったのです。ですから、この法律から応益負担制度を取り除くことに応じるのは、逆ドミノをもたらしかねないものであり、民主党政権は、政官財の後押しのもと、「基本合意」を反故にしてでもそれに抵抗したということなのです。
しかし、利潤最優先の新自由主義ほど人間の尊厳を根底から否定し、奪いあげるものはありません。それは、ひとり障害者・児だけでなく、農業者、労働者、医療保健福祉従事者を含む広範な国民各層に犠牲を押しつけるものです。私たちがしっかり認識する必要があるのは、応益負担反対は障害者・児だけの問題ではなく、広範な国民各層共通の問題であり、日本という国のあり方そのものにかかわる問題であるということです。政官財はその点を認識すればこそ、私たちの様々の分野での運動を分断し、孤立化させることによって、新自由主義路線を突き進めてきたのです。
ですから、私たちは視線を広げ、応益負担反対・新自由主義反対で一致する国民各層との連帯を追求することによってのみ、政官財と対決し、これに勝利を収める展望を切り拓くことができます。この視点を我がものにすることが広島大会に課せられた課題であると確信します。

2.福島第一原発問題の根幹:核エネルギー

 福島第一原発の「事故」は、原子力の「平和利用」という考え方・主張が成り立ち得ない代物であることを白日の下にさらし出しました。「原子力平和利用」神話は、広島・長崎、つまり核兵器の恐ろしさを覆い隠し、核固執政策を正当化するために、アメリカが作り出したものです。核兵器も原子力発電所も、放射線・放射性廃棄物を生み出す核エネルギーを利用するという本質において変わりありません。それは人間の尊厳を根底から否定するものです。
 今回の全障研全国大会が最初の原爆投下地・広島で開催されるというこの機会に、私たちは、人間の尊厳をなによりも大切にするという立場を再確認するためにも、核問題を自分自身の問題として考える視点を我がものにしたいものだと考えます。私たち人類は、応益負担・新自由主義と共存できないし、核エネルギーとも共存できないのです。
 すでに大飯原発運転再開に反対する人々のエネルギーは、1960年の安保闘争以来の盛り上がりを示しています。両者に共通するのは、一人ひとりの自覚に基づく運動エネルギーが蓄積されているということです。私たちの応益負担反対の運動エネルギーと原発反対の運動エネルギーが一つになれば、さらに力を増すことは明らかです。二つのエネルギーを一つに結びつけることは、ともに人間の尊厳をなによりも大切にするという立場で一致している以上、なんら難しいことではありません。広島大会をそういう視点と展望を確立する機会にしてほしいと、私は強く期待しています。

3.オスプレイ配備問題の根幹:日米軍事同盟

 アメリカは新型輸送機・オスプレイの日本への配備を強行しようとしています。配備先とされる普天間基地のある沖縄だけではなく、オスプレイの訓練飛行が予定される九州、四国、本州各地でも反対、不安と警戒が広がっています。広島の隣接地である岩国は、オスプレイが最初に持ち込まれる「予定」になっています。ところが民主党政権は、日米軍事同盟を全面的に推進する立場から、アメリカの言いなりになろうとしています。
 アメリカがオスプレイの持ち込み・配備・訓練を強行しようとし、民主党政権が唯々諾々と従おうとしているのは、中国との軍事対決を考えているからなのです。オスプレイ問題は氷山の一角に過ぎません。日米軍事同盟は今や優れて対中国軍事同盟の性格を強めています。有事法制・国民「保護」法を「裏付け」とする日米軍事同盟は今や、日本全土を基地とし、国民を総動員して中国との戦争準備を行っているのです。
 戦争ほど人間の尊厳を残酷に踏みにじるものはありません。殺傷力・破壊力が昔日の比ではない現代の戦争がいったん起こってしまったら、その惨禍は太平洋戦争当時の比ではなく、計り知れないものになります。そして真っ先に被害を受けるのは障害者・児です。私たちは、戦争反対の国民各層の運動の先頭に立たなければなりません。オスプレイ問題、基地問題そして日米軍事同盟の問題を自分自身の問題として捉えることが必要なのです。

 私は、全障研広島大会が、人間の尊厳をキー・ワードとして、以上の三つの課題を統一的に考える場になることを心から期待しています。そういう広い視点を我がものにする障害者運動となるとき、私たちの運動は、日本という国のあり方を根本から変える広範な国民各層の運動の一翼としてさらなる発展・成長を遂げることができることを確信します。

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