再考・震災地がれき受け入れ問題と他者感覚

2012.06.09

*このコラムで「震災地がれき受け入れ問題と他者感覚」という文章を書きましたところ、この文章を読んでくださった方から、新潟県と環境省との間で交わされている(現在進行中)文書の存在を教えていただくことができました。事実関係について私がこれまで知らなかったこともあり、とても参考になりました。新しい知見に基づいて書き留めておく必要があることが出てきましたので、まとめておきます。なお、新潟県と環境省との間で交わされてきた文章については、念のためこのコラムの末尾にPDFで載せておきます(6月9日記)。

<新潟県と環境省とのやりとりのポイント>

 新潟県は、4月6日付の泉田県知事名で、細野環境大臣宛「東日本大震災により生じた災害廃棄物の処理に関する…広域的な協力の要請に対する検討結果について」と題する文書を提出しました。それによると、新潟県では、長岡市、三条市、柏崎市及び新発田市が新潟市と5市共同で受け入れ表明を行っていることを示した上で、しかし、「がれきの受入れについての地域のコンセンサスが得られていない中で、県としては、県民に説明できる十分な情報を持っておらず、直ちに受入れを決められる状況には至って(いない)」として、がれき処理の全体計画の明示及び放射能対策に関する2項目の質問を行いました(添付1.のPDF参照)。これに対して環境省からは、5月10日付で「災害廃棄物の広域処理の必要性及び放射能対策に関する質問について(回答)」と題する文書による回答が行われました(添付2.のPDF参照。回答に付属した参考資料1及び2、同3については添付3.及び4.のPDF参照)。
しかし新潟県は、その回答が「従来の説明の域を超えない内容であり、県としては、依然として、受入れを決められる状況に至っていない」として、5月21日付の泉田県知事名で細田環境大臣宛「東日本大震災により生じた災害廃棄物の放射能対策及び広域処理の必要性に関する再質問について」と題する、ふたたび上記2項目に関する質問を内容とする文書(添付5.のPDF参照。この再質問の文書に新潟県がつけた「災害廃棄物広域処理量の推計」と題する文書については添付6.のPDF参照)を再提出しました。この再質問に対する環境省からの再回答は、6月9日現在ではまだ行われていないようです。

〇放射能対策
 新潟県側質問・再質問の内容は多岐にわたりますが、国が広域処理への協力を求めているがれきを低レベル放射性廃棄物と認識しており、したがってその問題意識は次の2点に集約できると思います。
① 環境省は、低線量・低線量率の発がん確率についてしきい値に関する判断を示さず、また、環境への放射性廃棄物の漏洩・拡散のリスクについても規制を弛めているのではないかという不信感
② 放射性物質を扱う専門組織及び専門職員が存在しない市町村に放射性物質を管理させようとする、中央政府のいわば「丸投げ」に対する不信感
環境省の再回答はこれからですので、その内容を見極めないと判断はできません。しかし、5月10日付回答においては、「広域処理をお願いしている災害廃棄物は、放射能濃度が不検出または低く、一般廃棄物として通常どおり処理していただけるもの」と述べているところから判断すると、新潟県側の「低レベル放射性廃棄物」という認識にそもそも立っていないことが窺われます。この立場を維持するとなれば(その可能性は大きいと思わざるを得ませんが)、新潟県側の上記2点に関する問題意識(対政府不信感)については、言葉遣いはともかく、その認識自体を非(当たらず)とし、2点の問題意識(対政府不信感)に正面から答えるのを回避する可能性があると思います。

〇広域処理の必要性
 広域処理の必要性という問題に関しては、新潟県側の立場・判断は、再質問につけた添付6.のPDFの末尾において、次の2点にまとめられています。
① 環境省側の資料(添付3.及び4.のPDF等) に基づけば、広域処理を行わなくても、岩手県及び宮城県における焼却処理は平成26年中には完了できる体制であるので、広域処理はそもそも不必要ではないのか(再質問の本文中では、仙台市の焼却処理能力の余力についても言及)。
② 4月17日付の環境省資料においては、すでに162万トンの広域処理が現実のものとなりつつあるとのことで、平成26年3月末地元未焼却量の推計98.4万トンを上廻っており、これ以上の広域処理は不必要ではないか(新潟県が受け入れる必要はないのではないか)。
この2点に対する環境省の回答がどのようなものになるかは要注目ですが、私のかつての官僚感覚を働かせてみますと、他の自治体がすでに受け入れているのに、新潟県の自治体だけを事実上受け入れ免除扱いにするという「不平等性」を環境省が受け入れるとは考えにくい、広域処理がそもそも不必要であるとする新潟県側の認識を認めることは環境省の政策そのものの誤りを認めることに等しいのでやはり受け入れにくい、ということなのではないかと思います。

<いくつかのコメント>

 私は、新潟県と環境省との間のやりとりを見て、いくつか感じることがありました。
 まず、環境省というか民主党政権というか、いずれにせよ中央政府の放射能問題に関する認識におけるいい加減さに対する怒り、あきれ、じれったさなど、これまで感じてきたことが「裏付け」を得てしまったという思いです。放射能問題の深刻さに対する野田政権の認識のいい加減さは、大飯原発再開に関する昨日(8日)の野田首相本人の発言にその極めつけを見る思いがしましたが、そういう認識が基底にあるからこそ、「広域処理をお願いしている災害廃棄物は、放射能濃度が不検出または低く、一般廃棄物として通常どおり処理していただけるもの」という木で鼻をくくったような上記回答にあるような対応になるのです。福島第一原発の事態を受けてそれまでの原発維持政策を根本的に見直したドイツのメルケル首相のような政治家としての責任感、職責感は野田首相には望むべくもありません。
 しかし、放射能問題に関する新潟県のアプローチにも私は理解しにくいものを感じます。新潟県も原発を抱えているのですから、福島第一原発の事態は正に「明日は我が身」であるはずです。しかし、2度にわたる質問の内容を見る限り、そのような切実さ、緊迫感を窺うことができないのです。つまり、「低レベル放射性廃棄物」のがれきの扱いとしてだけ問題を捉えている、という印象を受けてしまうのです。これでは、福島第一原発の事態が提起している問題の自分に好都合なすり替えなのではないでしょうか。
 また、がれきの広域処理の問題に関する民主党政権の対応に関して言えば、本気で宮城及び岩手両県の迅速な復興そして県民生活の復興を実現しようとするならば、どうして両県における処理能力を飛躍的に高めるための手を打たないのか、どうして3年がかりのスケジュールという悠長なことを考えているのか、どうして「広域処理」などという無責任な発想になるのか、などなど疑問が沸々と湧き起こってきます。こういう無責任を極める姿勢は東北地方の人々に対する「棄民」政策そのものではないか、と思わざるを得ないのです。
 以上の点をしっかり踏まえた上でのことですが、新潟県側の広域処理体制受け入れに関する理由付けにも、私は率直に言って疑問を感じないわけにはいきませんでした。
 以上に指摘したように、広域処理という政府の発想自体がおかしいのですが、新潟県が挙げる「(平成)26年」中には他の自治体の協力を得なくても両県だけで処理できるのではないか、という理由付けにはついていけません。復興は早ければ早いほどいいわけで、「3年かければ処理できるんでしょう、自分でおやりなさい」というに等しい新潟県の突き放した姿勢にはあまりにも他者感覚が欠落していると思います。
 同じことが新潟県側のもう一つの受け入れに難色を示す理由についても指摘せざるを得ません。つまり、他の自治体による広域処理受け入れで十分になりつつあるので、新潟県が引き受ける必要はないのではないか、とする理屈づけは、あまりに自己中で他者感覚のないものと言わざるを得ません。
特に、近年だけでも新潟県自体がいくつかの大きな自然災害に見舞われた体験を持っています。あるいは(私の想像をたくましくすれば)新潟県側にすれば、そういう災害の際には国による支援しか受けなかった(今回の広域処理のような他の自治体を巻き込んだ取り組みはなされなかった)のだから、というような意識が働いているのかもしれません。しかし、仮に万一そうだとすれば、それはあまりにも「小姑」根性ではないでしょうか。官僚体験を持っている私だから感じてしまうのかもしれませんが、「がれきの受入れについての地域のコンセンサスが得られていない中で、県としては、県民に説明できる十分な情報を持っておらず、直ちに受入れを決められる状況には至って(いない)」とする新潟県の姿勢・立論には、「県民」にかこつけた「県」(さらに言えば、新潟県庁あるいは県庁官僚)の官僚エゴイズム、役人的な「事なかれ主義」の臭いを感じてしまうのです。

(添付)
1. 新潟県質問書
2. 環境省回答
3. 環境省回答付属参考資料1.及び2.
4. 環境省回答付属参考資料3.
5. 新潟県再質問書
6. 新潟県再質問書付属推計

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