日米安保体制から日米軍事同盟派の変質・強化
 -オバマ/民主党政権下の三つのSCC共同文書を読み解く-

2012.06.05

*6月3日に沖縄・宜野湾市で集会があり、そこでお話ししたものを紹介します。45分という短い時間でしたので、時間配分が下手で尻切れトンボの話に終わることが多い私は、お話しする原稿を用意して臨みました。それでも、最後の部分は時間がなくなってお話しできない部分が多くなってしまいました。ここでは用意したものをそのまま掲載いておきます。なお、文中で引用する「付属資料」と「付表」は、PDFで載せておきます。
 集会では、辺野古、宮古、与那国(石垣の方は体調悪く欠席)で基地反対の闘いをしておられる4人の方からも、自衛隊の南西諸島増配備への策動に関する現地報告があり、とても勉強になりました。宮古の清水早子さん、与那国の崎元俊男さんと知り合えたことは幸いでした。元気な打ちに是非石垣も含めて訪ねさせていただきたいという希望が強くなりました。沖縄国際大学の学生からも報告があり、学生自治会に対する大学当局(在日米軍や政府の圧力が背後にあるらしい)の弾圧(自治会室の退去を無理矢理言ってきている)も聞きました。本当に中身の濃い充実した集会であり、私はとても多くのことを学ばせていただきました(6月5日記)。

1. 日米安保体制から日米軍事同盟への変質・強化

(1)変質・強化のわかりにくさ:国内法による受け皿づくりという違憲の手法

日米安全保障条約を出発点とする日米安保体制は、わずか約20年の間に正真正銘の軍事同盟に変質・強化してしまったし、民主党政権の下でさらなる変質・強化が図られていると判断しています。沖縄だけではなく、日本全土が完全に戦争体制に組み込まれるに至っています。今や日本国憲法は風前の灯です。しかし、多くの国民はそのことに気づいてもいません。今日のお話は、まず、何故日米安保体制が軍事同盟に変質・強化されたのか、しかし、多くの国民がこの重大な変化に気づかないままでいるのは何故なのか、このままで本当にいいのか、という問題を考えることから始めたいと思います。

<守勢から攻勢へ>

 付表を見ていただければ一目瞭然ですが、1990年の湾岸危機が起こるまでは、自民党政権の安保政策は「なるべく現状をいじらないでそっとしておく」という守りの姿勢が強かったと思います。1960年の新安保条約に際して、岸信介が憲法改正も視野に入れた動きを示したこともありましたが、戦争の記憶がまだハッキリしていた国民世論の力で阻まれました。1972年の沖縄返還の時も、「核抜き本土並み」がスローガンになったことが示すように、安保そのものはいじらないことが前提でした。
しかし、その間に、アメリカは、ヴェトナム戦争で足が引っ張られ、また、「双子の赤字」で経済力が後退し、湾岸危機・戦争が起こったとき、アメリカはもはや日本が「安保ただ乗り」にとどまることを見過ごす余裕はありませんでした。「カネだけではなく、血も流せ」というアメリカの強い圧力の下、自民党は国民に対して守勢(「一国平和主義」)から攻勢(「国際的軍事貢献」)に急速に舵を切ることになったのです。1992年のPKO法成立と自衛隊の戦後初のカンボジア(海外)派遣がその第一歩でした。
 さらにアメリカは、1993~94年のいわゆる「北朝鮮の核疑惑」による朝鮮半島危機の際、日米安保体制が「欠陥商品」だという認識を強めました。アメリカは本気で朝鮮に対する本格的軍事作戦を考えたのですが、「有事の備えがない」日本の現実に「足をさらわれた」のです。この危機自体は、カーター訪朝と米朝枠組み合意によって政治的に乗り越えましたが、アメリカとしてはもはや日米安保を欠陥商品のままにしておくことは許せないと動き出すことになりました。日米安保体制の軍事同盟への変質・強化はこの時から始まるのです。

<日米軍事同盟の変質・強化とは>
日米安保体制から日米軍事同盟への「変質・強化」とは次のことを言います。
一つは、米ソ冷戦時代の日米安保は、少なくとも日本からすれば、日本防衛が主で、極東有事に対処することは従でした。しかし、冷戦が終わって、アメリカは日本が侵略されることに備えることはもはや念頭になく、アジア・太平洋地域(APR)に対して軍事的ににらみを利かせ、いつでも軍事力を投入できる出撃・兵站基地として日本を利用することを中心に据えるに至ったのです。簡単に言えば、防衛中心の日米安保体制から攻撃中心の日米軍事同盟に変える、ということです。
もう一つは、以上の変質を実現するために日本が担うべき役割を変えることでした。日米安保体制のもとでは、アメリカが日本に求めていたのは米軍が必要とする基地を提供することでした。後はすべて自分でまかなうとしていました。しかし、1993~4年の朝鮮半島の危機に際して分かったのは、日本の限られた数の基地だけではとても大規模で長期戦になる戦争を続けられないということでした。つまり、民間の空港、港湾を含め、日本全土を実質的に基地にする必要があるということでした。簡単に言えば、一部基地化の日米安保体制から全土基地化の日米軍事同盟に変える、ということです。
もう一つ、1993~4年の朝鮮半島危機で改めて認識されたことがあります。それは、日本が攻撃拠点となる以上、攻撃される相手側の反撃の矛先が在日米軍基地だけではなく、原発、新幹線などを含め、日本そのものに向けられるということです。したがって、国家を挙げて有事に備える体制を作り、国民が戦争の足手まといにならないようにする総動員体制を作らなければならないということでした。しかも、戦争は一気に全面戦争になるとは限らず、むしろだんだんとエスカレートしていくケースもありますから、平時から有事に至るあらゆる事態に対応できる体制づくりも不可欠です。簡単に言えば、限定的有事対応の日米安保体制から全面的有事対応の日米軍事同盟に変える、ということです。
最後に、自衛隊の担うべき役割についても見直しが進みました。日米安保体制のもとでは専守防衛が看板でした。しかし、アメリカは自衛隊がアメリカの戦争に対して積極的に協力することを求めました。兵站・後方支援はもちろんのこと、共同作戦の役割を担うことも求めたのです。正確に言うと間違いなのですが、巷間言われるところの「集団的自衛権行使」です。簡単に言うと、専守防衛の日米安保体制から「集団的自衛権行使」の日米軍事同盟に変える、ということです。
ちなみに集団的自衛権に関しては、『集団的自衛権と日本国憲法』(集英社新書)で詳しく考えたことがありますので、関心がある方はお読みください。「共同作戦」と集団的自衛権とはまったく別ものであることがお分かりいただけます。
以上4つのいずれを取っても、日本国憲法の下では認められない、あり得ないことでした。それをやってしまおうということなのです。だからこそ私は、日米軍事同盟の変質・強化と言うのです。

<1997年新GLと憲法迂回方式の導入>
重要なことは、以上の変質・強化は、安保条約の改定という形をとらず、アメリカが設定した方向性(重要な役割を果たしたのは1994年の「ナイ・イニシアティヴ」と2000年の「アーミテージ報告」です。)に向けて、日本政府が国内法をあらかじめ整備し、日米安全保障協議委員会(「2+2」、SCC)が中心になって具体的な中身を策定する形で進められてきたということです。
何故安保条約の改定という形を取ろうとしなかったのでしょうか。
私が外務省で外国との条約締結の仕事をしていたときには、国内立法(改正を含む。)を必要とする、あるいは新たな予算措置を必要とする取り決めを外国との間で行う場合には、国会の承認を必要とする条約締結としてしか行ってはならず、国会の承認を得られる見込みがない場合にはそういう条約を作ってはならないということを、上司から繰り返し頭の中に叩き込まれていました。それは、憲法第73条3の規定(「条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする」)により、法律事項、 予算事項を含む条約は国会の承認が必要とされているからです。当時の私たちにとっては「イロハのイ」という必須心得事項でした。
ここで、参考資料のpp.4-5の「日米防衛協力のための指針」(いわゆる新ガイドライン(以下「新GL」)の「基本的前提」のところを見てください。その4番目には、「指針及びその下で行われる取組みは、いずれの政府にも、立法上、予算上又は行政上の措置をとることを義務づけるものではない。しかしながら、…日米両国政府が、各々の判断に従い、このような努力の結果を各々の具体的な政策や措置に適切な形で反映することが期待される。日本のすべての行為は、その時々において適用のある国内法令に従う」と書いています。
最初の文章は、新GLという日米間の新しい約束は、「立法上、予算上又は行政上の措置をとることを義務づけるものではない」と断ることにより、国会に提出して承認を仰ぐ必要のある条約ではないのだ、と言っているわけです。新GLの中身は日米安保条約の枠組みをはるかに越えた、すごい内容であることを政府としても認めざるを得ないのですが、日本政府としては憲法違反になるようなことはしない、つまり、法律の範囲内で、しかも新たな財政支出を行わないで物事を進めるから安心してください、と言っているのです。この点だけを見ると、1997年当時はまだ、憲法第73条3に気配りしなければいけないという意識が政官(外務省)にあったことを窺わせるものです。
しかし、その後に続く文章がクセモノです。「日米両国政府が、各々の判断に従い、このような努力の結果を各々の具体的な政策や措置に適切な形で反映することが期待される」というきわめて怪しげな文章が続いていることに注目してください。日米両政府とありますが、アメリカ側としては特別な義務を新たに負うわけではないので、このくだりはもっぱら日本にとって意味があるものです。つまり、この文章が意味するのは、日本政府は、新GLの中身を実現するように「具体的な政策や措置」を取ります、と言っているのです。
ここで言う「措置」とは、新しい法律を作り、予算をつけるということを含みます。つまり、新GLは日本政府に新たな立法上、予算上の義務を課すものではないので、条約として国会の承認を求める必要はない。しかし、日本政府は自発的、主体的に国内法を作り、予算措置を講じて、新GLの中身を自主的に担保して、アメリカが満足するように努力する、と言っているのです。
ですから、その次の文章である「日本のすべての行為は、その時々において適用のある国内法令に従う」にある「その時々において」が特別の意味を持つことになります。つまり、「その時々において適用のある国内法令」とは、新GLの中身を担保するために日本政府が、条約上の対米義務としてではなくあくまで自主的に作っていく「その時々」の法令ということです。
以上からお分かりいただけるでしょう。ハッキリ言えば、新GLの日米合意は、明らかに日米安保条約の中身を改定する、日米軍事同盟を作るための新条約だったのです。しかし、すでに詳しくご説明したように、そのような中身の条約は憲法違反そのものですから、とても国会承認を求めるわけにはいかない。とは言ってもアメリカの要求は強烈ですから、それには応じなければならない。こうして編み出されたのが、日米安保条約そのものはいじらないで、国民の眼をごまかし、日本の国内法・予算で「手当て」して、「受け皿づくり」をするというまったく新しい憲法回避の手法でした。
しかし、ここで当然の疑問が生まれます。政府は、憲法違反の条約は作れないのに、どうして新GLの受け皿になる国内法は作れるというのでしょうか。そういう国内法も当然憲法違反だからダメ、ということになるのではないでしょうか。周辺事態法(1998年)、対テロ特措法(2001年)、武力攻撃事態対処法以下の有事3法(2003年)、国民保護法・対米軍支援法などの7法律(2004年)を「憲法違反ではない」とするために、当時の自民党政府が国会答弁で弄した憲法解釈上の手練手管はすさまじいものでした。
この問題について詳しくお話しするにはとても時間が足りません。関心のある方には、私が書きました『集団的自衛権と日本国憲法』(集英社新書)、『戦争する国 しない国』(青木書店)を読んでください、と申し上げるしかありません。ここでは、政府の手練手管の核となっていた3つのポイントにしぼってお話ししておきます。
一つは、国際法として国際的に確立している理解を無視して、政府解釈を押し通すことです。例えば、米軍に対する自衛隊による兵站支援(後方支援)活動は、戦時国際法によれば、完全に憲法が禁じる「武力行使」に含まれます。しかし、小泉首相は、「日本は武力行使しないからいい(憲法違反ではない)」の一点ばりでした。
今一つは、「武力攻撃事態対処」という言葉が表しているように、日本が攻撃を受ける時を議論の起点とする手法です。冷戦終結後は、アメリカはもはや日本に対する攻撃で始まる戦争シナリオを持っていません。あり得るのは、周辺有事が日本に波及するケースのみです。周辺有事はアメリカが軍事介入し、それに日本が支援協力することで起こる場合がほとんどですから、その時点ですでに日本は憲法違反を犯しているのです。それに対する相手の反撃が日本に加えられるということであって、日本としては相手の「武力攻撃」に自慰反撃を行う資格はありません。有事法ではその点をことさらにスキップし、日本が「攻撃を受けたら」を開始時点にして、憲法違反問題を回避しようとしたのです。
もう一つは、「公共の福祉」のためには基本的人権の制約は憲法上認められるとする議論です。有事法制は国民の基本的人権を制約し、奪うことを本質とするので、根本的に憲法違反なのです。だからこそ、戦後長い間有事法制などはお話にならないということでした。しかし小泉政権は、憲法第13条にある「公共の福祉」の解釈をむちゃくちゃに膨らませ、「国の安全=公共の福祉」だとして、基本的人権を制約することは有事の際には認められると言い張ったのです。

<小泉政権による有事法制・国民総動員体制(「国民保護計画」)強行>
 時間がありませんので、小泉政権が如何に乱暴なことをやったかを詳しくお話しする余裕はありません。ここでは、参考資料のpp.2-3に載せておいたブッシュ・小泉の「新世紀の日米同盟」と題する共同声明を使ってご説明します。
p.3の11行目から17行目を見てください。「日米の安全保障協力は、弾道ミサイル防衛協力や日本における有事法制の整備によって深化」した、「2005年2月の共通戦略目標の策定や、日米同盟を将来に向けて変革する画期的な諸合意」で「米軍及び自衛隊の過去数十年間で最も重要な再編」が行われることになったとして、「これらの合意は歴史的な前進」であり、「米軍のプレゼンスをより持続的かつ効果的にするもの」であり、「同時に、変化する安全保障環境において、日米同盟が様々な課題に対処するために必要とする能力を確保するもの」と誇らしげに述べています。
 最初の文章は、「日本の有事法制によって日米の安全保障協力が深化」と言っています。つまり、先ほどの新GLで予定していた、条約改定によらないで、日本側の国内法、つまり有事法制の整備によって「深化」、つまり実質的な安保改定が行われ、日米軍事同盟への変質・強化が実現したと自画自賛しているわけです。だからこそ「過去数十年間」つまり戦後初めての「最も重要な再編」であり、「歴史的な前進」なのです。日米安保体制が日米軍事同盟に変質・強化した、とは口が裂けても言えないから、「深化」、「再編」、「前進」という表現を使っているのです。そしてこれによって、今や日米軍事同盟は、新GLが予定していた「様々な課題に対処するために必要とする能力」を身につけると誇っているのです。
 しかし、小泉政権(及びその後の自民党政権)ができなかったことがありました。それは、沖縄の人々をはじめとする国民の反対に直面して在日米軍の再編を実行に移すことを妨げられてきたことです。そしてそれは、民主党政権に宿題として引き継がれたのです。再編をやり遂げなければ、日本側が有事法制を作り、国民総動員体制を作り上げても、アメリカとしては満足な軍事作戦行動を展開できないわけですから、民主党政権に対して米軍再編計画の実行をしゃかりきに迫ってきたのは当然でした。か弱い抵抗を試みた鳩山政権を蹴散らし、東日本大震災では「トモダチ作戦」でちゃっかり日米共同作戦体制を推し進め、本年(2012年)初の対APR軍事戦略見直し結果を踏まえて、野田政権に対して、SCCで見直した米軍再編計画の実行を迫っているというわけです。そして野田政権は、沖縄の人々をはじめとする日本国民の意思を無視し、ひたすらアメリカの言いなりになろうとしています。

<「第二自民党政権」である民主党政権>
どうして民主党政権はそういう行動に走るのでしょうか。民主党政権がオバマ政権と進めようとしている米軍再編についてお話しする前に、前回の衆議院総選挙に際して、民主党政権成立に大きな期待を寄せた沖縄の人々に是非考えていただきたいことがあります。それは、日米軍事同盟の変質・強化を目指すという点で、自民党政権と民主党政権との間には何の違いもないという視点を我がものにすることが不可欠だということです。
確かに、民主党に関しては、「革新的草の根」に密着した(少なくとも接点がある)第一線・底辺の国会議員と、民主党の中枢を握っている指導部との間には断絶といいますか、ギャップがあります。沖縄県選出の民主党議員が党・政府と沖縄住民・選挙民の狭間で苦悩していることは事実でしょう。こういう事態が起こっているのは、民主党を構成する議員が、自民党をおん出た(あるいは、自民党からは公認を得られなかった)ために民主党候補になった、いわば動機不純の手合いだけではなく、旧社会党、いわゆる無党派・市民派など様々な要素が交じり合っていることに由来します。この点は、古くからの伝統的な「保守的草の根」の地盤と結びついている自民党と違うところです。
しかし、民主党の中枢指導部を形成している顔ぶれは、背景的にも、思想的にも、人脈的にも「第二自民党」と形容するほかない面々がほとんどです。松下政経塾出身の連中に至っては、安保・防衛問題では自民党内の右翼も顔負けするほどの思想・信条の持ち主・確信犯揃いです。
私が特に危なっかしさを感じるのは、彼らの歴史感覚の欠落(あるいは驚くほどの乏しさ)ということです。この点では、戦後の日本政治の担い手として、自らがかかわった歴史的蓄積を無視することに組織としてこだわりを持たざるをえない面を持つ自民党よりも、民主党の方がさらに危険な一面を持っています。 民主党政権になってからだけでも、核「密約」の扱い、中国漁船の尖閣沖合での衝突事件への対処で、彼らの歴史感覚の欠如・乏しさが露わになりました。
核「密約」について言えば、その存在を明らかにするとした民主党政権の姿勢自体は否定するべきではありません。しかし、彼らの真の目的が、非核三原則を守ることではなく、非核三原則を見直す方向に世論を誘導しようとすることにあったことがハッキリしています。このような民主党政権のやり口は、国民的な反核感情を無視できないからこそ、自民党政権の下で非核三原則が作られたという歴史の重みをまったく無視しています。
尖閣での中国漁船衝突事件に際しては、中国に対する対抗心をむきだしにする前原国土交通相(当時)が主導して、1978年に作られた尖閣「棚上げ」の日中間の暗黙の了解をいとも簡単に放り投げて、国内法に基づいて粛々と行動するのみなどと言い放ち、いたずらに中国側の日本に対する反感、抗議を高めました。
後で述べます「日米同盟は抑止力」とする位置づけも、民主党政権の過去をなんとも思わない危なっかしさを明らかにするものです。

(2)民主党政権による3つのSCC共同発表

 それでは、民主党政権がオバマ政権と一緒になって進めようとしている在日米軍基地再編についてお話を進めていきます。
民主党政権になってから、日米安全保障協議委員会(SCC)は、2010年、2011年及び今年(2012年)と三つの「共同発表」を出しています。その要旨は付属資料のpp.10-14にまとめておきました。この3つの共同発表の位置づけ及び関連ということについてまずお話ししておきます。
当たり前と言えばそれまでですが、この3つのSCC共同発表は三位一体として捉えることが大切です。2010年の共同発表は、オバマ政権と民主党政権による日米軍事同盟の歴史的総括です。2011年の共同発表は、両政権が目ざす日米軍事同盟の今後の方向性を示す枠組みを示したものです。そして2012年の共同発表は、野田首相の訪米のお土産として、日米軍事同盟の変質・強化の具体的内容を盛り込んだもの、ということです。
以下では、3つの共同発表それぞれの内容の注目点についてお話しします。

<2010年の共同発表>
付属資料のp.10を見てください。2010年5月28日の最初の共同発表は、日米安保条約署名50周年に際して出されたもので、オバマ政権及び民主党政権による日米軍事同盟の歴史的総括として、両政権が、変質・強化された日米軍事同盟を堅持する方針にいささかの変化もないことを確認するものです。アメリカでは、共和党政権と民主党政権とが何度も入れ替わっていますので、オバマ政権が日米軍事同盟堅持を確認することにはそれほどの新味はありません。しかし、日本の民主党政権については、先ほども指摘しましたように、雑多な勢力の寄合所帯という性格がありますから、SCC共同発表という形で、自民党政権の下で形作られてきた日米軍事同盟を堅持すると確認したことは、アメリカにとってはそれなりの安心材料となったことは間違いないことです。
この共同発表の内容で特に注目しておく必要があることは次の2点です。
一つは、APRにおける脅威として、「不確実性・不安定性」をまず挙げ、テロ・大量破壊兵器などはその次に挙げられていることです。「不確実性・不安定性」とは、端的に言えば、主に中国及び朝鮮を指す言葉です。ブッシュ政権の時代はテロ・大量破壊兵器が先に来ていましたから、この順序の後先が変わったということは決して小さなことではありません。
特に日中関係は、日米関係と同じ程度に日本にとって重要な要素です。中国が今後ますます大きな存在になっていくことが間違いないことを踏まえれば、中国との間に安定した平和友好関係を築くことは、日本にとって死活的に重要なことです。その中国を警戒するべき脅威の筆頭に位置づけること自体が大問題です。しかも、アメリカといわばグルになって対抗しようという民主党政権の認識は危険極まるものとしか言いようがありません。
もう一つは、「日本及び米国は、必要な抑止力を維持」とある点です。後で紹介しますように、2012年の共同発表では「日米同盟の抑止力」という言い方になりますが、日本が「必要な抑止力を維持」するという認識表明は、「日米同盟の抑止力」と同様、自民党政権時代にはなかった、取りようによってはきわめて重大な中身をもっています。
取りようによっては、と一応断りますのは、民主党における国防・安全保障族(タカ派)の連中の見識がまともであるかどうかについて、私は自民党の論客に対するようには確信が持てないからです。そもそも「抑止」という概念について彼らが正確な認識を持っているかどうかについてすら、私は疑問がぬぐえません。名前を挙げるのは恐縮ですが、自民党の国防族を代表する加藤紘一、石破茂と民主党の旗頭とされる前原誠司、岡田克也を比較してみてください。
しかし、仮に彼らが正確な認識を持っていてなお以上のような認識を共同発表に盛り込んだとするならば、ことはきわめて重大です。というのは、核抑止に由来する「抑止」という考え方のもっとも基本的な要素は、相手に対して耐えられない被害・損害を与える核兵器の破壊力による脅しによって、相手が戦争に訴えることを思いとどまらせる、という点にあります。通常兵力にはそのような破壊力はないので、そもそも「抑止力」にはなり得ないのです。日本国内における「抑止」にかかわる議論は、こういうイロハをわきまえていません。
確かに、「在日米軍は抑止力」とする議論は、米ソ冷戦崩壊後にアメリカが言いだした「通常兵力による抑止」という議論の延長にあります。何故アメリカがそのような言い方を始めたかと言えば、アメリカの国内事情がありました。米ソ冷戦が終わった後には、アメリカはもはや、ソ連という脅威を理由にして世界に軍事網を張り巡らせることを正当化できなくなりました。しかし、アメリカには世界最強の軍事力を減らすつもりは毛頭ありませんでした。世界的な軍事覇権を維持することを正当化するために編み出されたのが、「通常兵力が戦争の勃発を抑止する」という議論だったのです。しかし、在沖海兵隊がそうであるように、海外に展開する米軍は殴り込み部隊であり、有事即応部隊なのです。また、米ソ冷戦が終わってからも世界で戦争が絶えないという現実は、何よりも雄弁に「通常兵力は抑止力」という議論が成り立たないことを物語っています。
私たち日本人の最大の欠点の一つは、その時々の議論に流されて、物事の本質を常に踏まえた議論ができないことです。「抑止」について横行する議論はその一例です。
その点はともかく、日本国憲法が許容しているのは、政府の憲法解釈の番人とされる法制局の長年の解釈によっても、必要最小限度の自衛力行使、つまり相手側の攻撃を撃退するのに必要な限度での実力行使の権利であり、それだけなのです。「相手が耐えられないほどの被害・損害を与える」抑止力を持つことは、政府の憲法解釈に基づいても、自衛権行使の範囲を超えたものであり、違憲なのです。 「日本が抑止力を維持する」とか「日米同盟の抑止力」などという考え方が自民党政権時代には出てこなかったのは、憲法との関係であり得なかったからなのです。先ほど、自民党政権の場合は過去の蓄積があるからそれなりの自制力が働いていたが、民主党にはそういう押さえがないから余計に危なっかしい、と言いましたのは、以上の意味においてです。

<2011年の共同発表>
次に、付属資料のpp.11-13です。2011年6月21日に出された共同発表は、「より深化し、拡大する日米同盟に向けて」というタイトルが示すように、オバマ政権及び民主党政権の下で、日米軍事同盟をどのような方向にもっていくか、という将来に向けての方針を示したものです。この文書にはいくつかの要注目点があります。
まず、p.11にある日米の「共通の戦略目標」に関してです。
実は、日米の「共通の戦略目標」というのは、自民党政権下での2005年及び2007年のSCCの共同発表でも定められていました。付属資料のpp.6-7及びpp.9-10に載せてあります。この両者を比較することによって、オバマ政権及び民主党政権における力点がどこにあるかが分かります。(2011年の共同発表で頭出しがあるのは、北朝鮮の非核化、米日豪及び米日韓の3国間防衛協力強化、中台両岸関係、ロシア、日米印対話促進、(核)抑止力維持の6項目です。2005年には、地域(APR)として日本の安全確保、朝鮮半島の平和的統一、北朝鮮関連の諸懸案の平和的解決、中国(その中で台湾海峡に言及)、ロシア、海上交通、世界として基本的価値、NPT/IAEA/PSIなど。2007年には、2005年の目標を再確認の上で、2005年9月19日共同声明(朝鮮半島非核化に関するもの)の完全実施、安保理決議1718(朝鮮の核計画及びミサイル計画の中止)の完全実施、中国の軍事分野の透明性要求、米日豪3国間協力強化、対印パートナーシップ強化、日・NATO協力達成が頭出しされています。)
私が気づくのは以下の諸点です。
まず、中国にかかわる扱い方がブッシュ政権及び自民党政権の時より硬化している印象を受けることです。ブッシュ政権は、対テロ戦争遂行上、中国の協力が不可欠だったこともあり、中国には慎重に対処していました。オバマ政権も当初は中国との関係を重視する姿勢を明確にしていましたが、APRにおける中国の台頭に次第に神経をとがらせるようになりました。民主党政権の中国に対する姿勢については前に触れました。対中国という点でも、オバマ政権と民主党政権のベクトルは一致しているのです。
その点が2010年の共同発表における脅威としての中国の位置づけとして出ているのですが、2011年の共同発表もその線上にある印象を受けます。中国を横目でにらんで日米軍事同盟を多国間化する動きは、2007年の共同発表でもすでに顔を覗かせていましたが、2012年には全面に躍り出た印象を強く受けます。
この点では、「日米同盟の協力強化」の項目として上げられている「地域及びグローバルな場での日米同盟の協力」及び「日米同盟の基盤の強化」(付属資料p.12)にも注意してください。つまり多国間協力を進めることに言及しているのですが、対中国の意味合いを読みとることが必要です。
次に、朝鮮に対する態度も自民党政権時代より硬化していることです。実はアメリカでも、ブッシュ政権以上にオバマ政権の朝鮮に対する非妥協的姿勢が指摘されてきました。対朝鮮姿勢・政策で日米のベクトルが一致している結果が、共同発表に反映しているのです。日米を含めて国際的に合意があるのは朝鮮半島全体の非核化であって、北朝鮮の非核化を要求するのはおかしいのです。朝鮮を刺激せずにはすまない日米韓3国間防衛力強化も、2012年の共同発表ではじめて顔出していることを指摘しないわけにはいきません。
もう一つ、(核)抑止力維持がわざわざ顔出ししたのも2011年共同発表がはじめてです。これは、日米核密約が公表された後、民主党政権が執拗にアメリカ側に拡大核抑止力(核の傘)の保証を求め、核拡散防止を重視するオバマ政権が積極的に日本などの同盟国に対する保証を行ってきたという経緯を背景にしていると思われます。
次に、pp.11-12の「日米同盟の協力強化」、すなわち民主党政権下での日米軍事同盟の変質・強化の中身に関してです。
まず、民主党政権が2010年に策定した新防衛計画大綱を踏まえて日米軍事同盟の「さらなる向上」を追求するとしていることです。これは、日本側の国内的措置を受け皿にして日米軍事同盟のさらなる変質・強化を図るという1997年以来の方針を、民主党政権がアメリカ側に確認し、約束したものです。「向上」という曖昧な言葉の裏に、日米度軍事同盟の変質・強化が隠されていることを見破らなければなりません。
日米軍事同盟のさらなる変質・強化の内容としてはまず、「二国間の計画の精緻化」、具体的には「平時及び危機における調整メカニズム強化」、「米軍及び自衛隊による日本国内施設への緊急時アクセス改善」が特記されています。全土の常時基地化・軍事化が着々進行していることを表しています。憲法の空洞化・無意味化は恐ろしい勢いで進んでいるのです。
ちなみに、1997年の新GLでは「平素からの協力」(付属資料p.4)と表現して、できるだけ軍事的色彩を薄める努力をしていたのですが、今や「平時」とぬけぬけ表現しています。ここにも、「既成事実には弱い」私たちを見透かした民主党政権の居直りが出ています。 変質・強化としてはさらに「非戦闘員退避活動における協力加速」が挙げられています。東日本大震災における「トモダチ作戦」の成功をアメリカ側は軍事的に高く評価していますが、2011年6月に出された共同発表ですでに、その成功に味を占めてさらに非戦闘員退避活動を「加速」させる、即ち国民総動員体制確立という分野に深々と足を踏み込もうとしているのです。
「能動的、迅速かつシームレスに地域の多様な事態を抑止し、それらに対処する」ための諸々の協力促進ということも重大な内容です。特に「シームレス」という表現は、平時から戦時に至るすべての過程を含むものであり、新GLが予定していたように、日米軍事同盟は今や平時をも対象にしているのです。諸々の協力として「施設の共同使用」が挙げられていることにも要注目です。
軍事技術の第3国移転、宇宙、サイバー・セキュリティなど、日米軍事同盟の範囲は無制限に拡張していることも、同盟の変質・強化を物語っています。

<2012年の共同発表>
 2012年の共同発表に関しては、pp.13-14を見てください。この共同発表は、野田首相訪米の「お土産」という性格もありますが、内容的には次の点が要注目です。
 一つは既に述べましたように、「日米同盟の抑止力を強化」するという日米軍事同盟の位置づけです。
 もう一つは、日米同盟の抑止力を強化するものとして、米軍再編を位置づけ、新たな内容を盛り込んでいることです。新たな内容とは、「グアム及び沖縄における部隊構成」、「沿岸国への巡視船の提供」、「グアム及び北マリアナ諸島連邦における共同施設(訓練場)整備」が挙げられています。これらの点についてはマスコミが広く取り上げたことなので、皆さんもご存じだと思います。
 ただし、「沿岸国への巡視船提供」については日本国内では見すごされていますが、やはり中国をにらんだものです。フィリピンと中国の間でも領土紛争があり、現在進行中なのですが、フィリピンは中国に対抗するために巡視船を欲しているのです。そういう時に、日本が「沿岸国」に巡視船提供と言う民主党政権の無神経さには、私は唖然としました。

2. 日米軍事同盟の変質・強化の特徴

これまでは、日米軍事同盟の変質・強化がどういう意味なのか、どういう「からくり」で国民の監視の目をかいくぐって行われてきたのか、そして民主党政権はオバマ政権との間で何をしようとしているのかについてお話ししてきました。
以下においては、変質・強化ということの中身・特徴的要素を整理して簡単にお話ししたいと思います。変質・強化という言葉が表すように、日米関係の戦後史の中で、日米安保体制がどのように日米軍事同盟にすり替えられてきたのか、ということをしっかり確認しておきたいという趣旨です。そのために、簡単な表を作ってみました。お手元に配っていただいている一枚紙のものです。この表に基づいてお話しします。
表では、横軸(時間軸)として、日米軍事同盟の変質・強化の過程を「旧安保期」、「新安保期」、「ブッシュ(父)政権期」、「クリントン政権期」、「ブッシュ(子)政権期」、「オバマ政権期」に分けて見ることが妥当だと考えました。また、縦軸としては、日米軍事同盟の変質・強化がどのような国際環境の変化の下で進んだのかを確認しておく意味で「国際環境」という項目がトップに来ています。その下に、「日米軍事関係の重点」、「同盟の定義・位置づけ」、「主要な脅威対象」、「抑止力の位置づけ」、「安保・同盟の適用地域」、「日本による対米「支援」の内容」、「自衛隊の受持範囲」、「国民の巻き込み」、「同盟の多国間化」という9項目にまとめ、その時期的な変化を見る形にしています。
 縦軸の各項目ごとに簡単に説明しておきます。
 「日米軍事関係」につきましては、東西冷戦という大状況が支配する中では、日本がアメリカに「おんぶにだっこ」という状況が支配的でした。したがって、そこでは日米軍事関係のあり方が正面から問われるというよりも、自民党政治の下での在日米軍基地のあり方が問われるという形を取っていました。その状況に激変をもたらしたのが冷戦終結であり、より直接的には湾岸危機・戦争だったのです。すでに余裕を失っていたアメリカは、今や世界第2位の経済大国になっていた日本の「一国平和主義」を許容できず、より積極的な負担分担を求めることになりました。当初は受け身だった自民党政権もすぐにギア・チェンジして呼応し、彼らの宿願である憲法改正をにらんで日米安保体制の軍事同盟化、そしてその変質・強化に乗り出すことになったのです。日米両国政府が緊密にタイ・アップして私たちに攻勢をかけるという図式が時とともにエスカレートして今日に至っています。
 「同盟の定義」は、日米軍事関係の中身が変わることを受けてエスカレートしてきました。「日米同盟関係」という言葉が最初に公式に使われたのは1981年(鈴木善幸首相)ですが、その時は鈴木首相がわざわざ「同盟という言葉には軍事的意味合いはない」という趣旨の解釈をつけて大騒ぎになりました。当時は「同盟」という言葉自体がタブー視されていたのです。それが中曽根政権の時期には当然となり、1990年以後は「同盟」の中身を政権側が工夫することになっていくのです。ここでも時流に押し流される私たちの欠点をしたたかに利用する保守政治のあくどさが露骨に反映されています。
 「脅威の対象」については、ソ連(国家)→テロ・大量破壊兵器(非国家)→伝統的脅威(国家)と重点が移り変わっている点を見ることがポイントです。元々「脅威」という概念は国家と国家との間において考えられたものです。ブッシュ(子)政権が9.11で逆上して「対テロ戦争」と叫んだことに影響されて、日本を含む国際社会も押し流されたのですが、オバマ政権は再び伝統的な見方に帰って来ています。民主党政権も同じ軌道上にあります。
 「抑止力」についてはすでにお話ししました。確認のために簡単に繰り返しますと、自民党政権は、憲法解釈を踏まえて、アメリカの軍事力を抑止力としていました。しかし、まともな憲法解釈も持ち合わせない、というより憲法を一顧だにしない民主党政権は、平然と「日米同盟の抑止力」、「日本による抑止力維持」などと言いだしたのです。
 安保体制から日米軍事同盟への変質・強化は「適用地域」にも変化を持ち込みました。安保の下では「極東」という地理的範囲だったのが、新GLで「周辺事態」という概念が持ち込まれました。「周辺事態」とは地理的概念ではないとされ、したがって無制限に拡大することになっているのです。
 「対米「支援」」、「自衛隊の守備分野」の中身も大きく変わってきていることがお分かりになるはずです。また、平和憲法の縛りがきいていたときには、「国民動員体制」などと口にすることさえ不可能でした。新GL以来、アメリカは執拗にその受け入れを迫ってきたのです。21世紀に入って対テロ戦争の熱狂を追い風にして、小泉政権が有事法制とともに国民「保護」計画を作ってしまいました。私は当時、一所懸命に警鐘を鳴らしたつもりなのですが、所詮は「蟷螂の斧」に過ぎず、砂を噛む思いを味わったのでした。「多国間化」についても、21世紀に入ってから顕著になった変質・強化の一環です。

 

3.日米軍事同盟における沖縄の位置づけの調整

APR(中近東を含む。)における戦略的軍事的要衝として沖縄を位置づけるアメリカの認識は戦後一貫しています。オバマ政権においても微動だにしていないと思います。オバマ政権に特徴的なことは、2012年の「国防戦略の見直し」が端的に示しているように、APR重視の姿勢が歴代政権の中でも、また、オバマ政権における位置づけという点でも時間を経るにしたがってますます、突出して鮮明となったことです。そのことが2012年のSCC共同発表にも色濃く反映されました。お話の最後として、何故今ますますAPR重視なのかということと、そういう全体的な構図の中で沖縄はどのように位置づけられているのかということの2点についてお話ししたいと思います。

<APR重視>
まず、APR重視の原因・理由についてです。私は主に3つの要素が働いていると判断しています。
第一に、経済成長が著しく、世界経済における比重が増す一方のAPRは、今やそして今後ますますアメリカ経済にとって重要性を増していくという認識がオバマ政権において強く働いているということです。ハワイ及びインドネシアに土地勘を持つオバマ大統領という要素も無視できないでしょう。かつての世界的比重を回復することは望み得ないとしても、アメリカ経済を再び回復・成長軌道に乗せるためには、APRに軸足を移動せざるを得ないことは見やすい道理です。
ちなみに、APRの重要性・比重の高まりということは、日本についても同じで、変わりありません。アメリカとアジアを天秤かけることをアメリカによって常に強いられてきた日本の保守政治にとっても、オバマ政権のAPR重視は歓迎すべきことです。
第二に、アメリカのAPRにおける覇権を脅かす(とアメリカが警戒する)存在として、中国の台頭が著しいことがあります。アメリカには、独立以来の伝統として、アメリカの価値観を世界に押し広めることがアメリカの使命だという考え方が強いことは広く指摘されていることです。その考え方は往々にして、アメリカの価値観を共有し、受け入れる国々がアメリカを中心にして一つの共同体を形作るという国際観を養ってきました。しかし、アメリカの価値観を素直に受け入れることを肯んじない国々に対しては、警戒すべき存在さらには脅威として位置づけることになるのです。かつてのソ連がそうであり、イラン、朝鮮などの「ならず者国家」がそうであり、今や中国が クローズアップされてきたということです。
日本における中国に対する見方は一筋縄ではありません。長い日中関係の歴史において、対等平等の関係が成立したことがありません。日本にとって中国は、目上の畏敬の対象であるか、目下の軽蔑の対象であるかのどちらかでした。1945年以後はじめて対等平等な日中関係を見通す可能性が生まれたのですが、アメリカの反共政策に従った日本はその可能性を生かすことができないままでした。1972年の国交回復後も、日本の対中政策は常にアメリカの顔色を窺ってきたのです。松下政経塾出身者とアメリカ留学組が幅をきかせる民主党には、自民党と比較しても、中国を深く知り、認識するものが少なく、それだからこそ、中国をライバル視し、いたずらに対抗心を燃やす手合いが多いというわけです。ここにオバマの対中観に共鳴しやすい素地があります。
第三に、国内経済の建て直しに苦慮し、厳しい財政的制約という条件を抱えるオバマ政権としては、対テロ戦争の下で肥大化した国防費を削減しなければならないという絶対的な要請に直面しています。しかし、以上の二つの要素を考えるとき、APRに対する影響力確保もしなければならないわけです。こうして、2012年の「国防戦略の見直し」は有限な資源をAPRに集中配分する戦略を打ち出したというわけです。そして、この戦略を遂行する上では、いつまでも日本の国内事情で米軍再編を遅らせるわけにはいかないということになり、実行できることから手をつけようという政策が2012年のSCC共同発表に結実したというわけです。
2009年に成立した民主党政権にとっての最大のアキレス腱は在日米軍再編計画にありました。野田政権がオバマ政権の戦略見直しに飛びついたであろうことは容易に想像がつきます。2012年のSCC共同発表は、かくして日米両政権の思惑が合致した産物でした。

<沖縄の位置づけ>
 すでにお話ししましたように、アメリカの軍事戦略における沖縄の重要性は微動だにしていません。しかし、今回(2012年)のSCC共同発表では一見するところ、グアムに重点が移行し、沖縄に対する位置づけが変化したようにも見られます。この点については、どのように認識するべきでしょうか。私の見るところ、答えはSCC共同発表の中にふんだんに盛り込まれていると思います。
特にカギとなるのは、付属資料のp.13の中段を見ていただきたいのですが、「アジア太平洋地域において、地理的により分散し、運用面でより抗堪性があり、政治的により持続可能な米軍の態勢を実現」というくだりです。注釈を加えると、次のようになります。
「政治的持続可能性」とは、国防費削減という絶対的制約要因を踏まえた上で、維持可能な米軍態勢を考えなければならないということです。「地理的分散」とは、中国の外洋進出をにらんだ軍事力配置を心掛けなければならないという意味合いで使われています。そして、「抗堪性」というあまり聞き慣れない言葉には、これまでの沖縄への基地機能の集中では、増大する中国の軍事力による反撃に直面したときにきわめて脆弱だから、反撃に対抗できる態勢づくりをしなければならないという意味が込められているのです。このことは特に司令中枢機能の安全確保という要請を生みます。そのことを表すのが「戦略的な拠点としてのグアムの発展を促進する」という文言です。
しかし、以上のことは、殴り込み最前線基地としての沖縄の重要性をいささかも損なうものではありません。オバマ政権がオスプレイの沖縄配備に固執するのは、今普天間に配備されているヘリコプターと比較したそのスピード、航続距離の利点を最大限に生かすためですし、殴り込み最前線基地としての沖縄の位置づけが不変であることを物語ってもいます。
オスプレイ自身について言えば、アメリカにとっては、イラク及びアフガニスタンの実戦でオスプレイの有用性はあまりに明らかで、その欠陥と危険性、したがって沖縄側の反対故に、沖縄への配備を遅らせる、取りやめるというのはあり得ないということになります。一時取りざたされた本土への配備という話も、民主党政権から持ちかけられたもので、アメリカにとってはせいぜい経過措置、一時的措置としては考慮しうるということでした。本格配備は沖縄、というのはアメリカにとって譲れないところだと思います。
こうして、「見直された態勢により、より高い能力を有する米海兵隊のプレゼンスが各々の場所において確保され、抑止力が強化されるとともに、様々な緊急の事態に対して柔軟かつ迅速な対応を行う」というSCC共同発表の文章の、「米海兵隊のプレゼンスが各々の場所において確保され、…柔軟かつ迅速な対応を行う」という文言の意味も明らかになります。グアムは戦略中枢として、沖縄は殴り込み最前線基地として位置づけて棲み分けさせるということなのです。

(参考)
付属資料「南西諸島への自衛隊増配備計画と米軍再編」
表「日米軍事同盟の変質・強化

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