石原慎太郎の尖閣発言と日中関係

2012.04.21

1.石原発言に接して

 石原都知事が4月17日にアメリカ・ワシントンにおける保守派シンクタンク・ヘリテージ財団主催の会での講演で、東京都が尖閣諸島の一部を購入すると発言し、さらにその後の記者会見で暴言・妄言としか形容のしようがない数々の発言を行った(以下「石原発言」)という報道に閲した時、私はただただ頭の中が真っ白になり、完全に思考停止になりました。過去においてはともかく最近は忘れていた、とてつもなく大きな衝撃が襲ってきた時に私の肉体で起こる生理的反応が石原発言に接して久しぶりに起こったのでした。それほどの「仰天発言」(18日付中日新聞・東京新聞の社説が用いている表現)でした。
 私の頭の中で次に湧きおこったのは、「どうしてこんな発言が出てくるのだろうか」ということでした。
私は過去において、外務省中国課長(1983-85年)として、親台湾ロビーの指導者・国会議員で、対中国強硬派の「うるさ型」として知られた金丸信や藤尾正行に呼びつけられた経験が何度もありましたが、彼らが石原発言のような感情にまかせた暴言・妄言を吐いたという記憶はまったくありません。一介の課長風情(ふぜい)が日中関係の重要性について一所懸命に説明するのに耳を傾けるだけの度量が彼らにはありましたし、日中関係を損なうことがどのような取り返しのつかない事態を生むかということについて彼等自身が政治家として冷静に認識していましたから、石原発言の類が起こることはあり得なかったのでした。
それが今は易々として起こる。しかも、私からすれば「あろうことか」という以外に言う言葉を知らないのですが、藤村官房長官の「必要ならそういう(国有化)発想で前に進めることもある」という発言(同日、石原発言を受けてのもの)、さらには野田首相の「所有者の真意を改めてよく確認する中で、あらゆる検討をしたい」という発言(18日の衆議院予算委員会答弁)を生む。そして、橋下大阪市長や沖縄県石垣市の中山市長の歓迎発言、仲井間沖縄県知事の「なんとなく安定する感じ」という好意的反応を次々と生みだす。
私にとっては、石原発言そのもの(その愚劣さ・低劣さ、中国外務省報道官が今や「政客」(日本語では「政治屋」に当たる、露骨な軽蔑感を含めた言い方)と呼び捨てるほどの政治オンチぶりについて、正面から批判する気持ちすら起こらない。)よりも、こういう信じられない有様を示す日本の政治状況の方がはるかに深刻であると思われました。こういう政治状況を生みだしてしまうのは、日本のデモクラシー、私たち国民の主権者としての意識のあり方・所在に根本的な問題があるからこそではないか、と常日頃抱いている問題意識を改めて確認せざるを得なかったのです。
丸山眞男は、「自由」の本義を「自己責任における意思決定能力」と言い表しました。念のためにつけ加えておきますが、「自己責任」という言葉の意味は、かつてのイラク人質事件を契機に当時の自民党政府によっておとしめられ、それを垂れ流したマスコミによっておとしめられたままで固定化してしまいましたけれども、丸山がこの定義を行ったのはそれに先立つはるか以前の、言葉の本来の意味においてのことです。
物事に処するに際して、そういう一人一人の人間が自らに責任を持って意思決定を行う能力を身につけているという前提条件が成り立っていない状況のもとにおいては、近現代の特徴であるマス・デモクラシー(大衆社会状況でのデモクラシー)は、かつてのナチ・ドイツのケースが示すように、一握りの煽動者・政治屋によって限りなく暴走してしまう危険性を内包しています。デモクラシーそのものは普遍的価値ですが、その中身は、丸山が繰り返し強調したように、理念・制度・運動として不断に自らを鍛え続けないと形骸化し、さらには自らを否定する結果を自らの手で引き起こす危険性を内包しているということです(丸山は「デモクラシーは永久革命としてのみある」と喝破しました。)。
権力との闘いを経て人民が自らの手で自由を勝ち取った歴史を持たない日本のデモクラシーについて、私が近年とみに危機感を覚えるのは正にこの点に関してなのです。そして、今回の石原発言という仰天発言が飛び出すのも、実は「仰天」でもなんでもなく、日本におけるマス・デモクラシーが今や末期的症状を呈していることを集中的に表しているのではないかと思います。
石原発言に即して以上の私の問題意識を検証するにはどういうアプローチが適当か。すぐに頭に浮かんだのは全国各地の新聞の社説が石原発言をどのように捉えているかを見てみるということでした。
正直言って、新聞社説が多くの国民の判断材料としての役割を直接果たしているとは思いません。そもそも、社説をまともに読む人がどれほどいるかさえきわめて疑問です。また、ネット情報、SNSが影響力をますます増やす中で、人々の新聞離れも進んでいます。
そういうことを正確に踏まえた上でなお言えると思うのは、新聞はなお少なからぬ人々の物事の判断に少なからぬ影響力を持っているということです。そうであるとすれば、社説は各々の新聞社の立場をおおむね代表していますから、読者が物事を判断する方向性・内容性を集約しているとは言えるわけです。
ネットで検索しますと、「新聞コラム社説リンク」という便利なサイトがあります(http://www.ne.jp/asahi/sec/eto/paperhtml/editorial.html)。全国紙と言われる朝・毎・読3紙プラス日経、産経と、各都道府県を代表するいわゆる地方紙(47紙プラス地域紙22紙)にリンクされています。石原発言に関する社説を検索してみたところ、全国紙はすべてに載ったのは当然でしょうが、地方紙でも各都道府県を代表する10紙が載せていました(もっとも、社説があるかないか判明しない新聞社のサイトもありますので、これですべてとは言えないのですが。)。ただし、地方紙4紙(宮崎日日、福井、岐阜及び茨城)の社説は内容が大同小異であることから推測するに、共同通信配信記事に若干手を加えたものである可能性が高いと思われます(私が広島滞在中に定期購読していた長崎新聞がそうでした。)。したがって、独自の社説を掲載したのは6紙ぐらいかもしれません。この6紙は、中日・東京、北海道、沖縄タイムス、京都、信濃毎日という、一家言ある粒ぞろいの有力紙でした。
ちなみに、新聞の社説における石原発言の取り上げ方は、朝鮮の人工衛星打ち上げの取り上げ方(この点についても、いずれコラムで取り上げたいと思っています。)と比べますと、雲泥の差があります。全国紙はもちろん、ネット検索でヒットしただけでも、地方紙22紙が取り上げていますし、しかも、金正恩体制の成立、人工衛星打ち上げ、安保理決議と複数回に及ぶものも少なくありません。この事実は、日本のいわゆる「安全保障」にとって石原発言が持つ重みは今回の朝鮮関連問題よりもはるかに深刻かつ本質的である(その点については2.で述べます。)ことを考える時、日本のマスコミ世論がいかに怪しい状況に陥っているかを端的に示していると私は思います。

2.各紙社説の論調から浮かび上がること

 各紙の社説を通読することを通じて、私には、日中関係にかかわる日本の危うい世論状況を生みだしている、マスコミ論調のいくつかの問題点が浮かび上がってきたように思われました。

<厳しい日中関係に関する乏しい問題意識>

 日中関係は、1972年の日中共同声明で国交正常化が実現したので、2012年は40周年の正に節目の年です(この事実に注意を促しているのは、沖縄タイムス、共同通信配信記事、京都、北海道の地方紙のみ)。人間で言えば「不惑の年」です。しかし、現実の日中関係は、いわば綱渡りの連続、薄氷を踏む思いをしながら辛うじて維持されてきた、「不惑」からはかけ離れた状況にあります。本稿の目的から離れてしまいますのでここでは立ち入りませんが、その根本原因は、日中関係の歴史も含めた歴史というものの重みに対する私たち日本人(そしてその上に成り立ってきた戦後日本政治)の認識(歴史認識)の欠落にあると思います。石原発言の根底にあるのも歴史認識の欠落そのものです。
歴史認識がないから日中関係の得がたさ(中国語には「来之不易」という言葉があります。)が分からない。歴史認識がないから21世紀という歴史環境の中に日中関係を位置づける視点を持ちえない。中国蔑視・アジア蔑視という歴史的所産と決別する視点を持ちえない。尖閣問題に即して言えば、日中関係という大局・大枠(そこには歴史という時間軸が当然含まれます。)の中に尖閣問題を位置づける視点を我がものにし得ない。歴史認識の欠落に基づく「天動説」国際観(世界は日本を中心に回っているという思い込み。その一つの派生物が偏狭な領土ナショナリズムとして自己主張する。)にしがみつく。等々。
私が目を通した各紙社説の中で歴史認識を辛うじて意識していると認められたのは中日新聞・東京新聞における次のくだりのみでした。

 田中角栄、周恩来両首相は尖閣問題を棚上げして国交正常化を果たした。自民党政権時代には中国が日本の実効支配を黙認する代わりに日本も中国の体面を汚さない黙契があったとされる。
 中国の海洋進出から尖閣の実効支配を守るには、領土領海領空を守る毅然(きぜん)とした態度はもちろん欠かせないが、中国世論をいたずらに刺激することは逆効果ではないか。外交問題を複雑化させない知恵の歴史に学ぶことも必要だ。

 尖閣問題について黙契があったかどうかはともかくとして、「歴史に学ぶ」ということの重要性はどんなに強調しても足りません。しかし、この点を指摘したのが一つの社説のみ(中日新聞と中日新聞傘下の東京新聞の社説は同一のもの)ということほど、日本の日中関係をめぐる世論状況の怪しさを集中的に表しているものはないと言わざるを得ません。

<執政能力ゼロの民主党政権とそのことに深刻な危機感を持ちえないマスコミ>

 冒頭ですでに言及したとおり、石原発言を受けた野田政権の対応も私には信じがたいものでした。前後の見境もなく石原発言に事実上追随する発言を行ったのです(21日付の朝日新聞によると、民主党の前原政調会長も20日、「国が買うべきだ」と発言しました。)。ここには、尖閣問題にかかわって之まで政府が何故に慎重な対応を心掛けてきたかに関して考えるという姿勢すら窺えません(外務省は何をしているのだろうという疑問も起こるのですが、おそらく往時の「影響力」はもはやないということでしょうか。)。
 この点に関する指摘を行っているのは、地方紙だけでした。

 「藤村修官房長官は必要なら国有化も検討するという。賃借を続けてきた経緯や日中外交への影響を慎重に考え、知事に自重を促すのが筋だ。」(北海道)
 「かねてから日本政府は尖閣諸島を「歴史的にも国際法上も日本固有の領土」との立場をはっきりさせ、実効支配もしている。なぜ今、都有化や国有化の話になるのだろうか。中国や台湾を刺激するだけである。」 (宮崎日日)
 「尖閣問題は日中関係に刺さった「トゲ」だ。そのトゲをことさら強調する石原知事の発言に、危うさをおぼえる。トゲを大きくするのではなく、日中の戦略的互恵関係に立つ大きな道筋を踏まえ、トゲを抜く知恵こそ互いに求められているのではないか。」(京都)

 産経新聞に至っては、野田政権の対応を当然とする次の主張を行う始末です。

  石原発言を受け、藤村修官房長官は「必要ならそういう(国有化)発想で前に進めることもある」との認識を示した。野田佳彦首相も18日の衆院予算委員会で「所有者の真意を改めてよく確認する中で、あらゆる検討をしたい」と述べ、国有化も選択肢とする考えを示唆した。
 石原氏に刺激されたとはいえ、野田政権も前向きな対応を示したのは当然だ。

<軍事的対応を平然と口にする発想>

 以上のような歴史認識(歴史認識以前の「歴史感覚」というべきかもしれません。)の欠落と政治的当事者能力(執政能力)の欠如について問題意識を持てなければ、中国に対しては強硬姿勢で臨むべしとする発想が出てくるのは残念ながら必然です。中国に対する侵略戦争の責任を反省した日中共同声明はきわめて曖昧なものでしかありませんでしたが、その程度の認識を表明したことすら忘れられている今の日本においては、「けしからん中国」に対して断固とした軍事的対応をとるべし、とする「勇ましい」主張が幅をきかせることになるのです。そこには、「いま日中が軍事的に事を構えたら共滅しかない」という誰にでも分かる基礎的事実すら都合よく忘れられてしまっています。
 新聞社説も例外ではありません。しかも全国紙である読売、日経、産経3紙がそろって次のように軍事的措置に言及しているのです(地方紙社説では軍事的措置に関する言及はありませんでした。)。

 「尖閣諸島を巡っては、中国の巡視船が先月、日本の領海に侵入した。中国側の挑発的な行為が続いているのは問題だ。
 日本政府は、大型の巡視船を尖閣周辺海域に配備するなど、海上保安庁の監視体制の拡充を図る必要がある。」(読売)
 「中国はさらに挑発行為を強めるとみられる。2010年9月の中国漁船衝突事件のような事態が再び、起きるかもしれない。
 そのとき、中国の監視船や軍艦に対処するのは政府の責務だ。だとすれば、主権を脅かされないよう国が尖閣諸島を所有し、責任を持って守るのが筋である。」(日経)
 「石原氏が指摘するように、最近の中国船の尖閣諸島周辺での横暴な行動は座視できない深刻な事態だ。一昨年9月の中国漁船衝突事件後、中国の海洋調査・監視船などの日本領海侵入は相次いでいる。中国共産党機関紙「人民日報」も譲れない国家利益と位置付けており、中国が尖閣奪取を狙っていることは明白である。(中略)
  尖閣諸島の実効統治をより確かなものにするためには、公有化に加え、有人化も急がれる。
 尖閣周辺は漁業資源が豊富で、付近の海底にも石油や鉱物資源が眠っている可能性が大きい。漁業中継基地の設置や海底資源を調査する研究所設立などの知恵を絞ってほしい。公有化により、自衛隊の常駐も可能だ。」(産経)

<石原発言の「無責任」に関する浅薄な理解>

 以上を読んでいただければご理解願えると思うのですが、石原発言の重大さはあまりにも明らかだといわなければなりません。しかし、この重大さを認識しないと、東京都が購入するのは問題があるという類の次元でしか物事を捉えられなくなるのです。そういう貧しさをもっとも端的に示したのが「尖閣買い上げ-石原発言は無責任だ」というタイトルを掲げた朝日社説及び「石原氏の尖閣発言 都が出るのは筋違い」というタイトルをつけた毎日社説でした。ちなみに日経社説のタイトルも「都が買うのは筋が違う」と大同小異です。

<石原発言に対する的確対応の提言の少なさ>

 このように貧弱なマスコミ世論においては、21世紀という歴史的枠組みの中で日中関係のあり方について提言するという姿勢が出てくることを期待するのが無理なのでしょう。すでに紹介した中日及び東京の共同社説を除けば、せいぜい次の提言が行われるにとどまるのです。

 「低迷から抜け出せない経済など日本を覆う閉塞(へいそく)感のはけ口として領土ナショナリズムに向かっていくことにならないか懸念する。
 中国もナショナリズムを刺激され、さらに対立が深まることになりかねない。政府には国民感情に配慮しながら慎重なかじ取りを求めたい。」(沖縄タイムス)
 「尖閣諸島周辺では10年9月、中国漁船が海上保安庁巡視船に衝突する事件が起きた。今年3月には日中双方が周辺海域の無人島に新たな名称を付け、その後、中国の漁業監視船が周辺を航行するなど挑発的な活動を繰り返している。
 だがこうした問題は外交ルートで解決していくべきだ。そして外交は政府の専権事項である。中国外務省は「日本のいかなる一方的措置も不法で無効だ」とする談話を発表したが、中国国内の世論の反発がさらに増した場合、東京都には事態解決の手だてはない。刺激するだけでは無責任である。
 今年は日中国交正常化40周年。ミサイルを発射した北朝鮮への対応や、経済交流で中国とのより良好な関係構築に力を注ぐべきときだ。5月には日中両国は東シナ海の危機管理のために「高級事務レベル海洋協議」を設置、中国で初会合を開く。複雑な利害が絡む外交の課題を解決するには、丁寧な対話の積み重ねしかない。」(宮崎日日)
 「97年に当時の新進党国会議員らが魚釣島に上陸した際、石原氏も船上から支援したことがある。領土を守るという強い信念は、分からないでもない。けれども海洋権益の拡大に突き進む中国に、こちらも強硬策で向き合うことが良い結果をもたらすか、疑問が残る。
 石原氏は購入について「日本全体のためになる」と意義を強調するが、いま必要なのは、日本の立場をしっかり表明しつつ、冷静に話し合うことではないか。」(信濃毎日)
 「こうした事態の背景には外交の停滞があることを、政府も肝に銘じるべきだ。一昨年の漁船衝突事件以後、中国の尖閣諸島周辺での活動が目立っている。中国や国際社会に対して日本の立場を丁寧に説明することが重要だ。
 今年は日中国交正常化40周年の節目でもある。無用な緊張を生んで友好ムードを損なうべきではない。」(北海道)

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