日本の「世論」の危なっかしさと日本政府の危険きわまりなさ

2012.04.12

*朝鮮新報社から依頼があって執筆した原稿です。二回に分けて書いたその二回目です(4月12日記)。

 私は常々日本国内の「世論」の動向には危なっかしさを感じてきたが、今回の朝鮮の人工衛星打ち上げに際しても、この危なっかしさが日本政府に悪用され、深刻な結果を引き起こすことを改めて思い知らされた。日本の「世論」の危なっかしさはその特異な付和雷同性にある。マス・メディアが言論を左右する今日の世界では、世論の付和雷同性は各国共通の現象で、日本特有なものではない。日本の「世論」の付和雷同性が特異なのは歴史の重みに由来する点にある。
 一九四五年の敗戦で民主国家に生まれ変わり、その後今日まで六〇年以上経っているのに、日本国民には民主国家(人民主権の国家)にとって不可欠の前提である主権者としての自覚(主人公意識)が今もって備わっていない。約四〇〇年(1603年-1945年)に及ぶ徳川封建制及び明治憲法下の絶対君主制によってすり込まれた、権力・権威に対して頭を垂れてしまう傾向が日本人の習い性となってしまい、一人一人が自分の主体的判断に基づいて発言し、行動することができない。これは日本のマス・コミにも当てはまる。権力との闘争を経て報道の自由を獲得した歴史を持たないマス・コミは、権力と闘う姿勢を我がものにしていない。
 つまり日本のデモクラシーは、他の東アジア諸国におけるように人民が権力との闘いを経て自らの力で獲得したのではなく、戦勝国・アメリカによって与えられた。したがって、権力にとっては機会さえあればひっくり返すべき「仕方なしデモクラシー」だし、人民にとってはいつ取り上げられても痛痒を感じない「授かりものデモクラシー」なのだ。そして、「無理が通れば道理が引っ込む」、「泣く子と地頭には勝てぬ」、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の人々の心情は昔も今も変わっていない。政治学者・丸山眞男はかつて、この心情を称して「権力の偏重」と名付けたが、今日の日本の政治の本質は正に「権力の偏重」にあり、日本の「世論」の付和雷同の特異性もこれに由来する。 朝鮮の人工衛星打ち上げにおいても、この日本特有の付和雷同性が発揮された。ベースにあるのは、伝統的な朝鮮蔑視を基礎に、一九九〇年代以来日本政府が執拗に国民の間に扶植してきた「北朝鮮脅威論」であり、それに基づく朝鮮に対する漠然とした不安感・不信感だ。この「世論」はいわゆる「拉致」問題で一気に増殖されたが、一九九八年及び二〇〇六年の朝鮮の人工衛星打ち上げ並びに二〇〇六年及び二〇〇九年の核実験もしたたかに利用され、「世論」はかつての大政翼賛時代を彷彿させる状況となった。
 当然、疑問が起こる。なぜ日本政府は「北朝鮮脅威論」を振りまき、朝鮮に対する不安感・不信感を国民の間に扶植してきたのか。それにはアメリカの世界軍事戦略及びこれに付き従う日本政府の日米軍事同盟路線を理解する必要がある。
 米ソ(東西)冷戦時代には、アメリカはソ連脅威論だけで世界的な軍事プレゼンスを正当化できた。ソ連崩壊で状況は激変した。しかしソ連がなくなっても、権力政治(power politics)の発想で凝り固まっているアメリカは軍事戦略を見直さず、世界的軍事力展開を正当化する新しい脅威を「作り出す」ことに熱中した。そしてアメリカの意向に唯々諾々と従わない国々を脅威と「認定」した。中東ではイラン(及びサダム・フセイン下のイラク)であり、アジアでは朝鮮だった。正確に言うと、アメリカのアジアでの脅威は中国だが、中国との関係は複雑なので、朝鮮を「代用品」として持ち出したわけだ。一九九三-九四年の朝鮮半島の軍事危機、二〇〇二年のウラン濃縮「疑惑」、既に述べた人工衛星打ち上げ(「弾道ミサイル発射」)及び核実験がフルに利用された。
 ソ連(アカ)脅威論で日米軍事同盟を正当化してきた日本政府も、一九九〇年代に入ってソ連に変わる脅威を探し出すことを迫られ、そしてアメリカに同調して朝鮮を標的にした。日本政府のホンネも中国なのだが、ここでもアメリカに同調した。「権力の偏重」を特質とする日本の「世論」は、日本政府及びマス・コミの情報の操作・垂れ流しにまんまと乗せられ、かくて日米軍事同盟路線は易々と生き延びてきた。 「北朝鮮脅威論」は日米軍事同盟の変質強化にも利用されてきた。その最大なものは、日米安保「再定義」による、対ソ同盟から世界ににらみを利かす日米同盟への変質だ。今回の朝鮮の人工衛星打ち上げに当たっては、打ち上げが南方に向かって行われることを奇貨として、日本政府は、中国を視野に入れた本土最西端(沖縄先島地方)への自衛隊派遣・駐留という宿願を実現させた。
 危なっかしい日本の「世論」は、「北朝鮮脅威論」を鵜呑みにして、危険極まる日米軍事同盟路縁を下支えする役割を担わされている。日本人一人一人が自らの頭で考え、自らの口で発言する真の世論を形成しない限り、「権力の偏重」を脱し、日米軍事同盟路線を主体的に清算する条件は生み出せない。日本のデモクラシーが今ほど根本から問われているときはない。

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