核抑止論と「原子力の平和利用」神話

2012.03.31

*福島第一原発の「事故」をきっかけとして原発に対する批判が強まってきたのはいいことですが、関心がもっぱら原発の是非にだけ向けられ、原発問題と核兵器廃絶問題とが同じ根っこ(アメリカの核政策)から生まれている「双子」の問題であることが見忘れられている世論状況には、私は重大な問題を感じています。
 そういう問題意識を暖めてきたところに、ある本の出版に際し、核抑止論を批判する原稿を書く話が入りましたので、早速執筆してみました。本は5月に出版予定なのですが、読者層はあまり重ならないだろうと思いますので、ここで紹介しておきます(3月31日記)。

<生物・化学兵器よりもはるかに残虐で反人道的な核兵器>

 「日本は唯一の被爆国だから、核兵器廃絶(核廃絶)は日本人の誰もが望んでいること」と言ったら、誰もがうなずくでしょう。歴代の首相、外相でさえ国連総会の演説などで核廃絶の必要を口にしてきました。でも、この日本的「常識」は実はいくつかの点で正確ではないのです。
第一、核兵器(原爆)を戦争で実際に落とされた国は確かに今日に至るまで日本だけですが、核実験が行われた国々や地域でも多くの人が放射線を浴びました。世界各地のウラン採掘場でも多くの労働者が被曝しています。チェルノブイリ、福島の原子力発電所(原発)「事故」でも多くの人々が被曝しています。私たちはともすると核兵器による「被爆」とそれ以外の「被曝」とを使い分けしますが、放射線を浴びる(被ばく)という本質においてなんの違いもありません。「被爆国」を「被ばく国」と理解すれば、つまり「被ばく者がいる国・地域」と理解すれば、「被ばく国」は日本だけではないことが直ちに理解されるはずです。一九四五年当時はともかく、今日に至るまで「唯一の被ばく国」ヅラしているのは実におかしいことなのです。
 第二、核廃絶を望んでいるのは日本人だけではありません。いや、広島、長崎の限られた人々を除けば、私たち日本人が放射線の恐ろしさに直面し、核廃絶を真剣に言いだしたのは一九五四年の第五福竜丸事件以後のことです。世界ではそれより前から核廃絶を求める広範な国際世論の動きがありました(代表的なものとしては、一九五〇年三月のストックホルム・アピールを受けた世界の五億人の署名活動)。ごく一部の狂信的な核信奉者を除けば、核廃絶が望ましいということを正面から否定するものは、アメリカ人だってごくごく少数でしょう。その証拠に、二〇〇九年四月に「核のない世界」というビジョンを掲げたオバマ大統領のプラハ演説は、アメリカ国内でも広く好感をもって迎えられました。
 核抑止論についての議論を深める前提として、もう二点はっきりさせておくべき問題があります。一つは、「核兵器廃絶」と「核廃絶」は同じことかということです。私の結論から先にいえば、二つは同じであるべきです。すでに指摘しましたように、核兵器も原発も放射線による被ばくを引き起こすことにおいて変わりはないからです。核エネルギー(原子力)は、核分裂反応で生みだされるエネルギーのことです。そのエネルギーを兵器として利用するのが核兵器であり、発電に利用するのが原発です。問題は、核分裂反応は必然的に放射線を大量に放出するし、放射能をもつ様々な物質(核分裂生成物)を生みだし、これが被ばくを引き起こすということです。私たちは、核兵器の廃絶にとどまらず、原発を含む核の廃絶という問題に向きあう必要があるのです。
 もう一つは、以上と関係することですが、私たちが使い分けしている「核開発」と「原子力平和利用」という用語の問題です。イランや朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)のように核兵器を開発している(と疑惑が持たれている)国々の場合は「核開発」と言い、それ以外のケースとを区別するのが当然のような受けとめ方があります。しかし、これにはまったく根拠がありません。世界的な常識では、核兵器の原料になるプルトニウムを大量に保有する日本はいつ核兵器開発に乗り出すか分からない潜在的核兵器国なのです。用語の使い分けで核問題の本質を曖昧にするようなことがあってはなりません。

<広島・長崎に対する原爆投下正当化がアメリカの核固執政策の出発点>

 核兵器は、生物兵器及び化学兵器とともに、もっとも反人道的な大量破壊兵器です。人間の尊厳そして基本的人権が普遍的価値として認められてきた人類史の前進の中で、戦争が違法化される(国際連盟規約、不戦条約そして国際連合憲章の流れ)とともに、大量破壊兵器の使用さらには開発、生産及び貯蔵を禁止する動きが国際的に強まってきました。生物兵器及び化学兵器については早くも1925年に使用禁止のジュネーブ議定書ができましたし、開発、生産及び貯蔵を禁止する条約も、生物兵器については1972年に、また化学兵器についても1993年にそれぞれ作られています(効力発生は前者が1975年、後者が1997年)。アメリカを含む世界のほとんどの国々が二つの条約に参加しています(外務省HPによれば、前者が2011年段階で165カ国、後者が2010年段階で185カ国)。
 ところが、生物・化学兵器よりもはるかに残忍で反人道を極める核兵器については、広島及び長崎の悲惨な人類的体験及びこの体験を受けた核廃絶を求める広範な国際世論の存在にもかかわらず、最初に核兵器を開発した核超大国であるアメリカが頑強に反対しているために、今日に至るまで開発、生産、貯蔵はおろか、使用を禁止する取り決めすら成立していません。
アメリカが頑なに核に固執するのにはいくつかの理由があります。核開発は、アメリカが第二次世界大戦で軍事的勝利を確実のものとするための手段として、巨費を投じた国家プロジェクト(「マンハッタン計画」)として推進されました。広島及び長崎で「実証」されたその軍事的破壊力は、第二次世界大戦後の世界に君臨したアメリカにとっては、簡単に放棄するにはあまりにも「魅力的」な兵器という事情がありました。
 核兵器を手放さないという政策を前提としたアメリカにとって、広島及び長崎に対して原爆を投下したこと、それによって大量の非戦闘員(市民)を死に追いやり、数多くの被爆者を生み出したことについて、たとえ戦争下であったとは言え、如何なる理由によっても正当化できない、犯してはならなかった反人道的な行為として責任を認めることはあり得ないことでした。そのためアメリカは、広島及び長崎に関する事実関係が外に伝わることを厳しい報道管制でチェックするとともに、「戦争の早期終結のためには原爆投下は正しかった」「原爆投下は多くの人命を救った」などとする宣伝を国家がかりで行い、多くのアメリカ人の間に核肯定の意識を植えつけたのです。
アメリカは今日に至るもなお、アメリカ人の間に根強い核肯定感にも支えられて、広島及び長崎に対する原爆投下を正当化する立場を固執しています。理由はハッキリしています。原爆投下が犯してはならないあるいは繰り返してはならない過ちであることを認める瞬間に、核兵器を正当化する根拠は失われ、アメリカは核固執政策を断念しなければならなくなるからです。

<核エネルギーを美化するためにアメリカが打ち出した「原子力平和利用」神話>

核に固執したアメリカにとってはまた、「核=キノコ雲(戦争)」というイメージが広がることも大きな懸念材料でした。このイメージを和らげ、払拭するためにアメリカが打ち出したのが「原子力の平和利用」という世界的なキャンペーンでした。その中心に据えられたのが原子力発電(原発)だったのです。
アメリカが公式にこのキャンペーンを打ち出したのは1953年のアイゼンハワー大統領による「アトム・フォア・ピース」計画であるとされています。しかし、私が広島で様々な文献に当たっている中で分かったのは、広島でもきわめて早い時期から「原子力の平和利用」ということが受け入れられていたということでした。例えば、反核文学の嚆矢とされる『原爆の子』(1951年)を編集した長田(おさだ)新(あらた)は、「原子力の平和産業への応用は、平和的な意味における所謂「原子力時代」を実現して、人類文化の一段と飛躍的な発展をもたらすことは疑う余地がない」「広島こそ平和的条件における原子力時代の誕生地でなくてはならない」と序文で書いています。
原子力平和利用のシンボルとされた原発事業はアメリカによって強力に国際的規模で推し進められ、アメリカに忠実に付き従った日本においても、1955年末に早くも原子力基本法が成立して原発推進の法的整備が行われ、国民の間でも核兵器と原発とは別ものとする受けとめ方が常識化しました。このことは、被爆国である日本の世論の動向に敏感たらざるを得なかったアメリカにとってはもっとも好ましい事態でした。アメリカが世界政策として仕組んだ「原子力平和利用」神話が日本においても根を下ろしたからです。そして、福島第一原発の事態が起こるまでに、この神話によって思考力が停止してしまった私たち日本人は、この狭い日本に54基の原発が密集することを許してきたのです。

<米ソ冷戦のもとで核固執政策正当化のために編み出された核抑止論>

 核抑止力という考え方及び政策そしてその理論的根拠としての核抑止論は、アメリカが核固執政策を正当化する上での最後の仕上げでした。即ち、1950年代から1980年代にかけて、アメリカとソ連との間で大規模な核軍拡競争が行われましたが、そのことを正当化するためにアメリカが作り出したのが核抑止政策、核抑止論だったのです。
核兵器の登場は間違いなく、「戦争は政治の継続・政策実現の手段である」とする伝統的な戦争観の根本的な見直しを迫るものでした。核兵器の殺傷力・破壊力及び核兵器使用後の放射線被害の深刻さが認識されるとともに、アメリカも、米ソ間で本格的な核戦争になれば、軍事的な勝利者はあり得ず、人類は共滅する結果に終わること、つまり伝統的な戦争観はもはや維持することができないことを認めざるを得なくなりました。
しかし、権力政治(power politics)の発想が支配する国際関係においては、国家間の相互不信を根本的に解消し、軍事力に頼らない世界を構築する方向へ発想を転換することは簡単なことではありません。ましてや権力政治の権化であり、世界の警察官を自認し、最大の核兵器国であるアメリカが自らの核兵器庫を進んで手放すという発想に立つことはあり得ません。
核戦争は可能な限り回避する必要がある。しかし、相手によって仕掛けられる核攻撃の恐れ(脅威)に対しては万全の用意をする必要もある。この二つの「必要」を満足させる考え方・政策としてアメリカが編み出したのが核抑止論、核抑止政策だったのです。
核抑止の基本的な考え方・政策とは、「アメリカが、他の国家からのアメリカまたは同盟国・友好国に対する攻撃を防止するために、核兵器によって報復するという威嚇(threat)を効果的に用いる」ということです。この場合、日本などの同盟国やアメリカにとって死活的利害がからむ友好国に対する攻撃に対して核報復の威嚇を用いる場合を、アメリカは特に「拡大核抑止」と言っています。
この考え方・政策が「有効」である(つまり、攻撃側に対してアメリカが断固として対抗する能力と決意があることを確信させて、攻撃を仕掛けることを思い止まらせる)ためには、いかなる侵略に対しても、アメリカが攻撃側にとって耐えられない損害を与えるだけの核戦力を持っており、しかも反撃する意思を持っていなければならない、とされます。したがって、核抑止が成り立つためには、第一、(攻撃側の)奇襲攻撃後にもアメリカの核報復能力が確実にあると(攻撃側によって)認識されること、第二、アメリカには報復意思があると(攻撃側によって)認識されること、という二つの条件が充たされる必要があるとされます。要するに、核抑止論・政策は核兵器を使う決意が本ものであるということにおいてのみ成り立つのです。そして、こういう核抑止論を編み出すことにより、アメリカは、膨大な核戦力を保有し続ける政策を正当化してきたのです。核抑止論・政策は核戦争が起こるのを防止し、平和を維持してきたとする主張が喧伝されますが、世界は何度も核戦争の危機に直面してきたという歴史的事実は、この主張のまやかしを明らかにして余すところがありません。
核抑止論についてはさらに二つのことを確認しておく必要があります。
一つは、核抑止論・政策はアメリカが編み出したものですが、その後、他の核兵器国もこの考え方・政策に追随していったということです。その結果、米ソ間には核の相互抑止(mutual nuclear deterrence)という状況が成立したと言われました。また中国は、アメリカの大都市あるいは日本などのアメリカの同盟国に対して報復攻撃するのに必要なだけの核戦力を備えておけば、アメリカは中国に対する先制攻撃を思い止まらざるを得ないという判断に基づいて、限られた核戦力を保有する政策を採用しています。これを核の最小限抑止(minimum nuclear deterrence)ということがあります。朝鮮が追求しているのも最小限核抑止力です。
もう一つ確認しておく必要があるのは、アメリカは核抑止論を採用した後も、核の先制使用の可能性を完全に放棄したわけではないということです。現実にオバマ政権は、今日でもなお、イラン及び朝鮮に対する核兵器の先制使用の「権利」を留保しているのです。

<人類は核エネルギー(原子力)と共存できない>

しかし、アメリカが核固執政策を正当化するために編み出した「原子力平和利用」神話と核抑止論は今や完全に破綻しています。まず、放射能を伴う核エネルギーの「平和利用」神話がいかにまやかしであるかということは、1984年のチェルノブイリ原発そして2011年の福島第一原発の事態で白日に晒されたところです。放射能を除去し、放射線を無害化することは不可能である以上、原発は安全性において致命的な欠陥を抱え込んでいることは早くから明らかでした。チェルノブイリ及び福島の事態は、原発依存を抜け出さないかぎり、人類の未来はないことを警告しています。私たち人類は、取り返しのつかない事態を招く前に、原発そして原子力平和利用神話を清算しなければなりません。そのことは、アメリカの核固執政策を改めさせるためにも必要不可欠なのです。
しかも、核兵器は究極的な大量破壊兵器であるという点において、原発にも増して人類の生存そのものを脅かしているのです。そして、すでに述べましたように、核抑止論・政策は、核兵器を使う決意があるということを前提としてのみ「有効」な考え方・政策なのです。繰り返しになりますが、「核兵器の存在が戦争の勃発を食い止める」とする核抑止論には何らの根拠もありません。
確かに米ソ冷戦時代には、核相互抑止によって「戦争のない状態」が維持されているという主張が行われました。この主張自体、科学的には実証不可能なものです。百歩譲ってその主張を認めたとしても、米ソ冷戦が過去のものになった現在では、そのような主張の前提条件そのものが存在しません。今ある事態とは、世界最強の核大国・アメリカによる先制攻撃の現実的可能性に軍事的に身構え、その一環として核武装という選択肢に走る国々(イランや朝鮮)が後を絶たない(そのことをまた利用して、アメリカをして自らの核戦略を正当化する)という悪循環なのです。この事態を根本的に改める唯一の正解は、アメリカの核固執政策を改めさせる以外にはないのです。
そして21世紀の世界が直面している課題はもはや伝統的な権力政治の考え方では対処しきれないものばかりです。いや、権力政治の発想を根本的にスクラップしないかぎり、人類の未来はないのです。まず、人間の尊厳の普遍的価値を承認するかぎり、いずれの国家に生を受けたかにかかわりなく、基本的な人権をすべての人間に保障し、実現しなければならないはずです。核戦争を含むあらゆる暴力そして権力政治は人間の尊厳・基本的人権とは両立し得ません。次に、21世紀の世界にとっての最大の課題は、20世紀までの一国単位の安全保障ではなく、如何にしてこの地球の環境を人類の持続的生存を可能なものに保全するかということにあります。さらに国際的な相互依存ががんじがらめに国際関係を支配するに至った21世紀の世界では、戦争に訴えることはいかなる国家(アメリカを含む)にとってももはやあり得ない選択肢になっています。核抑止論・政策はもはや時代錯誤以外の何ものでもありません。
こうして、21世紀においては核エネルギー(原子力)そのものを否定しなければならないことが理解されるはずです。核兵器廃絶にとどまらない核廃絶にまなじりを決してとり組むことが必要不可欠なのです。

<アメリカに核固執政策をやめさせる日本の責任と役割>

 以上から明らかなのは、核廃絶を実現するための出発点は、アメリカをして同国発の核抑止論・政策及び「原子力平和利用」神話をスクラップさせ、核固執政策を改めさせることです。そのためには核廃絶の国際世論の対米圧力を格段に強める必要があることはいうまでもありませんが、そのためにも私たち日本人には特別に重要な役割と責任があることを認識する必要があります。
 繰り返し言いますが、アメリカの核固執政策正当化の根拠は広島及び長崎に対する原爆投下は正しかったとする主張にあります。鬼畜米英から対米追随路線に転換した戦後の歴代保守政権(自民党政権だけでなく今日の民主党政権も含む)は、原爆投下に対するアメリカの責任を追及することはおろか、その反人道的過ちを正面から指摘すること自体を避けてきました。多くの国民もこの問題を直視しませんでした。広島及び長崎においてすら、この問題に正面から向きあう人々は圧倒的に少数という状況がずっと続いてきました。しかし、私たちがアメリカの原爆投下責任を正面から問いたださないかぎり、そして日本政府をしてアメリカにもの申す姿勢を確立させないかぎり、アメリカの国内世論を動かすことはできず、したがってアメリカの核固執政策を動揺させることは至難でしょう。
 また、歴代の日本政府がアメリカの原爆投下の責任を曖昧にしてきたのは、日本が積極的に原発推進の政策を追求するとともに、日米核軍事同盟を肯定し、支持し、その片割れを積極的に担い続けてきた政策(その不可分の一環が拡大核抑止政策への依存)と、核廃絶を本気で追求することとは根本的に矛盾するから故であることは明らかです。逆に言えば、日本が「原子力平和利用」神話と対米核抑止依存政策をキッパリ清算することそのものが、アメリカの核固執政策に対する最大の痛撃となって作用するのです。そして、日本政府をしてこういう立場・政策に立たせることができるかどうかは、ひとえに主権者である私たちの決断にかかっています。私たちが動けば日本の政治を変えることができ、そのことは核廃絶の国際世論に計り知れない力を与え、両者があいまってアメリカに対して核固執政策の見直しを迫ることになるのです。
私たち日本人ひいては人類全体にとって今こそ緊要なのは、人類史の流れを的確に理解し、21世紀の世界が権力政治と訣別して人類的諸課題と取り組むことが求められていることを正確に認識することであり、人間の尊厳・基本的人権のあまねき実現を可能にするという課題の不可分の一部として、核抑止論の克服を含む核廃絶の実現を目ざすという視点を我がものにすることです。

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