日本共産党の国際法/国際感覚
 -朝鮮の「人工衛星」打ち上げ問題-

2012.03.24

*3月22日付の『しんぶん赤旗』は、一面トップで、「北朝鮮に「ロケット」発射計画の中止を求める」という大見出しで21日付の声明(文面を見ると、第二段落と最後の段落において、「日本共産党は…求める」とありますので、この声明は党としてのものだとは思われるのですが、文中では2箇所において共産党の文書にしては珍しく(と私には思われました。)「私」という表現を使用しているので、どこまでが党としての声明なのか、私にはよく分かりません。「日本共産党の志位和夫委員長は21日、国会内で記者会見しつぎの声明を発表しました」というリード部分もなんとなく曖昧な感じです。)を発表したことを大々的に報じました。これだけでも私は「イスからこける」ほどの寒々しい思いを味わわされたのですが、翌23日付の同紙に「北朝鮮問題の声明 志位委員長、中国大使と会談」と題する記事(一面左下。この記事でも、「声明」が党としてのものか志位委員長個人のものかハッキリさせていません。)が載ったのを見て、「共産党さん(あるいは、志位さん)、いい加減にしてくれ」という怒りすら感じました。共産党(あるいは志位委員長)の国際法/国際感覚はどうなっているのでしょうか(3月24日記)。

<声明の国際法上の重大な問題点>

声明が朝鮮の人工衛星打ち上げ予告に関して批判の根拠としているのは、もっぱら2009年6月の国連安保理決議1874の文言(決議における「弾道ミサイル技術を使用した発射」の部分)です。しかし、私がこの「コラム」で繰り返し指摘してきたことですが、朝鮮はあくまで宇宙条約に明確に定められた国際法上の権利の行使として今回の打ち上げを行うとしていることに関しては、声明はなんら触れることがありません。
私たちが何よりもまず考えなければならない問題は、国連安全保障理事会の権限ということです。朝鮮の人工衛星打ち上げにかかわって言えば、国際法(ここでは宇宙条約)において主権国家の権利として明確に認められている行為(ここでは朝鮮の人工衛星打ち上げ)を、安保理は否定する内容の決議を行う権限がそもそもないはずだ(ここでは、安保理決議1874は安保理の権限を越えた内容のものとして無効であるはずだ)、ということです。
実は、このような問題は米ソ冷戦時代の国連安保理においては起こりえなかった類の問題であることをまず確認しておく必要があります。なぜかと言えば、主権国家の国際法上の権利を侵害しあるいは否定するような内容の決議を安保理として行おうとしても、米ソいずれかの大国が拒否権を発動して葬り去ることは明らかなので、そのような決議を行うことすらそもそも考えられなかったからです。逆に言えば、このような問題が現実的に問われることとなったのは、優れて米ソ冷戦終結後の、アメリカ主導の5大国協調(露骨に言えば、馴れ合い)体制が機能し始めたことの結果であるということです。そこで、問題の本質をずばりと言えば、大国(特にアメリカ)は主権国家の国際法上の確立した権利を否定する安保理決議を強行する権限がそもそもない、ということです。これを安保理に即して言うならば、先に述べたように、主権国家の国際法上確立した権利を否定する内容の決議を行う権限はありえない、ということになるわけです(実は、オバマ政権が斉一する前年に出されたいわゆる「第二アーミテージ報告」が内政干渉禁止という考え方はもはや時代遅れだという趣旨の主張を行ったことがあるのですが、アメリカが安保理決議で朝鮮の主権を侵すことをいとわない姿勢の背景には、こういうおごり高ぶった認識があるのを見て取るのは難しいことではありません。)。
そういう問題意識に向きあっている文献はないかと思いネット検索をかけたところ、木花和仁(執筆当時は東京大学大学院院生)「国連安保理決議の法的効果」という文章をヒットしました(http://www.pp.u-tokyo.ac.jp/courses/2008/50010/documents/50010-1.pdf)。この文章は別のテーマを主題としたものですが、安保理の権限に関しても末尾で簡単に触れており、関連した文献をも紹介しています。まず、木花自身の文章としては、次のくだりが参考になります。

「安保理決議1373 や1540 など、安保理による「国際立法」(international legislation)と形容される法現象は、本来多数国間条約(multilateral treaty)で実現すべきものを安保理決議の決定により法的拘束力を有する形で加盟国に義務付けるものであり、特にその可否及び是非が取り沙汰された安保理決議1540 において、各国は「主権」(sovereignty)との牴触問題に関する懸念を表出させている。」
「そもそも、「憲章25 条により、安保理の決定を受諾しかつ履行することに加盟国は同意しているから、その主権の侵害ではないともいえ」(藤田久一『国際法』1998、p.336)なくもないが、やはり法的拘束力を有する安保理決議の決定が主権を制約しあるいは主権と牴触するものであるという観念は広く共有されていると言えよう。したがって、主権との緊張関係を生じ得る安保理決議の濫用は、安保理決議それ自体の正統性を掘り崩しかねないものなのである。」

国際法を専門に扱う日本の研究者に共通する慎重を極める表現ですが、大雑把な思考の私流に言えば、安保理には国家の主権を侵害するような決議は行い得ない、という意味だと理解して大きな間違いはないでしょう。木花はまた、主権との「抵触問題に関する懸念を表出させている」というくだりに関して、次の文献を紹介しています。

 「少なくとも制定時に企図されていたものを越えているという点で、(安保理)の個々の活動について合法性あるいは法的根拠に関する重大な問題が提起されてきている。」(森肇志「国際連合安全保障理事会の拘束力ある決定の範囲――黙示的一般権限と特定権限――」『本郷法政紀要』3 号(東京大学大学院法学政治学研究科、1994 年12 月)、p.286)

「安保理による『立法』は、通常の条約作成に要する時間を大幅に短縮して即時に全加盟国に義務を課すことができるが、これは逆に言えば、条約作成では交渉・署名・締結の過程で関係国が有する、条約の内容、加入の適否、加入する場合の国内措置の要否等を検討し自らの立場を決定する選択肢と時間を奪うことを意味する。国家を対象とする軍縮・不拡散、さらには国家の権利義務一般について、多数国間条約の作成に代わるこのような安保理の『立法』を認めることは、まさに国家の主権の根幹にかかわる問題であり、容易に受け入れられるものではないであろう。」(市川とみ子「大量破壊兵器の不拡散と国連安保理の役割」『国際問題』570 号(日本国際問題研究所、2008 年4 月、pp.57-58)

 また、「法的拘束力を有する安保理決議の決定が主権を制約しあるいは主権と牴触するものであるという観念は広く共有されていると言えよう」という指摘に関しては、次の文章を紹介しています。あまり明快な文章ではないのですが、参考までに載せます。

 「自国が表決に加わらない決定に拘束されるとき、あるいは表決に参加してもその意思に反して決定に拘束されるときは(多数決)問題は別である。この点でまず問題となる安全保障理事会(安保理)の憲章第七章の決定(強制措置)である。この決定は国連の全加盟国を拘束するのであるが、その表決には大多数の加盟国は参加していない。ここには主権の制限の現象を見てとることができる。これに対しては、すべての加盟国が国連加盟時にこれに一般的な同意を与えている(憲章25 条)事実をもって消極に解する見解もないわけではない。しかし、この同意は特定の具体的事項の決定に対するものではなく、きわめて包括的・一般的な同意であって、加盟国は安保理が打ち出す新しい義務(決定)に無限定的に拘束され、かつ、そこに自国の個別的な意思を介在させる余地はないのであるから、ここに別の権力的主体(安保理)に対する服属現象があるとみなければならない(ただし、常任理事国(五大国)はすべての実質的事項の決定に拒否権をもっているので法的には主権の制限の問題は生じないと解される)。」(杉原高嶺『国際法学講義』(有斐閣、2008 年5 月)、p.163)

 少し長くなりましたが、以上から最低限言えることは、安保理決議1874を金科玉条のように振り回す日本共産党(あるいは志位委員長)の「声明」の立論(共産党/志位氏の名誉のために言えば、このような立論は共産党/志位氏だけのものではなく、すでに私がこのコラムで取り上げた朝日新聞社説をはじめとする日本のマス・メディアに共通しているものです)は、決して論駁の余地がない、自明なものと言えるにはほど遠いものだ、ということです。科学的社会主義を標榜する党であるし、党内外の国際法専門家は数多いわけですから、このような国際法上の根幹にかかわる問題については、少なくとも専門家を交えて党としての徹底した検証を行い、議論に堪えうるだけの見解を示すことがまず要求されるし、その上で安保理決議1874をどのように位置づけるかという段取りを踏むべきだと思います。
 「声明」はまた、「今回の「ロケット」発射について、北朝鮮政府は、「宇宙空間の平和的開発と利用は、国際的に公認されている主権国家の合法的権利」、「衛星の打ち上げは、主権国家の自主権に属する問題」と述べているが、こうした合理化論は通用しない」と一方的に断定していますが、宇宙条約の規定に鑑み、そして、上記の安保理決議の権限問題をも考慮するとき、こうした一歩的断定こそ通用しないでしょう。

<志位委員長の中国大使との会談というお粗末な国際感覚>

 『赤旗』の記事を読むかぎり、志位委員長がいかなる目的意識をもって中国大使との会談に臨んだのかまったく意味不明です。確かに中国は安保理決議1874に賛成しましたが、今回の朝鮮の予告に際しては、朝鮮側に懸念と憂慮は伝えた(この点は前のコラムで紹介しました。)ものの、当該決議に違反する行為と決めつけているわけではありません。
また、人民日報系列の『環球時報』が3月20日付で掲載した詹徳斌(上海対外貿易学院学者)の「朝鮮に誠意を表明する機会を与えよう」という文章は、次のように述べて朝鮮側の主張に理解を示し、米日韓の対応を厳しく批判しています。

 「朝鮮の主張も決してまったく理屈がないものではない。国際社会は冷静に観察し、朝鮮が清廉潔白であることを証明する機会を与えるべきである。」
「現在、朝鮮が打ち上げるのが衛星ではないと非難する何らの根拠もない。 」 「朝鮮は、国際世論の反応に関心を示し始め、透明度を高める方法で意見の相違を解決することを望んでいる。このような態度は、人々をしていっそう(朝鮮を)信じさせるものであり、今回、朝鮮が打ち上げようとするのが本当に衛星である可能性がある。
朝鮮が、その打ち上げるものが確かに衛星であるということを証明できる場合、米日韓が国連決議(ママ)1874号をもって圧力を加えようとする説得力は大きく衰えることになる。なぜならば、朝鮮が1874号決議を受け入れたことはなく、国連も主権国家が自国の領土で地球観測衛星を打ち上げることを制限するいかなる規定も持っていないからである。朝鮮が主張しているように、米日韓も衛星を打ち上げているが、それは軍用のスパイ衛星である。 朝鮮は、決議1874号によって自国と状況が類似する韓国を非難する十分な根拠を持っている。 」
「事実上、朝鮮の衛星の打ち上げが地域情勢の悪化をもたらすかどうかは、米日韓の反応如何にかかっている。今回に先だって起こった数回のいわゆる朝鮮の「ミサイル危機」において、米日韓は少なからぬ利益を得た。ある国はその機会に自国のスパイ衛星とミサイル防衛システムを発展させたし、またある国は自国の長距離弾道ミサイル・システムを発展させようと試みた。今回も、おそらく例外ではないであろう。もし、米日韓が今回の機会を利用して大々的に武力を動かすのであれば、情勢はいっそう悪化し、朝鮮国内の強硬派にかえって利用されるであろう。
それゆえ、関係各国は朝鮮が衛星打ち上げのベールをはがし、ロケット発射の結果を公開することを冷静に待つに如かずであり、この機会を利用して火に油を注ぐべきではない。 現在の状況を見れば、すでに打ち上げの日程を公開した朝鮮が計画を取り消すようなことはきわめて困難であり、これによってさらに敵対する朝鮮を作り出す必要はない。」

この文章の末尾部分に関連させてさらにつけ加えますと、同日付の新華社は、孔祥龍の「日本が朝鮮の衛星を打つと放言しているのは「日本の夢」を切に求めている故だ」と題する文章を掲載していますが、その夢とは、①潜在的軍事大国から顕在的軍事大国になること、②地域的軍事強国から世界的軍事強国になること、③「敗戦国家」から「普通の国」になることだ、とする見解を紹介していることも、私たちとしては謙虚に耳を傾ける必要があると思います。中国側としては、朝鮮の人工衛星打ち上げよりも、それを奇貨として騒ぎ立てる米日韓特に日本の動きの方に強い警戒感をもっていることが分かります。
以上のような中国側の姿勢を分析できるだけの能力を十分に備えているはずの日本共産党が、まるで日本政府のお先棒を担ぐようなアプローチをこともあろうに中国に対して行うということ(しかも志位委員長がその先頭に立っていること)は、私はもちろんのこととして、おそらく中国側にとっても理解不能なのではないでしょうか。私が共産党/志位委員長の国際感覚をも疑わざるを得ない所以です。

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