眼を蔽う朝日新聞社説
 -「北朝鮮ミサイル 打ち上げ中止を求める」批判-

2012.03.18

*3月17日付の朝日新聞社説にはあきれ果てました。朝日新聞もついにここまで劣悪になったかと眼を蔽う惨状を呈するに至っています。なにも今に始まったことではないのですが、今回は酷すぎます。とは言え、朝日新聞がここまでおかしくなったのは、日本の「世論」状況の反映という一面があることは否定できません。ここには、「マスメディアの劣悪化→「世論」の劣化→それに迎合するマスメディアのさらなる劣悪化→「世論」のさらなる劣化」という悪循環が起こっているわけです。丸山眞男が繰り返し指摘したことですが、普遍的真理(価値)という座標軸を欠く日本の政治思想の歴史過程においては、かつての軍国主義の時代においても同じことが起こりました。「歴史に学ぶ」という姿勢をも欠くために、私たちは今またかつての過ちを繰り返そうとしています。この悪循環の無制約な果てしない循環を座視するのはあまりにも忍びがたく、ここに一言苦言を呈せざるべからす、という心境です。(3月18日記。25日に、末尾に補筆しました。)。

<国際法を何と心得ているのか>

 私が何よりもあきれ果てたのは、国際法の意味・重みに対する朝日新聞の認識・問題意識の欠落ということです。いかに原初段階にあるとは言え、国際法も国内法と同じく法なのです。この根本に関する認識が朝日新聞にはまったく欠けています。社説は次のように問いかけることでそれ以後の自らの主張をすべて正当化しています。

 「もちろん、宇宙の平和利用の権利は、どこの国にもある。だが、それを今の北朝鮮に当てはめていいだろうか。」

 前段は、表現はこれ以上にないほどに正確でない(そのこと自体に朝日新聞の意図を感じてならないのですが)ことにはとりあえず目をつぶるとしても、社説はともかく宇宙の平和利用が宇宙条約第一条(注1)という国際法で認められた朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の正当な権利であることを認めているのです(あまりにも当然すぎることなので、社説も無視するわけにはいかず、認めざるを得ないということでしょう)。
 ちなみに、宇宙条約第一条は、宇宙空間の利用は「全人類に認められる活動分野」であるとし、「すべての国がいかなる種類の差別もなく…国際法に従って、自由に…利用することができる」と言っています。つまり、宇宙利用の権利は宇宙条約に加盟しているかどうかにかかわりなく、すべての国に認められる、としているのです。しかも同条約前文では、平和利用に名を借りた軍事的行動を慎むことを諸国に要請すると同時に、いたずらに国際的な緊張を助長するような宣伝を慎むことも述べています(注2)。

(注1)宇宙条約第一条

 「月その他の天体を含む宇宙空間の探査及び利用は、すべての国の利益のために、その経済的又は科学的発展の程度にかかわりなく行われるものであり、全人類に認められる活動分野である。
 月その他の天体を含む宇宙空間は、すべての国がいかなる種類の差別もなく、平等の基礎に立ち、かつ、国際法に従って、自由に探査し及び利用することができるものとし、また、天体のすべての地域への立入りは、自由である。
 月その他の天体を含む宇宙空間における科学的調査は、自由であり、また、諸国は、この調査における国際協力を容易にし、かつ、奨励するものとする。 」(強調は浅井)

(注2)宇宙条約前文(抜粋)

「核兵器若しくは他の種類の大量破壊兵器を運ぶ物体を地球を回る軌道に乗せること又はこれらの兵器を天体に設置することを慎むように諸国に要請する1963年10月17日の国際連合総会の全会一致の採択による決議第1884号(第18回会期)を想起し、
 平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為を誘発し若しくは助長することを意図し、又はこれらを誘発し若しくは助長するおそれのある宣伝を非難する1947年11月3日の国際連合総会決議第110号(第2回会期)を考慮し、かつ、この決議が宇宙空間に適用されることを考慮し、」(強調は浅井)

社説に戻りますが、「それを今の北朝鮮に当てはめていいだろうか」という後段は本当に信じられないコトバです。国際法上の正当な権利も時と場合と主体如何で認めなくていいのだと言っているに等しいのです。
 私がたびたび指摘しますように、中央政府がない国際社会における唯一のルールを担っている(最低限の国際秩序維持のよすがとなっている)のが国際法です。その国際法上の正当な権利であっても、時と場合と主体如何では適用しなくてもいいのだとしたら、国際社会はまさに仁義なきやくざ・暴力団の暴力・実力が支配する無秩序になってしまいます。つまり、最低限の社会ですらなくなってしまうということです。社説(及び朝日新聞)の法・ルールというものに対する認識の軽さには唖然を通り越して恐怖を覚えます。
 附言すれば、私たちは同じことをイランの「原子力の平和利用」に関しても目撃しています。「原子力の平和利用」ということ自体については私はきわめて批判的・懐疑的であることは他のコラムで書いてきていることなのですが、核不拡散条約(NPT)という国際条約上はその権利はすべての加盟国に認められていることです。イランはその権利の行使を主張しているに過ぎない点で、朝鮮が宇宙条約上の権利の行使を主張しているのとまったく同じなのです。
 NPTにしても宇宙条約にしてもアメリカ主導でできたものです。ところが、米ソ冷戦終結後に唯一の超大国となったアメリカは、アメリカの言いなりにならない国々(イラン、朝鮮)を懲らしめるために、国連安保理決議を作り上げてこれら国々の国際法(国際条約)上の正当な権利行使をも縛るという身勝手な行動に出るようになっています。このようなことを「おかしい」と素直に感じる常識が通用しなくなっているのが、米ソ冷戦終結後のアメリカの一極支配に慣れきった日本「世論」であり、朝日新聞であるということなのです。
 社説の国際条約に関する恐ろしいまでの常識的理解力の欠如は、次のような主張になってきます。

 「ロケット打ち上げの技術は、大量破壊兵器を運ぶミサイルと基本的に同じである。つまり、長距離弾道ミサイルと変わらないわけだ。 これまでも北朝鮮は「衛星打ち上げ」だとして、ミサイル実験を繰り返してもきた。
 外の目をかいくぐって核開発を続ける。そういう北朝鮮に認めるわけにはいかない。打ち上げの中止を求める。」

 2006年及び2009年のケースでも、また今回の予告でも、朝鮮は一貫して「人工衛星打ち上げ」(ただし前2回は実験衛星で、今回は実用衛星の違いがある)としてきています。2006年の打ち上げのときは宇宙条約に加盟していなかったためにアメリカ以下から批判された反省に立って、2009年の打ち上げに先んじて宇宙条約に加盟したのです(既に述べたように、宇宙利用の権利は条約加盟如何に関わりない一般国際法上の権利だとしたのが宇宙条約でしたが、2006年の経験に鑑みて、朝鮮は条約に加盟したのでした。)。宇宙条約の加盟国で人工衛星を打ち上げた国は、アメリカと厳しい対立関係にあるイランを含め、これまで朝鮮が直面したような目にあった(つまり、安保理決議1718(2006)及び1874(2009)で「弾道ミサイル計画に関連するすべての活動を中止することを決定」(1718)あるいは「弾道ミサイル計画に関連するすべての活動を中止し、それとの関連で、ミサイル発射に関するモラトリアムに関する同国のこれまでの制約を回復することを決定」(1874)された)ことはありません。
 朝日新聞に言わせれば、上記社説の主張は安保理決議に沿ったものでなんら問題はないということなのでしょう。しかし、安保理決議そのものが宇宙条約を無視している点で重大な問題があるのです。ここではどうしても、私たちの間に根強い「国連信仰」を問い直さなければなりません。超大国・アメリカが圧倒的な影響力を行使するようになり、五大国協調体制のもとでの国連(特に安保理)は、国際法による「法の支配」を無視し、「正義の味方」ではなく「悪魔の使い走り」役を演じるようになってしまっているのです。しかし、いかに安保理の権限が強大であると言っても、宇宙条約(イランの場合はNPT)というもっとも基本的な国際条約が加盟国に認めた権利をも奪いあげることができるはずがありません。
「ロケット打ち上げの技術は、大量破壊兵器を運ぶミサイルと基本的に同じ」「つまり、長距離弾道ミサイルと変わらない」ことは、社説の指摘を待つまでもなく国際的常識です。しかし、その点を正しく認識するのであれば、戦力保持を禁じた日本国憲法を持つ日本が宇宙開発に乗り出し、開発の先端を他の列強と競いあってきていること自体がそもそも許されないことになるはずです。日本の場合は平和利用だから問題ない、しかし朝鮮の場合は「宇宙開発に名を借りた弾道ミサイル開発が目的だからダメだ」と言うのは、日本の場合は「原子力の平和利用」だから問題ない、しかしイランの場合は核開発の一環だから話は別、と言うのと寸分の違いもないのです。こういうのを「二枚舌」というのです。
さらに根本的なことを指摘しておきます。先端技術のほとんどがいわゆる汎用で、いかなる用途にも使えることは、宇宙条約及びNPTの作成・成立に主導権を取ったアメリカ以下がはじめから織り込み済みだった話です。軍事目的に利用されるという問題点を承知した上でなお、「原子力の平和利用」「宇宙の平和目的のための利用」の権利を加盟国に与えることがNPT及び宇宙条約の立脚点だったのです(宇宙条約がそういう認識に立脚していることは、上記の同条約前文にも明らかです。)。それは、「時と場合と主体如何で認めなくていい」権利ではないのです。「時と場合と主体如何にかかわりなく認められる」権利なのです。
アメリカの身勝手を極める恣意的な基準設定を認めてしまったら、国際社会は最低限、ナポレオン戦争後の国際社会を支配したアンシャン・レジームの時代にまで逆戻り、もっと言えば、アメリカという暴力団が支配する弱肉強食の仁義なき世界に陥ってしまいます。社説には、そういうもっとも基本的な認識が欠落しています。私の正直な問題意識として、国内「世論」にも多分にこの基本的な認識の欠如を感じています。だからこそ、朝日新聞がこのような破廉恥な主張をためらいもなく出すのです。先ほど述べた悪循環を断ち切らないと、日本の論理はますます自己中心的な、(アメリカを太陽とする)天動説的国際観に陥っていくばかりです。

<「弾道ミサイル発射」と「人工衛星打ち上げ」の異同性>

 社説は、朝鮮が「国際的な規定や慣例を守り、透明性を保証する」と述べたことについて、「国際社会の批判を和らげようとする姿勢がありありと見える」とまでは言っています。しかし、社説の狙いは、あくまでも朝鮮の打ち上げを認めないとする点にあり、そのために次のような主張を出しています。

 「だが、打ち上げは米国との合意に反するものである。北朝鮮は核実験と長距離ミサイル発射を当面しない。ウラン濃縮を一時停止する。米朝は先月、そう確認し合ったばかりだ。
 弾道ミサイル発射実験の停止は、国連安全保障理事会の決議で求められてもいる。」

 朝鮮の予告を受けてアメリカ国務省のヌランド報道官が行った定例記者会見(3月16日)では、「北朝鮮の衛星打ち上げは挑発的である」、「安保理決議1718及び1874は明確かつ曖昧さを残さない形で、北朝鮮に対して、打ち上げを含む弾道ミサイル計画関連のすべての活動を中止することを要求している。決議1874は、DPRK(注:朝鮮の英語国名の正称の簡略形)が弾道ミサイル技術を使用したいかなる打ち上げをもしないことを要求している」、「IAEA査察にかかわる(米朝)合意後にかくも早く(予告発表があったことは)、この種の衛星打ち上げは当該合意の破棄となることを当時(アメリカは)警告したので、彼らが誠実にこの合意を行ったのか疑念を呼び起こしている」、「もし彼らがこの打ち上げを進めるのであれば、その言葉に信用がおけず、国際的制約を赤裸々に破る政権と我々が一緒にやっていけるとは想像しがたいことだ」、「(米朝)合意交渉を進めている中で、我々はいかなる衛星打ち上げも取り引きをダメにするものだと考えることを明確に明らかにした。であるので、前提として(on the front end)、彼らはそのことを認識していた」などと述べました。これらの発言から明らかになるのは、アメリカ政府としては、朝鮮の衛星打ち上げも安保理決議で禁止した弾道ミサイル技術を使用した打ち上げに該当するし、米朝合意に至る交渉過程でその旨朝鮮側に明らかにしたし、朝鮮側もそのことを認識していたので、今回の合意の違反であるという立場だということです。
 以上の国務省報道官の発言を前提とするかぎりでは、社説の上記指摘には無理がないように見えます。「アメリカの責任者がここまで明言しているのだから、北朝鮮の約束違反は明らかだ」と考える向きも多いでしょう。しかし、これまでの米朝交渉の経緯を踏まえるとき、私は必ずしも「ハイ、そうですか」とは言えないのです。
 朝鮮は一貫して、人工衛星打ち上げは宇宙条約でいかなる加盟国にも認められた国家の正当な権利である、と主張してきています。その立場から安保理決議は不当で受け入れないとしてきました。いくら食料が必要だとしても、この基本的立場を崩すような約束をアメリカに行うとはきわめて考えにくいのです。この原則堅持の姿勢は、1993年以来の米朝交渉でも、また、2003年以来の6者協議でも遺憾なく発揮されてきたことです。だからこそ、モンゴル入りした宋日昊(ソンイルホ)朝日国交正常化交渉担当大使が16日(朝鮮の発表直後の時点)、記者の質問に対して「どの国にも宇宙の平和利用の権利がある」と述べ、米朝合意に抵触しないとの認識を示したのでしょう。彼は金桂冠(キム・ケグアン)第一外務次官のような対米交渉及び6者協議担当の第一人者・いわゆる実力者ではなく、それだけに問題が微妙であるならば発言に口ごもるのが普通です。そんな彼がこのように発言したことは逆に、朝鮮の基本的立場が変わっていないことを強く示唆するものだと思うのです。そういうことを考慮するとき、アメリカの高官が以上のように発言したことだけをもって朝鮮が「約束違反を犯した」と断定するのはあまりにも早計だと思います。
さらにつけ加えるならば、私は1993年以来の米朝交渉及び6者協議を丹念にフォローしてきたつもりですが、約束に違反するのは常にアメリカであって朝鮮ではなかったことをかなりの自信を持って指摘することができます。これは、朝鮮としては約束違反したらどんな手ひどいアメリカの報復・懲罰が待っているか分からないから、そんなことは間違ってもできない、という単純な事実を踏まえさえすれば、実は誰にも理解できるはずのことなのです。実際に起こってきたのは、「米朝間(6者協議で)の合意→アメリカの違反行為→朝鮮の対抗措置→アメリカによる朝鮮の違反行動非難」というプロセスです。ところが日本国内では、最初のアメリカの違反行為が伏せられ(あるいは看過され)、朝鮮の対抗措置があたかも最初の「挑発」・違反行為として認識・報道され、アメリカの朝鮮非難が当然のこととして受け入れられる、ということになってきました。
少し脇道に入ってしまいました。要するに、社説の主張は「アメリカが言っていることはすべて正しく、朝鮮が言うことはすべてでたらめ」とする先入主に囚われたものです。国内「世論」もこのような偏見に囚われているので、社説の言い分をそのまま受け入れてしまう素地があるのです。だからこそ、私としては念入りに社説の言っていることの重大な問題点を指摘しておく必要を感じるのです。「人工衛星打ち上げは弾道ミサイル発射と同じかどうか」に関しては、米朝間には認識上の重大な齟齬がある、食糧供給に関する米朝合意はこの齟齬を解決するに至っていない、と思います。
ですから、「打ち上げは米国との合意に反するもの」と決めつける社説の主張は速断に過ぎます。それは、朝鮮の原則的立場を無視するものであるし、そもそも宇宙条約の基本を踏まえたものでもないという点で、根本的な瑕疵があるのです。

(補足)
 3月23日の朝鮮外務省スポークスマン談話は、「平和的衛星の打ち上げは、2.29朝米合意とは別の問題である。われわれはすでに、3回の朝米高位級会談で終始一貫、衛星の打ち上げは長距離ミサイルの発射に含まれないということを明確にした。」と述べています。これは、3月16日のヌランド米国務省報道官の上記発言内容と真っ向から矛盾するものであり、私の問題提起が見当外れではないことを物語るものだと思います。

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