私たちの「核意識」のあり方に関する疑問

2012.02.19

*丸山眞男が鶴見俊輔らを聞き手として行った質疑(1984年10月6日及び1985年6月2日)を収録した『自由について -七つの問答-』(2005年7月出版)を読んでいて、おそらく何気なしに丸山が述べている箇所に引っかかりを感じました。それは、次のくだりです。

 「よく言われますように、有機的エネルギーにナポレオン戦争も依存していたわけですよ。ハンニバルのアルプス越えの時間とね、ナポレオンのアルプス越えに要した時間とは、おんなじなんですよ。ところがね、第一次産業革命になってはじめて無機的エネルギーに依存するようになったわけでしょ。そして、それが蒸気、電気、原子力になり、今日まで来ているわけでしょ。無機的エネルギーを利用するようになると、人間の自然に対する支配力というのが、飛躍的に拡大した。」(p.82 強調は浅井)

 以上のくだりは、丸山が経済学を社会科学とすることに偉大な貢献を行ったマルクスを高く評価する中で言及したものです。丸山は、人類史におけるテクノロジー(より一般的には科学技術)の巨大な役割を強調する際、ハンニバルのアルプス越え(BC218年)とナポレオンのそれ(1797年)を例に挙げるのが常でしたが、私が今回特に「引っかかり」を感じたのは、「蒸気、電気、原子力」と並べてあげていること、そして、原子力を含む無機的エネルギーの利用を「人間の自然に対する支配力」の「飛躍的拡大」として位置づけていることでした。
 気になってこれまでの丸山の発言を振り返ってみると、原子力のこのような位置づけ方は、早くも1952年3月の「政治の世界」(集⑤ 「産業革命から原子力の解放に到るいわゆる生産力および交通手段の巨大な発達」)、1953年12月の「現代文明と政治の動向」(集⑥ 「蒸気力の利用をみ、ひいては原子力の解放に至るこの巨大なテクノロジーの進歩」)においても表明されていることで、丸山の認識には変化がないことが確認されます。逆に言うと、今の段階で私が以上のような引っかかりを感じたということは、私の問題意識に何等かの変化が起きた結果なのではないか、ということです。
 もやもやした気持ちにこだわって考えてみたところ、「福島原発の事態に触発された人々の問題関心がなぜ原発の是非だけにとどまり、広島・長崎への原爆投下ひいては核兵器・核抑止力・日米核軍事同盟の問題にまで行き着かないのか」という疑問が最近私の中で膨らんでいることと関係があるということに行き当たりました。今書いている最中に、「考・震災 -沖縄・福島-」というテーマをTBSの番組が扱っていることに気がつきました。沖縄の米軍基地問題と福島原発を結びつけた視点の提起は一歩前進であることは間違いありませんが、単純な被害と加害の視点にとどまっている点で、やはり私のもやもやの所在とは違うのです。そこで、私の問題意識・疑問を提起してみたいと思います(2月19日記)。

<私の問題意識・疑問>

 私はこれまで、広島・長崎が国民的(ひいては人類的)な「歴史の負の遺産」としてアウシュビッツと同じ位置を占めるに至っていないのはなぜなのか、という視点から問題を考えてきたと思います。その原因を広島及び日本の戦後史の中に探ろうとしたのが拙著『ヒロシマと広島』の大きなテーマの一つでした。結論からいえば、原爆投下という歴史的体験が、広島においては「被爆体験」という次元に留まり、そして、日米軍事同盟先にありきの国策のもとで、広島・長崎が局地的出来事として封じ込められてきた日本の戦後史が私たちの核意識を全的に育むことを妨げてきたというのが私の理解です。ですから、福島原発の事態が起きても、広島が国民的に真剣に想起されることはないし、広島側から説得力ある発信ができないわけです。
 そのように理解はいちおうできるのですが、しかし、それにしても「福島=広島・長崎」、「原発=核兵器」という直結的理解が阻まれるのはなぜなのか、というもやもやが私には残るし、3.11以来の1年弱の内外の議論の所在を見てきて、もやもや感が膨らんでくるだけだったのです。そういう中で冒頭の丸山の発言に出会ったというわけです。

<丸山の発言から得たヒント>

 丸山の以上の発言は、原子力(核エネルギー)を蒸気、電気と同じ次元(レベル)で捉えているのです。つまりそのことは、原子力(核エネルギー)が人類史の進歩にとって肯定的な要素であるということを暗黙の前提にしているし、「原子力の平和利用」の可能性をア・プリオリに承認しているということです。
 しかし、私が拙著の中でも簡単に紹介しましたように、「原子力の平和利用」という概念は、「核=キノコ雲」というイメージを払拭するためにアメリカが世界規模で推進した政策的に押し広めたものであり、決して自明なものではありません。むしろ、放射能を内在する原子力(核エネルギー)は、人類の意味ある存続そのものを脅かす危険性を持っています。蒸気、電気と同列において論じうるものではないのです。
 確かに、丸山が当初発言した1950年代前半は「原子力平和利用」神話が花盛りのときでした(1984年当時も状況が基本的に変わっていたわけではありません。)から、丸山も判断力を曇らされていたことが考えられます。核兵器の登場によって戦争概念そのものがもはや有意ではなくなったことを喝破し、憲法第9条の人類史的・先駆的意義を強調して止まなかった「あの丸山にしてもなお」ということであれば、「まして多くの人々においておや」ということなのです。
 私自身は、「原子力平和利用」は神話にすぎず、「人類は核(核兵器だけではなく、核そのもの)と共存できない」という認識ですし、その認識を丸山の読み直しを始める前に既にはっきり持っていたはずなのですが、それでも読み過ごしていたということは、「原子力平和利用」神話は意識下の私をも縛るだけの恐ろしいまでの魔術的力を及ぼし続けているということなのでしょう。

 少し考えてみれば、私たちは日本語表現の魔術によって思考を縛られていることが分かります。英語ではnuclear energyなのに、それに対応する日本語は「原子力」と「核エネルギー」との二つがあります。そして、日本が1950年代以来推進してきたのは「原子力の平和利用」であるのに対して、例えば今イランが推し進めようとしていることは「核開発」として危険視することが当たり前になっているのです。しかし、元々をいえば、nuclear energyに二つの判然と区別される性質が内在しているわけではありません。その点を踏まえれば、「福島=広島」、「原発=核兵器」という直線的理解を我がものにすることはなんら難しいことではないことが理解されるのではないでしょうか。

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