新年のご挨拶

2012.01.01

あけましておめでとうございます。2011年3月をもって仕事人生に終止符を打ち、「余生」を過ごすようになって早くも1年が過ぎようとしています。元々は、この転換点をもってこのHPに終止符を打とうかなとも考えておりましたが、国内では東日本大震災と福島第一原発の事態に直面し、国際面では中近東・北アフリカ諸国の激動を目の当たりにして、やはり思うところを書かずにおられず、ついつい長居をしてきました。それでも、まだこのHPを訪れてくださる方がいるので、結構励みになっています。何か書かざるを得ない気持ちになるのは往々にして問題意識をかき立てられる時ですので、そういうことがあまり頻繁には起こってほしくない気持ちは強いのですが、ボチボチやっていきたいと思います。ということで、本年もよろしくお願いいたします。

 私が昨年4月以来時間さえあれば取り組んでいるのは、前にも書きましたが、私が拙著『ヒロシマと広島』で展開してみた平和論を枠組みとして、丸山眞男の書いたもの、発言したものを抜き出してみるという作業です。『丸山眞男集』については昨年の夏までに作業が終わり、その後は『丸山眞男手帖』に取り組んできたのですが、昨年10月からは広島市立大学大学院での非常勤講師を勤めたこともあって、作業が滞りがちでした。冬休みに入ってから作業を再開して、これまでに発行されたものの半分以上について抜き書き作業が終わりました。『手帖』には、『集』にはあまり収められていない丸山の晩年期の発言が数多く収められており、米ソ冷戦終了後の国際情勢及びそれに対する日本国内の動向についての丸山の認識を窺うのに豊富な手がかりを与えているというのが、私の初歩的な印象です。手前味噌になりますが、丸山の認識は、中国問題を除けば、私の問題意識と大幅に重なるもので、私としては「我が意を得たり」と膝を打つ感じで読み進めています。国際関係ではアメリカの「一極支配」の異常性、国内に関しては昭和天皇死去前後からの日本社会の異様性の高まりについて丸山が深刻な問題意識を暖めていった様子が強く窺われます。丸山が東日本大震災及び福島第一原発の事態以後の日本社会の「絆」強調の動きを目撃していたならば、どのような発言をしただろうかということが容易に推察できるのです。人権・デモクラシーが一向に定着しない日本社会に対する丸山の絶望感に近い感慨が吐露されているものもあります。そして、人権・デモクラシーが私たちの中に構造化されることを妨げている根本的な原因として、丸山が他者感覚、自己内対話の欠落を強く意識していたことも明らかだと思います(そう言えば、元旦の朝日新聞が「カオスの深淵」というタイトルのもと、大分県姫島について「民主主義を問い返す島」、AKB前田敦子に即して「私が選ばれて背負うもの」と題して、日本における「民主主義」を問い直すかの如き記事を一面右上で大きく取り上げていますが、朝日新聞のデモクラシーに関する認識水準の低さを露呈するもので、反面教師として一読の価値があります)。

 『手帖』に収められている丸山の発言において今ひとつ私が大きな関心を覚えたのは、その社会主義に関する認識です。「ソ連崩壊=社会主義破産」とする通俗的な理解に対して、丸山は極めて厳しい批判を行っており、社会主義こそがデモクラシー(丸山は「デモクラシー」と「民主主義」とをほぼ同義に扱っており、その点については私は留保せざるを得ないのですが)と親和性(丸山はそういう表現ではないのですが)があるという認識を表明していることです。例えば次のような発言があります。

 本来、言葉からいうと一九世紀の終わりまでは民主主義と社会主義という言葉は同義なんです。むしろ、自由民主主義、リベラル・デモクラシーという言葉は、非常に後からできた。立憲主義が社会主義の勃興に直面して、ウェルフェア・ステート、福祉国家の原理を取り入れた後にはじめて自由民主主義、リベラル・デモクラシーという言葉ができたのです。
 冷戦で忘れられてしまったのですね。冷戦でアメリカとソ連の対立になっちゃったでしょう。そこで、今度はナチに対して用いられていた全体主義という言葉を、ソ連に対して用いるわけです。その場合の民主主義というのは、西側の民主主義です。西側の民主主義対全体主義。全体主義の中に共産主義体制はみんな入ってしまったのです。これは歴史的にいうと違うのですね、実際は。民主主義と社会主義が同義だった、むしろ。それがそうではなくなったというのは、やはりロシア革命なのです。だから、ロシア革命は歴史に残る偉大な成果なんだけれども、歴史の皮肉なんですね。いちばん立憲主義の伝統、自由主義の伝統、民主主義の伝統がなかったところに社会主義が行われた、そういう意味で。
 …本当は違うのだけれど、プロレタリアートの独裁イコール共産党独裁。共産党独裁イコールスターリンの独裁。こういうふうに全部等式になってしまった。プロレタリアート独裁そのものは僕は多義的だと思うけれど、共産党独裁と同視されたというのはソビエトなんです、レーニンなんです。…
 いかに資本主義が古典的資本主義と違っているか。つまり、労働者階級の運動とか社会主義運動があって、資本主義がものすごく変貌したんです。社会主義は学んでいないの、資本主義から。逆に資本主義は学び過ぎるほど学んじゃって、自分を変えたわけです。‥しかし、それでも僕は問題が残ると思いますね。
 というのは、第一、社会保障というのは資本の原理からは出てこないわけです。設けることを動機とするという生産の考えから、どうして社会保障をする必要があるのですか。あれは全部、労働者階級の運動を抑えるという動機で出てきた。資本家が、ブルジョアジーが、善意で社会保障をやったのでも何でもないんです。社会保障政策を-揺りかごから墓場まで-先進資本主義国でやっている。それは余裕があるということもありますけれど、実は社会主義から学んでいる。社会主義になると困るから、ということなんですね。‥それでもって資本主義が問題ないかというと、やはり利潤原理に立っている以上、生産というのは、要するに利潤のあるところ、儲かれば生産する。いまでも不必要な生産はものすごく多いんです、どこの国でも。社会的に必要がなのに生産されるものが、ものすごく多い。購買力さえあれば、生産されるわけです。  資本主義の受給供給関係-需要というのは社会的必要ではないのです、購買力のある需要なのです。これを持っているものの需要なんです。…
 世界的に見たら資本主義ですから、何十万人の幼児が一方では餓死している。他方では、余剰米を焼いているわけです。それは資本主義原理だからです。こんな矛盾はないじゃないですか。どうしてその余った米を飢えている子供にやれないのですか。これは資本主義だから、やれないんです。こういう体制がどうしていいと言えますか。僕は根本的な矛盾をはらんでいると思いますね。‥原理的に考えてご覧なさい。利潤原理と市場原理だけで、OKなのか。」(手帖33 「中国人留学生の質問に答える(下)」1989.6.26)

 「社会主義といわれると、広い意味では賛成でしたね。それは今でもそうです。だから、このごろ腹が立ってしょうがない、社会主義崩壊とかいわれると。
 「どこが資本主義万万歳なのか」ってね‥。日本というのはひどいね、極端で。二重三重のおかしさですね。第一にソ連的共産主義だけが社会主義じゃないということ。第二にマルクス・レーニン主義は社会主義思想のうちの一つだということ、それからたとえマルクス・レーニン主義が正しいとしても、それを基準にしてソ連の現実を批判できるわけでしょ、それもしていない。ソ連や東欧の現実が崩壊したことが、即、マルクス・レーニン主義全部がダメになったということ、それから今度はそれとも違う社会主義まで全部ダメになったことっていう短絡ぶり、ひどいな。日本だけですよ、こんなの。」(集⑮ 「同人結成のころのこぼれ話」1992.6.)

 丸山の社会主義(及び資本主義)に関する認識は、私が『ヒロシマと広島』で示した認識と共通するものです。今年のコラムでは、人類史の方向性を考えるという視点に立って、この問題についても注意を向けていきたいと思います。やはり、今の私たちに必要なことは、様々な問題について批判するだけではなく、日本、世界そして人類にとっての確かな進路を見極めることにあると思うからです。人類史の方向性について確信を持ちながら、この1年を希望を失わずに過ごしていきたいと思います。

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