東アジアの平和と安定の攪乱者は?

2011.12.22

*金正日死去が東アジアの平和・非核化にとってどんな意味があるのか、という私にとっては突拍子もない質問に接しましたが、「北朝鮮脅威論」が頭のなかにインプットされている多くの人にとってはそういう形で問題を捉えることは大いにあり得ることだと考え直し、簡単な反応を送りました。その往復を何らご参考までに掲載しておきます(12月22日記)。

<質問>

昨日、北朝鮮の金正日氏の死亡が報道されました。日本の平和運動にとっては、北朝鮮脅威論が日本の軍拡や日米の軍事的連携強化の口実に使われるなど、やっかいな存在でもありました。
私は、ものごとがいい方向にいくように願っています。そこで、金総書記の死亡は、東アジアの平和・非核化を願う人々にとってどんな意味があるのか、どうみたらいいのかについてコメントをいただけないでしょうか。
もちろん、民衆が立ち上がったわけではありませんから、アラブのように劇的な変化があるとは思えませんが…

<私の反応>

 ご来意を忖度しますと、金正日の存在自体が東アジアの平和・非核化にとって障害だった、という前提の上にお話になっているように受けとめられます(日本の平和運動にとっても)が、私は基本的にそういう見方に立たないのです。(1994年に)政権について以後の十数年間に限っていえば、金正日はいわばアメリカから仕掛けられた様々なジャブ攻勢に対して必死に受け身でしのいできたというのが正確なところだと私は受けとめています。
東アジアの平和・非核化を願う人々が直視するべきは、総合力(軍事力はその一部に過ぎない)ではもはや世界を牛耳る力がなくなったのにもかかわらず、相も変わらず世界の盟主気取りで仕切ろうとするアメリカの世界政策(核政策を含む)にこそ問題の元凶があるということだと思います。金正日の死という事実はこの状況に何の影響も与えるものではありません。

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