金正日総書記の死と朝鮮半島情勢

2011.12.20

*朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」)の最高指導者である金正日総書記・国防委員長(以下「金正日」)が12月17日に死去したという報道に接して、日本のマス・メディアは例によって例のとおりの過剰報道で大騒ぎしています。私は自らの健康管理に通い始めたジムで歩いている最中に速報を見たのですが、普段は「堅い」話は耳に入ってこないジムで、「キムジョンイルが亡くなったそうだね」という会話が聞こえてきたことからも、マス・メディアがそういう人々の好奇心を満足させるために過剰報道に走るのは頷けないことではありません。
 国際関係に関心がある私自身にとっての大きなポイントは、一国の外交におけるもっとも重要な要素は予測可能性ということです。そういう観点から金正日死去及び金正恩継承の意味することを考えておきたいと思います(12月20日記)。

1. 金正日外交の分かりやすさと予測可能性

金正日(私より1年遅れで生まれたということで、ある種の親近感を覚えてきました。)は、金日成総合大学卒業後直ちに活動を開始し、73年9月(31歳)に党中央委員会書記、74年2月(32歳)に党中央委員会政治委員、80年10月(38歳)に党政治局常務委員、党中央軍事委員会委員という経歴を経て、94年7月(52歳)の金日成死去とともに朝鮮の最高指導者の地位に就いたという経歴を確認すれば明らかなように、十分な政治的訓練期間を経た上で最高指導者になっています。もちろん、そのようなキャリアがあるからと言って、金正日の政治能力が自動的に保証されるものではありません。朝鮮問題の専門家でもない私にとって、1994年7月当時の金正日はあくまでも未知の、したがって予測可能性という点から言えば「判断しようがない」政治指導者でした。
しかし、そんな私にとって1994年10月の核問題に関する米朝枠組み合意の成立、なかんずくその内容(相互不信関係にある米朝両国が「行動対行動」原則を編み出し、相互の行動の積み上げ方式によって最終合意を目指し、その過程において相互不信そのものを克服していくことを意図するもので、伝統的な国際合意とはスタイル・内容ともに一線を画する極めてユニークなもの。このような合意を超大国・アメリカとの間に締結まで持ち込むということは、金正日の優れた政治能力を抜きにしては考えられません。ちなみに、この「行動対行動」原則は、その後の6カ国協議における2005年9月のいわゆる9.19合意でも採用されました。)は金正日の政治能力の高さを認識させるものでした。これほどの高い外交能力を発揮できるとなれば、それまでの30年間の政治訓練期間が金正日にとって極めて重要かつ積極的な意味を持っていたのだということを確認することができるということにもなります。
その後、2003年から開始されたいわゆる6カ国協議においても、日本国内のマス・メディアの報道しか接しない人たちには理解不能だと思いますが、この協議の推移には細心の注意を払ってきた私にとっては、朝鮮の協議に臨む姿勢・方針は実に一貫したものであり、それは取りも直さず、金正日外交の予測可能性に関する私の確信を高めずにはおかないものでした。バッサリもの申すことを許していただきますが、6カ国協議を迷走させ、今の膠着状態を生んだ最大の責任は、朝鮮ではなくアメリカ側にあることは間違いありません(9.19合意直後に朝鮮によるマネー・ロンダリング問題を持ち出すなどの行動をとって、朝鮮を核実験に追い込んだブッシュ政権だけでなく、就任早々のプラハ演説で朝鮮を難詰し、朝鮮問題に高い優先順位を与えてこなかったオバマ政権も、結局朝鮮をさらなる核開発推進に追いやった点で、私にいわせれば同等の責任があります。)。そして、9.19合意の実現の障害物として働いてきたのが、いわゆる「拉致」問題を持ち出して合意履行を頑なに拒んできた日本であったことも忘れてはなりません。
私のこのような見方は極端すぎると思われる方には、是非とも『金大中自伝』の精読をお薦めします。金大中が金正日に与えている位置づけ、評価は、基本的に私のそれと一致していると思うからです。
もちろん念のために附け加えておきますが、以上のことは国内問題に関する金正日政権の政治責任を解消するものではありませんし、金正恩政権は金正日政権発足当時以上の国内的難題に直面するという困難な船出を強いられていることはしっかり押さえておく必要があるでしょう。

2. 金正恩政権について考えること

私の金正恩政権に対する見方は、1994年7月当時に金正日政権に対して抱いていたものと基本的に変わるところはありません。要するに、朝鮮問題の専門家でもない私には判断材料が何もなく、したがって評価しようがない、ということです。
楽観材料はありませんが、懸念材料はあります。その最大なものは、金正恩の政治的訓練期間が金正日のそれと比較する時明らかに不足しているのではないか、という点です。仮に金正恩の政治能力が優れたものであるとしても、政治的未経験のままで果たして政治の重責を担えるのかということが最大の懸念材料だと思います。
金正恩のこれまでの政治的経歴については、昨年9月(30歳になる前)に党中央軍事委員会副委員長になるまではよく分かっていないわけですが、金正日が党中央委員会書記になった(29歳)のと比較すれば、そのこと自体には問題があるわけではないでしょう。しかし、金正日が書記になった時に父親の金日成は60歳だったのに対し、金正恩が副委員長になった時に金正日はすでに68歳でした。つまり、金正日が金正恩を政治の第一線に立たせ、現実政治の荒波で鍛錬させるのが遅すぎたということになります。しかし、このことも、金日成にとっては早くから嫡男である金正日を後継者として目をかけることが可能だったのに対して、金正日にとっては三男の金正恩を後継者に定めるまで時間がかからざるを得なかったという事情を考えれば、不可抗力だったというほかないでしょう。対米関係打開、2012年の強勢大国実現に執心を見せていた金正日にとっては、この二大課題にメドをつけた上で金正恩にバトン・タッチという筋道を考えていただろうことは想像に難くありませんし、そういう意味では朝鮮にとって思いがけない不幸だったということになります。世襲制にこだわることの朝鮮にとっての最大のツケはこういうところに現れる、ということでしょうか。
私たちとしては、金正恩政権が今後の外交において取るであろう具体的行動を待って判断材料を得るのを待つ以外にないと思います。ただしこの点でも、状況は必ずしも芳しいとは考えにくいものがあります。それは、朝鮮外交の主要な相手であるアメリカ、中国、韓国さらにはロシアが2012年の政権交代期を迎えていて(首相さらには外相までがいわゆる青バッヂをつけて思考停止を露呈している民主党政権の日本には外交当事者能力そのものがありません。)、朝鮮との間で思いきった外交行動をとりにくいという事情があるからです。逆にいえば、金正恩政権にとっては外交上の「ならし」期間が与えられるということです。ということは、困難な内政・経済問題に全力を傾注することができるということでもあります。金正恩政権の「品定め」をするための判断材料は、金正日時代とは異なり、外交面よりも内政・経済面からヨリ多くの手がかりが求められることになるのかもしれません。
そうなりますと、朝鮮問題専門家の諸氏に多くを期待することになります。率直に言って、私自身が中国の内政問題に関していわゆる中国問題専門家の言説に接してきた体験からいいますと、果たして朝鮮問題専門家の言説に楽観していていいのかまったく確信が持てません。やはりここでも他力本願ではなく、私たち自身ができる限り多くの朝鮮側の文献に直接当たることを心掛け、自らの分析・判断能力を養うことが肝心だと思います。

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