「絆」再考

2011.11.20

*最近(というより東日本大震災以後)誰彼となく、なにかといえばすぐ「絆」という言葉が口をついて出る風潮に、私は正直とてもいたたまれない、形容しがたいほどに居場所が悪い、そんな感じを味わわされています。
私は以前このコラムで、東日本大震災・福島第一原発の事態という未曾有の厄災という危機は、明治維新、第二次世界大戦敗北時に匹敵する、日本の真の開国(日本において個人の自立、つまり私たち一人ひとりが「個」を我がものにする基盤の上に人権・デモクラシーを確立することによって生まれ変わること)の好機でもあり、是非そうしなければいけない、という趣旨の発言をしたことがあります。そういう私の見方からすると、「絆」強調一色の今日に至る事態は、この国を旧態依然とした状態のままにおこうとする巨大な意志の働き(有り体に言えば、戦前の価値観に執着する政官財学プラスマスコミ・ジャーナリズムの権力機構の自己保全のための必死の反動攻勢)にほかならないのです。
広島を引き上げてから、ますます劣化する一方の日本政治(国際政治もそうですが)に、正直真っ向から向き合う気力も失せ勝ちになる一方の私がいますが、この「絆」の問題については、どうしても一言しておかなければ気持ちが収まらなくなりました。私は、今年度に限って、広島平和研究所所長の後任が決まらないため、広島市立大学大学院の「国際関係と平和」という講座を非常勤で担当しています。そこでは、『丸山眞男集』から、丸山の普遍的価値(人間の尊厳、人権・デモクラシー)、「国家」と「ナショナリズム」、「国際社会」と「平和・戦争」にかかわる発言部分を抜き書きしたもの(私の「丸山眞男の原爆体験と平和関連思想」という人生最終のテーマを扱う上での前提となる作業の第一歩)をテキストに使っているのですが、その中で院生相手に話している中で、「絆」問題に関しても問題意識が膨らんできた、という背景もあります(11月20日記)。

1.「絆」自体の価値中立性の確認

まず、このコラムを読んで下さる方が私にとって不本意な批判・反発の気持ちを抱かれることになりかねませんので、最初に「絆」という言葉自身について断っておきたいと思います。
私は、「絆」という言葉自体に特定の価値観が込められているとは考えていません。「個」が確立している個人(国家の主権者)によって構成されている国・社会であるならば、そういう個人が、危機・厄災に際して、相互に連帯して事に当たるという意味での「絆を強める」ということでしたら、それは明らかに肯定されて然るべきです。英語で言えば'bond'という言葉がそれに当たるのでしょうか。ただし、「個」が確立しているということは、当然に他者の「個」を自らの「個」と同じように尊重するという自覚・認識を伴うはずですから、危機・厄災に際しては「連帯して事に当たる」ということは、本来むしろ当然なことで、ことさらに強調するまでもないことであるはずです。
しかし、「個」の確立を早くから成し遂げた欧米先進国では、経済領域では同時的に「個人の尊厳の尊重」とは背反する利潤を最優先する(その極めつきが市場至上主義の新自由主義です。)資本主義が無制限な自己主張を行ってきた(北欧諸国などの例外はありますが。)ことによって、普遍的価値を根本的価値判断基準及び政策の立案・実施・検証に当たっての基準(モノサシ)として据えることが長く懈怠され、その結果、「他者を尊重することを当然の前提とする自由」という理解がおろそかにされ、歪曲されるという事態が進行してきたのです。東日本大震災に際して「日本人の規律正しい行動」に対する世界的な賞讃(ただし、各国特派員の報道によって喧伝されたものですが。)が起こったのも、自らにおける普遍的価値と利潤動機最優先の資本主義との間の本質的矛盾の結果として招致された「自由」意識の歪曲に対する自己反省が、日本人の規律正しさ(実は、それは、「個」の確立を前提とした個々人間の連帯の発露ではなく、私が前に指摘したように、「人目を気にした」自己保全行動に過ぎない。)を「麗しく誤解した」結果でした。
ウォール・ストリート占拠に端を発するアメリカにおける新しい運動は、正にこの本質的矛盾に対する資本主義総本家における最初の本格的異議申し立てとして、私は非常に注目しています。極めて限られた新聞報道によると、ここでは全員参加の直接民主が行われているとのことであり、全員が納得するまで徹底した議論が行われる形で運動の運営が図られているらしく、日本的な「絆」が強調されるようには見受けられません。「腐っても鯛」ではありませんが、やはりアメリカにおいては、「個」を前提とするデモクラシーのあり方を模索する動きが、こういう時にこそ、それこそ「先祖返り」として起こっているのかもしれないということは、この運動が今後どうなるかという問題とは別に、極めて参考になる事例(ケース・スタディの対象)だと思います。
脱線ついでに附け加えれば、私も今なお注目して見ている中東・アラブ諸国の「民主化」を要求する人々の運動・動きには、別の意味で注目したいことがいろいろ出てきています。一つは、運動の核的存在として、エジプト、リビア、チュニジアなどにおいてイスラム同胞団系が台頭しているという報道が増えていることです。もう一つは、イスラム系勢力の台頭を警戒する西側諸国の公然のてこ入れあるいは暗黙の了解のもとに、既成権力の流れを汲む勢力(エジプトでは軍)が政治をコントロールしようとする動きを強めていることです。ここでも、日本におけるような「絆」強調の流れとは無縁の動きが進んでいることをいろいろな意味で無視することはできないと思います。
閑話休題。話を元に戻します。「個」が確立していない日本でしきりに「絆」が強調される風潮は、人権・民主(デモクラシー)を確立することが人類史の進歩の歴史的潮流という観点から見るとき、日本という国・社会においてどういう意味をもっているのでしょうか。
このような風潮は、私にいわせれば、一人ひとりの人間の中に「個」が確立していない日本においては、一方においては、伝統的な「お上」(自らが所属する伝統的な地域共同体を含む。)依存体質を温存させ、他方においては、「お上」が実は何事も為し得ない(しようとしない)ことに対して個々人が当然に暖めずにはすまない自らの権利実現(自らの人間としての尊厳の確保・保全)要求の潜在的エネルギー(それこそが一人ひとりが「個」を内発的に我がものにしていく契機として働く要素)を、「みんな一緒なのだから、みんなで仲良く我慢しよう」という伝統的な「絆」意識の中に埋没させてしまう、という二重の意味において、この国における真の人権・デモクラシーの実現の可能性の芽を枯らせるものにほかなりません。「絆」が強調されればされるほど、そして人々がこの言葉によって問題意識をマヒさせられればそれだけますます、日本という国・社会は精神的開国の歴史的チャンスを生かせられない、ということになるのです。そして、現実は正にそういう流れが加速しているということです。

2.他の東アジア諸国と日本との違いを生んだもの

 東アジア諸国の多くでは、明らかに普遍的価値(人間の尊厳、人権・民主(デモクラシー))を我がものにする前提となる「個」の確立過程が行われてきています。それは、東アジア諸国におけるナショナリズム形成・発展・展開の歴史と密接に結びついています。ここでも私は丸山から多くを学びました。つまり、東アジア諸国における近代的ナショナリズムは、帝国主義支配に対する抵抗・独立獲得の運動として発展して来たわけですが、この運動は各国人民の自覚的、つまり「個」を確立する過程そのものでもあった、支持・参加を不可分の構成要素としていたということです。しかもその過程においては、ホー・チミンの言葉でいみじくも表されているように、西欧起源の自由を我がものにする「学び」が行われていたということもありました。つまり、「個」の確立が、西欧におけるとは別の歴史的過程の中で行われてきているのです。もちろん、東アジア諸国にはそれぞれの独自の歴史的・文化的・イデオロギー(宗教を含む。)的環境があり、それが各国・地域における「個」のあり方・とらえ方に独自性を与えていることは当然です。そうであるからこそ、まずはヴェトナム、次いで韓国、フィリピン、台湾、タイ、マレイシア、インドネシア等々、陸続と着実な自国の顔をもった民主化が進行してきたことが理解できるのです。今や、ミャンマーもその隊列に加わろうとしています。
 それに対して日本ではどうだったでしょうか。この国のナショナリズムは、丸山が指摘するように、欧米列強の侵略・植民地支配に対抗するという内容において、東アジア諸国のナショナリズムと共通の要素ももっていたことは確かです。むしろ日本はアジア諸国における近代的ナショナリズムの先頭に立っていました。明治維新はその成果という要素をもっていることは否定できないことです。しかし、日本の不幸は、ナショナリズムが天皇制を御輿に担いだ権力によって独占されてしまい、人民は「臣民」としてそれへの隷従を強いられ、江戸時代に強固に植えつけられた卑屈な「お上」意識は温存・強化され、人民・大衆の鬱憤のはけ口として、これまた権力が推し進めることになった対外拡張政策が利用されたということです。丸山の指摘に従って私流にいうならば、対外拡張主義に人民を駆り立てるという意味合いにおけるナショナリズムという性格においては、日本のナショナリズムは欧米諸国のそれと一体化してしまったのです。アジア・ナショナリズムの原型にこだわっていたならば、日本は近隣アジア諸国の民族的な解放・独立を支持してこそ自己を貫徹したはずです(それこそが真の互いの「個」を尊重する基盤に立った連帯でしょう。)。しかし、アジア・ナショナリズムに背を向け、むしろそれに襲いかかる方向に突き進んだ日本のナショナリズムは、普遍的価値によって自らの行動を検証するという自己規制のメカニズムを持ちえなかった(普遍的価値と国家的利害(国益)との相互矛盾を明確に認識しつつ行動する「国家理性」を、戦前の日本はかつて我がものにしたことがなかった。)ために、結局広島・長崎に対する原爆投下とソ連の対日参戦という外部からの強制的ブレ-キがかかるまでは暴走を止めることはできなかったというわけです。

3.今日における問題

 日本の不幸は戦後もなお今日に至るまで続いています。
第二次世界大戦における敗北はすでに述べたように、日本人である私たちが「個」を確立する(精神的に開国する)またとないチャンスでした。しかし、そのためのあらゆる手がかりを提供する日本国憲法は戦後保守政治によって一貫して敵視され、邪魔者扱いされてきたし、何よりも独立回復の引き替えに押しつけられた日米安保条約、つまりサンフランシスコ体制の確立によって屋台骨を揺るがされることになってしまいました。今や、日米軍事同盟を前提にして憲法を変えようとする動きが進行していることは、日米安保の平和憲法に対する優越の強まりという戦後60余年の帰結であることは改めて言うまでもありません。いずれにせよ、日本の民主化から日本を反共の防波堤にするという180度の政策転換を行ったアメリカの対日占領政策の後遺症は今日に至るまで、私たちが「個」を確立することを妨げる外部的要素として強靱に作用し続けています。
しかし、問題はそれだけではありません。これも丸山が早くから指摘したように、私たちの側にも重大な問題がいくつか存在し、私たちが自覚的に「個」を確立することを内側から妨げてきました。
もっとも重大な要素として私が丸山の指摘に共感を覚えたのは、日本人の多くの間に強い「国家」「ナショナリズム」に対する拒否反応の災いということです。「臣民」として、被支配者としてもっぱら天皇制国家に服従せしめられ、権力が推し進めた官制ナショナリズムに盲目的に付き従われてきた私たちの多くは、敗戦と同時に、よるべきよすがを一気に喪失し、精神的空白状態に追い込まれました。その時に、他のアジア諸国におけるように「個」の確立を促す契機を少しでも内在的に育んでいたならば、そもそも精神的空白ということはなかったでしょうが、事実はそうではありませんでした。多くの国民が実感として切実に感じたのは、自分たちを塗炭の苦しみを味わわした「国家」「ナショナリズム」なるものに対する「コリゴリ感」であり、これをうさんくさいものとして遠ざける心の働きでした。
これは決して戦後間もなくの間だけに限って当てはまることではありません。今日における日本のいわゆる市民運動の多くに私が強く感じてならないのは、「国家」「ナショナリズム」とは無縁なものとして自らを規定せずにはすまない心の働きが強いことです。市民運動だけではありません。私が今年の3月までお話しに伺う機会が結構あった「9条の会」を始めとするいわゆる護憲派や民主的な組織・運動に参加する人々の間でも、「国家」「ナショナリズム」という言葉そのものに違和感を強く感じる人が少なくないのです。
しかし、丸山が繰り返し指摘したように、人権・民主(デモクラシー)の歴史は近代国家・ナショナリズムの形成・発展の歴史と不可分であり、国家・ナショナリズムを抜きに人権・民主(デモクラシー)を語ることは無意味です。もちろん私は、人間の尊厳及び人権・民主(デモクラシー)の世界的規模での実現こそが人類史的目標であるべきであるという確信を持っています。しかし、この目標に至る過程においては、私たちは国家という要素を抜きにして物事を考えることはできないわけです。国家が歴史的舞台において存在し、機能し続ける限り、私たちは、自らが所属する(国民として存在する)日本という国家のありようについて考えなければなりません。それこそが、私たち一人ひとりが「ナショナリズムの中身を規定し、我がものにする」ということです。
実は、こういうことは日本以外の国々においては当たり前のことなのです。国家・ナショナリズムを抜きにして物事を考えることに抵抗を感じる人々が多数を占めるなどという国は、世界広しといえども日本ぐらいだと思います。それだけ、敗戦に伴って生まれた日本人の「国家」「ナショナリズム」を遠ざける意識(潜在意識)の働きは強い、とも言わなければなりません。しかし、それでは「世界に通用しない」のです。「世界に通用しなくても良いではないか」と開き直る人も実は多いのですが、鎖国の徳川時代ではあるまいし、21世紀の世界で有意味的に生存していく上では、とにかくそういう考え・発想は改めてもらうほかありません。 「国家」「ナショナリズム」に対する「コリゴリ感」と並んで私が問題として感じるのは、丸山的に言えば、日本的組織・運動にはびこる「天皇制」の問題です。「天皇制」というのも実は詳しい説明が必要だし、その説明なしにこの言葉を使用することは誤解を生むのですが、ここではとてもその余裕もスペースもありません。一言だけ言えば、それは決して個人による独裁を意味するものではありません。そうではなくて、先ほども言葉として挙げたように、「御輿」型(集団的)独裁(典型は戦前の軍国主義ですし、戦後保守政治もこれに当たります。)とも言うべきものです。
私は、この問題を戦後保守政治について当てはまると考えるだけでなく、残念ながら、労働運動や政党で言えば今の日本共産党についても当てはまると思います。私は、日本の政治を根本から変えるエネルギーの所在をこの両者に期待するからこそ、敢えてなお指摘しないわけにはいかない、ということを強調しておきます。特に共産党に関して言えば、私は共産党を支える個々の党員のすばらしさを実感して止みません。一人ひとりについて言えば、「個」を備えた人々も少なくありません。私が歯に衣を着せない言い方をしても、真剣に耳を傾けてくれるのも党員の中に少なくありません。
しかし、党のトップがなにかを言ったとたん、皆さんの思考が停止するようです。民主集中制を実行しているから党内民主は確保されていると聞きますが、もしそうであったとしたら、最近二、三年の共産党の実績(国政選挙での低迷・後退、私が一時問題提起した一連の外交問題に関する党最高指導部の信じがたい政策的発言など)だけを見ても、指導部の責任問題が噴出もせず、少なくとも外部から見ると波風一つ立たない状況というのは、日本的な基準から言っても、異常と言うほかないのではないでしょうか。これこそ正に、共産党における「天皇制」の問題です。
第三の問題として指摘しなければならないのは、これも丸山の指摘から共感を持って学んだことなのですが、私流に乱暴にいえば、戦前の日本型ナショナリズムは敗戦によって壊滅され、息の根を止められたわけではなく、私たち一人ひとりの潜在意識の中にいわば「原子的」に伏在しているということです。したがって、機会と条件さえあれば、いつでも再び自己主張する可能性とエネルギーを秘めているのです。実は、「絆」強調の今日の風潮こそ、その現れとして捉えるべきだと思います。
なぜそういうことになったかと言えば、繰り返しになりますが、「個」の確立がアメリカの占領政策によって強制的にストップをかけられ、むしろアメリカに対する恭順さえ示せば「後は何でもあり」を許されたこと、そして、私たちの側からする内発的エネルギーの発酵・醸成・発展を担うべき組織・運動において「天皇制」が支配してきたことによって阻まれてきたこと、そして私たち自身が「国家」「ナショナリズム」の問題を自ら自身の問題として直視する意識すらことなくうち過ごしてきたことと不可分の関係にあると言わなければなりません。いわば、戦後の日本という国・社会には、悪循環の過程がビルト・インされてしまっているということです。

「絆」の問題を批判的に見直す視点が私たちの内部から出てこない限り、私たちの「個」の確立に向けた精神的開国のエネルギーは起こりえないでしょう。私の以上の問題提起に少しでも刺激を受ける方がいることに希望をつなぎたいと思います。「お前の答えはないのか?」と反問される方には、拙著『ヒロシマと広島』を読んでいただきたいと思います。

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