ドラマ『それでも、生きてゆく』

2011.09.21

フジ・テレビの木曜日午後10時からのドラマ『それでも、生きてゆく』には完全に惹き付けられ、魂を揺さぶられ、のみ込まれてしまいました。始まる前から何故かとても期待度が高くて、毎週欠かさず録画をし、繰り返し見直すという3ヶ月間だったのですが、これほど夢中にのめり込んだドラマは本当に初めてでした。そののめり込み方は、私の従来のスタンダードからいっても半端なものではありませんでした。以下は感想。
辻井伸行の音楽には魅入られ、サントラCDを買って即iTunesに入れて繰り返し聴いている。特にラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第2楽章が本当にドラマに溶け込んで演奏されているので、全曲を聴きたくなって、たまたま持っていなかったのでこれまた即アマゾンで購入してコレクションに加えた。実は、ラフマニノフはこれまで食わず嫌いの感があったのだけれど、このピアノ協奏曲の甘美さは実に良い。
脚本の坂元裕二が気になってならなくなり、彼の過去の作品をチェックし、娘ののりこが絶賛していた日本テレビのドラマ『Mother』がやはり彼の脚本と知って直ちにレンタルして観た(今回の作品が被害者家族の長男と加害者家族の長女を主人公に設定し、マザーでは虐待されている女の子を誘拐して逃避行する女性を主人公に設定するという、「あり得ない」極端な状況だからこそ、両作品とも逆に鮮明な問題意識を提起し、見るものを惹き付けずにはおかない、というところに共通する最大の特徴を感じた)。彼の過去の作品をウィキペディアで検索して片っ端から(ただし年代順に)観ていく計画を立てている(まず『東京ラブストーリー』を観たけれど、会話の当意即妙さなどに今回のドラマにつながる要素は感じたものの、作品自体は最後まで見終わるのが苦痛以外の何ものでもなかった)。ちなみに、今回の作品の演出の一人を担当した永山耕三は、ラブストーリー以来の仲であるらしいことも発見。
主演の瑛太はドラマ『オレンジ・デイズ』以来気になる存在だったし、NHK大河ドラマ『篤姫』でも着実な成長を示していたけれども、今回の作品での存在感はすごかった。それにもまして夢中にさせられたのが満島ひかり。とにかく遠山双葉という存在になりきっているし、目の表現力がただものではない。「一体何もの?」ということで、出演作品の映画『川の底からこんにちは』『愛のむきだし』『悪人』を次々にレンタルして観たし、坂元裕二脚本でもあるドラマ『さよならぼくたちのようちえん』ももちろん観た。そう言えば、NHKの朝の連続テレビ小説『瞳』でも出演していたことを思い出した。『月刊 満島ひかり』というDVDも観てみて、彼女の実力に裏づけられた自信がにじみ出る発言に大いに納得。Folder5という5人組女性アイドルグループ出身だったらしいけれども、個人としての実力を女優として伸ばしたいという気持ちで着実に実力をつけてきたことが本人の口から自然に語られている。すごい女優さんが現れたものだとしか言いようがない。フジ・テレビのこのドラマへの「メッセージ」でも多くの人が書き込んでいたけれど、このドラマで迫真の演技を示した大竹しのぶクラスの実力女優に成長していくことは期して待つことができると思う。
そのほかにも、映像の美しさ、出演者が軒並みすごかったこと(一人ぐらいミスキャストがでても不思議はないと思うのだけれども、ホントにびしっとそろっていた)等々、多くの人がフジ・テレビの「メッセージ」に書き込んだことは、すべて共感した。
特に最終話の秀逸なこと。瑛太(深見洋喜)が殺害された妹のことを「忘れることができるかもしれない」とまで踏み込んで満島ひかり(遠山双葉)への愛情を訴えるのに対して、「想像してみたけれども、忘れることはできないと思ったし、忘れてはいけないと思いました」と答え、兄によるもう一人の犠牲者の娘の母親になるというギリギリの選択を、「まじめに生きたいから」と言い切るけなげさ。「まじめに生きたいから」なんて言葉自体が死語に近い今時に、正面からきっぱり口にする双葉に言葉を失った。「愚直に生きる」が座右の銘の私には、この言葉だけでも涙があふれた。
そして、彼の気持ちに応えられないのは最終的に「加害者の妹だからです」と自分自身に言い聞かせるように口にする最後の言葉。あり得ない設定だからこそこういう心に滲み込む言葉が最後に導かれたのだと思う。あり得ない設定でなかったら、こんな深みに観るものを誘うことはできなかったと思う。
もう一つ、どうしても思いがこみ上げてくる場面。別れが辛くて洋喜の胸をたたきながら泣きじゃくる双葉をたまらず胸に抱きしめる洋喜、そして、「ホントはずっとこうしてほしかった」「自分的にはだいぶ嬉しいことです」と万感のこもる洋喜への気持ちを述べてから、今度は元気に手をまっすぐに挙げて「行ってきます」と言う双葉。洋喜の愛情を満身で感じたからこその晴れやかな表情に変わったのだと思うし、「行ってきます」は「さよなら」じゃなくて、いつかはまた洋喜に会うのだという余韻を残す未来につながる言葉。 しかも坂元裕二の憎いまでの余韻の残し方は、初めてで最後のデートでさりげなく神社の結び文のエピソードをはさんだ上で、別れた後の二人が結び文でしっかりと心が通い合っていることをにおわせ、二人の将来に希望を持たせていること。
とにかくすごかった。こんなに感激したドラマはなかった。映像の美しさを味わうためにも、フジ・テレビにはDVDだけではなく、ぜひBlue Ray版も出してほしいと思う。そしてこれも多くの人が「メッセージ」に書き込んでいるように、是非いつの日にか坂元裕二がもう一度このドラマのその後の展開について精魂を込めたドラマを書き上げてほしいし、永山に演出してほしい。もちろん、瑛太と満島ひかりが主演で。
(9月21日記)

(追記)

ドラマを第1回からもう一度通して見直しているんですが、洋喜が健二に朝日を観て明日への希望を述べた場面、実は既に第3回のときに、双葉が健二への手紙(届かなくて戻ってきた)のなかで、辛いときには朝日を観るんだ、希望がわいてくるから、と述べていたんですね。このほかにも、何気ない台詞が後の方で重要な意味をもっていることが気づかされることに何度も気づかされています。坂元裕二はすごい!(9月25日記)

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