福島と広島(毎日新聞インタビュー)

2011.07.28

*7月26日付の毎日新聞「とーく・とーく」(大阪本社版なのか、広島版なのかは不明です。)に載ったインタビュー記事です(7月28日記)。

――「脱原発」が盛んに言われています。被爆者団体の動きをどう見ていますか。
 ◆はっきりさせる必要があるのは、福島第1原発で起きたことは「事故」ではなく、徹頭徹尾人災であることです。起こりうる地震と津波の規模を低めに設定していたことに、今回の事態を招いた原因があるのですから。
 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は確かに「脱原発」の要求に舵を切りましたが、率先して明確な態度を取ろうとしなかった広島の被爆者団体があったことに、深く失望しています。経済界の意向を無視できない労使協調路線の労働組合を意識したのか、「エネルギー政策の転換を求める」と奥歯にものが挟まったような言い方には正直がっかりです。

 ――日本人の反核意識の変遷をどう見ますか。
 ◆米国は敗戦直後から厳しい報道管制を敷いて原爆問題を封じ込め、同時に「核=キノコ雲」の印象を払拭(ふっしょく)するために「原子力平和利用」神話を大々的に推進し、原爆体験が負の遺産として国民的に共有されることを徹底的に妨げました。国民的な反核運動のきっかけは第五福竜丸事件(1954年)でし た。約10年の時が無為に過ごされ、その後に広島・長崎は反核平和のスローガンにはなりましたが、その貴い体験が深刻な教訓として国民的に学び取られることにはつながりませんでした。しかも日本政府は1950年代から、米国の「核の傘」を受け入れ、原発を推進するという核肯定政策を取ったのです。
 その結果、多くの国民は非核三原則と核廃絶の「反核」を言いながら核の傘と原発を受け入れるという、「建前と本音」の使い分けを当たり前と考えるようになってしまいました。原爆体験の教訓を正確に学んでいたら、核安保と原発に手を染める選択肢はあり得なかったでしょう。

 ――広島、長崎を中心とした反核運動の課題は。
 ◆広島の最大の問題は、原爆体験を原点に据えるのではなく、国際問題への対応を中心に考えた東京中心の運動に翻弄され、旧社会党と共産党の対立に埋没したことです。原水禁世界大会が、原水禁(原水爆禁止日本国民会議)と原水協(原水爆禁止日本協議会)の二つの組織によって開かれるなど運動は分裂し、その後遺症は怨念として今日に引き継がれています。反核平和問題に関心がある市民や被爆者に運動は愛想を尽かされ、多くを遠ざけてしまいました。この点を克服できるかどうかが広島の最大の課題だと思います。

 ――福島の事態を受けて、「唯一の被爆国政府」を自称する日本政府は国際的に何を果たすべきですか。
 ◆本気で「唯一の被爆国」を日本政府が言うならば、米国の「核の傘」と原発への依存政策をきっぱり清算し、広島・長崎への原爆投下はいかなる理由でも誤りだったと米国に認めさせる立場に立つことです。そうしてのみ、米国主導の核政策を改めさせる国際的役割を担え、「核のない世界」実現への展望を開拓することができるのです。

 ――広島の役割は。
 ◆建前と本音を使い分けてきた日本の戦後のあり方自体を真正面から告発し、原爆体験に基づいて作られた日本国憲法を生かし切り、憲法とは根本的に相いれない日米安保条約を終了させる平和国家に生まれ変わることを発信する原動力になることです。広島はこの役割に自ら目をふさいできましたが、福島第1原発の事態は、現実に妥協し続けることをこれ以上許しません。それを広島の人々には、ぜひ認識してほしいです。
 今年の平和宣言に「脱原発」「脱日米核軍事同盟」の二つが明確に盛り込まれるか否かに、広島の存在理由が問われていると確信します。そこに踏み込めないのであれば、もはや平和都市という名前を返上すべきです。

 ――広島で過ごした6年間で、「平和」の分野で新たに見えたものは。
 ◆私はこれまでにも平和という問題にこだわって考えてきました。しかし、広島で生活して初めて、いわばまとまりのない「星雲状態」にあった平和に関する考え方が、「人間の尊厳」という普遍的価値を中心軸にして、私なりにまとまった内容・形を取るようになったと実感しています。やはり、原爆体験の根幹にあるのは、人間の尊厳なのです。

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