イスラームと民主化について考える

2011.06.01

<中東・北アフリカ情勢の現在>

中東・北アフリカ諸国(従来は漠然と「中東」で表してきましたが、改めます。)における民主化闘争の行方は混沌としてきました。エジプトでは、軍最高評議会がイラン艦船のスエズ運河通行許可及び同国との関係改善模索(イラン側も積極的に呼応する動きを示しています。)、パレスチナの主導権をめぐって対立してきたファタハとハマスとの関係修復仲介など、対米関係最重視のムバラク政権時代の外交路線の軌道修正を図る動きを示している(民主化闘争を推進した民意への配慮?)点は注目されますが、チュニジア情勢は膠着しているようですし、イエメンではサレハ大統領が退陣に抵抗を続け、バハレーンでは湾岸協力機構(GCC)の軍事介入をバックに政権側が反政府行動弾圧という強硬措置が奏功しつつあるようです。リビア情勢もシリア情勢も先行きは相変わらず不透明です。
 このような混沌とした情勢の展開には様々な原因が働いているし、国によって働いている要素がそれぞれ違いますが、①民主化闘争の起動力となった人民の間の意思不統一の表れ(独裁者打倒の一点では同じだったのですが、今後の進路・方向性に対する見方・自らの関わり方などに関する認識不一致の表面化-特にエジプトの場合-)、②既成権力側の巻き返しの動き-この点は各国に共通-、③そもそも革命的事態ですからすべてが暗中模索-この点も各国に共通-などの国内的要因が働いていることは見て取ることができます。また、このような民主化闘争に対する欧米諸国の対応(はじめは不意打ちを食らった形で受け身的でしたが、上記のように各国での内なる動きの複雑化に乗じて(?)、事態を欧米諸国に有利な方向に誘導しようとする工作活動が活発化してきたことを見逃すわけにはいきません。リビア内戦に対するNATOの軍事介入がもっとも露骨ですが、エジプトが対米自主性を強めることに対するアメリカの警戒感はきわめて強いし、バハレーンにおける軍事弾圧にしても、イエメンにおける情勢の混沌ぶりにしても、アメリカの既成権力の行動に対する黙認・後押しがあるからこそだと考えざるを得ません。アメリカが親イラン勢力と見なすシリアに関してのみ状況は異なりますが、これらを総じて言えば、欧米諸国特にアメリカの伝統的な二重基準の政策はまったく変わっていない、と言わなければならないのではないでしょうか。

<井筒俊彦と黒田壽郎を読む>

 しかし、中東・北アフリカ諸国における民主化の成否、より正確には「イスラーム起源の民主(デモクラシー)の成立」という問題(私はこれまで「イスラム」と表してきましたが、日本における権威である井筒俊彦、黒田寿郎等に従い、これからは「イスラーム」とします。)は、これら諸国に通底するイスラームと民主(デモクラシー)との親和性あるいは対決性という問題を抜きにしては正確な理解・認識が持てないのではないか、と私は思います。この問題はすでにイスラーム革命を実現した非アラブ(ペルシャ人)でシーア派のイランにおいて、私が名付ける「イラン式民主(デモクラシー)」の壮大な模索が行われてきていると思うのですが、スンニー派による支配が続いてきたアラブ諸国における年初以来の民主化闘争によって、「イスラームと民主(デモクラシー)」という問題一般という性格が全面に押し出されているのではないか、と思います。
 私は何度も断っていますように、イスラームについてはずぶの素人で何の土地勘もない(したがって他者感覚を働かせようがない)のですが、人間の尊厳に由来する人権・民主(デモクラシー)の普遍的価値としての本質を確信するものとして、これまで広く言われてきた(と私は理解してきた)「イスラームと民主(デモクラシー)はなじまない」という通説的理解(そうであるからこそ、イランにおいて行われてきている「イラン式民主(デモクラシー)」の模索に対する正確な理解・認識が妨げられていると思います。)は正しいのか、という角度からは、なんとかアプローチしたいと考えているのです。
 私の悪い癖で、痛切な問題意識が腹の底から湧き起こってこないと、古典的名著と言われるものを読んでもほとんど頭の中に入ってこないのです。かつて外務省時代に何度も丸山眞男の著作を読んでも血肉化しませんでした。井筒俊彦についても同じです。いや、「私にはイスラームのことは分かり得ない」という思い込みが働いて、井筒(及びほかのイスラームを扱った著作一般)には手も出さなかった自分がいるのですが、今回は上記のような問題意識がふつふつと内面からわき上がって、イスラームの権威である井筒などの著作から何かのヒントを得たいという痛切な思いから、井筒の『イスラーム哲学の原像』(岩波新書 絶版だったので古書として買い求めました。)、『イスラーム文化』(岩波文庫)、黒田壽郎『イスラームの構造』(書肆心水)の三冊を丹念に読みました。最初の著作は正に哲学的内容で、私の上記の問題意識に直接かかわるヒントを得ることができませんでしたが、他の二冊からはたいへん多くのことを学び、かつ、刺激を受けました。

<力づけられる井筒俊彦の指摘>

 私は特に、イスラームに無知な私がイスラーム世界(「イスラーム世界」というとき、トルコやインドネシア、マレーシアなども含み、これらの国々では私の上記の通説的理解と私が認識することが誤りないしは偏見であることを示す実例があるわけですが、下記の井筒及び黒田の所説から明らかなように、本質的に問われているのはいわゆる「聖俗不可分」を本質とするイスラームにおける普遍的価値である民主(デモクラシー)の実現(あるいは自己貫徹)という問題であり、聖俗分離の選択を行ったトルコなどの事例は一つの回答ではあり得るのですが、聖俗不可分の立場を貫くイランについては、これを「神権政治」、さらにはアメリカ的に反民主(デモクラシー)国家と規定する理解が横行しているのが現実であり、私はそのような理解で良いのかという問題意識があるのです。)で今起こっていることの意味を考えるという無謀な(?)試みをしようとしていることについて、井筒の次の指摘に大いに力づけられました。

 「イスラーム文化の現代的意義ということは、…急速に国際化しつつある世界の現在的状況において、われわれ日本人が、日本人の立場からイスラーム文化をどのような目で見、どのような態度でその呼びかけに応じていくべきかということ、そしてまた、そういうことができるためには、イスラームをどういうふうに理解したらいいのかということであります」(『イスラーム文化』pp.10-11)

 この指摘は、イスラーム世界における民主化を目指す動きを、民主(デモクラシー)を我がものにしていない私たち日本人の立場から「どのような目で見、どのような態度でその呼びかけに応じていくべきか」ということで、正に私の問題意識そのものです。また、「そういうことができるためには、イスラームをどういうふうに理解したらいいのか」という井筒の提起は、私流にいわせれば他者感覚を最大限に働かせる必要性ということです。

 「われわれが本当に真剣に現代世界に生きていこうとするならば、どうしても国際社会ということを背景にしなくては、われわれの生存にかかわる大きな問題は何ひとつ解決できない時代、そんな時代にわれわれはいま生きている。…そしていまの現実の状況とはまさしく国際社会的、地球社会的状態ということであろうと私は思います。我々日本人とイスラームとの関わり合いの問題にしても、それを人間のこういう現代的シチュエーションから切り離して考えるわけにはまいりません」(同 pp.11-12)

 井筒の以上の指摘は、私の言葉にすれば、私たち日本人の通弊である、すべてをアメリカ(かつては神国・日本という夜郎自大)のプリズムを通してしか見ようとしない「天動説的国際観」に安住していてはならないのであり、一刻も早く他者感覚に基づく「地動説的国際観」を我がものにする緊要性を指摘するものだと思います。

 「中近東にたいする時局追求的興味を私も軽視するわけではない。しかし、過去何百年ものあいだ、広大な中近東における無数の人間の生き方を根本的に色づけ、その社会的・個人的存在様式を規制してきたイスラームそのものを正しく理解することなくしては、そこで生起する時局的事件や事態の理解すら、表面的で深みのないものになってしまうのではなかろうか」(同 p.230)

 井筒の『イスラーム文化』は、イラン・イスラーム革命(1979年2月)から2年後の1981年に行われた3回の講演を一冊の本にまとめたものですが、今日のアラブ諸国で起こっている事態についても、「その社会的・個人的存在様式を規制してきたイスラームそのものを正しく理解することなくしては、そこで生起する時局的事件や事態の理解すら、表面的で深みのないものになってしまう」という指摘はまったく新鮮な響きをもっているし、物事の本質を突いていると感じます。

<刺激と示唆に満ちた黒田の指摘>

 また、黒田の指摘には強烈な刺激と示唆を得ることができました。黒田の『イスラームの構造』は2004年10月に出版されたもので、その「終章」からは、黒田が欧米起源の国民国家的政治体制及び資本主義的経済制度(黒田は、「政治的権力、経済的価値が、ひとの尊厳を無視し、軽視して憚らない同一律」(p.358)が支配するとしています。)に強い批判を向けており、これに対してイスラームの価値観(その根底にあるのは「イスラームの世界観が保証している差異的なものの尊重」(p.363)であり、黒田は「差異性の系」としています。)の可能性を強調していることを読み取ることができます。
黒田は、イスラーム諸国における「近代的な装いを持つ上層と、伝統的な幅広い下層、ないしは底辺との対立」という基本構造を「同一律の系と差異性の系との対立、摩擦」と捉え、また、世界規模における「同一律と差異性のせめぎ合いは、国際的な政治力、経済力という観点からすれば、現在のところ前者の一方的勝利に終わっている」(p.346)ことを事実として認めます。しかし黒田は、「いま求められているのは差異的なものの復権であり、その眼差しが擁護するすべての存在者、すべての人間の尊厳である」(p.358)として、「存在者の差異性を尊重するこの世界観(浅井注:イスラーム)は、あらゆる領域における同一律の肥大による差異性の抑圧、侵害を阻止するためにさまざまな規制を設けている」(p.364)と指摘しています。
ちなみに私は、7月に出版予定の拙著『ヒロシマと広島』の中で、普遍的価値である「人間の尊厳」及びこれに由来する人権・民主(デモクラシー)というテーマに自分なりに正面から取り組みました。私においては、「人間の尊厳」及び「人権・民主(デモクラシー)」という概念そのものは西欧の歴史に起源を持つものという理解があります。しかし、「人間の尊厳」に他ならない実質は、日本においても、自分の信じるものに対する「忠誠」、自分の信念に忠実であるが故の権力に対する「反逆」という形において存在してきました(丸山眞男『忠誠と反逆』から学んだことです。)。「個」が形成されなかった日本の思想史の土壌では、それは「人間の尊厳」としては認識されるには至りませんでしたが、概念としてはともかく、「人間の尊厳」の普遍的価値としての本質は文化の多様性を貫いて存在するものだと確信しています。私たちがいったん「個」を我がものにすれば、人間の尊厳を明確な概念・普遍的価値として我がものにすることはなんら難しいことではありませんし、人間の尊厳に由来する人権・民主(デモクラシー)を自家薬籠中のものにする展望も開けてくるはずです。
そういう私の認識からしますと、イスラームにおける「人間の尊厳」をこともなげに(?)言う黒田の以上の文章は、私にとっては、非常に良い意味で刺激に富むものです。つまり、黒田の所説によるならば、「個」を我がものにしているイスラームの場合は、人権・民主(デモクラシー)を我がものにする上で、日本以上に恵まれた思想的条件があるということになります。
 イスラームと人権・民主(デモクラシー)の関係性を考える上で、黒田のイラン・イスラーム革命及び欧米諸国からはテロ組織と名指しされるパレスチナのハマスに関する次の指摘はとうてい無視することはできません。黒田自身はそういうコンテキストで語っているのではなく、あくまで同一律の系と差異性の系との相克という枠組みで述べているのですが、私の問題意識に即して理解することは許されるのではないかと思います。

 「個人に与えられた贈与の機会は、自分自身の鍛錬の機会であると同時に、公共善をめぐる他者の評価、選択眼を鍛え上げ、それを介して強い人脈が作り上げられる。個人から小共同体のレヴェルに、国家のシステムとは別な社会的協力のさまざまな輪が出来上がる訳であるが、例えばそれらの人脈の輪が立ち上がり、結束して力をなしたのが、最近ではイランのイスラーム革命である。」(pp.352-353)
 「公権力(浅井注:すでに黒田の指摘にある西欧起源の国民国家的政治体制を受け入れてきたイスラーム諸国の公権力)の弱体化を前にして、民衆が自らの生活を守るために頼るべきものはどこにあるであろうか。…彼らが最終的に依拠してきたものは、いうまでもなくタウヒードの教え(浅井注:等位性、差異性及び関係性の三幅対からなるイスラームの世界観。黒田はこの本の第一章で詳しく説明しています。)と、それが作り上げてきた伝統であった。無視、軽視される個人の命運を前にして、民衆の一人一人がその自尊心を奮い立たせる契機となったものは、タウヒード的な伝統であった。この点に関しては、卑近な例に具体的な証拠がある。積もる困難を前にしてパレスチナの民衆が最終的に信頼したのは、イスラーム系のハマスであるが、彼らは身近な小共同体における地道な相互扶助の実践によって、着実に力を着けてきたグループである。数十年に及ぶ経済的な困難の中で、人びとの生活は極端に厳しい状況に置かれている。その中で地域の人々の連帯を強化し、彼らの統一を守り続けてきた彼らに寄せられる人々の信頼は想像以上に強いものである。」(pp.362-363)

<井筒と黒田の視点(?)の違い>

 私は、井筒と黒田の二冊の本をもっともっと読み込まないととうていその内容の真の理解・認識に到達し得ないことを意識、自覚しています。そのことをお断りした上で、井筒と黒田の二冊から味わった読後感と注目点を一つずつ記しておきたいと思います。
 まず読後感としていちばん強烈なことは、両者ともイスラームが内包する人類的課題に対する含意の重要性を強調することでは同じだということです。ただし両者の読者に対するアプローチは違います。井筒は、イスラーム文化の全体像を捉えて私たちに理解、認識させようとしています(この本は、「宗教」、「法と倫理」及び「内面への道」という三つの主題の講演から構成されています。)。これに対して黒田は、どちらかというと(あくまでもイスラームに無知な私のきわめて限られた理解に過ぎないのですが)井筒の「法と倫理」に当たる部分に焦点を当てて、欧米主導の世界の閉塞状況を打開、突破する答えをイスラームが示しているという彼の認識を私たちに伝えようとしているように感じられることです(そのことは、イスラームの世界観である「タウヒード」、イスラームの法である「シャリーア」、イスラーム共同体である「ウンマ」を主要な章とするこの本の構成から分かります。)。
 次に注目点としては、正に以上のアプローチの違いに基づくものですが、私の最大の問題関心である人間の尊厳、人権・民主(デモクラシー)にかかわる(と私には理解される)点についての、井筒と黒田のイスラームの立場に関わる指摘、力点の違いということです。
 井筒は次のように指摘しています。簡単に言えば、イスラームにおける人間の平等という人間観が存在することを認める点では後述の黒田と同じなのですが、その平等はあくまで神に対して奴隷でしかない人間相互の宗教的契約関係に基づくものであって、西欧思想史に淵源する「人間の自然的本性」に基づくものではないというのです。井筒は明言してはいませんが、イスラームにおいては「人間の尊厳」という概念そのものが成り立ち得ないという結論は不可避でしょう。

「イスラームは、教会を世俗的国家からはっきり区分する聖俗二元論的キリスト教と鋭く対立します。…存在の全体をそっくりそのまま宗教的世界と見るのです。…人間生活のあらゆる局面が根本的、第一義的に宗教に関わってくるのです。」(pp.40-41)
人間を神の奴隷ないしは奴僕とする、このイスラーム的な考え方はイスラームという宗教の性格を理解する上で決定的重要性をもつ…。人間が自分で主体的に努力して己の救済に至ろうとする、いわゆる自力的態度は、ここではまったく成立する余地がありません。(強調は筆者。以下同じ)」(pp.62-63)
「預言者ムハンマドと契約関係に入った人々が、ムハンマドの権威のもとで、今度はお互い同士が同胞として、つまり宗教上の兄弟姉妹としての契約を結びます。…第一義的に神と契約を結び、神と倫理的関係に入った人間同士の、お互いの間に契約的に成立する人間的倫理学…。」(pp.108-109)
「この共同体の大きな特徴は、それにいったん入ってしまえば、すべての人は互いにまったく平等になるということです。…神の意志に従って、いわば神の面前で結ばれた相互契約によって完全平等であるということ。…但し、まったく平等の権利義務とはいいましても、それはあくまで契約上の平等でありまして、人間の本性、人間性そのものから自然に流れ出てくる平等ではない。…人間として、人間である限り、本性上平等だというのではなくて、共同体的社会の契約構造においては、この契約関係に立った人は誰でも平等だということです。つまり人間の自然的本性のようなものを考えに入れない、特殊な社会契約的平等であります。」(pp.124-125)

このようにイスラームにおける人間観を位置づける井筒においては、聖俗一体のイスラームと聖俗峻別の西洋化・近代化とは両立し得ないという点が強調され、したがって両者の関係は二者択一しかないという結論が導かれます。その認識からは例えば、イラン・イスラーム革命に対する黒田とは正反対(と私には思われる)な位置づけが出てきます。私の問題意識である'人間の尊厳及び人権・民主(デモクラシー)という普遍的価値を実現するという21世紀における人類的課題'(拙著『ヒロシマと広島』の中心的テーマ)は、イスラームに立脚する限り不可能だという結論(井筒はそこまでは言っていません。)は不可避であるように思われます。

「だからこそ十九世紀末以来、西洋の科学技術文明の圧倒的な影響のもとで、イスラーム世界の各地に近代化の動きが起こりまして、まったく西洋風の生活原理に基いた、つまり宗教的秩序から切り離された世俗国家、あるいはそれに近いものが現われてくるに及んで、近代人としてのイスラーム教徒、あるいは近代人たらんとするイスラーム教徒はたいへん困難な問題に逢着したわけであります。近代ナショナリズムの勃興は、この意味において、イスラームの文化構造そのものに重くのしかかってきました。…ナショナリズム、近代化、科学技術文明を理想とするイスラーム欧化への道、それが直接に、そしてまず第一に要求するものは、「聖」の全廃でないまでも、聖俗を明確に区別することです。…イラン革命が、近代化、西洋化と対立する宗教的情熱のイスラームにおける問題性の所在を、再びはっきりわれわれに意識させるに至りました。…聖俗を分離することなしに、しかもイスラーム社会を科学技術的に近代化することが果たしてできるだろうか――それが現在すべてのイスラーム国家が直面している、いやでも直面せざるをえない、大問題なのであります。」(pp.142-143)
「昔のままのイスラーム法ではどうしても現代世界ではやっていけないと信じる人々は、イスラーム法を潔く見捨てまして…西欧主義になる、そして西洋の近代法で生きていくほかはありません。…この問題を将来に向ってどう解決していくのか、それは現代の…イスラーム大多数派の人たちが当面している課題なのであります。」(p.165)

ただし、「昔のままのイスラーム法ではどうしても現代世界ではやっていけない」とする井筒の「昔のままのイスラーム法では」という断りには深い意味が込められていると思います。井筒によれば、多数派を占めるスンニー派のイスラーム法学においては、法律に関する聖典解釈の自由が西暦九世紀の中頃に禁止された(p.162)こと(この点では「イランのシーア派イスラームだけは例外」(p.165)という興味深い指摘も井筒は忘れません。)がネックになっているということのようです。この点を打開する道が開かれれば、イスラームが井筒のいう「現代世界」、私的に言えば「21世紀の人類的課題」、に対応することができるという理解は可能だと思います(このような発言はイスラームに無知故の暴言かもしれませんが)。
これに対して黒田は次のように論じています。私の理解を簡単に言えば、黒田は、西欧思想の流れとはまったく別の道筋において、イスラームそのものが本質的に人間の尊厳及び人権・民主(デモクラシー)という価値観(ただし、黒田は「普遍的価値」とは明示的に位置づけているわけではありません。)を内包しているとします。これは、人間の尊厳及び人権・民主(デモクラシー)が普遍的価値であることに関する力強い傍証であると理解することは、決して私の牽強付会ではないと思います。そして黒田は、自他の関係性を不可分のものとして強調するものであることにおいて、イスラームは、西欧起源の思想に優るとも劣らないものであるという、井筒とは正反対の主張を行っています。

「現世においてひとは皆完全に平等なのである。それまで人類史上には、人間の平等を説く教えがいくつも存在してきた。しかしこれほど明確、かつ徹底的に民主的思想を述べている例は希有であるといえよう。イスラームの魅力の原点は、万物の等位性を説くタウヒード論からも推測しうるように、一人の例外もなく人間に対等の地位を与えているところにある。当然のことながらこの平等観は、人間の基本的権利の擁護を伴っている….いまを去ること十四世紀の昔に行なわれた人権宣言は、民主的思想の常として、人々の強い支持を受けずにはいなかった。個人の優先性、基本益人権の擁護という組み合わせは、当然各人の相互協調を要求せずにはいない。個人の優先は、決して個我の確立、個人の意思の野放しの解放を起点とする方向に進むものではなかった。」(p.36)
「イスラームの場合、個は、本来的に決して他から切り離され、独立した一つの単位たりえない。…初めから他の諸々の個と共存、共在するところの個としてのあり方から切り離されることがない。…意識の優先性が突出、先行し、自己の意識、ないしは存在が他と無縁に措定される契機はいたって薄弱なのである。そもそも意識は必ずその対象を伴って初めて作用するものであり、対象なしの意識など無意味である。」(p.104)
イスラームは、人間理性の絶対的な肯定とは別な道筋で、万象、万人の平等を肯定する世界観を提示し、それを具体化するための人間の資質の涵養のために、信者たちにさまざまな義務を課している。」(p.202)

このようにイスラームにおける人間観を捉える黒田は、「人間がすべて類がなく掛け替えのないものであること」であるが故に、「自他共に互いの尊厳を擁護し合う」という「義務」を課されるとし、それが無視、軽視される今日の国際政治経済秩序は「差異的なものの復権」「人間の尊厳」によって根本的に改められなければならない、と主張します。黒田によれば、イスラームは正にそういう回答を内在しているというのです。
(本当に手前味噌なのですが、私が拙著『ヒロシマと広島』で、世界に対して発信すべき日本発の普遍的平和思想の中身として示そうとしたものは、正に黒田の所論と基本的に一致しています。私はあくまで自己流の暗中模索を経て私なりの考えを述べるに至ったのですが、脱稿してから黒田の本を読むことによって、どのような思想史的、文化史的、歴史的背景を持っているにしても、平和思想は様々な違いを伴いながらもその普遍性を貫くのだな、と改めて実感しました。「普遍性」はまさにそうであるからこそ普遍なのですから、当たり前のことなのですが。)

「イスラームの共同体とその成員たちは、この世に存在する人間がすべて類がなく、掛け替えのない者であることを認め合い、自他共に互いの尊厳を擁護し合うという義務を課されている。その具体的な内容は、近代ヨーロッパの民主主義の黎明に千年も先駆けて、イスラームの預言者が明言しているような、個人の自由と、生命、財産、名誉に関する基本的人権の尊重である。」(p.241)
「政治的権力、経済的価値が、ひとの尊厳を無視し、軽視して憚らない同一律の支配の下で、いま求められているのは差異的なものの復権であり、その眼差しが擁護するすべての存在者、すべての人間の尊厳である。二つの系(浅井注:西洋的な同一律の系とイスラーム的な差異性の系)の相克は次第に強度を増しているが、人間が最終的に選び取らなければならないものは、ただ一つである。われわれは人権といった抽象的概念ではなく、その背後にあるすべての存在者の尊厳の思想…から、別種の、新しい共同体観を構築する必要に迫られているのではないであろうか。」(p.358)

<井筒と黒田の所説への初歩的疑問>

 最後に、井筒と黒田の二冊の本から本当に多くのことを学んだのですが、私が理解できなかったことも当然のことながら少なくありませんでした。そのうちでも特に重要と思われる諸点を記しておきたいと思います。このコラムを読んでくださる方からコメントやご意見をうかがえたらと思います。

-井筒と黒田の所説に対して私がひとしく抱いた疑問は、欧米的近代とでもいうべきものに対する両者の認識のあり方ということです。
井筒の場合は、聖俗の分離という点に最大の力点が置かれているように感じました。これは、イスラームが聖俗不可分であることが「イスラームのルネサンス」(p.163)あるいは「近代化」(p.164)を阻んでいるという認識から出てくる問題意識であることは理解できるのですが、その基準(モノサシ)で欧米的近代をひとくくりにしてしまうことには重要な落とし穴が潜んでいるのではないか、と思います。聖俗分離は、「キリスト教的神からの人間の解放(したがって人間の尊厳の確立)」であった歴史的経緯に鑑みれば、重要なポイントであることは間違いないのですが、もっとも重要なポイントは、欧米的近代が人間の尊厳及びこれに基づく人権・民主(デモクラシー)という概念を明確に据え付けた点にあるのであって、聖俗分離はその一つの必然的な結果です。しかしだからといって、キリスト教がまったく人間存在にとって無意味になったというわけではありません。個々人が自らの尊厳の拠り所をキリスト教に対する信仰に求めるということは十分に考えられることですし、それが事実としてあまねく存在していることです。そうであるとすれば、イスラームにおいても、人間の尊厳という概念を我がものにする可能性は十分あると言えるのではないでしょうか。黒田の所説からは、「個」を我がものとしているイスラームそのものがそういう内容を豊富に持っていることを感じ取ることができます。
黒田について私が違和感を持ったのは、欧米起源の国民国家システムや資本主義経済制度がもたらしている弊害(黒田によれば、同一律の系の支配)を欧米的近代の内在的かつ根本的な欠陥と捉えている点です。しかし、私の限られた理解に基づいていえば、「神からの人間の解放」はルネサンス、宗教改革に基づくものであって、国民国家システムの源をなすウェストファリア体制や経済制度としての資本主義の成立に先行していますし、両者が同根であるわけでもありません。私が拙著『ヒロシマと広島』で強調しているのは、人間の尊厳という基準(モノサシ)に基づいて国民国家のあり方、利潤を基準(モノサシ)とする資本主義経済制度のあり方を根本から見直す必要があるということです。この結論は黒田と一致するのですが、私の理解からすれば、同一律の系の支配が欧米的近代のすべてを規定するものではないのではないか、黒田が強調する人間の尊厳の思想は正に欧米の思想史にも起源を持っていること自体は正しく認識する必要があるのではないか、ということです。

-井筒によれば、『コーラン(クルアーン)』の前期(メッカ期)と後期(メディナ期)とで性格ががらりと変わってしまっており、それが「イスラーム文化の二つの根本的パターンの萌芽」(p.85)となっているという点について、私にとっては非常に重要な疑問があります。「イスラーム文化の二つの根本的パターン」の内容は井筒の説明によってそれなりに分かっていくのですが、そもそも、なぜメッカ期とメディナ期においてムハンマドの伝える「神の啓示」の内容が変わってしまったのか、その原因や背景については説明がないのです。おそらく、ムハンマドの置かれた政治的、社会的その他の要素が働いてそういう変化を生んだのではないかと思うのですが、こういう問題意識を持つこと自体がピント外れなのかどうかも含めて、私の理解を超えています。しかし、この違いが生まれた背景、原因を探求することによって、「イスラームのルネサンス」を導き出すヒント、手がかりが得られるのではないか、ということが私の素朴な問題意識です。

-各論になりますが、イラン・イスラーム革命の性格に関する井筒と黒田の理解の隔たりの大きさは、「イラン式民主(デモクラシー)」に注目する私にとっては非常に興味深い事実です。イスラーム研究における日本の権威においてすでにこういう隔たりがある(ただし、井筒の本は1981年の時点のものなので、その後に井筒がどういう見解を発表しているのかについては、これから探していきたいと考えています。)のですから、私などのずぶの素人が簡単に理解できる問題ではないということです。しかし、この革命が'普遍的価値の文化・宗教の垣根を越えた自己貫徹性'という本質にもかかわる大きな問題であることは確認できるわけで、私としては、'日本という特殊な文化・宗教(無宗教?)的土壌における普遍的価値の実現'という問題意識に基づいて、引き続きイラン式民主(デモクラシー)の行方(そして中東・北アフリカ諸国における民主化の今後の展開)を観察し続けていきたいと思います。
(6月1日記)

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