中東情勢から学ぶこと -エジプト-

2011.05.11

*外務省のHPに拠りますと、「中東」に分類されているのは、アフガニスタン、アラブ首長国連邦、イエメン、イスラエル、イラク、イラン、オマーン、カタール、クウェート、サウジアラビア、シリア、トルコ、バーレーン、ヨルダン、レバノンの15カ国で、これに北アフリカのモロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、モーリタニアの5カ国を加えた20カ国をこのコラムでは「中東」として地理的な対象にしています。
 しかし、アフガニスタンは正に戦争さなかで民主化運動どころではありません。イラクも2003年のイラク戦争の延長線上にありますので、検討の対象から外しています。モーリタニアについては情報量が圧倒的に不足しています。イランについては、私は、「イラン式デモクラシー」への模索が行われており、反政府デモは起きていますが、他の国々のものとは性格を異にするという理解がありますので、今回の「中東情勢に学ぶ」という観点からは検討対象になりません。ただし、イランで起こっていること及びイランが中東地域における民主化を求める動きをどのように見ているかについては非常に関心がありますので、別途検討します。ということで今回の検討対象として残っているのはエジプトということになります。今回も「中東・エネルギー・フォーラム」のHPに主に拠っていますが、ほかのHPも参照しました。
これで事実関係に関する国別作業は一段落ですが、この一連の作業を通じて、やはり外部要因としてのアメリカの動向を正確に把握しておく必要を強く感じます。それには、年初以来のオバマ大統領、クリントン国務長官などの言動、そして国務省の毎日の記者ブリーフを当たる作業がまず必要になりますので、それらの作業を終えた上で、また、5月中における中東情勢の展開も踏まえつつ、改めて日本の私たちが何を学び取ることが必要なのかについて考えたいと思います(5月11日記)。

<民主化を求める動きと政治の展開>

 エジプトにおける民主化を求める動きは1月25日以後のことでした。この日の抗議デモは、民主主義を指向する若者の集団「4月6日運動」が、1952年に警官の指導で反英国抗議運動の発生した「警察の日」に当たる2011年1月25日(火)を選び、「怒りの日」と名づけて、「拷問・貧困・腐敗・失業に反対する日」としてストを呼びかけたものでした。首都カイロやアレキサンドリア、スエズ、イスマイリヤ、マンスーラ、タンタ、アル・マフディーア、アスワン、アシュートといった都市や町で、数万の参加者を得た抗議デモが発生しました。当初、「4月6日運動」は、フェイスブック等を通じてエジプト国民に抗議のために路上に出るよう促したが、約8万7000人が抗議デモに参加すると意思表示してきたといいます。抗議デモの参加者の多くが叫んでいたのは、「ムバラクを倒せ」「ムバラクは退陣せよ」といった「ムバラク政権の打倒」を目指す言葉であり、同時に、「我々はチュニジアの例に倣う」「ベンアリに続くのは誰だ」といったように、明らかにチュニジアでの政変を意識したフレーズも叫ばれており、チュニジアでのベンアリ政権の崩壊が大きな契機となったことを示しています。
 1月28日(金)には、首都カイロのみならず、アレキサンドリア、スエズ、イスマイリヤ、マンスーラ等の各地で、昼の金曜礼拝の終わった直後から大規模な反政府抗議デモが発生しました。政府側は抗議デモをなんとか押さえようと首都カイロでインターネットや携帯電話を遮断し、カイロ、アレキサンドリア、スエズの3都市で午後6時から翌朝7時までの夜間外出禁止令を発出しました。内務省によれば、同日の反政府デモは国内28県のうち11県で発生したといいます。この日のデモには、それまで自発的なデモ参加に委ねていたムスリム同砲団が、組織として支持者に街頭に出てデモに加わるようウェブサイトほかを通じて指示(27日)しました。イギリスで発行されているアッシャルクルアウサト紙(1月30日付)は、28日までの死者は、カイロ100名、アレクサンドリア30名を含む少なくとも150名に上ると報じました。
 こういう事態に直面して、29日からは警察に代わって軍がカイロ市内に展開しました。そして29日、ムバラク大統領は内閣を総辞職させ、スレイマン情報長官を副大統領に任命し、シャフィーク元空軍司令官を首相とする内閣を発足させ、「政治改革、経済改革、民主主義の確立」に当たることを命じました。そして31日、スレイマン副大統領は国営テレビで大統領の声明を代読、すべての政治勢力との間で憲法改正を含むあらゆる問題について協議すると述べました。しかし抗議活動側は納得せず、国軍に対して去就を迫る声が高まりました。1月31日、国防省が声明を出し、国軍が国民に対して武力行使をしないこと、国民の要望及びその正統性を位階することを明確にしました。また、ムスリム同胞団は2月1日、正統性を失った体制側との協議を拒否する声明を出し、全日のスレイマン副大統領の政治協議の提案を受け入れない姿勢を明らかにしています。
 2月1日、過去最大の数十万人規模の抗議デモが行われる中で、ムバラク大統領は演説を行い、9月に実施予定の大統領選挙には出馬しない意向を表明するとともに、大統領選挙への立候補条件、任期などを定めている憲法条項の改正に向けた準備を進めることを約束する事態に追い込まれます。ただし、ムバラク大統領側が黙って引き下がる用意があったわけではないことは、2日、大統領支持派のデモが行われ、反体制派と激しくぶつかったことにも示されました。この衝突では3名が死亡したと報じられました。1月25日以来この日までの死者数は300名に上ったとされます。
 2月6日及び7日には、スレイマン大統領が野党勢力(「1月25日運動」、ワフド党及び協議を拒否するとしていたムスリム同胞団)と2日間にわたる政治協議を行いました。会議終了後に出された声明では、次の諸点が合意されました。

-ムバラクの次期大統領選への不出馬、平和的な政権移行、憲法条項の改正。
-「1月25日運動」は国民の正当な運動であること。
-憲法改正を検討、提案する委員会の設置。
-拘束者の迅速な解放。

 ただし、「1月25日運動」の代表は上記声明の受け入れを拒否して抵抗運動の継続を発表、ムスリム同胞団は、改革の迅速な実施を求める立場から協議に参加したものであると釈明し、同胞団としては特定の政治アジェンダをもっていないとしました。
 この政治協議においては、エジプト情勢に対する外国勢力の介入を拒否する点で一致していましたが、連日続くカイロ・タハリール広場における抗議デモでも、7日、外国勢力による介入を拒否するという横断幕が登場しました。9日には、アブゲイト外相がアメリカのPBSとのインタビューで、バイデン米副大統領がスレイマン副大統領との電話会談において「迅速な改革の実施」を要請してアメリカの意思を押しつけようとしたと発言、バイデンが戒厳令解除を求めたことに対しては、1万7千人の囚人が脱獄し、街中にいる状況の下では戒厳令を解除できないと反論しました。
 タハリール広場での民衆蜂起が始まってから18日目の2月10日、ムバラク大統領はついに国民向け演説を行い、平和的政権移行を約束するとともに、外国勢力の指図は受けないと述べて、アメリカなどの語気に対する抵抗を示しました。しかし翌11日、スレイマン副大統領が声明を出し、ムバラク辞任を発表、タンターウィ国防相が議長を務める軍最高会議に全権限が委譲されたことを明らかにしました。
そして13日、軍最高評議会は声明第5号を発表し、憲法を停止し、人民議会(下院)・諮問評議会(上院)を解散するとともに、憲法の条項の改正と国民投票を実施するための委員会を設置すること、軍最高評議会が今後6ヶ月または大統領選挙及び議会選挙の実施されるまで政権を掌握し続けることを明らかにしました。さらに声明は、タンターウィ副首相兼国防相が、国内的にも対外的にも国家を代表することも明確にしました。さらに声明は、移行期間中は軍評議会が新法を発布する権限を持つとしています。15日には早くも、軍最高評議会の設置した憲法改正委員会が国防省で初会合を開催し、現在の憲法のうち合計6つの条項について改正の対象として検討することを決定しました。また、アブルゲイト外相は、アメリカ、イギリス、サウジアラビア等の外相と電話で会談し、エジプトへの経済支援を要請しています。
軍最高評議会は、2月13日に、今回の政変でインターネット等を駆使して反政府デモを引っ張った若手活動家で構成する全国組織の「革命の若者連合」と協議、16日にも2回目の協議を行いました。「革命の若者連合」は席上、民主化措置の徹底を求め、政治犯の釈放や非常事態令の解除、政治結社の自由等を要求しました。軍最高評議会側は、ムスリム同胞団が将来の議会選挙や大統領選挙で優位を占めるのを牽制する意味合いもあってか、「革命の若者連合」に政党の結成を促しました。ちなみに、「革命の若者連合」は、1月25日の反政府デモの企画で中心役を果たした「4月6日の運動」や「自由と正義」と称する勢力等の5団体で構成されています。25日(金)にも数万人がタハリール広場を埋め、軍最高評議会が改革を怠らないように圧力をかけ続けると公言し、シャフィク首相の更迭を要求しました。
2月26日、憲法改正委員会が憲法改正草案を軍最高評議会に提出し、大統領任期の6年から4年への短縮、3選の禁止等の11項目を国民投票にかける内容が承認されました。そして翌27日に軍最高評議会が、青年組織の幹部に、憲法改正案の国民投票を3月19日に実施する考えを表明します。3日には、軍最高評議会が声明を発表し、シャフィク首相の辞表を受理したと発表、シャラフ元運輸相を首相に指名して組閣を命じました(7日に組閣)。シャラフ新首相は、カイロ大学、米パデユー大学卒業(土木学博士号)で、2004~2005年に運輸相。その後、カイロ大学工学部教授を勤め、タハリール広場の市民デモに参加していました。この人事は、民主化を求める側からも歓迎されました。
 3月19日には、軍最高評議会が約束したとおりに憲法改正案の国民投票が実施されました。国民投票の実施前には、ムバラク大統領を退陣に追い込む原動力となった「4月6日運動」は、大統領の権限の制限が不十分であるとの理由で、国民にフェイスブック等を通じて反対票を投じるよう訴えていました。また、大統領選挙に出馬を表明しているアムル・ムーサ・アラブ連盟事務局長やエル・バラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長も、やはり大統領の権限の制限が十分でないとして反対票を投じることを言明していました。他方、最大野党政治勢力であるムスリム同胞団やムバラク時代からの与党である国民民主党は、何れも賛成するように国民に呼びかけていました。大統領による立法権や首相・最高裁判所長官の任命に関する大統領権限の制限が十分ではないとの意見が多いと見られていたことから、事前には投票者の約6割が反対にまわるのではないかといわれていたのですが、20日に国民投票管理委員会が発表した結果によれば、投票率は約41%で、賛成票は77.2%に達しました(有権者総数は約4500万人で、投票総数は約1837万人)。
4月1日(金)、8日(金)には、ムバラク前大統領や子息たち、側近等の不正等の訴追を求める大規模デモがタハリール広場で行われました。特に4月8日の金曜礼拝後のデモには数万人が参加し、国民がムバラク前大統領等による不正蓄財等への当局の公正な対応を求めていることが改めて示される格好となりました。しかし、軍部は9日の午前3時頃、約300人の兵士をタハリール広場に出動させデモ隊を排除し、2人の死者と数十人の負傷者を出しています。また10日には、ナセル市軍事裁判所が、軍部を批判したという理由で拘束されていたブロガーのマイケル・ナビール氏に対して懲役3年の判決を下したことも、民主化を求める活動家の姿勢を硬化させる要因となりました。
人権ウオッチのジョー・ストック中東副局長は「判決は厳しいだけでなく、不公正な裁判後に軍事裁判所で課せられたものだ」(ミドル・イースト・オンライン 4月12日)と厳しく批判しています。マイケル・ナビール氏の弁護士であるガマル・エイド氏も、「弁護士不在の中で秘密裡に判決が下された」「当初、判決は4月6日とされていたが4月10日に延期された。当日出向いたら判決の言い渡しはないと言われたので引き返したら、3年の懲役刑が言い渡されたと聞き、大変驚いている」(同上 4月11日)と述べ、不当な判決であると訴えています。他方で13日には、検察当局は、ムバラク前大統領と長男で実業家のアラア・ムバラク氏、次男で前・与党国民民主党幹部のガマル・ムバラク氏を、民主化を求めるデモ隊に対する暴力的な取締りへの関与や不正蓄財の容疑の事情聴取のため身柄を拘束しました。このように、エジプト情勢はなお先行きがまだまだ不透明です。

<アメリカなどの動き>

 アメリカは、中東における最大の親米国家であり、戦略的にきわめて重要なエジプト情勢に対しては重大な関心を持って事態の推移を見守ってきています。そして、国軍が国民に対して発砲しないという立場を鮮明にした直後に、かつてエジプト大使を務めたウィズナーをエジプトに派遣、オバマ大統領の親書を渡し、次期大統領選に出馬しないように要請、ムバラクの演説終了後には、オバマ自身がムバラクと電話会談を行いました。オバマは、それに先だって行われた演説の中で、エジプトにおける政権移行が平和裏に、かつ、今すぐ行われなければならないという立場を明らかにしていました。
 2月2日の大統領支持派と反政府側の衝突を受けて、アメリカ国務省の報道官は、エジプト政府に対して真相究明を要請、また、ホワイトハウスの報道官は、この衝突が政府による先導によるものであれば迅速に中止されるべきだと発言しました。
 2月5日にはドイツのミュンヘンで米英仏等の首脳による協議が行われ、ムバラク退任なしに抗議活動を終わらせようとしているスレイマン副大統領のアプローチを支持しました。またクリントン国務長官は、大統領選挙は十分な準備の上で行われることが望ましいとし、民主主義への移行にはリスクがつきものであるが故に、慎重で包括的な透明性のある政権移行が望ましいという立場を明らかにしました。
 ムバラク大統領の辞任に対して、オバマ大統領は2月11日に演説し、ムバラクが辞任によってエジプト国民の変化を求める要求に応えたとし、今後は軍が戒厳令解除、憲法改正など政権移行を実施するだろうと述べました。 3月6日には、区ローリー国務省報道官が、クリントン国務長官がシャラフ新首相と電話会談し、アメリカが民主化プロセスと経済復興に対して支援する旨述べたことを明らかにしました。

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