中東情勢から学ぶこと -マグレブ3国-

2011.05.10

*今回は、中東諸国での民主化闘争の発火点となったチュニジア及びアルジェリア、モロッコからなるマグレブ3国について事実関係をまとめました。これら3国においては、アメリカの影がちらつかないのが大きな特徴であると思います。なお、チュニジアでは5月5日からふたたびデモが起こり、8日にはカイドセブシ首相が国営テレビで7月24日に予定されている政権議会選挙を延期することもあり得ると述べるなど、民主化への動きにはまあまだ紆余曲折があることが予想されますが、ここでは、これまでの事実関係の整理作業との横並びを考慮し、4月末までの期間に限ります。事実関係に関しては、主に「中東・エネルギー・フォーラム」のHPに拠っていることはこれまでどおりです。(5月10日記)。

1.チュニジア

 チュニジアにおける民主化闘争の発火点となったのは、2010年12月17日(金)に、中部の町で、失業中の青年が路上果物や野菜を販売しようとしたのに対して、販売許可がないとして警察官に没収され、また、警官から暴行を受けたことに抗議するために焼身自殺を図った(1月4日に死亡)事件です。この事件の背景には、中東諸国に共通する青年層の高い失業率(チュニジアでは、最終学歴が大卒以上の失業率が20%超と社会問題となっていました。)があり、これに抗議するデモが1987年以来のベンアリ大統領の長期独裁政権に反対する闘争に発展したのです。青年が死亡した翌5日に、彼の焼身自殺という抗議行動がネットに投稿されて反政府抗議行動が拡大したと言われています。1月8日には、若者たちの抗議行動に対する治安部隊の発砲で、首都チュニス南方のカセリーン町とタラ町で少なくとも8人が死亡し、9人が負傷し、10日にもカセリーンで4人が死亡しました。抗議行動は11日には首都チュニスにまで拡大し、警官隊の発砲で4人が死亡しました。
 こうした事態に直面したベンアリ大統領は13日にテレビ演説で、2014年の大統領選挙に立候補せず、退任する意向を表明し、14日には内閣の総辞職と2014年実施予定の総選挙を大幅に前倒しして、年内に実施する考えを表明して沈静化を試みますが、抗議活動は収まらず、結局14日に大統領が国外に脱出を余儀なくされました。15日には憲法評議会が大統領の辞任を認め、60日以内に大統領選挙を実施するように要請します。また、17日には野党指導者3人を加えた挙国一致内閣が発表するのですが、独裁的体制時の政権与党が主要ポストを確保したことに反対するデモが連日行われ、特に2月25日(金)には、首都チュニスの中心部の内務省前で数万人が反政府デモを行い、暫定政権の退陣、特にムハンマド・ガヌーシ首相の辞任を迫り、27日にチュニスで行われたデモでは、ベンアリ時代から居残る閣僚の総退陣等を求めました。
 これに対して3月3日、メバザアア暫定大統領が、テレビ演説で、憲法制定会議の議員選挙を7月24日に行うと発表、4月7日にはヤズ・ベン・アクール最高議会選挙準備委員会委員長が、「前日(=4月6日)開催の委員会で7月24日の議会選挙を運営・管理する委員会の設立を決定した。同委員会は12人の委員で構成される。近々、政府の最終承認を得る予定である」(ミドル・イースト・オンライン 4月7日)と述べ、議会選挙に向けた準備が進んでいることを明らかにしました。11日には、最高議会選挙準備委員会が、被選挙権に関して男女平等とする政令を決定しました。政令では、過去10年の間に政府や旧政権与党である立憲民主連合(CDR)の要職にあった者の立候補を禁じています。被選挙権が女性にも認められたことについて、最高議会選挙準備委員会委員で著名な人権活動家でもあるモクタル・ヤヒヤウーイ氏は「これは歴史的な日である。意思決定への女性の参加は歴史的な決定である」(同上 4月12日)と語り、選挙に関する新たな男女平等の規定をたたえました。

2.アルジェリア

 アルジェリアでは1月7日(金)と8日に各地で暴動が起こりました。この事態に直面した内務省は、8日に声明を発表し、食料価格の上昇と深刻化する失業問題への不満による暴動によって3人が死亡し、400人が負傷したことを明らかにしました。1月22日には、最大野党の文化民主連合(Rally for Culture and Democracy RCD)の呼びかけた政治改革を求めるデモが行われ、取り締まりに当たった治安部隊との衝突で国会議員を含む40数名が負傷し、同じく国会議員を含む9人が逮捕されました。また、チュニジアでの動きに刺激されるように、アルジェリアでは過去の約2週間で8人が焼身自殺を図っていました。デモ参加者たちは、「ブーテフリカ大統領は出て行け」「自由なアルジェリアを、民主的なアルジェリアを」「殺人国家」等と叫びながら、チュニジア国旗とアルジェリア国旗をともになびかせながら行進しました。29日には、北東部カビリー地域のベジャジャ市で、1万人超が「政権の劇的改変を」と叫びながら平和裏に抗議デモを実施しました。2月12日には、野党、民間社会組織、非公式組合が結成した「変革・民主主義国民調整委員会(CNCD)が組織したデモが主要都市で行われ、治安部隊と衝突、400人以上が拘束されています。
 この日以後4月中旬までの出来ごとについては、私がチェックした限りでは(見落とした可能性が大きいのですが)、「中東・エネルギー・フォーラム」のHPに紹介がありませんが、2月下旬にブーテデリカ大統領(74歳)は19年間続けてきた非常事態令を解除しました。そして、4月15日、大統領は国営テレビで約30分間にわたり演説し、民主化を進めるために憲法を改正することを約束しました(同大統領が国民向けの演説を行ったのは、約3ヶ月前から民主化等を求める反政府デモが起きてから初めてのことだそうです。ちなみに、アルジェリアの現行憲法は1996年に採択されたものですが、2009年にブーテフリカ大統領の3選を可能にするために一部改正されていました。)。大統領の演説の主要点は以下のとおりです。

-民主主義の強化を目的とした制度体系を作るためには憲法を改正することが肝要である。
-選挙法も抜本的に改正され、現在議席を持たない政党の参加も可能となろう。
-新情報法の導入も約束する。
-諸改革は2012年5月に予定の国政選挙までに採択されよう。

ただし、4月16日付各紙は、大統領演説に批判的でした。エル・ワタン紙は、アルジェリア国民の期待とはかけ離れている、大統領の提案は、改革を装いながら現行制度を支持するものに過ぎない、としました。エル・カバル紙は大統領は反対勢力を無視したとし、ル・ソワール紙は大統領には失望した、と批判しています。また、政府の高官の中にも「国民は政治家にうんざりしていることを認めざるを得ない。政府の交代があってしかるべきと思う」「我々には変化が必要だ」「経済は行き詰っており、このままでは前に進めない」(ロイター通信 4月16日)と見る向きもいました。

3.モロッコ

 モロッコでは、2月3日に青年グループがフェイスブックを通じて2月20日に改革を求めるデモを行2月20日運動」を呼びかけたのが最初の動きでした。6日には、非合法化されているイスラム政党「公正と慈善」がウェブサイトで、「独裁政治」に終止符を打つ市民の立ち上がりを呼びかける声明を発表しています。10日には首都ラバトで約1000人が雇用確保を求めてデモ行進しました。そして20日には、「2月20日運動」の呼びかけに応じて、政府推計でも全国土で約3万7000人の参加した大規模デモが行われました。
 このような動きに対してムハンマド五世国王は、3月3日、それまで諮問的な役割のみしか付与されていなかった人権諮問評議会(1990年に父親である前国王が設立)に代わる新機関として国家人権評議会を設立し、国民の人権の擁護に努めることを明らかにしました。さらに、国家人権評議会の構成員を、政府当局・非政府団体(NGO)・政党・独立者の各代表とすることで中立性と透明性の確保に配慮し、また、議長には海外モロッコ人共同体会長で左派の人権活動家として知られるドリス・エル・ヤザミ氏を当てました。同人は極左の活動家として知られていた人物で、1970年代にフランスに亡命していたこともあり、現在まで国際人権連盟連合の事務局長を務めている筋金入りの人権派とされています。国王は9日にもテレビ演説で、「包括的な憲法改革を行うことを決定した」「憲法改正に当たる委員会を設置済みである」「地方にいっそうの権限を付与する」「これらは、我が国の民主主義と発展モデルを確固たるものにしよう」と語り、憲法改正案を6月30日(15日とも?)までに策定の上、国民投票にかけることを発表しました。
 しかし、国王側の以上の行動は、民主化を求める声を満足させることにはならなかったようです。すなわち、「2月20日運動」は3月20日を全国土でのデモ日と設定し、インターネットを通じて国民に参加を呼び掛け、当日はカサブランカ(1万人弱)、ラバト(4000人)、フェズ、テドゥアン、タンジール、アガディールをはじめとする全国の主要都市・町で、諸改革を求める新たなデモが実施されました。このデモは、モロッコ最大のイスラム政治組織と見られる「正義・慈善運動」の青年部やいくつかの人権団体・非政府団体(NGO)の支持も受けました。デモの参加者たちは、「我々は国王の演説以上のものを求めている」「国民は市民社会の構築を望んでいる」「国民の制定する憲法が実現されるまでデモを続ける」「我々は国王の存在は認める」「国民は蔓延する腐敗の根絶を求めている」などと発言していました。
 政権側は、さらに歩み寄りの姿勢を示しました。4月1日、政府筋が「国王が議長を務めた閣僚委員会は、公的生活やより良い統治に関わる幾つかの法律の原案を採択した」と述べ、反腐敗法の原案が採択されたことを明らかにしました。5日には、ハリッド・ナシリ通信相が、モロッコ国民プレス組合、モロッコ新聞編集者連合とラバトで会合を開き、ジャーナリストの勤務条件、報道の独立性と検閲規則違反時の罰則等について意見交換しました。6日には、ナシリ通信相が、前日の会合を受けたものと思われますが、、「自分が目指しているのは自由と責任の両立である。報道規定をもっと近代的なものとするために適切な解決案を考えたい」と述べ、報道に関して民主的な改革を導入する意向を表明しました。また、モロッコ国民プレス組合会長も、自由を基礎とする我々の哲学を基にした改革案を政府に提示したことを明らかにしています。そして14日に国王は、3月3日に設立した国家人権評議会の勧告に基づいて、イスラム過激派の政治犯を含む服役者190人の釈放あるいは刑の軽減を明らかにしました。これに基づき、96人が直ちに釈放され、残る94人は減刑処分とされました。釈放者の中には、2008年に解党させられたアル・バディル・アル・ハダリ(代替文明化)党の党首で穏健イスラム派のムスタファ・ムアタッシム氏、同じく穏健イスラム派のムハンマド・メルーアニ氏、麻薬取引の容疑で服役中の右派活動家のシャキブ・エル・クヤリ氏、そしてシェイク・アフメド・フィザリ氏及びアブデルクリム・シャドリ氏を含む強硬派サラフィー・グループの14人が含まれています。
 若者の主催する「2月20日運動」は24日、全国主要都市で3回目の改革要求デモを平和裏に行いました。主要都市でのデモ参加者は、首都ラバトが6000人超、カサブランカが約2万人(当局推計は約1万人)、マラケシュが500人超、タンジールが2000人超でした。今回のデモについては、モロッコ国内では政治活動を禁止されているイスラム運動のアドル・ワル・イフサンも後援していました。各都市でのデモでは、次のような要求が掲げられ、「新たなモロッコ」との垂れ幕が目を引きました。<

-迅速な民主化の実施
-憲法の改正
-新議会選挙の実施
-王権の制限
-社会正義の実現
-政治犯の釈放
-司法の独立
-腐敗の追放
-拷問の中止
-雇用の創出
-王室ビジネスの廃止

今回のデモでは、王室ビジネスに関して王家の持ち株会社が問題視された点、また、逮捕者の釈放を求めてイスラム主義者がデモに参加した点が新たな特徴として注目されました。
イスラム運動のアドル・ワル・イフサン(浅井注:詳細は不明です。)の創始者の娘であるナディア・ヤシーン女史は、「モロッコで起きていることは素晴らしい。静かな革命である」「我々はゆっくりと、しかし、着実に前進している」(ロイター通信 4月26日)と語り、若者主催の民主化デモをたたえました。すでにこのコラムで紹介したように、ヨルダンにおける民主化を要求する側から、「モロッコ国王がヨルダンの見習うべき好例である」という発言が出ているのもうなずける面があります。
このように、モロッコの民主化闘争は青年の「2月20日運動」が全体を引っ張り、これに既存の政党・組織が加わっている点が特徴的であるように思われます。また、国王をはじめとする政権側も、いたずらに暴力で鎮圧に乗り出すのではなく、「2月20日運動」の要求に耳を傾け、様々な改革を着実に進める姿勢を示しています。こういう点からすると、冒頭に述べた5月に入ってからの事態の展開がこれまでの穏健かつ着実な民主化に向けた流れに影響を及ぼすのかどうかが注目されることになるでしょう。

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