中東情勢から学ぶこと -サウジアラビアとクウェート-

2011.05.08

*日本の民主化の可能性を考えるという視点から中東情勢に学ぶための基礎作業である事実関係の整理の今回の対象国はサウジアラビアとクウェートです。ともに重要な産油国であり、親米政権の王国です。「中東・エネルギー・フォーラム」のHP には、私が見た限りではクウェートに関する事実関係の紹介が少ないので、ここでまとめる内容も限られたものであることをお断りしておきます(5月8日記)。

1.サウジアラビア

<民主化を求める動きと政権の対応>

 サウジでの最初の動きは、1月15日に失業中の約250人の大卒者が首都リヤドの教育省の前で雇用を求める抗議運動を行ったことでした。本格的な動きの嚆矢となったのは、2月10日、弁護士や大学教授、政治活動家等が、ウェブサイトを通じて、禁止されている政党を結成する許可を求める書簡を2月9日にアブドゥラ国王に送付したことを明らかにしたことでした。政党名は「イスラム・ウンマ党」で、設立声明では、「国王もご承知のように、イスラム世界で大きな政治的な進展があり、イスラムでは既に容認されている自由や人権が強化されている。今やサウジアラビアもこうした進展と歩みを同じくし、その流れに寄与する時である」と指摘しています。しかし、2月18日に明らかになるのですが、2月16日に同党結成者10人全員が当局によって拘束されました。当局側は、政治改革の要求の取り下げを釈放の条件としているそうです。結成者の一人であるシェイク・ムハンマド・ビン・ガニム・アル・カハタニ氏は、取調べに対して、自分や他の創設メンバーは逮捕を正当化するような罪を犯しておらず、合法的な政治的権利を行使したまでだと主張していると伝えられました。またAP通信に送られた声明では、「逮捕は、その他アラブ諸国の人々と同じように、表現の自由や集会の自由、参政権の付与といった諸権利に基づく真の政治改革を望むサウジ国民の間の政治的緊張を高めるのみである」「サウジ当局は、直ちに結党メンバー全員を釈放して欲しい」(AP通信 2011年2月18日)と述べているそうです。ただし、その後彼らが釈放されたかどうかについては、「中東・エネルギー・フォーラム」のHP では手がかりになる記述を私自身は見つけていません。
 サウジアラビア政府側の対応はそれなりに迅速でした。上記のような強硬措置をとる一方で2月14日、アブドゥルアジズ・ビン・アッヤーフ・リヤド市長は、文化情報省による監視は必要と断りながらですが、バハレーンやドバイのように公共施設としての映画館の開設が必要との考えを表明しました。この発言は、「つい最近まで、サウジ国内では映画館の必要性について論じることすらタブーであったことを考えれば思い切った市長の発言といえる」ということです。もう一つの国民に対する懐柔策として打ち出されたのが、王室府によるフェイスブックの開設です。このフェイスブックはハーリッド・ビン・アブドゥルアジズ・アル・トゥウェイジェリ王室府長官が主管するものです。同長官は、「国民には直接要望事項を送って欲しい」と訴え、王室府事務局の電話番号、ファックス番号、長官個人の携帯番号と電子メール・アドレスを記載しています。
ただし、このフェイスブックについての国民側の受け止め方は様々だったようです。サウジ国民、とりわけ女性にとって要望事項を直接王家に訴えられる道ができたとして歓迎する向きのある一方、当局による国民、特に不満を持つ人々の監視の手段に使われかねないとして警戒する向きもあり、サウジ王家がこれまでのような情報の独占はできなくなったことを示す象徴的な出来事と見る意見もありました。さらに、フェイスブックを開設する一方で、政府が長年にわたり存在してきた人権団体のHP を閉鎖したのは皮肉なことであるとして、フェイスブック開設は国民向けのパフォーマンスとの厳しい意見も出ていました。
2月17日には、小規模ながら、裁判を受けずに投獄されている人たちの釈放を求めるシーア派国民による抗議デモが発生しました。また、2月下旬、活動家がフェイスブックを開設し、3月11日と20日にサウジ国内でデモを行うことを呼びかけて注目されました。
政権側が情勢の展開に神経質になっていたことは、バハレーン情勢に関して、ナーイフ第二副首相(内相・王子)に近いとされる保守派の聖職者モフセン・アル・アワジ師が2月17日、「サウジアラビアの王家がバハレーンのハリーファ王家の崩壊を許すわけがない。サウド家にそれを認める余裕はない」と語り、サウド家がバハレーンの王制の終焉を決して認めないことを強調したことに明らかでした。さらにアワジ師は、「バハレーンで起きているのは宗派対立ではない。反政府デモは国内の諸問題に関する要求だ。それは政治改革であり、富の公平な配分についてである。バハレーンのスンニ派もシーア派に混じって抗議デモに参加している」と述べ、バハレーンの騒動が宗派対立に基づくものではないという認識を示しました。サウジの体制派の人物が、バハレーンの事態を「宗派対立に基づくものではなく、政治改革と富の公平な分配の要求」と指摘したことは、バハレーン情勢について画一的な見方を戒めるものとして注目されます。
また3月23日には、国営サウジ通信は、公務員の給与の引き上げ等のいくつかの王室令を発表しました。発表された一連の新対策に要する支出額は合計360億ドルの規模とされています。この新措置についてサウジ・フランス銀行のチーフ・エコノミストのジョン・スファキナキス氏は、「広範囲に亘る中東地域で起きていることを考えて、社会的恩典の拡大を目指したものである」(ブルームバーグ通信 2月23日)、「明らかに社会福祉を目的としたものである」(AP通信 2月23日)とコメントし、チュニジア及びエジプトの政変とそれ以降、各国で続く反政府デモを目にしたサウジ政府が慰撫策として導入したものとの見方を示しました。
こうした政府側の動きについて、東部州のアル・アシャを本拠地とする人権活動家のサディク・アル・ラマダン氏は次のように語っています(アイリッシュ・タイムズ紙 2月26日)。問題を宗派対立に解消してしまう見方を批判している点で、上記のアワジ師の見方と共通しています。

-サウジ国民は中東で行われている抗議運動を注意深く観察しており、同国において長きにわたり要求されてきた諸改革に国民の目がいっている。
-サウジ社会には高水準の貧困・失業・住宅不足・支配層での腐敗の蔓延に対する大きな不満が鬱積している。
-サウジ国内のシーア派住民は何十年にわたり差別と抑圧を感じてきたが、多数派のスンニ派の国民の大部分も不平・不満を共有している。
-スンニ派、シーア派を問わず若年層の失業率は50%に達する。また若者の住宅や教育施設もかなり不足している。
-国民はもっと透明性の高い政府を求めているほか、腐敗の根絶、富や福祉の配分の改善を求めている。

また、1958年に「自由王子運動」を結成し「赤い王子」の異名をとったこともあるサウド家のタラール・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド王子が、2月27日、英BBCのアラビア語放送で、諸改革を早急に進めないと反政府デモが起きる懸念があると発言しました。タラール王子はかねてからサウジアラビアには諸改革が必要であると主張してきたそうです。同日の王子の主な発言を整理すれば以下のとおりです。宗派対立として片付けいないことは明らかです。

-アブドゥラ国王が政治移行プログラムを実施しなければ、国では何でも起こるだろう。
-仮に、アブドゥラ国王がその座を去れば、改革は長きにわたり実施されなくなるだろう。そうなれば潜在的な諸問題が表面化してくる。我が国はアブドゥラ国王の存命中に諸問題を解決する必要がある。
-自分は中東・北アフリカで起きていることに驚かされている。自分はそうした事が起きるとは考えていなかったし、誰も今起きているような事が起きるとは予想していなかった。つまり、この世界ではどの国家であれ、特に第三世界では、こうした動乱に驚かされるということである。

 3月4日には、東部州のホフーフで100人超がシーア派聖職者タウフィック・アリ・アミール師の釈放を求めるデモを行いました。同師は2月25日の説法で、立憲君主制への移行や腐敗の根絶を求める発言を行ったことから拘束されていたものです。同日には、やはり東部州のカティーフでもシーア派聖職者タウフィック・アリ・アミール師やその他拘束者の釈放を求めて100人超がデモを行われました。同様のデモは前夜(3月3日)にもカティーフと近郊の町アワミーヤでも行われました。これらのデモ隊は「平和裏に、平和裏に」と唱和しながら行進し、一部の参加者は拘束者の釈放だけでなく、差別の撤廃も求めていました。これらの動きは、サウジ東部州カティーフ近郊の村での2月17日に起こった、拘束中のシーア派教徒の釈放を求めるデモ(前述)に続くものでした。3月6日にサウジアラビアの人権団体は、3日と4日に行われたデモに参加したシーア派住民のうち26人が当局により拘束されたことを明らかにしました。そしてサウジアラビアの15人の活動家が声明を発表し、26人が拘束されたことに関し、①我々は拘束されたデモ参加者への取り調べを懸念している、②こうした取り調べは、サウジアラビアも属する国連人権員会で認められている平和的な運動の権利に反するものである、という立場を明らかにしました。
 これに対して、3月5日、内務省は、「サウジアラビアはイスラム法や社会価値に矛盾し、しかも一部の人々が不法な目的の達成のために法を迂回しようとするので、すべてのデモを禁止する」「治安部隊がデモ禁止違反者を取り締まることを許可する」との声明を発表し、強硬な姿勢を明確にしました。また6日には、最高聖職者会議が声明を発表し、①会議はデモがサウジアラビアで禁じられていることを強調する。②共通の利益を実現するイスラム的な方法は助言を与えることである。③改革や助言はイスラム的な方法であり、利益をもたらし邪悪を阻止する。④声明に署名を集めてもそれらは実現されない、と述べて前日の内務省の決定を支持することを明らかにしました。また、聖職者のシェイク・サーレハ・アル・ファウザン師は同日、①イスラムは混乱の宗教ではない、②デモはイスラム教徒の生活方式にそぐわない、③デモは混乱・流血を引き起こし資産を害する、と語り、デモはイスラム的でないとしました。
 また、弁護士でコラムニストでもあるハーリド・アルノワイザー博士が、3月6日付けのアラブ・ニューズ(Arab News)紙に国王宛の進言を投稿し、次のような提案を行いました。その内容は、サウジアラビアの直面する広い範囲の問題について解決策を提起するものとして、サウジ国内ではいかなる反響を呼んだかは明らかではありませんが、内容的には私たちにとって参照価値が大きいと思います。

-諮問評議会の機能:諮問評議会の設置は一歩前進ではある。しかし、現行の役割だけでは国家の直面する大きな課題に取り組むことはできない。今こそ、政策決定に参画する現実的かつ効果的な評議会に変える時期である。
-憲法制定:サウジアラビアは世界のその他の国々と同様に、社会契約を結ばなくてはならない。それは、個人と政府との間の権利と義務を明確に定義することである。この社会契約は、憲法の制定なくしてはできない。憲法がなければ、個人の自由は保障されないし社会不安を招く。(ただし、)憲法は、イスラム教の聖典に由来しなければならない。
-経済問題:現在の行政及び金融制度の中央管理的アプローチは再考を要する。地方にプロジェクトと行政の権限をもっと与えなければならない。地方分権化は、官僚制度の非効率を改善することになろう。同様に、石油収入への過度の依存も解決を要する重要課題である。石油価格の上昇や世界の石油需要の増加にぬか喜びすることはやめねばならない。石油に代わる収入源を早急に見つけなければならない。
-緊急経済支援策:アブドゥラ国王が決定した1,350億サウジ・リヤル(約4兆500億円)の緊急経済支援策は疑いもなく歓迎できる。国民はアブドゥラ国王の寛大な、率先した取組みに感謝している。しかし、問題はこうした救済策が国民を政府にますます依存する社会を作ってしまうことである。それは、王国の健全な運営に重要な個人の自発的取組みをそぐことにもなる。もし新たな取組みとして政府高官を入れ替えたとしても、問題の解決にはならない。国民、とりわけ若年層が本当に必要としているのは、機会、仕事、希望、そして実質的な政治・経済・公務員制度改革である。
-司法制度改革:裁判法廷は法と司法制度を尊重する原則に立って見直す必要がある。これには、実効性ある規則を作った上で、信頼性や透明性の向上、さらには、あらゆる社会の腐敗と闘うという姿勢が必要になってくる。そうなってはじめて、国民は引き続き政府を信頼することができる。歴史の中で、今日、腐敗は失業と並ぶ社会の敵のNO.1である。アブドゥラ国王には、王国の立法制度作りに大いに力を発揮していただきたい。司法制度にとって大きな補完となる憲法を制定するとともに、すべてにおいて独立した司法制度と憲法裁判所を創設していただきたい。
-教育:近代的教育制度を作るためには、過去に固執する勢力からの干渉を排除した根本的な解決策が必要である。哲学、論理、芸術、そのほかの科学教育を奨励し、初等教育からカリキュラムの一部に組み入れるべきである。
-女性・若年層問題:サウジアラビアの女性と若年層に関しては、自由と個人の選択権についての慎重な決断が必要となる。この問題を無視していては、国家の長期的な利益にはつながらない。それでは不満だけを生み、社会の安定を損なうことになる。現在の若年層の失業問題は憂慮すべき問題となっている。これは自国民優先雇用政策の失敗とその他に解決策を見出せなかったことに起因している。
-宗教問題:宗教警察(勧善懲悪委員会 Commission for the Promotion of Virtue and Prevention of Vice)は受け入れられない。宗教警察は、21世紀の時代にも、G20のメンバー国としてのサウジアラビアにとっても相応しくない存在である。今こそこの委員会を廃止する時である。宗教警察の職務は、個人の自由と尊厳を認める1948年の世界人権宣言に盛られた人権に対する侵害である。
-情報社会への対応:今や情報が、インターネットと衛星テレビから今までに例を見ないほど入ってくる。海外で起こっていることを隠蔽することはもはや不可能である。中東を席巻している政治的混乱から祖国を守るためには、守りの姿勢ではなく、これに前向きに反応して行動する必要がある。

 3月8日には、東部州カティーフのシーア派住民の代表者たちが、アブドゥラ国王との公式会談の賓客として招待され、同国王と握手し、その写真は、後日、サウジ紙の一面を飾りました。国王との協議に参加したシーア派の聖職者シェイク・マンスール・サルマン師は、①カティーフ住民を代表して、我々は国王の存在を望んでいることを明らかにしたい、②何故ならば、国王は安全の象徴であるのだから、と発言しました。
しかし翌9日には、カティーフで約200人のシーア派住民が「我々に自由を」と叫びながら政治犯の釈放等を求めるデモを行いました。これに対しては、サウド外相・王子がテレビの記者会見で、①問題の解決には抗議ではなく対話が最善の方法と考える、②内政に関する如何なる干渉も拒否する、③イランは、アフマディネジャド大統領に向けられた抗議運動に対処すべきである、と述べました。しかしカティーフでは、10日にも600人~800人のシーア派住民による政治犯の釈放を求めるデモがあり、解散させようとした治安部隊の発砲で少なくとも3人が負傷しました。11日には、同じく東部州のホフーフでシーア派住民200人以上が政治犯の釈放を求めるデモを行い、3人が逮捕されました。アル・ハッサでも約500人が同様のデモを行いました。また、シーア派の聖職者たちがサウジ当局により拘束され、抗議運動の拡大に備えて治安部隊が増強されているとの報告も散見されました。例えば、カティーフ市近郊のアワミーヤでは約2500人が、また、サフワやアル・ラビーヤではそれぞれ約1000人が4日連続でバハレーンの反政府デモを支持する抗議デモを行っています。なおデモ隊の参加者たちは、バハレーンの反政府デモへの支持に加えて、1996年の逮捕後、裁判もなく拘束されている9人のシーア派住民の釈放を求めるスローガンも叫んでいました。18日(金)にも、東部州でバハレーンの反政府デモを支持する数千人のシーア派住民による抗議デモが発生し、オムランでは治安部隊との衝突で約10人が負傷しました。
 「中東・エネルギー・フォーラム」のHPによると、東部州には、同国民の10%から15%を占めるといわれるシーハ派教徒のうちの約200万人が居住しています。東部州では、イスラム世界の週末に当たる3月3日(木)、4日(金)と10日(木)、11日(金)と、前述のように、拘束者の釈放及び差別の撤廃を求めるシーア派住民による抗議デモが2週連続で発生していました。サウジアラビア軍が3月14日、バハレーン政府の要請を受ける形でGCC軍としてバハレーンの反政府デモの鎮圧のために進駐したことから、東部州のシーア派住民はますます反発を強めており、主要な市や町では翌日の3月15日以降、バハレーンのシーア派住民を支持する抗議デモが連続発生しました。特に、バハレーンの治安部隊が3月16日、催涙ガスなどを使ってデモ隊の強制排除に乗り出すなかデモ隊側が火炎瓶などで応酬したことから、少なくとも5人が死亡し100人以上が負傷する事態に発展しており、緊張が高まっていました。こうしたこともあり住民の多くが礼拝のためにモスクに集まった3月18日(金)、25日(金)、4月1日(金)、14,15日(金)に、バハレーンのシーア派住民への連帯や拘束者の釈放などを求める抗議デモが東部州で行われました。
 首都リヤドでも、若者・労働者たちが、「3月11日」の金曜日を「怒りの日」として首都リヤドでデモ行進をすることを訴え始め、13日には内務省前で200人超がデモを行い、主にスンニ派の拘束者の釈放を求めました。20日にも、リヤドの内務省前で、裁判抜きで拘束中の容疑者の釈放やその後の容疑者に関する情報の提供を求める小規模な抗議デモが再び発生しました。治安を脅かしたとして裁判も受けずに拘束されている容疑者たちの家族・親族による内務省への抗議運動は、同日で3月に入って3回目となったそうです。今回の抗議活動への参加者数は約100人と見られています。
4月5日には、約100人の教師がリヤドの行政省前で、フルタイムの雇用を求めてデモを行いました。デモ隊は要求事項を実現することを告げられたのち、治安部隊の要請に基づき解散しました。同様の抗議デモがターイフ、タブーク等の都市でも発生したと報道されました。10日にも、約20人の大学卒業者と教師がリヤドの教育省前で、また20人超の大学卒業者と教師がジッダの教育省分所で雇用を求めてデモを行いました。公立学校の教師の月給が9000リヤルであるのに対して、私立学校の場合1800リヤルでしかないことが参加した多くの教師の不満の種であった、とされます。また、アブドゥラ国王が発表した新経済社会政策において、失業への一時支給金が2000リヤルと、彼らの月給を上回ったことも批判の対象となりました。サウジアラビアでは、4月末現在で、死亡者の発生は報道されていません。
 政権側の対応は典型的な「アメとムチ」です。国王は、18日の金曜礼拝の後に国営テレビを通じて約3分間演説し、「すべての軍事部門関係者の勇敢な諸君、特に内務省の治安部隊の諸君は、祖国の盾であり、安全と安定を脅かす輩を打ち倒す存在である」「諸君及び諸君の働きに神のご加護がありますように」「私は諸君を誇りに思う」「諸君を讃えるのに言葉は十分ではない」「諸君は国家の安定弁であり、諸君は真実を曲げる者を打ち破り、忠誠を持って不信者を打ち砕いている」とたたえ、デモを徹底的に弾圧する姿勢を明らかにしました。他方で、国王の演説終了後、国営テレビは、最低賃金の引き上げや失業給付金の支給、住宅ローンの拡大等を含む総額5000億リヤル(約1333億ドル、12兆円弱)に上る一連の新社会経済対策に関する一連の勅令が発布されたことを明らかにしました。
こうした対策について、ムハンマド・アル・イーサ法相は「巨額の支出の伴う新福祉計画はサウジアラビアの歴史上、例を見ないものであり、国民の生活状態を改善したいとのアブドゥラ国王の願いを示すものである」(アラブ・ニューズ紙 3月19日)と述べて積極的に評価しました。しかし、シーア派教徒の多くが居住する東部カティーフの人権活動家ジャアファル・シャイエブ氏は、「包括策は主として軍人、治安・宗教関係者向けのものである」「国民向けのものは少なく、政治改革や選挙、政府の変革に関するものはまったく見られない」(同上)と語り、最近国王に送られた建白書(浅井注:前述のアルノワイザー博士が3月6日付けのアラブ・ニューズ(Arab News)紙に掲載した国王宛の進言を指すのでしょうか?)で求めている政治改革には何ら言及しておらず、真の国民の要望に応えるものではない、との厳しい見方を示しました。
 政権側の今ひとつのアメとしての措置は3月22日に、アブドゥル・ラフマン・アル・ダフマシュ選挙委員会委員長が、延び延びとなっていた地方評議会の選挙を9月22日に実施することを発表したことでした。サウジアラビは2005年に地方評議会の選挙を実施しており、本来は2009年10月31日に次回の選挙が行われる予定でした。また、選挙で選出される地方評議会議員は半数に過ぎず残る半数の議員は国王が任命する、しかも立法権は付与されていないというきわめて限定的なものでした。また、地方評議会の選挙の遅れについて、サウジ政府は選挙区の拡大を図る必要があることや、女性の参政権を認める可能性について検討しているためと説明してきました。
 ところが3月29日付のガルフ・ニューズ紙は、地方選挙委員会(MEC)が9月22日に予定されている地方評議会議員選挙で女性の投票を禁止する決定を下したことを報じました。地方選挙委員会は、この決定は、2011年の選挙で女性のための投票場の準備が間に合わないことが理由になったと説明し、また、①海外の組織が選挙の監視を行うことを認めない、②選挙は公明に行われる、と表明しました。アブダル・ラーマン・アル・ダーマッシュ選挙委員長は記者会見で、「法律はサウジアラビアの女性の地方投票権を阻んではいないが、一部認められていない」「女性は然るべき時に認められることになるだろう」と言葉を濁しています。
しかし、人権活動家等はサウジ政府のこうした説明に納得しておらず、政治を国民に開けたものとする動きに歯止めをかけるものと受け止めています。政治・社会・経済改革に前向きとされるアブドゥラ国王による努力にもかかわらず、サウジアラビアでは依然女性の自動車の運転が禁止されているし、公共の場で男女が同席することも禁止されています。29日付のガルフ・ニューズ紙は、女性の人権活動家、女性の権利を擁護する男性から「正当化できないし、受入れられない。」と非難と失望の声が上がっていることを伝えました。
女性人権活動家であるシュハイラ・ザイン・アブディーン女史は、「人口の49%を占める女性が来る地方選挙に参加することについて、国王の政治的判断を待っている」と述べ、選挙委員会の発表は女性差別であり、女性が国民生活に参加する機会を奪っていると批判するとともに、地方評議会そのものについても問題を提起し、多くの国民は誰が評議会の議員であるか、彼らがなにをしているか、これらの評議会の所在地さえ知らないと批判しました。そして、「地方評議会の前回の会期中にジェッダで水害が起こった際、多くのサウジ女性が被害者の救済活動にボランティアとして参加したが、地方評議会はそこに居なかった」と非難しています。同じく女性人権活動家のアミラ・カシガリ博士も、政府は女性にダブル・スタンダードを用いていると非難し、商工会議所議員選挙には女性が立候補でき、女性にも投票権を与えたのに、なぜ地方評議会選挙では無視されるのか、と疑問を投げました。
諮問評議会の元評議員で女性の権利を擁護しているモハメッド・アル・ザルファ博士は、最初の地方評議会の選挙に女性が参加できなかったことについては正当化できるだろうが、この初の選挙の試みから5年も経過しているのに、女性から参政権を奪うことについては正当化できないと語りました。サウジアラビアでの選挙は、2005年に地方評議会議員の半数(178議席)について選挙が行われたのがはじめてです。しかも選挙権は21歳以上の男性のみに与えられ、被選挙権も25歳以上の男性に限られました。女性にはいずれの権利も与えられなかったのです。それから5年経過し、その間に女性の社会進出も進み、女性の人権が社会問題として取り上げられるようになった今日、時代に逆行するような決定といわざるを得ないという批判は免れないところです。

<アメリカの動き>

 サウジアラビアに対するアメリカ政府の対応については、「中東・エネルギー・フォーラム」のHPはあまり多くを紹介していない印象を受けます。私の目にとまったのは、以下の二つだけでした。ホワイトハウスや国務省のHPに直接当たる必要があります。この点は、クウェートについても当てはまります。
アメリカは3月7日、クローリー国務省報道官が、①アメリカ政府は平和的な集会や表現の自由を含む普遍的な諸権利を支持する、②こうした諸権利はサウジアラビアを含む各国で尊重されねばならない、③サウジ政府の抗議への今回の姿勢は真新しいものではない、④アメリカは定期的な対話の一環として、その姿勢を伝えてきていると述べ、サウジ政府に国民は抗議する権利を持つと説いていることを明らかにしました。また、10日のカティーフでのデモを受け、ホワイトハウスのローデス国家安全保障問題担当補佐官が、①我々は発砲があったとの報道を知っている、②我々は、サウジ政府及び地域のすべての人たちに対して、如何なる地域の如何なる国家であれ普遍的な価値を支持すると言っている、③それには、平和的な集会、平和的な抗議、平和的な演説が含まれる、と7日のクローリー発言に示された立場を確認しました。

2.クエート

<民主化を求める動きと政権の対応>

 クウェートでは、反政府デモが起こるのを未然に防止するべく、政権側が先に手を打ちました。すなわち、1月17日、シェイク・サバーハ・アル・アフマド・アル・サバーハ首長が、今後14ヶ月に亘り(2012年3月まで)国民を対象に、米、卵、牛乳等の食品を無料で配布するほか、40億ドルを配分するよう命じました。そして26日には、議会が、出席した53名の議員の全会一致で、国民に現金を支給するとともに、無料の食品を配給するとの総額50億ドルに達する法案を可決しました。この計画に従って、2月24日から14ヶ月にわたり、国民には一人当たり1000ディナール(約3580ドル)が支給されるほか、基礎食品の無料配給が2月11日から12年3月31日まで向こう14ヶ月にわたって続けられることになりました。他方でサバーハ首長は29日、エジプトでの暴動と略奪を非難し、同国のエジプト政府と国民への断固たる支持を表明しました。クウェート・ニューズ・エージェンシーの報道によると、首長はムバラク大統領への電話の中で、すべての暴動、略奪、サボタージュを批判し、さらにエジプトの兄弟が、この決定的に重要な段階を乗り越え、治安と安定に至ると確信していると語り、エジプト政府と国民へのクウェートの揺ぎない支持を表明しました。
 しかし2月に入ると、「第5フェンス」と呼ばれる若者のグループが、ツイッターで「我々第5フェンスは、2月8日午前11時に議会前に集まり、我々の合法的な権利である議会でのセッションを開くことを求めるとともに、現政権の継続及び非民主的なやり方を拒否するとの宣言を行おう」(ミドル・イースト・オンライン 2011年2月6日)と述べ、反政府デモの実施を呼びかけました。呼びかけられた2月8日の抗議集会は不発に終わったようですが、2月6日の国営通信は、「首相が閣議で、サバーハ内相の辞任を首長が受理したことを伝えるとともに、首長が後任として首長のいとこを副首相兼内相に任命した」ことを明らかにしたと報じ、政権側が敏感になっていることを窺わせました。「第5フェンス」がツイッターで呼びかけた反政府デモは3月8日に行われ、①ナセル首相の即時退陣、②憲法の改正、③民意に基づく政府の樹立等を求めて、数千人がナセル首相の執務室の近くまで行進しました。
 クウェート国内には10万人超のビトゥーンと呼ばれる無国籍者がおり、権利の付与を求めているのですが、2月18日、1000人超の遊牧系のビトゥーンが、クウェート市西方50kmのアル・ジャハラで、権利の付与等を求めるデモを行いました。当初は約300人で開始したデモだったが、その後賛同者が増え、最終的には約1000人に達した、といいます。しかし、政府は彼らが元々近隣諸国から来た人たちの末裔であるとして、国籍を取得する資格はないとの立場を取っています。彼らは3月11日にも市民権を求めて抗議集会を行いましたが、治安部隊が催涙ガス弾を使って散会させました。彼らには国籍が与えられていないということは、1月17日にサバーハ首長が発表した恩恵策は彼らには適用がないということになります。

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