中東情勢から学ぶこと -イエメン-

2011.05.05

*イエメンは国際テロ組織であるアル・カイダの拠点の一つでアメリカの関心が高いことにおいて、アメリカにとっては、リビアの場合と同じく、単純に民主化闘争支持と割り切って対処できない存在です。4月末までのイエメン情勢を、「中東・エネルギー・フォーラム」のHPによりながらまとめてみました(5月5日記)。

<民主化闘争の歩みと政権側の対応>

 イエメンでサーレハ大統領(1978年から1990年まで北イエメン大統領。1990年に南北イエメンが統一してからイエメン共和国大統領として今日まで通算33年間大統領)の退陣を求める抗議デモが最初に起こったのは1月22日で、学生や活動家、反政府勢力等からなる約2500人が、首都サナアのサナア大学の構内での抗議運動という形を取りました。それまでにも政権批判の抗議運動はあったそうですが、大統領の退陣を直接要求する抗議運動はこれが最初であったといいます。このデモを率いたのはイスラム主義勢力であるイスラハ党で、デモの参加者は「アリ(・アブドゥラ・サーレハ大統領)よ、貴方の友人であるベン・アリ(前チュニジア大統領)に続け」と叫んだと報道されました。翌23日にも反政府デモがあり、ジャーナリストでイエメン改革党のメンバーでもあるタワケル・カルマン女史を含むデモ参加者19人が逮捕されました(翌24日に釈放)。こういう事態に直面したサーレハ大統領は、2月2日に議会で演説を行い、大統領の任期の延長を行わず、自身は2013年の任期切れで降りること、大統領職を長男に継承することはないことを述べ、翌2月3日の反政府デモの中止を求めました(ただし、3日のデモは予定どおり行われました。)。また、大統領は23日にはデモ取り締まりをしないことを約束(ただし履行されず。)、24日には、反政府勢力との対話を始めるための政府委員会の創設を首相に指示しました。
 しかし、反政府デモはさらに拡大していきました。すなわち、25日の金曜日には、 全土で約18万人、首都サナアでは3万人規模の大統領の辞任を求める反政府デモが行われましたし、翌26日にも首都サヌアで約8万人が参加する反政府デモが行われ、アデン、タイズでも数万人規模の反政府デモが行われ、主要部族のハシド族とマキル族が反政府デモへの参加を明らかにしました。3月8日から18日(金)にかけては、反政府デモに対して政府が実力行使に訴え、死者が出る事態になりました。8日の反政府デモでは、警官隊の実力での鎮圧で98人が負傷し、翌日には1人が死亡しました。12日には1人が死亡、数百人が不詳、13日には首都サナアで1人死亡、100人が負傷、南部アデンでも12日のデモで2人が死亡しました。17日のサナア及びターイズのデモでは20人が死亡し、200人が負傷しています。反政府デモに伴う犠牲者も多数に上っています。4月19日には首都サヌアで2人が死亡、100人が負傷、タイズで1人が死亡し、反政府デモの発生した1月以降の死者数はこの日までに既に130人超となりました。
イエメンでの事態の展開にはいくつかの注目点があります。
一つは南北イエメンでのデモの性格に違いがあるらしいことです。すなわち、2月25日にイエメンの知的ハブであるターイズで行われたデモでは、前週の反政府デモで死亡した2人を悼んで「殉教者の金曜日」と名付けられた反政府デモに10万人が参加しました。アデンでも数千人が反政府デモを行い、治安部隊の発砲により少なくとも1人が死亡し25人が負傷したのですが、注目されるのは、サナアやターイズのデモ隊が大統領の辞任を要求しているのに対して、アデンでは分離独立が最大の要求事項となっていたとされることです。
 もう一つは、若者たちの行動とは別に活発な野党の動きがあることです。3月1日にサヌアで数万人規模の反政府デモが行われるのですが、野党連合の「合同会議党」(the Joint Meeting Party、JMP)がこのときデモに正式に初参加するのですが、3日には野党連合が、サーレハ大統領に、年末の辞任に向けた時間表を提案したと発表し、4日に大統領が拒否すると、7日には野党「共通フォーラム」の反政府デモが行われ、同フォーラムの指導者の一人ムハンマド・サブリ氏は「国民に対して、サーレハ大統領が退陣するまで全地域でデモを拡大し平和的運動を拡大するよう要請した」(ミドル・イースト・オンライン 2011年3月7日)と発言しました。
もう一つは、リビアでも動向が注目された部族の動きです。すなわち、3月15日には、ハキル部族、イエメンで最大の部族連合とされるハシド部族及びサーレハ大統領を支えてきたその9支族も反政府側につきました。また19日には、サーレハ大統領の属するハシデ部族の部族長シェイク・サディク・アル・アフマル氏が宗教指導者たちと自宅で会談し、大統領の退陣を求める反政府派を支持するとの声明を発表します。そして20日には、有力な聖職者集団が共同声明を発表し、軍と治安部隊に対して、反政府デモ隊を殺害したりする命令を誰からであり聞かないようにと呼びかけるとともに、大統領の共和国親衛隊に首都サナアから出るように求めました。
イエメン情勢における問題を複雑にする今一つの要素はアル・カイダの動きがあることです。2月26日には、「アラビア半島のアル・カイダ」が、ウェブサイト上で、アラブ諸国のイスラム教徒に現政権の転覆を呼びかける声明を掲載しました。また3月1日には、2004年以降、アメリカによってテロリストと名指しされている聖職者シェイク・アブドゥル・マジッド・アル・ジンダニ師が、サーレハ政権打倒によるイスラム政権樹立を呼びかけました。また4月27日には「アラビア半島のアル・カイダ」が、南部アビヤン州ジャールの支配権を掌握し、30人ほどが武器工場を襲撃し略奪、南部アルフスンの検問所等を掌握したことが報道されました。翌28日には南部アビヤン州ジャールの武器工場で爆発事故が起こり、少なくとも110人が死亡した、とも伝えられました。
 こうした反対派諸勢力の動きを受けて3月26日、アブバクル・アル・キルビ外相は、サーレハ大統領の退陣に向け協議の行われたことを確認し、アル・アラビーヤTVに平和裏の権限委譲策が話し合われたことを明らかにしました。また29日には、サーレハ大統領が、自らが2011年末まで大統領職に留まることを条件に、反体制派の暫定政権に権力を移す案を提示しました。翌30日、反体制派は大統領が提示した案を拒絶、4月2日に反体制派の共通フォーラムは、サーレハ大統領にハディ副大統領への権限委譲を求める以下の提案を行いました。

-副大統領が暫定期間の全権限を委譲され治安機関の再編を開始する。
-国民合意に基づき暫定期間中の権限について暫定大統領と合意する。
-移行国民評議会が広範囲に亘る国民対話を開始する。
-専門家委員会を創設し改正憲法案を検討する。
-国民統一政府を結成し暫定軍評議会と共に暫定期間を統治する。暫定軍評議会は、軍内部で尊敬される有能な軍人により構成する。
-最高選挙委員会を創設し、憲法改正国民投票、議会選挙、大統領選挙の監視に当たる。
-すべてのイエメン国民が平和的な表現・デモ・坐り込みを行う権利を認める。
-治安部隊によるデモ隊への暴力的な対応を調査する。

 4月5日には、3日のGCC臨時外相会議(後述)を受けてか、反体制派報道官が、GCCの招待に応じてリヤドで大統領派との協議に応じると発表しました。8日には、サーレハ大統領が首都サヌアで数万人の支持者を前に「我が国は正統性をカタールやその他諸国から得るわけではない。我が国は干渉を拒否する」(ロイター通信 4月9日)と語り、GCCによる仲介を拒否する意向を表明しましたが、10日のGCC調停案(後述)に対しては、11日、イエメン政府が「大統領は憲法の枠内での平和裏の権力の移譲に何ら留保するものではない」との声明を発表し、大統領がGCC調停案を歓迎することを明らかにしました。
 こうした権力側及び野党勢力とGCCとのやりとりに対し、反政府デモを引っ張ってきた若者たちは4月12日、「専制者との対話は一切拒否する」「対話が開始されても我々は占拠中の場所から動かない」との姿勢を明確にしました。「変革を求める若者」の活動家アーデル・アル・ラブイ氏は「例え、野党が受け入れても我々はGCC調停案を拒否する」「我々の要求はサーレハ大統領の即時退陣のみである」(ミドル・イースト・オンライン 4月12日)と述べ、大統領の退陣の含まれない調停案には関心のないことを表明しています。彼らをさらに刺激したのがサーレハ大統領自身の発言でした。大統領は15日、イエメンに伝わる文化やイスラムの教えから考えて、女性による女性の親族以外との交流は許されず家にいるべきであるのでデモには参加すべきでないと発言したのです。これに対して17日、首都サヌアで、大統領の発言に抗議するとともに、同大統領の退陣を求める数万人の男性と女性によるデモが発生し、治安部隊が放水や催涙ガス弾を使ってデモ隊を解散させようとしたことから約30人が負傷し、約1000人が治療を要する事態に発展しました。同日には、タイズ、ダマル、アデンでも同様のデモが行われたことが報道されました。
 若者たちの立場と野党勢力の立場とは大統領退陣を要求する点では矛盾はないようですが、GCCの調停案に対する評価、対応においては違いが見られます。すなわち4月18日、共通フォーラムのムハンマド・アル・サブリ氏は、我々はサーレハ大統領の退陣が不可欠との見解をGCCに伝えたと述べ、単なる権限移譲では同意しないことを示唆しました。この点について、リヤドでの協議に参加したスルタン・アル・アトゥワニ・アル・ナセル党事務局長は、「我々はサーレハ大統領の辞任による権力の放棄を求める」「我々はGCCイニシアチブを歓迎するが、4月10日のGCC外相会議声明の最終部分、つまり、権力の移譲は拒否する。我々はサーレハ大統領の辞任による権力の放棄を要求する」(ミドル・イースト・オンライン 2011年4月18日)と語り、平和裏の権力の移行ではなく、あくまでも追放を求める考えを明らかにしています。この日には、与党である国民全体会議(GPC)を脱党していた前閣僚等が、改めて反政府派の支持を打ち出し、同時に、新たな政治勢力となる「公正建設ブロック」の結成を発表し、特に若者による革命を支持することを強調しました。
 GCCが提示した4月21日の調停案(後述)に対しては、23日には、イエメンの与党である国民全体会議(GPC)のタリク・アル・シャミ報道官は、電話インタビューで、サーレハ大統領が副大統領に30日以内に権限を委譲し、その後60日以内で大統領選挙を実施することを受け入れたと語りました。また、国民全体会議(GPC)は同日ウェブサイト上で声明を発表し、GCCの新たな仲介案の受け入れに同意したことを明らかにしています。他方、野党6政党で構成する合同会議諸党(JMP)も、GCCの新たな仲介案に合意したことを明らかにしました。しかし、青年運動の報道官は「我々は大統領に不起訴特権を与えるイニシアチブは拒否する」「GCCイニシアチブは、公正という基本原則を犯している」(AP通信 4月23日)と述べ、GCC新仲介案を拒否することを打ち出しました。また、サーレハ大統領は30日になってGCC調停案の受け入れに難色を示して、先行きが再び不透明になっています。

<湾岸協力会議(GCC)の対応>

 バハレーンに対する実力行使に踏み切ったGCCは、当初はイエメン情勢に対して慎重な対応で情勢を見守る姿勢でしたが、4月3になってGCC臨時外相会議が開催され、イエメン問題について、アブドゥルラティフ・アル・ザイヤニ事務局長が次のように表明しました。

-GCCは全当事者に国民対話に戻ることを呼びかける。
-GCCはイエメンの統合・治安・安定を確かなものとする国民の意思と選択を尊重する。
-GCCは、コンセンサスを得るために、イエメン政府及び反体制派と接触することで合意した。

 しかし6日には、カタールのシェイク・ハマド・ビン・ジャシム・アル・サーニ首相が、GCCとしてサーレハ大統領が退陣することで合意できるのを期待すると語り、GCCは大統領の退陣と暫定評議会の樹立を提案する方向での検討を開始したことが報道されます。翌7日にサーニ首相は、「GCCはサーレハ大統領が退陣する代わりに、同大統領及び親族を法的に処罰しないことで取引がまとまることを望む」と語りました。そして、8日のサーレハ大統領のGCC仲介拒否演説にもかかわらず、10日にGCC臨時外相会議が行われ、①大統領権限のハディ副大統領への移譲、②反体制派の主導する暫定政府による新憲法の制定、③政権側と反政府側との協議等を内容とする調停案をまとめました。
 4月17日には、イエメンの野党勢力を代表する「共通フォーラム」の代表団がサウジアラビアの首都リヤドを訪問し、10日にGCC臨時外相会議が取りまとめた調停案についてGCC6カ国の外相と協議しました。GCC側の議長役を務めたシェイク・アブドゥラ・ビン・ザーイド・アル・ナヒヤーンUAE外相は、双方が最新のイエメン情勢について協議したほか、サーレハ大統領から副大統領への権限移譲及び反政府勢力の主導する統一政府の組成に関して主に協議したことを明らかにしました。
こういう経緯の上に、4月21日には、GCCのアブドゥルラティフ・アル・ザヤニ事務局長がサナアを訪れ、サーレハ大統領と反政府派の双方に新たな仲介案を提示し、その受け入れを求めました。GCCの新たな仲介案の主な内容は次のとおりです。

-サーレハ大統領による大統領権限の副大統領への委譲と1ヶ月以内での退陣
-その後、新内閣による大統領選挙の準備と2ヶ月以内での大統領選挙の実施
-大統領・親族・側近への不起訴特権の付与

<アメリカの対応>

 アメリカは2月2日のサーレハ大統領の演説(前述)を受けて、クローリー国務省報道官が、「非暴力的、民主的方法で政治の発展を目指す如何なる決定も歓迎する」「中東の政府にとって声明を行動に変え、政治・社会・経済改革を実行することが重要である」(AFP通信 2月2日)と発言し、同大統領の決定を評価しました。しかし反政府デモが拡大していく中、3月8日には、ホワイトハウスのカーニー報道官が、アメリカはイエメン政府が国民の合法的な要求である政治改革に焦点を当てて欲しいと考えると発言して、サーレハ大統領支持から距離を置くようになります。そして、情勢がサーレハ大統領に不利に展開することが明らかになった24日には、トナー国務省報道官が「対話と交渉により権力移譲の時期と形式が確認されるべきと考える」「イエメン国民の正統な懸念を表明する開放的で透明性があり、しかも全勢力の参加する協議が必要である」(AP通信 2011年3月25日)と述べ、話し合いによる平和裏の権力移譲に期待を示しました。
4月3日のニューヨーク・タイムズ(電子版)は、オバマ政権がサーレハ大統領の早期退陣を水面下で促しており、副大統領による暫定政府を経て後任大統領を選定する方式を推していると報じました。これは、オバマ政権がイエメンの反体制派勢力の前日の提案(前述)を好意的に評価していることを示唆します。他方で5日には、カーニー国務省副報道官が、イエメン国民を支持し、サーレハ大統領に有意義な政治改革を求める内容の声明を発表し、モレル国防総省報道官は、サーレハ政権に引き続き軍事支援していることを明らかにしました。6日には、ゲーツ国防長官がサウジアラビアを訪問し、アブドゥラ・サウジ国王とGCC調停案について協議した模様であるという観測が流されました。このように、バハレーン情勢に関してはGCCと緊密な共同歩調を取っているアメリカ政府ですが、イエメンに関しては、「中東・エネルギー・フォーラム」のHPに載っている事実関係からだけでは正確なところを判断することはできません。詳しくは、ホワイトハウスや国務省のHPをチェックする必要があります。

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